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自分が格別人見知りだと思ったことはないが、見知らぬ家に居候するとなれば、やっぱりそれなりに緊張はする。
ーーだってまだ17才だし。
怖々(こわごわ)上がり込んだ爺さんの家の中は、やっぱり全く見覚えが無くて、オレは、ついキョロキョロと辺りを見回してしまった。
「とりあえず荷物を置け」
そんなオレの様子をちょっと不思議そうに見ていた爺さんが案内してくれたのは、家の裏手にある一番奥の部屋で、大きめの窓からは、やっぱり視界を覆うくらいの緑と、その切れ間から何かが僅かに光って見えた。
(………何だ、アレ?)
気になって、思わずジッと見入る。
(もしかして……川、か?)
ココからでは蝉の鳴き声がうるさ過ぎて、水音の気配も感じられないが、どうやら川があるらしい。
夏の強い日差しが、川面に反射して光っているようだった。
(へぇ。)
「荷物を置いたら、居間の方に来い。麦茶でも用意しとくから」
爺さんはそう云うと、固まっているオレをその場に残したままスタスタと行ってしまったので、オレはとりあえず持っていたリュックサックを隅に降ろすと、案内された部屋の中を見回した。
窓が普通より少し大きい以外は、ごく普通の六畳の和室。
押入れがあり、壁際に小さな文机と本棚が一つ置いてある。
本棚には、ぎっしりと本が並んでいて、古そうな物ばかりが目に付いた。
より近づいて覗いてみると、背表紙が陽に焼けたせいもあるんだろうが、タイトルも最近のベストセラーは一冊も見当たらない。
(……芥川龍之介に宮沢賢治……太宰治と…これは中原……ちゅう…や?これ、『ちゅうや』って読むのか?っつーか、『中原中也』って、誰、コレ??)
名前は知っていても、学校で読まされる以外には絶対に手をつけないような本のタイトルに、目を眇めるように見入っていると、いつの間に来ていたのか、足下から「にゃ〜ん」と、鳴き声がする。
「あ、タマコ」
抱き上げて何となくぶらぶらさせていると、居間の方から爺さんの呼ぶ声がしてきた。
「坊主、茶ァ、入っとるぞ」
「あ、ヤベぇ」
タマコを抱いたまま居間に入ると、着替えたらしい爺さんは冷たそうな麦茶の入っているコップを前に、すっかりと寛いだ様子になっていた。
「随分、遅かったなぁ。タマコが呼びに行ったじゃろ」
「あ、はぁ……」
(え?呼びに来てたのか、オマエ?)
思わず腕の中のタマコを見ると、タマコはジッとオレの顔を見てきた。
「ま、座れ。長い時間移動してきて疲れたんじゃないか?腹は?減ってるか?減ってるなら、なんか用意するが……」
爺さんの言葉に、オレは慌てて首をブンブンと振った。
「あ、いえ!電車の中で軽く食べたんで…その……大丈夫です。お構いなく」
「ほうか。なんなら遠慮せんでええから、腹が減ったら好きにせえ」
「はぁ、ありがとうございます。えっ、と……」
オレはその場に正座し直すと、爺さんに向かって頭を下げた。
「改めて暫くお世話になります。よろしくお願いします」
オレの言葉を聞くと、爺さんは『止せ』とばかりに顔の前で手を振った。
「あぁ、そんな改まらんでもえぇから。礼儀正しいのは結構じゃが、身内なんだから、そんなわざわざ堅苦しくせんでもええじゃろう。此処に居る間、今から云う三つのことを守ってくれりゃ、ワシはあとは何も云わん。お前の好きにしとりゃええ。一つめは出されたもんは何でも好き嫌いせず食べること。二つめはその敬語をやめること。三つめは人に迷惑がかかるようなことをワザとせんこと。守れるか?」
「はい、…じゃなくて、分かった」
オレが返事をすると、爺さんは満足そうに頷いた。
「宜しい。時に父さんは元気にしとるか?電話じゃ普通にしとったが」
「あ〜〜、うん」
オレは最近の父親の様子を頭に思い浮かべながら答えた。
もともと余りうるさい事を言わない静かな人だったが、ここ最近は静か、というより憔悴している、と言った方がピンとくる。
(………まぁ、たぶんオレのせいなんだけど……)
「なんじゃ、煮え切らん返事じゃの。まぁ、いい。母さんも変わりないんか」
「…………うん」
「そうか……」
爺さんは傍らに置いてあった小さな木箱を開けて、中からシャーロック•ホームズみたいなパイプを取り出すと、慣れた手付きで葉っぱを詰めて火をつけた。