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フェルトン侯爵家領地にはとても歴史深いリンツバーク教会がある。
そこに、生まれてしまった獣の女神の聖者の面倒を引き受けてもらう代わりにフェルトン侯爵家に婿入りして資産を明け渡す。
そういう算段だったのなら、バージェス伯爵家が爵位を返上することを躊躇しないのだって理解できる。
「はい。始めはお布施だけでいいという話でしたが、フェルトン侯爵家の方々が教会と話を合わせて、王宮に、訴えたそうです」
「……」
「貴族として生まれたのに、教会に入れて平民に身分を落とすことこそが差別であり、伝説の通りに獣の聖者が暴れだす。……だから、教会を有する自分たちでデリックの面倒を見るから、バージェス伯爵家の資産をすべて明け渡すべきだ。産んだ責任をとれと」
……確かに、筋は通るかもしれない。しかしどうにもフェルトン侯爵家の欲望が見え隠れしているというか……。
「そういう理由があって俺の婿入りが決まりました。しかし事あるごとに王族に様々な要求をしていました。デリックの為に特別な儀式が必要とか、存在を隠していくための工作費用など」
「……そうなのね。王族側は伝説がある以上は下手に拒否できなかったのでしょうね」
「はい。……それに王族には説得力のある資料がない。神に関する歴史的な資料はすべて教会に収容されています。それを調べるために王族は何度か使者を送っている様子でしたが、上手くいっていないようでした」
教会をフェルトン侯爵家が抑えている以上は、デリックを使った脅しにも従うしかない。
「それに、王族も滅多にない事態で、デリックが本当に迫害さえされなければ、安全な存在なのかというのを危惧しています。……だから、できることならば、秘密を共有することができ、なおかつ、デリック自身と接する正当性がある人間にこの件を預けたいというのが……王族の意見だそうです」
それはそうだろう。このまま、フェルトン侯爵家に預けておくのも安全策ではあるが、暴走して、増長しだす可能性もある。
その前に別のところに彼の身元を委託して、破滅の呪いを回避しつつ、秘密裏に獣の女神について調べる。
これが一番だろう。
イーディスは王族にとってはそれが一番、よい選択肢だとすぐに理解できた。
そして、それを都合よく、理由作りをしたのは他でもないイーディスではないだろうかなんて思いついた。
それにこの間のダレルの引っかかる言い方も思い出した。
……これから試練を乗り越えて、なんていっていたわね。それに、何でも抱え込むのが、私の性質みたいな話もしていたし。
そう考えるともしかしたら、知っていて、いつかこうなるとわかっていて、あんなことを言ったのだろう、そして彼らが望んでいることは理解できる。
「だから、図々しい事を承知で、お願いさせてください。ありえないと罵られて捨てられるのが正しいのだとわかっていても、それでも……どうか」
言いながらゆらりと立ち上がってアルバートはイーディスの前に両膝をついて跪いた。
「……デリックを、引き取らせてくれませんか」
……なるほど。そういう話になるんですね。
彼を見捨てる選択をアルバートはできない。
必然的に、ここに連れてくるかお金を送るか、とにかく心配していて彼を守ろうとしている。
それを曲げないまま、イーディスと結婚生活を送りたい。だからどれほど罵られても、どんなに女性が怖くても言わなければならないことだった。
弱気な顔だったけれども、決意のある顔だった。
問い詰めた時にまた泣き始めたからどうしようかと思ったが、彼のなかでの信念は一応、決まっているらしい。
……たしかに、これは、言っておくべき事項だわ。結婚する前にそういう風にしたいのだというべきだった。
実状的に、いろいろと厄介な事柄も出てくるはずだし、イーディス自身もだいぶ面倒事の渦中に足を突っ込んでいるらしいことは理解できる。
フェルトン侯爵家にとってデリックは金の成る木、それを適当な理由をつけて、手に入れてかくまっているのに、勝手に婚約者をさらったオルコット侯爵家跡取りの女が、その彼さえも、手に入れようとしているとなれば、どうなるか。
……完全に敵対するわね。……それでもオルコット侯爵家は代々王族派閥だし、フェルトン侯爵家からすると王族の差し金という見方もできないことは無いのよね。
そしてこの話はダレルたちにも得がある。
「一つ聞きますけど、それは決めていたこと? それとも今思い付きで言った事ですか?」
「……思い付きです。どうしてもデリックと縁を切ると口に……できなくて、ごめんなさい、イーディス。すべての面倒は俺が持ちます。デリックの破滅の呪いもきちんと解明するように動きますから」
「……」
……ということは根回しは必要ね。オルコット侯爵家にばかりフェルトン侯爵家の反感を集めるわけにはいきませんから。
それに、アルバートにはフェルトン侯爵家との交渉や、教会に行って調べることは出来ないだろう。
ただでさえ、こんなに女性を怖がっているのにジェーンが出てきたら厄介だ。
まあ、やることは増えるけれど、それほど忙しいわけでもないし、それでアルバートの心残りが無くなるなら構わないわね。
イーディスは頭の中で、根回しする先を考えていた。
とにかく真実がわかったし、驚くことばかりだったが、アルバートの大切な弟をそんな場所にずっと一人ぼっちにしておくわけにもいかない。
急いだほうがいいだろう。
「お願いします、イーディス。頼れる人は他にいません、俺は、貴方に結婚話を持ちかけてもらえて、本当に救われた。その恩をあだで返す事を許してほしいなんて言いません、なんでもします。契約結婚以上の事も、なんでも。どんな風にしてくださっても構いません。だから……っ」
イーディスの頭の中ではもうすでに、次の行動を考えていたが、彼の言葉にふと現実に引き戻される。
そして、縋りつくようにドレスの裾に手をかけて、涙をぬぐいながら懇願する彼を視界に映してびっくりした。