序幕:前話
「まったく、飛んだ災難だ」
柄にもなくそんな言葉を呟いてしまう程、今日はツイてない。
いつもなら1stレベルくらい俺がわざわざ出る幕でもないんだけど、何せ今日は奇跡的に人が足りない。普段はお茶飲みながらごろごろしてれば済む仕事なのだが、今日に限って異常な量の依頼が入ってきているのだ。
お陰で部隊の連中も全員出払ってしまっている。だからこうして俺が雑用みたいな仕事に駆り出されてるわけだ。
「しかしあいつ、逃げ足だけは速いな」
さっきまで目の前に居たはずだったのに気づいたらいないし。本当、見習いたいくらいなんだが、今回の仕事がそいつの捕獲なだけにそんな呑気なことも言ってられない。
仕方なく二つ程分かれ道を勘で左に曲がると、現れた目の前の一本道の坂を物凄い速さで下っていく男が視界に飛び込んだ。
は、速い。 まさかあいつ、ただ足が速くなるってだけの異能じゃないだろうな。もしそうだったら、あまりにもつまらなさ過ぎる。いや、仕事が早く終われば別にいいんだけど。
そんな余裕に浸っている内に、気がつくと男は坂の中部まで到達していた。っていけね、この先は確かに住宅街だったような……。流石に道が入り組んでいて一般人の多くいる場
所に逃げ込まれたら、俺でも対処できない。
幸いここは一本道。いくら隔離結界を張るのが下手な俺でも、これだけ限定されていれば問題ない。
「……サーチ……完了っと」
頭の中で自分と敵の位置を囲む線を想像する。一本道だからそう難しくはない。
そして念じる。固く……固く……。
「結界発動!」
そう叫ぶのと同時にポケットから取り出した黒いカードを高く翳す。これは部隊の戦闘班のみに所持を許されている、所謂結界使用の許可証みたいなものだ。
……ふぅ。これで俺の唯一苦手な分野が終わった。
早くも疲れきったように一息ついて、黒いカードを再びポケットに戻す。
もちろんいくら俺でも手応えはあった。これでこの場所は完全に他から隔離されたはず。つまり今からこの結界を開放するまで、この空間は一般人には無意識的に“存在しないもの”として扱われる。
これは一般人への危害を防ぐために組織の技術部が開発した代物だ。
例え異能を持った境壊者だろうと突破なんて真似はできない。いや、気づけもしないだろう。
「うっ……」
余裕持ってゆっくり歩き出そうとした俺を、急にふわっという目眩が襲った。
結界張るのに無駄に精神力使ったせいか、未だに頭の中がおぼつかない。やっぱり、もっと練習しとかないとだめだな。
多少ぼやける視界を擦って坂の方を見ると、気のせいか、ついさっきと変わらないように男が走っているように見えるのだけれど……
「ってなんでまだ走ってんだよあいつ!!」
擦ってようやく冴えてきた視界が捕らえたのは、何事もなかったかのように住宅街へと爆走する男の姿だった。
まずい! やっぱりしくじったか?! くそっ、いずれにせよこのままだと完全に撒かれる!
ああ、俺の欠点を上げるのなら、まずこれだろう。ここぞ! という大事な時に弱いこと。
そんなことが頭を過ぎったが、無論瞬時に切り替えて全速力で男を追いかける。こんな仕事で汚名を付けられるなんてのは絶対に免れたい。
「待ちやがれー!」
まだフラつく足に鞭打って俺の出せる限りの速さでフル回転させるが、男は既に住宅街への分かれ道にさしかかろうとしている。
やばい、追いつけない!
そして男がそのままの速度で左に曲がろうと内側に体重をかけた時だった。ドン、っという鈍い金属音のような音と共に弾かれたように後ろへ飛ばされる男。
一瞬何が起こったのか理解できなかったが、瞬時にそれは自信へと変わった。そう、つまり俺の結界は成功してたわけだ。
イメージとは幾分か違うが、閉じ込めることさえできれば十分。あとは戦って殺さない程度に弱らせて連行するだけ。相手は逃げるしか脳がないような奴だし、モニターに反応が出たんだから力を解放したってことだ。でも今見る限りでは何の能力も見て取れない。つまり戦いには向かない能力なのだろう。
それでも許可なく解放状態になったからには連行しなくてはならない。それが俺達の仕事だ。そう自分に言い聞かせると、俺は今度こそゆっくりと男に向かって歩き出す。
男は突然の不意打ちで勢い良く地面に頭を打ち付けてしばらくうずくまっていたが、しばらくしてようやく状況が読めたのか、跳ね返るように飛び起きた。
「そ、それ以上近づくな!」
そう威嚇しながら数歩後退り結界に触れたのか、男は眼を見開いて何度も結界を強打する。
「な、なんなんだよこれ! 出せよテメェ!」
怒り、よりは恐怖だろう。男の顔はそういった禍々しい物で引きつっている。殺されるとでも思っているのか。いずれにせよ、まずは尋問からだな。
「なんで勝手に力を解放したんだ? それが犯罪に当たることは知ってるだろ?」
「誰がテメェなんかに教えるか!」
はぁ。そりゃそうだよな。逃げてたんだから知らない内に解放されてたってわけでもないだろうし。もしかして教えたら殺されるって思う程重要な事なのか?
「安心しろ。抵抗しなければ多少痛いだけで済むから」
ほんのちょっと縛るだけだし、そんなに痛くはないと思う。俺はそうゆう意味で言ったつもりだったのだが男はどう捉えたのか、さらに顔を真っ赤に染め上げ唾飛沫と共に声を張り上げる。
「ふ、ふざけんじゃねぇ! ガキが! 痛い目合うのはテメェの方なんだよ!」
そう怒鳴ると男は焦るように身をよじらせ、腰の辺りから刃渡り10センチ程のナイフを取り出す。そして、両手で全身の力を込めるかのようにそれを両手で握り締める。
ったく、容姿からして30くらいだろうか。いい歳したおっさんがその言葉使いとはどうかと思う。正直馬鹿に見えるし。まあ、ナイフで戦おうとしてる辺りからして馬鹿なんだろうけど。
「あんたも境壊者なんだろ。だったらさっさと能力を見せたらどうなんだ?」
敢えて挑発的に言ったつもりだったんだが男は今までの態度とは一変、余裕さえ見えるようにシニカルな笑みを浮かべた。
「生憎ガキ程度に見せる能力なんぞ持ち合わせてなくてね」
「成る程。よく分かった」
ほぉ、こいつ、随分言ってくれるじゃないか。俺だって伊達や酔狂でこの仕事をしてる訳じゃない。実力があるからこそこの仕事を続けられるんだから。そこら辺の異能者に引けを取るなんて事は有り得ない。それに今の今まで能力を使ってない。ハッタリに決まってる。
「それなら力づくで出させるまで」
そう宣戦布告して右手を横に突き出す。そして全ての神経を一気に右の手のひらの中央へと集中させる。
さあ開け……開け。取り出すんだ。
その呼び声に応じるように、右手のすぐ前の空間がぐにゃりと歪む。
俺は取り出す者……ブリンガー!
手のひらの神経を一切切らさず、その歪みへと一気に滑り込ませる。
「出でよ! 聖剣デュランダル!」
渾身の叫びと共に、勢いよく歪みから引き抜いた腕に握られているのは一本の剣。その神聖さを感じさせる真っ白で優美な直線は、全てを断ち切る無常な刃。
「テメェ! 取り出す者か!」
男はこの剣を見ると同時に悔しそうに表情を歪ませる。
俺の能力を知ってる? まあいい、それなら話は早い。俺の能力は異能の中でもまた異能。古代より伝わる伝説上の道具を、次元を超えて取り出すというものだ。俺はまだこの聖剣デュランダルしか出したことがないがそれでもこれは伝説上の武器。十分、いや余りあるほどの強さを誇る。
「さあ、どうする? 降参するなら今の内だぞ」
降参すれば本当に何もしないつもりなんだが、ナイフを構えたってことはヤル気なのか。あー、くそ。よりにもよって俺がただのナイフ野郎なんかと遊ぶことになるとは。
「けっ、誰がガキなんかに殺られるか! こちとら乗り越えてきた修羅場の数が違うんだよ!」
「あんた、この剣の能力を知って言ってるのか? だとしたらその威勢と勇気だけは褒めるけど」
「テメェ……!」
あれ、俺怒らせるようなこと言ったかな?
男は全身の毛を逆立てる程に敵意剥き出しでナイフを構えたまま、こちらにゆっくりと歩き出した。
本当に太刀打ちできると思ってるのだろうか。男の10センチ程度の刃に比べ俺の剣は軽く刀身1メートルはある。普通に考えれば剣術に天地の差がない限り勝てる見込みはないのだが。
もしかして能力を使うつもりなのだろうか。いや、まず逃げることを考えた時点で戦いで勝算がないからだろう。つまり、こいつは本当にたかがナイフ一本で突っ込んでこようとしてるのか。だとしたら、
「あんた、馬鹿だろ?」
「……ッ!」
今の一言が止めになったのか、男は何かに取り憑かれたように雄叫びを上げて、さっきよりも格段に速い速度で間合いを詰める。
「コロシテヤルッ!!」
今にも首を掻き切らんとする男の狂気の衝動は、30メートルは在ったであろうその距離をほんの数秒で走り抜ける。
まだだ……まだ。見極めるんだ……。何度も体験したその数秒を、脳内で何コマにも分別する。
そしてついに男の刃物が射程距離に入った一コマを、この目が捉える。
今っ!!
予備動作もなく振り下ろされた純白の切っ先が、勢い良く突き出された鈍銀色の刃物を、すぱんと真っ二つに分断した。もろいとでも言うかのように。
「なっ……」
力のやり場を失った男は、受身も取れぬまま勢いよく地面に転倒した。
「だから言ったのに」
どうやら修羅場の数は俺の方が上だったらしい。男は悲痛に顔を引きつらせ、そのまま地面に横たわっている。
この剣の能力は万物を切るというもの。つまりそれが物体という形を留めたものである限り、この剣に切れないものはない。
終わった。横たわる男の側に立って、もう一度開いた歪んだ空間に剣をしまう。
あとはこいつを拘束して本部まで持ってくだけ――
「――ああ、だから言ったのに」
「?!」
再び男が浮かべたシニカルな笑み、そしてそれと同時に俺の影に覆いかぶさるもう一つの影。
「まじかよッ!」
見上げるとそこには今にも頭を刺し貫こうとナイフを構えて降下してくるもう一人の男の姿。
間に合わねェッ!
なんとか避けるため飛び退けようとすると男がしっかりと足を抑えている。
「あばよ」
男の吐き捨てるような呟きと同時に俺の頭を捉える切っ先。小さく聞こえる何かが割れたようなガラス音。
――くそがっ!
「うおおりやぁあ!!」
「ごふっ?!」
……え?
頭を切り裂くはずの刃と共に吹き飛んで外壁に打ち付けられた男。
足を必死で押さえていたはずが蹴り飛ばされて街路樹に激突する男。
全てが一瞬だった。この目でさえ追えない、尋常じゃなく速い一瞬。
「聖剣……デュランダル」
目の前に残るのはただ一人。
長い黒髪を目いっぱいたなびかせる、美しい少女だけ。