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「いつもスマンな、ワタ坊」
爺さんの礼に恐縮しながらも、何故か轟さんは顔をしかめた。
「いえいえ。っていうか、その『ワタ坊』って呼び方、いい加減やめて下さいよ、師匠。俺、もう三十っスよ⁉︎」
どうやらオレの反応が気になったらしい。
轟さんが困ったように頭を掻きながら、チラリ、とオレの方に視線を向けてきたので、少しだけ沈んだ気分を吹き飛ばすつもりで、オレはワザと口の端を思い切り上げて、ニィ〜〜ッ、と笑ってみせた。
「何云っとる。三十なんて、ワシから見たらまだまだヒヨッコじゃろ。お前が四十になったらどうするか考えてやる」
「ええ〜〜っ」
轟さんはガックリ、と頭を垂れると、力のない声で
「あと十年か……」
と、呟いた。
(うわ、轟さん、あと十年も『坊主』扱いなんだ……)
「時にワタ坊、今日はアレが来とらんようだが……」
(しかも爺さん、気にしてないし)
「…………ああ、そうっスね。今日は俺もまだ姿を見てないんですよ」
ショックから立ち直ったらしい轟さんの答えに、爺さんが僅かに首を捻る。
「…ふむ」
(ん?何の話だ?)
「ねえねえ、何の話してんの?『来る』って、ココ、何か珍しい動物かなんか来んの?」
二人の会話が理解出来ず、縁側に腰掛けた轟さんに尋ねると、一瞬、目を丸くした轟さんは次の瞬間、辺りに響き渡るほどの大きな声で笑い出した。
「ぶぁっははははは‼︎ め、珍しい動物って!こりゃ、いいや!確かに『動物』にゃ、違いないけどな……」
「え?えっ?ナニ?」
ヒーヒー笑い転げる轟さんでは埒があかず、困って爺さんの方を見ると、何故か爺さんまでもが苦笑している。
どういう事なのか戸惑って代わる代わる二人を見ていると、爺さんが助け船を出すように、パイプを咥えながらゆっくりと呟いた。
「知り合いのな、『子供』が来るんだよ。ほぼ毎日。いつも今ぐらいの時間に来て、夕飯を一緒に食うんだが、今日はまだ姿が見えん」
「子供?小さい子?」
オレの問いに爺さんが首を振った。
「いや、お前くらいの坊主だ。そういえばお前、幾つになる?」
「十六。高2だけど、早生まれだから」
「じゃ、アイツと同じ学年だな」
それまで腹を抱えて笑っていた轟さんが、無造作に手で目尻を拭いながら会話に加わってきた。
どうやら漸く笑いが収まったらしい。
「そいつも高校2年生なんだよ。ナツってんだ。瀬尾ナツ。ちょっと変わってっけど面白いヤツだよ」
「ふうん…」
何と云っていいか分からず、オレは曖昧な相槌を打った。
(同い年………瀬尾ナツ、ねぇ……)
その日、行き会えば三人目となる人物との初対面に緊張感を覚えつつも、結局、その晩、『瀬尾ナツ』は来なかった。
オレは、オレ的には随分早い時間(午後6時!)に爺さんと二人で夕飯を食べ(実家ではいつも8時頃だった)、そのあと勧められるままに風呂に入って汗を流した。
どうやら自分で思っていたより、だいぶ疲れていたらしい。
風呂から上がると、その日の体力を使いきってしまったようで、自分でも信じられない事に、オレは9時には布団に倒れ込んでいた。
(……信じらんねー、まだ9時なんだけど)
いつもなら、これからが活動を開始する時間帯だ。
といっても、その内容は、おもに今やっているゲームのステージクリアだけど。
実家では四六時中部屋に引き篭もっていたから生活サイクルが滅茶苦茶で、昼夜は逆転、9時なんてまだまだ宵の口だった。
それなのにーー
(ヤバイ、睡魔がハンパない)
リュックから着替えを出した時に、一緒に出したゲーム機は枕元に置いてあるが、手に取る気にはなれなかった。
(そういえば…今日は一度もゲームしなかったな。まぁ、色々ありすぎて、それどころじゃ無かったけど…)
(ーー静かだ)
倒れ込んだ布団に仰向けに寝転んで、天井を見つめていると、開けた窓の網戸越しに微かな葉擦れの音が聞こえてきた。
車の音も、人の話し声も全く聞こえない世界。
窓から外を見ても目に見えるのは暗闇ばかりで、此処では家の灯り一つ探すのもきっと難しいのだろう。