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 そうしてイーディスは嫁に入ることになったのだが、その相手は今まで仕えてきた国王ダレルではなく王弟ウォーレスだった。


 彼は、長年王族の従者として仕事をしていた上に、兄ダレルのおさがりということでイーディスを使用人扱いするのは当然として、目の敵にした。


 いわれのない事で責められ、できるはずのない仕事を押し付けられ、結婚間近に迫った同棲生活の際には、暴力を振るわれるようになり、不安で眠ることが難しくなっていた。


 そんな日々に、イーディスは自分の不幸をまったく自覚できず、ただ過ごしていた。


 しかし、同じ状況にいるらしいと、察せられるアルバートの姿を見て、ぱちんと風船がはじけるように目が覚めて、今ここにいるのである。


 よく考えてみれば報酬としての婚姻なのだから、ツテのあるダレルにやっぱりやめるといえばそれだけの事だった。


 実家に戻れば、嫁に行きたがっている妹が、次期当主の席を空けてくれてイーディスはまた元の人生に戻った。


「あまりいい気分のしない話かもしれないけれど、私は、アルバート様に声をかけてもらって、痛みを思い出した。私には戻れる場所があったし、苦労するのなら自分の選んだ道で苦労したい」


 だからこの提案は、イーディスの恩返しだ。彼はきっととてもつらい思いをしている。


 そして多くの場合、そういう人間には逃げ出す場所がない。


「アルバート様がまったく困っていないというのなら、私は文句もない。けれどつらい思いをしているのなら、私のところに来ませんか? アルバート様はまだ、結婚前の身分だわ。私たちが望めば、婿入り先も変えられる」


 彼が婚約している相手はそれなりに、身分の高い相手だが、爵位を継ぐわけではない令嬢だ。彼の家も婿に入れるならイーディスのところを選ぶだろうし、いざとなればツテを使ってなんとかする。


「……それは……」


 イーディスの言葉にはアルバートはさして驚いている様子はない。こういう話題だと知ってきていたはずだし、一応どんな身分でどんな条件でという話も手紙に書いていた。


 そしてその話に乗りたいと思ったからこそ、この場に現れたのではないかと思う。


 勝算のない賭けだったけれども、どうやら彼を悩ませる程度の魅力は持ち合わせていたらしい。


「…………とてもうれしい誘いではあります。俺にはずっとジェーンしかいないと思っていたから……でも……」


 アルバートはとても長い間言葉を探していて、それをイーディスはじっと待った。


 途中で花の砂糖漬けが載ったクレープが到着して、食べるタイミングを見計らいつつも真面目な顔をした。


「正直なところを言うと、俺は……結婚をしても貴方を幸せにできる自信がない。この通り情けない男だし、色々と厄介な事柄も背負っているし」


 ホカホカのクレープがお皿の上で湯気をくゆらせている。それをつんつんと隣にいたルチアがつついた。


「それに、貴方にジェーンが何かをするかもしれない、もちろん守りたいと思うけれど、こうして話を持ち掛けてくれた貴方に、迷惑をかけるのは、筋違いになると思います」


 彼の口から出てくるつらつらとした言葉は、イーディスの右の耳から入って左の耳から出ていった。


「甲斐性もないし、情けのない男だから、そもそも、貴方の求婚に応えるだけの……資格がないと思う」


 ……資格がない。


 最後の言葉を復唱して考える。そういっている間にも彼はとても苦しそうで、自分の胸元をぎゅっと握っていた。


「こうして話をもらえてすごくうれしかった。ただ、とても貴方が優しくていい人なのだと分かったからには、俺には似合わないと思います」


 一瞬、断るために、お世辞としてそんなことを言っているのかと思った。


 それならばイーディスだって、これ以上彼に結婚を迫ったりしない。


 しかし、どこからどう見てもそんな風には見えなくて、彼はやっぱりこのままその婚約者と結婚すれば、さらに悪い方向に進むような気がした。


 それにここまで言うからには何か、彼には欠点があったり、普通の女性では背負いきれない何かがあったりするのかもしれないと思う。


「だから、申し訳ありません。応えられません。貴方みたいに素敵な女性にはもっと良い人がたくさんいると思う」


 必死に笑みを浮かべて「でも、心配してくれてありがとうございます」と言う彼にイーディスはある選択をした。


 もしかしたらその背負いきれない何かによって後で後悔する羽目になっても良い。


 彼を真剣に見つめて、頭を回転させる。


 イーディスはこれでも従者のはしくれだ。従者といえどただただ従っているわけではない。仕える人に満足してもらうために、様々な機転を利かせて無理難題でも実現できる形に整える。


 主人の説得もそれなりに得意だ。意見を否定するのではなく方向性を変えればいい。長年のしみついた話術が、イーディスの武器ともいえる。


「……アルバート様は私に迷惑をかける可能性があるから、自身には私の求婚に答える資格がないと仰ったけれど、実はその迷惑なんてものよりもずっと私はアルバート様と結婚するメリットがあるんです」

「……メリットですか」

「そう! この結婚は、アルバート様に幸せにしてほしいからするのでもなく、私自身もアルバート様自身も幸せになるための結婚になったらいいと思っているの」


 矢継ぎ早に言って、イーディスはクレープの載ったお皿をよけて、彼の手を取った。


「私が望んでいるのは、結婚は結婚でも、契約結婚! 条件はアルバート様も私も幸せそうにして元婚約者を見返すことにあるのよ!」


 イーディスは、この結婚の意義をすり替えた。


 もちろん初めからそういうつもりはなかった、ただ単純にお互いにメリットがあることであった方がアルバートが納得しやすいのではないかと思ったからだ。


「だから、こんな条件の契約結婚、アルバート様以外に頼めないと思って、声をかけたの。幸せにしてほしいだとか、相応しいだとかそういう事ではなく、私はただアルバート様と契約結婚したいだけ」


 握った手は春先だというのに少し冷えていて、温めるようにぎゅっと握った。


 彼はキョトンとして、それから初めて俯くのをやめてイーディスをまっすぐに見た。


 その瞳はやはり春の空色のように透き通っていて、うつくしい。髪も同じような色をしていて風に攫われてふんわり揺れた。


「……アルバート様、私と契約結婚してください」


 勢いに任せてそう言うと彼は、混乱した様子で頷きかけて、それからものすごく渋い顔をしてうーんと悩んで、もうあと一押しとイーディスは思う。


「契約結婚しましょうか! 貴方と私ならきっと元婚約者たちを見返せると思う!」

「……えっと、俺を娶ってくれるのにそんな条件でいいんですか?」

「ええ! むしろアルバート様しかいません」


 すぐに口から思いついたことを言って、じっと彼を見つめる。


 すると、困ったような顔をしたり、ぐっと顔をしかめて悩んだりした後、彼は少し身を引いてそして目を逸らしてから「後悔したらすぐに離婚していいですからね」となんとも弱気な返答をした。


 それに、よし、と心の中でガッツポーズを決めて、イーディスはぱっと手を離してクレープのお皿を元に戻して小皿にルチアの分を取り分ける。


「さ、冷めてしまったけど食べましょ。諸々の手続きは任せてね。私これでも、そういうのは得意ですから」

「……助かります。俺は書類や手続き関係は苦手で……」

「いいえ、アルバート様にはアルバート様の得意なことがあるから、お互い様だわ」


 言いつつも、もくもくとイーディスはクレープにナイフを入れて口に運ぶ。


 それからぽつぽつとおたがいに得意不得意を話したり、婚約者についての事項を共有し合うのだった。





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