斜陽産業とともに
「川石君,ちょっといいかな」
朝のラジオ体操が終わってすぐ,課長の新村さんが声をかけてくる。
座りかけた椅子から離れ,窓近くの課長のデスクへと向かう。
「今から現場いける?今日メガブロックの搭載だからちょっと見てきて欲しい」
課長の肩越しに,窓の外に黒光りするいくつもの塊がある。
その一つにひときわ大きなレゴブロックがあった。いやレゴではないが。
船の後ろの一部,ちょっとした会社のビルみたいなでかさのソレのことだ。
青い海,青い空,緑色の島々の中にぐでんと横たわるそれは,本来似つかわしくないはずだ。しかし慣れとは怖い。
不思議と景色に溶け込んでいるような感じがしてくる。
「分かりました。今朝は特に会議とかないのですぐ行ってきます」
少し色あせた作業服はそのままに,朧気ながら現場用の装備を整える。
「お,もう持ち上がるぞ!早く早く!君が吊り上げの計算したやつだぞ!あ,つり荷の下には絶対に入るなよ!ご安全に!」
新村さんはいつも朝から飛ばしている。今日もそれは変わらない。
後半はいつも聞く単語だから聞き取れたけど早口すぎて普通分かんないぞ。
船が根っからの大好物でいつもハイテンションだ。羨ましい。
どうやら思ったより早く,クレーンはメガブロックを吊ってしまったらしい。
大騒ぎの課長を躱しながら,少し速足で設計のオフィスを出る。
一歩出れば鉄臭くてガンガンとうるさい現場だ。
日本の田舎という場所のさらに辺鄙な場所にある工場というか造船所。
うちは無駄に広い,いや長い。
工場の裏はすぐ山になっていて,創業当時の涙ぐましい拡幅の結果,海岸沿いに工場が無限に伸びていった。
船を横たえるドックもその”列島”の各所に散らばっている。
いつも塗装鉄粉まみれの自転車で移動して汗だくになって帰ってくるところだ。
今日は目の前のドックで良かった。
作業現場に着くと,メガブロックを持ち上げている途中のようだ。
一度着いてしまえば,あとはブロックがゆっくり移動するのを見守るだけだ。
少し,いやかなり手持ち無沙汰になる。
ふとドックをのぞき込んでみるとまだ何もなかった。
このメガブロックがファーストブロックというやつだろう。
このブロックを基準に他のブロックをおいていき,目印みたいな役割を果たす。
何もないドックを見るのも流石に飽きたころ,吊り上げたクレーンがようやくその重々しい巨躯を煩わしそうに動かした。
特有のサイレン音を鳴り響かせながら移動していく。
吊り上げられたメガブロックはその流麗な外板形状とは対照的に角ばった機関室の内部構造があらわとなっており,一種のギャップが感じられ乙なものだ。
この船を輪切りにした格好もそうだが巨大な鉄の塊を持ち上げて組み上げていくというのは中々見えるものではない。
3Kと言われる職場で働く造船マンのせめてもの特権かもしれない。
しかし,これほど巨大で重量級のブロックはうちでは前例がなく,ましてや競合他社でも数えるほどだった。言うまでもなく入念な準備が必要だった。
常時人の足りていない弊社では猫の手どころか手であれば何でもよいということで,超重要であるはずのクレーンの吊り上げ計算のお仕事を当然のように当時新入社の僕に振ってきた。
この計算を任されたのが入社数か月の時期で思わず
「え,新入社員にやらせる仕事ですか」
とらしからぬ物言いをしてしまったのをよく覚えている。
それに対する子供を見るような温かい目をした新村課長の
「うちではよくあることだよ!」
という一言はさらに忘れられない。
一度は流石に重すぎということでストップがかかったはずだった。
計算したのは新入社員というのもあったかもしれない。
それを聞いたとき心底ほっとした。
何を見落としているか分かったもんじゃないのだ。
あんなもの持ち上げなくていい。
だが,目の前で吊り上がっているのは確かに僕が計算した結果だ。
クレーン二機合吊りすれば可能という計算結果のまま,そのままだ。
「とりあえずやってみよう。失敗してもブロックが壊れるだけだよ」というある役員の鶴の一声で決まったらしい。いいのだろうか。いいのだろう。
現実がそこにある。
ぼけっと計算の経緯を思い出すと少し不安に駆られてきた。
早く搭載して終わってほしかった。
だが,流石にメガブロックとなるとクレーンもいつもの何倍もゆっくりだ。時間は過ぎていかない。
当然ブロックの下には誰もいない。もちろん僕もいない。
もういい,これでブロックが落ちても僕の責任じゃない。
ブロックが壊れるだけだ。
今はデスクに溜まった埃と仕事の事は忘れてつかの間の現場休憩を謳歌しよう。
そのときだった。鉄が鳴くようなと言ったらおかしいかもしれない。
鳴く鉄等聞いたことがない。だが,確かにそんな地響きがした。
ふと自分の場所に影が差す。
クレーンの鉄柱が向かってくるのが見える。
最後の最後に「あ!転倒モーメントォ!!」と見落としを発見したのだった。