50話 悪鬼将兵
「ブァッハッハッハァー!!大勝ぉ大勝ぉ!!劉備軍めが、あっさりと逃げ散りおったわい!!」
玉座に一際野太い男の声が響き渡る
玉座向かい合う様に座り込み、その巨体に合わせて誂えた酒杯を傾ける
男の名は呉班、字は元雄、現在の劉璋軍No.2にして1番の怪力を誇る身の丈7尺超の大男である
だが今はその無駄にデカイ背中を丸め寂しそうに目の前の玉座に目を向けた
そこには座っていた主の愛用していた小さな酒杯と、その足元には好きだった酒を入れた瓶を置き、
今は『二人きり』で酒盛りをしている
昔も劉璋が暇な時は良く付き合わせたものだ…
ぐいっと酒を一気に煽る
『呉班は相変わらず酒が強いなぁ、俺はお主の杯一つ飲み干せない』
ちびちびと自分の杯を減らしていく劉璋の背中をバシバシ叩きながら
『ふははっ!!貴殿が産まれる前から嗜んでおる物が苦手な事なぞ有りましょうや!!苦手苦手と申していては酒は強くはなりませぬ!!さ!もう一献!』
『ははっ、手厳しいな、呉班、これでもお主に付き合わされたお陰で大分強くはなったのだぞ?』
『甘いですな!この程度、呑める様になったとはいいませぬ!!さ、杯を…』
『いい加減にせいっ!!』
ゴッ!!
『はぶぉぉ!?ち、張任殿!?な、何をなさるか!?』
『そんなにがぶがぶと酒を呑みおって!!それだけならまだしも■■まで巻き込んで…』
『あ〜、鳳蓮、呉班をあまり叱らないでやってくれ、俺が付き合わせてくれと頼んだんだから…』
『ほぅ…苦手な酒を自分から呑みたいと言ったのか』
『あ〜…どうも俺は被虐体質らしくて、あの二日酔いの頭痛がなんともまた…』
『…ほぅほぅ…ならば丸一日机に縛り付け竹簡の処理をしながら誤字脱字がある毎に鞭打ちなぞ、最高に心地好いのではないか?』
途端冷や汗を流し始める劉璋
『あ〜、いや、俺痛みには耐性が…』
『喜べ、今日中に身に付くぞ、劉璋殿…』
良い笑顔を浮かべる鳳蓮、マズイ、これは本気の目だ
『ご、呉班!!助けてくれっ!!』
『呉班殿には人助けなどしている余裕はありませんぞ?呉班殿も今から竹簡の処理ですからね』
『わ、儂もですか!?』
『当たり前だ!!昼間から酒かっ喰らっておる将と王がいると知れたら民がどれほど怒るか分からんぞ!?貴様ら少しは自覚せいっ!!』
『し、しかし張任殿?き、今日下町では収穫祭が行われているそうですぞ、わ、我々とて今日位…』
『といって普段から■■の暇をみて共に酒を呑んどるらしいな、呉班…』
…全部お見通しだ
『二人共、行くぞ』
すたすたと先を歩く張任の目を盗みながら小声で
(な、呉班、また暇な時は酒、誘ってくれよ?)
そんな事を言いながら人懐っこい笑みを浮かべるのだった…
……
………思考の海から意識を戻す
…がらにも無く長い間思い出に浸っていたようだ
ぐいとまた杯を煽る
久しぶりだ、酒を美味いと感じるのは…
「…劉璋殿、貴方の国を取り戻す戦、後少し、後少しですぞ…貴方を救えなんだ儂等が今更おこがましいとお思いになるかもしれません、ですがどうか儂等の戦、最後までお付き合い下され」
呉班には劉璋の酒杯が一瞬揺らいだ様に見えた、それが肯定なのか否定なのか、呉班にはわからなかった…
………
……
…
「痛゛っだぁいぃ〜!!」
「我慢して下さい、呉懿様、骨に数ヶ所罅が入っているのですから、しばらくは激しい動きは避けて下さい」
「…しばらくってどれくらい?」
「一週間ほどです、幸いにも張任様はひと月は動かない予定なのでその間に…」
「無理っ!!一週間も動かないでいたら私死んじゃうよ!!」
「とは言っても動けば動くほど遅れますよ」
「うぅ〜…」
「…なるべく早く治るよう治療法などは探しますから、我慢して下さい」
「…約束だよ!早く治してねっ!?」
「えぇ」
一応杖だけは持たせ退出する呉懿を見送る
「早く治してね、ですか…ふふっ…」
人がそう簡単に変わるものでは無いが彼女は本当に変わらない
彼女にとって治療は自分に任せれば治るというのが絶対の決まりみたいなものなのだ
そしてそんな純粋な信頼にならば応えたくもなる
少し乾いた咳をしつつ本を探す、久しぶりに自分の書庫を漁る為、何処に何があるのかいまいち記憶が曖昧だ
「…雷銅、入る」
「冷包様、いらっしゃいませ」
上の本を探していたのだろう、わざわざ一度梯子を降りてきて深々と頭を下げる
「そんなに畏まらないで、私は私用で来たのだから」
「はい、それでは…」
と、言いつつもこちらが用件を言うまでは不動の姿勢だ
…正直困る、私は言った通り私用できた、それほど大した用事はない
「…ご、呉懿が今出て行った様だけど診断結果は?」
「ハ、外傷の類は比較的浅いものばかりですがどうやら脇腹の骨の一部にひびが入っている様です」
「治療にはどれくらいかかりそうなの?」
「一週間程です、軽装鎧とはいえ、鎧のおかげで軽い骨折で済んだ様ですが治癒には時間がかかりそうです、今は骨に効く薬を作れないかと資料を探しておりました」
「そう…」
「大丈夫です!『五斗米道に治せぬ病は恋の病だけ』、骨折の治療ならば私の様な未熟者でも出来ます、心配なさらないで下さい」
勘違いしている…私は別にそんなつもりでここを訪れた訳ではない
「…無理はしないで、呉懿が治る前に貴方が倒れかねない」
「ご忠告、ありがとうございます、一段落つきましたら休みますので」
「それじゃ、行く」
「ハ、お疲れ様です」
…カチャ
小さな音を立て閉じられた扉
「ふぅ…」
強張った体を解すように息を吐くと全身から力を失った様な感覚に床にへたり込んでしまった
冷包が傍にいると激しく緊張するのは悪い癖だ、戦場では全く問題ないというのに普段では目を合わせる事も出来ない有様…
…原因は良く分かっている
この感情は有ってはならない
この身はいつ死んでもおかしく無い身、そのような男が…
「…何を馬鹿な事を考えてるんだ私は…」
…そんな馬鹿な考えを捨て早く呉懿の治療の役に立つ本の一冊でも探さねば…
その後、雷銅の部屋からはまるで迷いを断ち切るように一心不乱に本を探す音が聞こえ続けた…
………
……
…
白帝城の周りは総じて天候に恵まれない日が多い
屋内にある鍛練場は手狭で十人単位でしか使用出来ず、訓練の大半は悪天候でぬかるんだ地面の上で行われる
故に彼らは夜の闇を武器とし、足場が悪い山間や視界の利かない森の中でゲリラ戦を展開する戦法を得意としているのだ
その指揮を任されているのは呉懿、だが実質的な指揮は全て呉蘭が担当している
生来武人としてのずば抜けた才能を誇る彼女には残念ながら武将としての才能はあまりなかった
生来からの人を引き付ける魅力が周り仲間を集めてはいるが部下を率いて戦をするにはまだまだ未熟なのだ
だからこそ『彼』は己を律し、人一倍知識を蓄え強く在らねばならない
それが妹、いや家族達を守る唯一の手段なのだ
鍛練場の床に座禅を組んで精神を落ち着ける
そうして己を律する言葉を戒めとして思い返すのだ、戦場へと向かう我らに王は常々こう言っていた
『戦に善悪なんて無い、どんな大義を掲げたってお互いに人間である以上殺し合いをする事は同族殺しとなる、動物だって同族は殺し合いは縄張り争いぐらいしかしないんだ、なのに理性のある人間なんてやるべきじゃない事だ…あ、でも向こうってこっちの土地欲しさに来たんだよな、てことは縄張り争いか』
ドッと周りが笑った
『■■、自分で自分の話の腰を折るな』
怒り気味の鳳蓮様に嗜められる劉璋様
『お、おぉ、んだった、…オホン、…みんな分かってる通り俺は国主としてはまだ半人前で、みんなには迷惑かけてばっかりだけど、俺はこの国の主でこの国の人達が幸せならもう何もいらない位この国を愛してる、だから、だからさ、ちょっかいかけて来た張魯には少なくともこの国は渡せない、俺達の手で蜀の大地を守るんだ!!』
ウォオオオオオオォ!!
皆の鬨の声が響き渡り父上の号令により雄々しくを始める蜀軍の仲間達
向こうの規模はたいして多くない、どうやら北方で動きがあったらしく張魯も北からの圧力で兵を温存したようだ
むしろ逆に北の動きに怯え逃げ出してきた感がある
「私も出る、呉懿隊、供をしろ」
「はぁ〜い♪兄ぃ!進軍の指示よろしくぅ!!
「心得た、…呉懿隊!!先行した呉班隊に遅れる事など許さん!!即時進軍せよ!!」
「応っ!!…」
………
……
…
ゆっくりと瞼を開く
どれくらいの時間目を閉じていたのかは分からないが光で目が痛くなる程度の時間なのは間違いなさそうだ
我が方の被害は人形が4千に冷包隊十数名と呉懿隊の数名が負傷、死者は片手で数えられる位で済んだ
劉備側は騎兵に三千、槍、剣、戟等もろもろ含めた歩兵が五千、死者も三百は超えたはず、寡兵をもって大軍を制す、彼我の戦力差を鑑みれば完勝といえる結果である
更にこちらは将を一人捕縛しているという強みがある
魏延には悪いが彼女を使えばもう一つ位は上手く立ち回れるはず
「…鳳蓮様にでも相談すべきか?」
キィッと扉が音を立てた
「呉蘭殿、私に妙案が一つあります」
スッと姿を現した白服の男に眉を顰める
「貴様…無闇に動き回るなと張任殿に厳命されていただろう…死にたいのか?」
「そんなまさか、私は張任殿の協力者、少しでもお役に立てるならと思い参上したのですよ」
…嘘だ、この男にそんな殊勝な考えがあるはずがない、考えとは裏腹に聞くだけ聞こうと先を促す
「…で、何か策があると言ったな」
「はい、実は…」
…確かに男の策は確かに理に適っていた
「…なるほど」
…上手くいけば劉備側に持ち込むよりも今後こちらの優位に繋がる
「しかし上手くいくか?」
「間違いなく、あれは敵であろうと見捨てる事はしないでしょうから」
「わかった…貴様の策、有り難く頂戴しよう、家族の危険が一つでも減るならばどんな汚い方法だろうと俺に躊躇などない」
その一言にニヤリと笑う男
「私は貴方の様な人間が好ましい、張任殿や呉懿殿は武人としての自尊心が邪魔をしていまいち非情になり切れない部分がある」
「………」
「その点貴方は非情に徹する事のできる真の武人、貴方の様な方が居れば張任軍も安泰でしょう」
「俺は俺の思った通りにやっているだけだ、スマンが出てもらえるか、お主の策について部下と打ち合わせる所がある」
「はい、それではご武運を…」
口許に笑みを張り付け辞去する男を見送り
「…王累、いるな?」
「へいへい、っと」
天井から降りてくる男に一瞥だけをくれると要件だけを告げる
「劉備陣営の天幕の位置はわかるな?」
「今は東南東に撤退してる、多分逆落としされねぇ様に山間からは離れた位置に陣幕広げてると思うぜ」
「よし、ならばその陣に忍び込んでこれを北郷一刀…魏の天の御使いと呼ばれる男に渡してこい」
「へいへい、陣に忍び込んで手紙渡せってね…………………は?」
「…内容は今復唱した通りだ、何か分からない点でも有ったか?」
「いや、てか、まず何?そのやって当たり前、みたいな空気…」
「貴様なら訳無いだろう?劉璋軍時代から細作隊最強と称された貴様の腕を見込んでの頼みだ」
「ちっ、こういう時だけ頼る様な事言う様な奴はその内信用無くしますぜ?」
「信用という点なら妹に任せてある、俺はその分裏方にでも回るさ、細作衆の指揮権を一時的に委譲する、どう使うかは好きにすると良い」
「へいへいっ、了解しましたよっと」
「頼む」
扉を開け部屋を出ていく男を見送り
「…俺ももうひと仕事といこうか」
劉備軍が引いたとは言え多分斥候や細作は周りをうろついているだろう
ここからは『俺の管轄だ』、これ以上我らの土地で好き勝手させるつもりはない
呉蘭はゆっくりと外へと向け歩き出した…