『博士』の異常な愛情
その人物は何世紀にも渡りある研究をして、独り暮らしていた。
仮にその人物を『博士』と呼ぼう。
『博士』はある自作の機械を研究していたがそれはこのようなものである――
即ち中身は、その表面に記号を読み書きできるテープ。長さは無制限(必要になれば順番にいくらでも先にシークできる)と、テープに記号を読み書きするヘッド、ヘッドによる読み書きと、テープの左右へのシークを制御する機能を持つ、有限オートマトン(または有限状態機械とは、有限個の状態と遷移と動作の組み合わせからなる数学的に抽象化された「ふるまいのモデル」である)が、ある。
また、ソフトウェアに相当するものとして……
テープに読み書きされる有限個の種類の記号と、初期状態においてテープにあらかじめ書かれている記号列、有限オートマトンの状態遷移規則群。
この有限オートマトンの状態遷移規則は、その有限オートマトンの「現在の状態」と、ヘッドがテープの「現在の場所」から読み出した記号の組み合わせに応じて、次のような動作を実行する。
・テープの「現在の場所」に新しい記号を書き込む(あるいは、現在の記号をそのままにしてもよい)
・ヘッドを右か左に一つシークする(あるいは、移動しなくてもよい)
・有限オートマトンを次の状態に状態遷移させる(同じ状態に遷移してもよい)
さらに、この有限オートマトンには(一般的な有限オートマトンの「受理状態」と同様な)「受理状態」がある。計算可能性理論的には、決定問題の2種類の答えに対応する、2種類の受理状態が必要になる。
しかしこの機械で決定できない命題も存在する。例えば与えられた命題、この機会が停止するかどうかをこの機械で決定することはできない……
だいたい『博士』はこの機械を自作しておきながら最後の特性を忘れてしまい、この機械が停止するかどうかをこの機械で決定させようとしてこの機械を壊してしまう。
嗚呼、今日もこれを壊してしまった……直すのに何日かかるのやら?
そして『博士』は庭の薔薇を一本手折るとこう言った。
「薔薇は薔薇であり、薔薇であり、薔薇である」
『博士』は瞼を伏せた。
見たくない、見たくないものなど、見なくていいから。
そして薔薇を握り潰す。
花弁は無残に散って行った。
――違う!
夜になり、賢者たる『博士』は髑髏と獅子と眠る。
薔薇に祟られたのか『博士』は珍しく熱に魘されていた。
『博士』はこの隠遁生活を手に入れるために、剣と謀略によって血に塗れた半生を送ってきた。
だがそれに後悔はない。
静かな生活を望むことを何が害すれば、『博士』は歪むことを惜しまずに。
今となっては『博士』を訪れる者はない、熱い手で獅子を撫でると猫のように懐いた。
そもそも、この世界に『博士』意外の誰も居はしなかった。
星々のあいだ、平穏だけがあった。
――違うのだ!
夢の地平、『博士』は意味不明な箴言を父から受けるがそれは目覚めの際に消失する。
父の唇が紡ぐその言の葉は、
父の手の温もりは、
――それはむしろ、
夜半、熱に浮かされて目覚めた『博士』は、
ひとくちの白湯をを飲もうと薬缶を手にグラスを取った。
――硝子越しに視ていた、
『博士』はその姿見に映る襤褸げな影を見た。
――見たくない、見たくない、ものなど、見なくていいから、
そこにはもっとも悍ましき者、
――汝は婦!