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凄く苦しそうな表情で縋りつく彼に、何と答えたらいいのかわからなくて、困った。
イーディス自身にとってはそれほどの事態だという認識はなかったが、それでも彼にとって、そして世間一般的にそれほどの事態だという事だろう。
一般的な指標というのは大切なものだ。自分が何かをするときに一般的に見てどう見えるのかというのをきちんと把握して動かないと自分が悪者になる場合がある。
しかし、今回の件については、イーディスの方が、そうして彼を糾弾してもよい側だ。
だから一般から外れたことをしても誰に批判されるということもない。
つまり、イーディスの自由だ。
「……」
ひざまずく彼の手を取って、イーディスは長椅子から降りて、アルバートと同じく両膝をついた。
「イ、イーディス?」
真剣な顔をして、地面に座り込むイーディスにアルバートは混乱したような顔をして、じっとイーディスを見つめた。
イーディスはそのハトが豆鉄砲を喰らったようなぽかんとした顔に、少しくすりと笑って、いつもの持ち前の気さくな笑みで彼を見る。
「……アルバート……貴方の弟を受け入れます。しかし、一つ言わせてください、契約結婚といえど、私たちは夫婦よ。それがどういうことかわかりますか」
「……え、っと」
夫婦というのがどういうものか、それは彼のなかにも答えはあるだろう。しかし、イーディスが言いたいことはわからない、そんな表情だった。
「私たちは、対等なんです。アルバートが膝をつくのなら、私も膝をつきます」
特に膝をつく意味はないのだが、夫婦の片方だけがへりくだって、なんでも相手にゆだねているだなんてそんなのはおかしな関係だ。
イーディスはそんな関係を望んではいない。
「アルバートが泣いていれば、私だって悲しい。だからどうかそれほど思いつめないでください。たしかに隠し事をして結婚をして、後からそれをあかし、受け入れて欲しいと望むのは傲慢かもしれません」
「……はい」
「でも、それはアルバートの悪意故ですか?」
「決してそうではないです」
「ええ。見てればわかります。では、仕方なかったと、私は思えます」
仕方のない事はこの世にままあることだ。それに対して泣いて跪いて謝ってほしいなど自分の夫に望む人間などいないだろう。
「だから、そんなことでアルバートは苦しまなくてもいい。それにアルバートが跪ていたら私もそうして視線を合わせなければ、いられない。私たちは対等だから」
だから、どうしてほしいかまでは言わなかった。しかし、わかってほしいと願いながら見つめれば、アルバートは理解できたらしく、膝を引いて立ち上がり、イーディスの手を引いた。
「……ありがとう、アルバート」
……言いたいことを理解してくれて。
しかし立ち上がってみると彼の方が随分、視線が上で見上げてから、あまりうまい説得ではなかったなと思った。
先ほどの話からすると、イーディスが凄く高いヒールを履いて日常を過ごすか、アルバートがかがんで日常を過ごすことになる。
まあ、流石に比喩にまともにツッコミを入れるとは思わなかったが、言われたら高いヒールを買いに行こうと思う。
「こうしてみると、貴方はとても小さくて、貴方の言ったように同じ目線ではない……」
言われてイーディスはドキッとした。見下ろしてくる気弱な瞳はまだ涙にぬれていて、乙女のようだった。
「でも、貴方は俺にとって、とてもじゃないけど頭が上がらないくらい立派で素晴らしい人だ」
「っ」
「イーディスが対等を望むのなら、俺はそれに従います。……ありがとう」
言いながら彼はたまらなく、愛おしくなったみたいな顔をして、ふいに近づいてくる。それに、まったく反応できずにイーディスは呆然とした。
しゃがんで体を少し小さくした様子で、できる限り怖がらせないように、そんな配慮を感じる抱擁をされる。
ぐっと抱き寄せる腕は力強くて、けれども触れる体は、フワフワしているような気がした。
「……ど、どういたしまして」
「はい」
抱きしめられて体を固くしたまま惰性で答えた。
こんな風に触れ合ったのは初めての事態で、まさか自分が急に抱きしめられて、それにまったく反応できずに緊張しているだけなんて、それほど初心だとは自分でも思っていなかった。
それから、アルバートはすぐにパッと離れて、いつもの一定の距離感の向こう側に行ってしまう。それを少し名残惜しいと思ってしまったのも意外だった。