議題2「異世界あります」提出者:疎間 保
──営業一課は、今日も居酒屋『和い和い』に集っていた。
*
「…………って、なんなんすか、これ」
目の前の理解不能な状況に呆然とする我々を尻目に、現実主義の隠岐 利己が真っ先に口を開く。
「──ねえ、疎間さん、なんなんすかこれ! なんなんすかこれ!!」
「し、知らねえよ! 俺が聞きたいよそんなことは!!」
そう答えた疎間 保もまだ混乱しているらしい。
──状況を整理しよう。
私、音無 叶人を含む、営業1課の面々は、今日もいつものように仕事を終え、居酒屋「和い和い」へと足を運んだ、はずだった。
はずだったが、辿り着かなかった。「和い和い」には。
「もう、なんなんすかこれええええええええ!!!」
我々が店の暖簾をくぐり抜けると、どういう理由かそこは、異世界の酒場だったという──。
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「ふわぁ〜、ひまり、エルフさん初めてみた〜♪」
能天気に周りの異世界人を見て目を輝かせているのは衣良皆 陽葵である。どうも彼女にはことの重大さが理解できているのか、いないのか。それは誰にもわからない。
「疎間さんが異世界行きたいなんて言うからこうなったんですよおおおおおうわあああん」
──ドスン、と通常の居酒屋では考えられない大きさのジョッキを机に叩きつけながら、隠岐 利己は嘆いている。普段は頭の回転が早く、課内ではきっての頭脳派なのだが、今回ばかりはあまりの非現実さに参ってしまっている様子が見受けられる。
「隠岐ちゃん、落ち着きなって。疎間もまさか、こんなことになるとは思ってなかったんだしさ!」
隠岐をなだめている赤波 真中は、こんな時でも動じないところを見ると、流石は海で育った体育会系女子といったところか。相当に肝が据わっていると見える。
「そりゃあ俺だって、異世界行きたいとは言ったけど、まさか1課ごとまとめて飛ばされるなんて思ってないじゃない!? ねえ主任!?」
そう弁解している疎間 保は、確かに先日も『異世界に転生したい』とぼやきながら、和い和いで飲んでいた。もしや、今回の件、それが深く関係しているのだろうか。
「…………」
私、音無 叶人が最も心配な点は、まだ今週の仕事が山程残っている、ということだ。契約途中のクライアントも数多くいた。一課の営業ノルマも未達のままだ。それを残してこんなところまで来てしまって、果たして、明日の出社までには帰れるのだろうか。
「……ここは一つ、異世界マニアの僕が推測を話してみてもいいだろうか?」
珍しく疎間が真剣な表情で、机に両肘を立てて寄りかかり、両手を口元に持っていき、さながらどこぞの司令のようなポーズを取る。
「──思うに我々は……しばらく帰れないのではないかと!」
それは私としても聞き捨てならない台詞であった。
「か、帰れないってどういうことすかー!!」
思わず隠岐 利己が叫ぶ。私にもその気持ちはわかる。今すぐとは言わずとも、しばらく帰れないとなると、色々と話が変わってきてしまう。契約後のアフターケアも出来ていないし、来週の売上全体会議の資料もまだ作成途中なのだ。社長になんと言っていいものか。
「……疎間、どういうことか説明してもらっていい?」
赤波 真中がそう尋ねると、疎間 保はゆっくりと、皆に分かるよう丁寧に語り始めた。
「異世界転生ってのはさ……、どのアニメを見ても、主人公は元の世界には帰らないんだよ。それが、なぜだかわかるかい?」
はて、なぜなのだろうか……? 私にはわからない。仕事を放り出してそのまま戻ってこない無責任な社会人の心理など……。皆はどうだろうか? 私が周りを見ると、皆こぞって、首を傾げていた。よかった、わからない者は、どうやら私だけではないらしい。
「──主人公たちは皆、元の世界に幻滅しているからさっ!!」
疎間の声が酒場に響いた。周りの異界人達がこちらを見ている。それにしても様々な種が存在している。ツノが生えていたり、羽が生えていたり、足がウマだったり、耳がうさぎだったり。異世界人とは本当に多種多様である。
「どうして幻滅してるの〜? ひまりは現実も好きだけどな〜♪」
「ええ、私も帰りたいです。異世界ではジョジョ8部の続き読めないですから」
「アタシも帰りたいな、サーフィンできないし」
三者三様、それぞれ理由は違えど『帰りたい』と思っているようだった。当然、私も帰りたい。仕事があるからである。
「──このリア充どもがっ!!」
どうやら疎間だけは現世に帰りたくないようである。
「まあ、でもたま〜に、現世に戻ってこれるパターンもあるけど、もしそのパターンの場合だったら……」
「場合だったら?」
隠岐が身を乗り出して質問すると、疎間がサラリと答える。
「ラスボスを倒さないとだね」
ラスボス。私もラスボスという言葉の意味くらいは知っている。こう見えて私にも若い頃、DQやFFを店に並んで買い、ファミリーコンピュータで夢中になってクリアした時代があったのだ。しかし、この世界で言うところの、我々にとっての『ラスボス』とは、一体──。
などと私が思考を巡らせていると、女性陣3名が矢継ぎ早に答えを導き出していく。
「私たちのラスボスって、異世界に飛ばした疎間さんですよね? 疎間さん倒せば帰れるんじゃないですか?」
「じゃあ、疎間の意識を物理的に落とせばいいのかな?」
「皆でタモッちを倒せばいいの〜?♪」
「ちょちょちょストーップ! ストップ! そうじゃない! そうじゃないって!」
私も、仕事の為なら仕方がないと便乗して、自分の部下に手を掛けるところであった。私は鞄から取り出した広辞苑をそっとしまう。
「違う違〜う! 異世界なんだから、魔王がいるんだよ! テンプレ通りならそいつを倒して僕らは晴れてエンディング、現実世界に戻れるってわけ!」
なるほど。確かにDQやFFでも最後は必ず、悪の親玉を倒して、ハッピーエンドとなっていた記憶がある。ということは、この異界の地にもそういった存在がいるということなのだろうか。
「ほんとに魔王なんているんですかね?」
「試しに、聞いてみようぜ。そこの、うさ耳の綺麗なお姉さ〜ん❤︎」
*
「ええ、マグナリア大陸は今、魔王ゲロゲボスに支配されています」
うさぎの耳が生えている獣人の女性は、『マグナリア大陸』という、恐らく我々が今飛ばされてしまった異世界の地名と、ラスボスと思わしき魔王の名を教えてくれた。
「ほらね〜! いるでしょ、魔王!」
疎間は自分の予想が当たり嬉しそうに我々を見ている。
「魔王ゲロゲボスって……汚い名前ね」
「魔王に相応しい名前ですね。ゲロ魔王と呼ぶことにしましょう」
勝手に蔑称をつける隠岐だったが、要はその『ゲロ魔王』を倒せば、我々は現世に帰れるかもしれない、というわけだ。
「でもひまり、お家のペットに餌あげなきゃなのに……」
「その辺は多分大丈夫だよ。大体この手の異世界モノで現実世界に戻るときは、僕らが異世界に行った日まで巻き戻されるって相場は決まってるから!」
「それも、どういう理屈なんすかね……」
隠岐の言う通り、何の根拠があってかは知らないが、疎間の説が正しければ、私の懸念していた仕事のやり残しに関しては、問題がないということか。もし、そうであるならば大分肩の荷が降りるというものだ。
「さ、そうと決まればやることは単純明快だ!」
疎間が立ち上がると、皆「?」という顔で呆然としている。かくいう私も、ラスボスの名前がわかったところで何をすべきなのか、いまいちピンと来ていなかった。
「転職だよ、転職。ジョブ・チェンジ!」
何と、会社一筋でここまでやってきた私に、この歳になって『転職』をしろと、私の部下が言っている。
「転職ってどういうことですか!?」
「魔王倒す為のそういうシステムがあるんだよ!」
「ひまり、お花屋さんがいい〜♪」
「アタシは海の家のバイトがいいな」
「そんなもん異世界にねえわ!」
「……あ、お会計お願いします」
『主任、ご馳走様で〜す!』
──営業一課は、今日も打ち上がった。
「あの、お客様、そのカードのようなものではお支払いできませんけど……」