労働生産性を改善する斬新な3手法
「我が社の業績が非常に不味い」
経営会議の場で重々しく社長がそう切り出すと、CFOは恐る恐るといった様子で、
「……非常に僭越ながら、それはもう3年以上前から我々財務部門としても申し上げてきたことですが」
「いよいよそれが、一線を超えたということだ。早急に構造改革に取り掛かる必要がある」
COOが身を乗り出す。
「よくぞご決断されました。早急に新規事業への投資と、営業対策費の増額のご承認を――」
「それよりも、商品の値上げを先行するべきです。原材料費の高騰は著しく売上数も落ちており、収益の悪化は日を追うごとに――」
CFOとCOOがにらみ合う。
「いずれも重要ですが、最優先で取り掛かるべきは内なる問題の解消でしょう」
そこに割って入ったのはCTOだった。その言葉に社長が頷く。
「私もCTOに同意するところだ。指し当たって我々は、労働生産性の向上に取り掛かる」
CFOとCOOが押し黙る。確かにこの会社の労働生産性が著しく悪いという指摘は従来から指摘されており、長時間残業による残業代負担や優秀な社員の離脱という形でその悪影響が現れているのは周知のことだった。
「労組や外部からの目もある。私としてもこれ以上は看過できない」
外部からの目、と聞いた瞬間、それこそがこの議題を社長が祖上に上げた最大の理由に違いないとその場の皆が覚った。だが口にはしない。
「しかし、どうすれば労働生産性を上げることができるだろうか」
社長の言葉に、その場は沈黙に包まれる。労働生産性はつまり、生産量を労働時間で割った比率だ。効率よく働ければ同じ量をより短い時間で生むことが出来るようになり、労働生産性が上がる。
反対に時間に労働生産性を掛け算すれば生産量が弾き出せるわけで、改善した生産性の下では、同じ時間を働いてもより多くの生産物を産出することができる。
要は、どうやって労働時間を短くするか、というのが彼らの懸案だったが、それが分かれば苦労しない。
「私に考えがあります」
すっとCTOが手を上げた。社長が発言を促すと、
「思うに、労働生産性の改善の本質は、今よりも生産量を増やすことにあると考えます」
社長は眉をひそめた。
「なに? 時間を減らすのではなく?」
「逆転の発想です。そして生産量を上げるためにはどうすればよいか。簡単なことです。労働時間を増やせばいい」
それを聞いた一堂は、一様に疑問符を浮かべた。
「待ちたまえ。分母も分子も増えてしまうのでは、労働生産性は変わらないじゃないか」
「COOのおっしゃる通り、両方増えればそうなります。ですから、分子となる労働時間は変えません。そのままに、生産に投じられる労働量が増加すれば良いわけです」
やはり皆首をかしげるままだったが、CTOは動じずにほほえみ、
「では皆様にご理解いただくためにも、まずは簡単な技術を用いてそれを実践してみましょう」
――――――――
「おいおい、なんだこの列は」
朝、会社に到着したAはビルの前に出来ている行列に困惑した。百人は居ようかという長蛇の列だ。並んでいるのは皆Aの会社の社員たちで、Aと同じく戸惑いながらもしょうがなく並んでいるようだった。
「おーい、A。おはようさん」
するとつかつかと同僚のBが近づいてきた。
「おう、おはよう。なあB、こりゃ一体何の騒ぎだ。ついにうちがPS5の取り扱いでも始めたのか?」
「そうなら嬉しいが、残念ながらそうではないらしい。ちょうど何が起きたか、先頭の方に聞いてきたところなんだ……とりあえず並ぼう」
「最後尾はこちら」というプラカードを持った社員に会釈しながら、二人は列に並んだ。
「生産性を上げるために遂に会社が動き出した。その一環として社員の業務への集中力を高めるため、腕時計やスマートフォンは全て没収するんだとさ」
「なんだって? おいおい、やるに事欠いてそんなことか。まるで古い時代の高校じゃないか。そんなの、打ち合わせや締め切りのスケジュール管理はどうしろっていうんだ」
「パソコンと、あと新しく業務用のスマホを一人一台ずつ貸与するから、それを使えとのことだ」
「はーん……まあそれなら、時間を見るには困らないか。にしても、緊急の連絡とかもあるだろうに」
「そういうのに備えて、家族からの着信音だけは違うのに設定しておけ、だとさ。それが鳴ったらそのときは通話させてくれるらしい」
順番になり、話通りスマホと腕時計が没収され没収され、代わりの会社用スマホが手渡される。画面には、アナログ時計のUIが映し出されていた。
――――――――
「おいB、飯食いに行こうぜ」
ようやく社用スマホの時計の針が12時を指し、Aは隣に座るBに声を掛ける。周囲の面々も一様に伸びをしたり、談笑したりとリラックスムードだ。
「癪な話だが、同じ時間内でも確かに仕事が捗った気がする。だがその分疲れた。どうだ、気分転換にこの前見つけたあの店に行こうぜ」
「それなんだが、実は耳寄りな話がある。社内食堂が今日から全品半額らしい」
Aは目を丸くした。社内食堂はただでさえ外の店の半額程度で腹いっぱいになれる設備だ。それがさらに半分となると、いよいよその価格差は尋常ではない。
「でもそんなの、激込みになってるんじゃないか」
「キッチンも席も拡張したらしく、キャパシティーは十分だから奮って活用を、とのことだ」
二人は食堂へ向かい、広くなったスペースで安価な昼食を堪能した。
「メニューも増えてるし、味もバカにできないぞ」
「こりゃ、わざわざ外に出る理由がないな」
その勢いで午後も仕事に精を出し、帰りしなに車用スマホを返却し私物を返してもらった。意外と悪くないかもしれない、Aはそう思った。
――――――――
だが、そんな勤務が2週間ほど続くと、Aはだんだんと違和感を覚えるようになった。
「なあ、最近疲れがたまってる気がするんだ」
Bにそのことを話すと、
「お前もか。確かに俺も、最近妙に集中が続かないような気がするんだ」
「一体何なんだろうな。働きすぎるとこうなるが……」
しかし残業時間が伸びたわけでもない。昨日も2人は22時半くらいに仕事を上がり帰ったが、別にいつも通りだ。気のせいだろうか。
「なんだか、休憩が嬉しすぎるせいか短く感じるし、労働が辛すぎるせいか時間が長く感じるんだよな。あれか、相対性理論ってやつか? アインシュタインがこんなこと言ってたよな」
「いやいや、アインシュタインのそれは唯の言葉の綾ってやつで……待てよ」
Bは考え込むように手を額に当てた。それを見てAは首を傾げた。
――――――――
「なあ、昼休みになったぜ。昨日一体何に気づいたんだよ、教えてくれよ」
翌日の昼休み、待ちきれないといった様子でAがそう尋ねる。
「待て待て。日を跨いだのは、こいつを持ってくる必要があったからだ」
そう言ってBがカバンから取り出したのは、目覚まし時計だった。隠れてこっそりと持ち込んだもので、時刻は12時丁度を指している。
「なんだ、これがどうしたって言うんだ」
「時刻を見たな。じゃあこれは一旦、机に入れておく」
「どういうこった」
「これでいいんだ。さて、昼飯食いに行くか」
食堂で今日の定食を食べながら仕事の愚痴を話し、あの部署がどうとかこうとか話して盛り上がっていると、ふとAはスマホの時計が12時55分ごろを指していることに気付いた。
「うわ、もうこんな時間かよ。おい、机に帰るぞ」
いそいそとオフィスへ急ぐAと、その後ろをゆったり歩くB。
オフィスに着くとBはガラガラと引き出しを開け、そこから目覚まし時計を取り、机の上に置いた。
「見てみろ」
「え? さっきの時計だろ……って、ん?」
時計の針は、12時30分を指していた。
「な! スマホと時間がぜんぜん違うじゃないか!」
「酷いもんだ。つまり俺たちが社用スマホやパソコンで見せられていたのは、昼休みの間だけ時間が早く進む時計だったんだ。俺たちは休憩時間のうち30分しか休まさせてもらえず、残りの30分は働かさせれていたんだ」
その後さらに調べたところ、会社の時計の針の速さは昼前は段々と早くなり、反対に午後になると段々と遅くなることで帳尻を合わせていることが分かった。
「こんなゴミみたいなもの作るのに金掛けやがって、クソ会社が……しかしお前、よくこんなことが分かったな」
「古典的なトリックだよ。時計の針のスピードを変える。昔そんなミステリ小説を読んだことがあってね」
「なるほど、知識は宝だな」
二人は目覚まし時計片手に、上司の居る部屋へと直訴という名の殴り込みに向かった。
―――――――――
「君、どういう事だね、これは」
次の経営会議の日、COOは怒り心頭という顔でCTOを睨みつけた。
「あっという間にバレてしまったではないか。おかげで発見者の二人の口封じに、余計な手間と金が掛かってしまった」
「調子に乗って、昼休みを一気に短くしすぎるからですよ」
CTOは涼し気な笑みを浮かべる。
「5分から始めて徐々に、という話だったのに、まさかたった二週間で30分も短くするなんて。功を焦りすぎでは?」
「なんだと!?」
「それに重要なのは結果です。落ち着いて、これを御覧ください」
CTOはそう言って、CFOからもらった決算資料を表示する。それを見て社長とCOOは目を見開いた。
「す、凄い。最大で8%近く、生産量が増えているじゃないか!」
「通常のやり方でこれだけ生産性を改善するのが、どれほど大変なことか!」
「8%長く働いてるんだから当然では……」
CFOの声は歓声に掻き消される。
「社長。これにて、私の理論仮説は証明されたと言えるでしょう。次はより精緻な手段にて、同じことを行いましょう」
「なに? 別の手立てがあるというのか?」
「ええ。私はCTO、技術部門の最高責任者です。最新のトレンドを反映し、さらなる技術を以って業務改革を次のフェイズへと進めてみせましょう」
――――――――
「おいおい、今度はなんだ」
会社に到着したAは、再び会社の前に行列が出来ているのを見て困惑した。ビルの前にはやっぱり百人は居ようかという長蛇の列だ。並んでいるのはみなAの会社の社員たちで、Aと同じように呆れながらも諦めて並んでいるようだった。
「おーい、A。おはようさん」
するとつかつかと同僚のBが近づいてきた。
「おはよう。なあB、会社は何を考えてる。あれだけ脅したってのに、またイカサマ時計をばら撒くつもりなのか?」
「聞くに、どうやらそうではないらしい」
何はともあれ「最後尾はこちら」というプラカードを持った社員に会釈し、行列に並ぶ二人。
「感染症対策のため、入退館時の消毒を徹底することになったんだとさ。入り口に高性能な消毒マシンがあって、それを通ってから会社に入るんだと」
「なんだそんなことか、拍子抜けした。それなら別に問題なさそうだな。むしろこの会社にしては随分とまともな施策じゃないか」
「全くだな。聞いたか? COO肝いりの新規事業案。ゲーム機が市場で不足しているから、他社が供給に困ってる隙を狙ってウチもゲーム市場に参入する、だとさ」
それを聞き思わず咽るA。
「正気か? 半導体不足が背景にあるんだぞ。ソニーやマイクロソフトが半導体を調達できないのに、ウチが調達できるわけあるか」
「それにウチが開発を終える頃には不足の状況も解消しているだろうし。これが経営会議で通りかけたというのだから恐ろしい。調達といえば、CTOの技術部門も妙ちきりんなものばっか要求するから、調達部門は地獄の様相らしい」
「あそこ、尖ってるらしいからなあ……しかも結局、変に攻めて失敗ばかりらしいし。王道にトレンドを読めばいいのにな。今はメタバースとかが流行ってるだろ。もし研究開発のリソースがうちに余ってるっていうなら、そっちに人を投入したほうがまだマシだろ」
そうこう話している内に入口に着くと、設置されていたのは想像の数倍は大掛かりな装置で、それにより完全に出入りが封鎖されていた。装置は業務用の冷蔵庫のような形になっていて、その中に一人ひとり入ってはドアを閉め、中で消毒をし、また開いては次の人が中に入り、ということを繰り返しているようだった。
「なんだあれ、食品工場や半導体工場でもあそこまで厳重じゃないだろ」
順番になり装置の中に入ると、後ろからドアを閉められた。窓一つ無い密室で、不安が一気に増す。するとブザー音と共に上から白い煙が降り注ぎ、同時に部屋が一瞬暗くなった。
「な、何だ?」
ぱちりと瞬きをすると、ぱっと明かりが付き、正面のドアが開かれた。中にはいつもの会社の様子が広がっている。
「ちょっと物騒だったが、まあこんなものか?」
後から続いて装置から出てきたBは、パンパンとスーツの肩あたりを手で払っている。
「なあ、あの中で煙が出てきた時、電気って消えたか?」
「ああ、俺のときもそうだった。その後すぐに点いたが」
どうやらAのときだけの事象というわけでもないらしい。Aは胸をなでおろした。
――――――――
「なあ、最近やっぱりおかしくないか」
終業する時間になり、Aは隣の席にBに話しかけた。およそ、新たな入退館の仕組みが始まってから2週間ほど経っている。
「なんだか疲れが取れないような気がする。働きすぎている気がするというか」
「俺も正直そう感じてる。だが、労働時間は特別長くはないし、それにこれだ」
Bは、机の上においた目覚まし時計を見やる。
「PCもスマホも、外から持ってきたこの時計と同じ速さで動いている。この前みたいなインチキは使ってないと思うんだがな」
食堂の料金が元に戻った事で昼に外出する機会も元通り増えていたが、それでもやはり外と中とで時間の流れに差はないようだった。
「そうなんだよなあ……けれど、体感2倍は疲れてるぜ」
「ああ、的確な表現だ。あるいは身体が半分程度しか休まってない気がする」
「なんだろう。あの入り口の装置で、疲れを取れなくする薬でも吸わされてるんじゃないか」
「そんな事をする理由は流石にないだろう」
「まあそうだけど。そもそもここはろくでもない会社だ、やっぱり何か小細工をしているに違いないぞ」
猜疑の心は晴れない。Aは自分の胸に手を当て、脈拍を使って1分が60秒かどうかを確かめた。だがやはり1分のうち脈の数は84回で、それはAがこの前健康診断で図った心拍数そのものであった。
「もしかして、本当に相対性理論なんじゃないのか」
「だから、相対性理論っていうのはそういう感覚的な話じゃないぞ」
「違う違う、本筋の意味でだよ。つまり、本当に時間を伸ばし縮みしてるんだ……なんてな。いくらぶっ飛んだこの会社でも、なんでも現実の時間を弄るなんて出来るはずはない」
「全くだ、流石に考えすぎ……待てよ」
Bは目を見開いた。
「そうだ。現実の時間は弄れないが、仮想の時間なら好きに操作できる。時間を倍速にしたければそう設定すればいいし、逆もまた然りだ」
「な、何を言ってるんだ? ついにお前も会社と同じ側の世界に行っちまったのか?」
「まずは俺の仮説を聞いてくれ」
くるりとオフィスチェアの向きを変えて、Bは言う。
「おそらく、実際に時間の流れが変わってるんだ。昼は半分の速度、夜は倍速、というような感じで」
「いきなりおかしな話だな。時計はそうなってないし、脈だってそうだ。なんなら外の太陽と月のスピードとも時計は合ってるぞ」
「それらも全部、スピードが変えられているんだよ。昼は脈も太陽も半分の速度で動くし、夜は脈と月が倍の速度で動くんだ。だから時計のスピードが変わってることに気付けない。俺たちは昼8時間働いていると思ったら実は16時間働いていて、それに16時間の余暇があると思いきや、8時間しか休めてないのさ」
「そうだとしたら、とっくに睡眠不足で死んでるぞ」
「おそらく単純な倍速ではなく、働いている間はゆっくり、余暇の時間は早回し、寝ている間は少し早く、みたいに調整しているんだよ。脈だってそうさ。この前の健康診断で、俺たちのそれぞれの脈拍は会社側に完全に把握されているから、その時の1分の速さに合わせて、各個人の脈の間隔も調整しているんだよ。それに睡眠は削りづらいから長く残しておくとして、余暇の時間が早く終わる分には件のように『楽しい時間は早く終わる』で納得させられるからな」
「待て待て。そりゃ時間をゴムみたいに伸び縮みさせられるんならそうかもしれんが、そんなの、現実に出来るわけが」
「そうさ。だからここは現実じゃない」
Bはメガネをコンコンと叩いた。
「仮想現実、メタバースなんだよ」
「な!」
Aは目を剥き、周囲を見渡す。だが何度目を凝らしてみても、手を握ったり開いたりしてもそれは現実のようにしか思えない。自分の目の周りを触っても、ゴーグルなんて着いていない。
「原理までは分からないが、覚られないように細心の注意が払われているらしい。視覚じゃなくて、電気信号で直接脳内に、みたいなことなのかもしれん。だがとにかく、ここが仮想空間なんだとしたら会社側の好きなように時間の長さを操作するのなんて造作も無いはずだ」
「……よくそんな、突飛な発想が出てくるな」
「昔見た映画や作品でそんなモチーフが出てきたんだ」
「なるほど、知識は宝だな……って、それくらいなら俺だって知ってるさ。 マトリックスとか、インセプションとか……」
「とにかく、もしそうだとしたらそれを確かめる手もある」
「どうするんだ?」
「A、もう終業のタイムカードは切ってるよな?」
「ん、ああ。ちょうど22時半にな」
「よし」
そういってBはパソコンを立ち上げた。Aがそれを見守っていると、Bは朝、出社したときのようにアカウントにログインし、そしてタイムカードで始業を打刻した。
瞬間。
「うわ、わ」
建物の外の光が激しく明滅し始め、視界がぐにゃりと歪み、そして、ぶつん、という音と共に全てが暗転した。
――――――――
「またもや失敗ではないか」
例のごとく、経営会議はCOOの不満げな声から始まった。
「入館時に社員に麻酔薬を噴霧して眠らせ、その間に脳波接続型のVRマシンに運び込み、現実を再現したデジタルツイン型のメタバースに入り込ませる。そしてその世界では労働している間は時間の流れを遅くし、そうでない間は早めることで、24時間の中での労働時間を伸ばす。……最初は上手く行っていると思っていたが、まさか働いている人間と働いていない人間が隣り合わせるだけで破綻するとは。いくらなんでも杜撰ではないかね」
労働中は時間の流れを遅くし、業務外は早める。単純なルールだったが、勤務が終了した人間と勤務中の人間が同じ時刻、同じ場所に存在する場合についてルールが定められていなかった結果、システムがクラッシュしてしまった。それが事の顛末だった。
「目を覚ました二人の口止めにまた金が掛かった。あまりこういうことは繰り返したくないものだが」
「前提として、プランを実施している間は労働生産性が改善しているわけですから、深夜労働などは原理的に生じ得ず、想定する必要がないわけです。今回、たまたまデバッガー地味た発想により勘付かれてしまいましたがね」
CTOは相変わらず余裕の表情だ。
「それに、実際の結果を御覧ください。生産量は当初の2倍にまで伸びているという数値が出ております」
表示されたパワーポイントの資料に社長とCOOは瞠目し歓声を上げる。CFOの「2倍働いているんだから当然だろうが」という声はかき消される。
「社長。いよいよ最終フェイズです」
「何? まだプランが有るのか?」
「無論です。我々が開発したVRマシンとメタバースが提供する労働環境は素晴らしいですし、発見者の口さえ封じれば再び稼働を再開できるでしょう」
「というか、そもそもその装置を新たな事業として売り出せば良いんじゃ……」
「しかし24時間という単位で縛られているようではいけません」
CFOの冷静な言葉は届かない。財務部門の言葉はいつもこうして無視される。CFOは呆れたように首を振った。
「24時間は8時間の労働時間に対してわずか3倍の長さ。つまりこの枠に縛られている限りでは、改善率も300%が限界ということです」
なんの注釈もなしに不眠不休での労働を前提に置くCTOだが、社長とCOOは全く気にしていないようだ。
「まるで、それを突破する術があるかのような口ぶりだが」
CTOは不敵に笑った。
「お任せください」
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「なんか、最近体の調子が良いんだよな。いや、特別良いってわけじゃないんだが、特段の不調がないと言うか」
「ああ、分かる。何ていうのか、普通、って感じだよな」
PCを操作しながら会話するAとB。二人が話すとおり、最近は会社のおかしな動きはすっかりなりを潜めていた。妙な行列も無くなったし、入り口のけったいな機械は撤去され代わりに単なるハンドディスペンサーが置かれるのみとなった。
昼休みも普通に取れるし、仕事も普通に終わる。その後の飲みの時間も十分に取れるので、二人は二回あった臨時収入をふんだんに使いながら適度にストレスを発散していた。
「ようやくこの会社も心を入れ替えて、まともなことをする気になったってことかね」
「どうだろうなあ。この前の本部内会議のときのCFOの顔見たか? 土くれ色してただろ」
「そうか? ビデオ会議だったからよくわからんかったがな」
唯一おかしなところがあるとしたら、お偉方とのやり取りのすべてがリモートとなってしまった、ということくらいだ。「感染対策と、普段役員フロアに居てやり取りできない面々より気軽に接する機会を提供するため」とのことだったが、二人にとってはどうでもいいことだった。とにかく、彼らは役員フロアには居ない、ということだ。
「連中だけリモートワークなんて、贅沢なことだな」
「全くだ。温泉宿にでも言ってるんじゃないか」
「すると、あいつらが楽しんでくれているからこそ時間が早く進んで、俺たちも働く時間が短くなっているのかもな」
「はは、だとしたら寧ろ感謝するとこか?」
そんな事を話しながら、二人は月次決算の資料を作成するのだった。
―――――――――
「――御覧ください。すでに、これまでの5倍以上の労働生産性を示しています」
「す、凄い……」
「信じられん!」
経営会議におけるCTOの報告に、社長とCOOが色めき立つ。
「これは凄い。君に任せて、ここまで来た甲斐があるというものだ」
そう言って社長は振り向き、ガラス窓の外を眺めた。
そこには、漆黒の世界。宇宙空間が広がっていた。
「我らが技術開発部門で発明した亜光速エンジンと宇宙船により、現在我々は地球から相対速度で0.98c、つまり光速の98%にも及ぶ速度で遠ざかっています。すると特殊相対性理論の効果により、現在地球ではこの場所の5倍の速度で時間が流れています。しかし、それだけでは地球の本社の業務に我々がタッチできず、管理ができません。そこで」
宇宙船の進む先に、まるでシャボン玉の泡のような半透明の膜が広がっている。宇宙船はその膜にどんどん近づいていく。
「同じく技術開発部門で発明した空間歪曲技術により、地球と、そしてこの速度で地球から一日分進んだ地点とを接続しました。よって我々の時間で1日後にはワープポータルを通じて再び地球に戻り、そこで5日分の成果を受領したり、指示を出したり、あるいは家に帰ったりということが可能になったわけです」
泡の中に入り、一瞬グニャリとしたかと思うと、窓の外は青い光で染まる。地球が目と鼻の先というところまで、瞬時に移動したのだ。
「これにて我々は現実の時間を操作し、同じ時間内で5倍の生産を得るに至ったわけです」
「素晴らしい! 素晴らしいよCTO君!」
社長は立ち上がり、大きな拍手を彼に送った。COOもこれには脱帽と言わんばかりに同調する。
「1日の間に、5日分の仕事が行われる。労働生産性は間違いなく5倍となった。我社の業績への寄与は計り知れないものがあるだろう。社内での表彰や、臨時ボーナスを与えることに、誰も異存はないはずだ」
「ありがたいお言葉です」
「さて、それでは今月の決算について報告を……おや、CFOはどこに?」
キョロキョロと辺りを見渡す3人。その後ろの窓には、CFOを載せた小型の宇宙船が地球へと向かって行くのが見えた。
社長たちは数週間後、まったく決算作業をしなかった同社が翌年4月に倒産したことを宇宙船で知った。慌てて地球へ戻り自分たちにとってはまだ会社は期中であることを説明したが、株主総会にも債権管理団にも全く取り合ってもらえなかった。
CFOは脱出船と共に持ち出したVR装置とメタバースシステムで一攫千金をしようと、社員AとBを引き抜いて企業をしたが、借金に困った清算会社から訴訟を起こされ、そうこうしている間に同業他社に先行を許してしまい技術は陳腐化。その会社もまた倒産してしまった。