40話 前哨戦、最後の参加者達
槍の柄の強烈な一撃が呉懿を数m先まで弾き飛ばす
「…え?」
しかし驚きの声を上げたのは翠の方だ、なくなったはずの矢が左肩に突き刺さり、鈍い痛みを放っている
ふらりと立ち上がった呉懿の口元が笑みの形で歪んだのを見てようやく自分が嵌められた事に気付いた
「…私の勝ちだよ…馬孟起殿」
「くっ…まだ隠してたのか!でもまだまだっ!」
槍を構え直そうとした翠は左腕の異常に気付いた
左腕は垂れ下がったまま全く反応を示さない
「…左腕、封じさせてもらったよ」
「くっ…」
槍を振るう人間にとって片腕が使えないのは致命傷だ、どんなに力がある人間でも『突く、斬る、叩く』の動作は両手でなければ威力は半減し、動作から動作へと移る隙も大きくなる
ここにきて形勢はまたしても逆転した
…しかし更なる逆転の手は翠にある
橋までは後3里程、立ち位置は翠の後方に橋がある形
機会は今しかない
「来い!!迫雷!!」
騎馬隊の先頭で待っていた愛馬がいななき突っ込んでくる
咄嗟に転がり身をかわした呉懿はなんとか蹄の一撃を避ける
そしてそのままの勢いで翠の脇目掛け突進し、隣を駆け抜ける寸前に飛び乗る
「逃げるが勝ちってね!あばよ!!」
向かう先は長坂の橋、あそこを越えれば自分の勝ちなのだ
「逃がさないよ!お前ら!一歩も通すな!!」ザザッと無表情な兵士達が道を塞いでいく
しかし西涼一の馬術を誇る馬孟起とその愛馬の道を塞ぐには一般兵程度では役不足
右腕一本で振るわれる刃は近付く兵を薙ぎ払い、吹っ飛ばされた兵士達が周りの兵を巻き込みながら倒れていく
そのまま包囲を突破すれば後は翠の独壇場だ
全速力で長坂橋まで駆け抜ける
遠目にも橋が見えてきた
橋の対岸に目を凝らす
…有った
橋の手前で迫雷から降り、迫雷に橋を渡るように促す…小さくいなないた迫雷の目には主である自分への心配が浮かんでいる
「心配すんなよ、危なくなったらすぐ逃げるって!」
「ブルルルル…」
何度かこちらを振り返りながらゆっくりと橋を渡る迫雷、急いで欲しいがそれで崩れては話にならない
少なくとも渡り終わる迄は死守しなくては…
「…西涼の人間は馬を大切にするって聞いてたけど本当なんだ、まさか馬を庇って私を待つなんてね」
「…やっぱ早かったな」
現れたのは呉懿、予想より幾分早いがもう目的は達した、後は『耐えるだけ』
「悪いけど違う、あたしは『最初から』ここが目的なんだからな」
「…どういう意味?…なっ!?」
彼女も気付いたのだろう橋の向こう側に結びつけられた緑の布に…あれは蒲公英が普段首に巻いているものだ
「ど、どうやって…?橋の周りは全て塞いでたのに…」
「周りは塞げても河の中までは塞げなかったろ?」
「ありえないよ!上流も完全に閉鎖した、下流は対岸が断崖絶壁で登れる場所なんてない!この橋近辺にしか登れる場所なんて…まさか…この急流を遡って来たの!?」
「さすがに蒲公英一人しか渡れなかったみたいだけどな」
蒲公英自身の身軽さと彼女の愛馬『迫影』の能力あっての事だろう
呉懿もこれにはかなり混乱したのか様子がおかしい
「長坂橋…破られちゃった……」
馬から降りた呉懿は馬に背負わせて有った剣を二本引き抜く
「…姐御、ごめんよ…約束、果たせないや…せめて…将軍一人位は…道連れにしていくから…張任軍が1番槍!性は呉、名は懿、字は子遠!!誉れも高き錦馬超が首、私の地獄への手土産にさせてもらうよ!!」
「来い!馬孟起が槍、身体に叩き込んでやる!」
「でりゃやぁー!!」
「うぉおぉぉ!」
呉懿は二本の剣を上段から、対する翠は片腕で銀閃を水平に振るう
弾ける音と共に火花が散り、互いの身体が吹っ飛ぶ
「くっ!?」
やはり片腕で長物を振るう翠の方が分が悪い…、たたらを踏み、橋の欄干に槍をかけ、なんとか踏み止まるが突撃してくる呉懿に対応する余裕など有りはしない、腋の下に柄を挟み込み身体ごと槍を回す様に振るう
しかし二刀を振るう呉懿にとっては身体を突き出してくるのは好都合、受け流し、切り返し、縦横無尽に振るわれる刃は確実に翠を追い詰めていく
「はぁぁぁぁぁ!!」
ギチギチと押し込んでくる刃に後退を余儀なくされる翠
無情にも右足が橋に掛かる振り返る余裕はないが迫雷は渡り切ったろうか…
耳に響くいななき、多分渡り切ったから来いとでも言っているのだろう…しかし自分に迫る凶刃の嵐はそれを許してはくれそうにない
(ごめんな、迫雷…)
先に渡らせた時点で自分の身を犠牲にする気だった、最後の最後で嘘をついてしまったのは心苦しいが謝る事はできない、詫びるならあの世で詫びるしか…
橋に蹄の音が響き、激しい振動に襲われる
「来るな!迫雷!」
馬の蹄は止まらずどんどん近付いてくる、このままでは迫雷の身まで危ない
「伏せろ!馬超さん!!」
「え?」
「飛び越えろ!絶影!」
咄嗟に意味を理解しのけ反るように倒れる
呉懿も橋から身を翻し岸で構えている
そしてその影は馬超と呉懿の中間辺りで停止する
黒い毛並みが美しい馬だ…しかし乗っているのはあの馬の主ではない、白を基調とした軽装鎧は一瞬白蓮の白馬隊かとも思ったが違うようだ
男が絶影から降りて近付いてくる
「大丈夫?馬超さん」
「え、あ、あぁ…」
「…良かった、間に合って…馬岱ちゃんから話は聞いた、蜀のみんなは今こっちへ向かってる」
「あ、あんたは…?」
「俺は北郷一刀、…天の御遣いって言った方がわかりやすいかな」
男は翠に優しく微笑むのだった
オリキャラ…ならぬオリ馬
迫雷
錦馬超こと馬孟起の駆る愛馬、正確は主と違い温厚だが一度戦場に立てば勇を奮って戦う駿足の名馬である
迫影
馬超の従姉妹である馬岱の駆る愛馬、迫雷とは兄弟馬だが迫雷と違い瞬発力より跳躍力に優れる馬で身軽な動きで戦う
…独自設定ですが走る速度は赤兎馬よりも絶影が優れ、持久力は赤兎馬が最も優れる、という設定にしております