10
オルコット侯爵家に戻ると、急な呼び出しに気をもんでいたらしいアルバートとルチアがエントランスホールの長椅子にいて、中に入ればすぐに血を流しているイーディスにアルバートが真っ青になった。
「なっ、何があったんですか!」
彼にしては珍しくイーディスに詰め寄ってきて、ルチアはばさりと羽ばたいて怪我をしている右側の肩に止まって、イーディスの状況を把握するために首をしきりに動かして片方の目でじっと見つめた。
これは鳥特有の行動だ。大きな猛禽類以外を除いて鳥は大体目がサイドについていて多くの視野を確保している。しかし広くは見えても鮮明には見えない。
だからこそ正面からではなく片方の目だけで横からじっと見て、一生懸命に情報を得ようとしている。
……それに眼球があまり動かないから、あちこちを見るときはきょろきょろとしていてそれも可愛いのよね。
そんな風に頭の中で痛みに抵抗するように、イーディスはうんちくを披露した。
しかし、それでも朗らかにほほ笑んでいるイーディスに、アルバートは焦った様子であっちこっちに顔を動かしていくつもの方向からイーディスの怪我の具合を確認している。
それはもうルチアさながらだった。
「っ、ふふっ」
まるで小鳥のようだと思っていると、アルバートは少しだけ怒ったような顔をしてキッとイーディスを睨んだ。
「何、笑ってるんだ。小さな怪我でも放置していたら感染症のリスクもあるんです。話も聞きたいけどとにかく貴方は座って、俺が治すから」
「……」
言われてイーディスは驚いて固まってしまった。
……怒られた……。
肩を掴まれて、先ほど彼らがイーディスを待っていた場所へと座らされて、柔らかな水の魔法に包まれる。
「ありがとう」
とりあえずお礼を言いつつ、自分は本当に今、怒られたのかと、再度考えた。
なんせ、いつもおどおどしている様子だから、それは少しだけ不思議なことで、さらに、少し無謀なことをしてしまったのだという事を今更ながら自覚する。
……何とか話を聞いてもらえたし、ミオがそれほど凶暴ではなかったからよかったけれど、魔法を持っていて魔力も多い聖女に、あんな風に接して何があってもおかしくなかった。
「……凄く、痛そう。血もこんなに流れているし……」
思いつめた様子でアルバートはイーディスを見下ろして言う。肩に触れる手は震えているし、目的のためには手段を選ばない自分自身の性質をどうにかしなければと思う。
……でも……ミオはすごく、放っておけなくて。
いけないとわかっていつつも、自分はそういう性分なのだと思う。
けれども開き直ってはいけない。
優先順位はあるべきだ。まずは目の前にいて心配してくれる彼に、イーディスは真摯でなければならないだろう。
「ごめんなさい……どうしても、声を掛けずにはいられなくて」
「? ……謝らないでください。それにまだなにも話を聞いてないのに、怒ってすみません。何か事情があったんだと思うし、貴方はあまり自分に頓着しないタイプだって知ってるから」
落ち着いた様子で彼はそういって、いつもの困った笑みを浮かべる。すぐに聖女ミオの事を話したかったが、アルバートの言った言葉を不思議に思ってイーディスはパチパチと瞳を瞬いた。
ずきずきと痛かった耳が楽になってきたおかげで、緊張が解けていく。
「……私が、自分に頓着しないタイプですか……?」
彼がさらりと言ったことを聞き返してどういう意味かと聞く。
なんせ自分では割と自己中心的なわがままな人間だと思っている。
そうでなければ、体裁を考えてウォーレスとの結婚生活を続けたり、自分の血筋が王族と交わることを嬉しく思ったりするだろう。
しかし、イーディスは、そうではなかった。
自分勝手にウォーレスを見捨てた。彼をどうにか更生させて一度結んだ縁を大切にしてそばに居続けることだってできたはずなのに選ばなかった。
だから、自己評価は割と自分本位な人間というつもりだ。
「はい……不思議ですか?」
「ええまぁ、不思議だと思うわ」
「……だって、イーディスは俺を口説く時、俺を見て他人から自分がどう見えているのかわかったから、ウォーレス殿下から離れる決断をしたと言っていた。普通は、自身がつらく苦しいからそういう決断をするんです」
……辛く苦しいから……。
確かにつらくもあったしウォーレスに怒っている部分もあった。暴力はよくないと思う。それでもそれだけでは別れなかった。
「人から見て自分が逃れるべき人間に見えていると思ったから、そうしているだけで、貴方は自分に頓着していないと思いますよ」
「……そうかしら」
「はい。だから、傍から見てお互い幸せそうに見せるために、自重してください。イーディスが傷だらけでは、契約結婚の条件も満たせないですし」
説得するように言われて、そういえば契約結婚の事を思い出す。
お互いの元婚約者を見返すための幸せ同盟だ。イーディスの方は片が付いたのだけど、アルバートの方はまだ難しいだろう。
そのためには確かに、イーディスはボロボロであってはいけない。
「そうね! さすがはアルバート」
口から適当にそういった。元気に返事をして笑みを見せる彼に、やっぱりよくよく彼はイーディスの知らないイーディス自身の事まで見ていると思う。
他人に自分を知られていくというのは不思議な心地で、それと同じだけイーディスもアルバートを知って行けるのだろうかと思う。
そうしたいと望むのは果たしてイーディスの淡い恋心からなのか契約結婚としての義務感なのか、よくわからない。