ー14ー
(やっぱり、アレは言い過ぎたよなぁ……)
作業を終えて爺ちゃん家に戻り、自分の寝起きしている部屋に入ると、オレはドッと疲れを感じてそのまま畳の上にゴロリと横たわった。
昼まではあと一時間。
時間的にはまだ涼しくても良さそうなものなのに、部屋の中には出かけた時とは明らかに違う、湿気を帯びた暑い空気がもう充満している。
固い畳に頰を押しつけるようにしてジッとしていると、風通しの為に開けた部屋の窓から、わんわんと鳴く蝉の声に混じって、時折微かな風鈴のチリン、という音が聞こえてきた。
家の中は静まり返って、人の気配は全くしない。
(爺ちゃん、まだ畑か……)
そう云えば玄関先の作業道具も無かったし、この時間に戻らないということは昼まで帰って来ないということだろう。
と、いうことは…
(…昼メシ、つくんなきゃ。冷蔵庫…何があったっけ)
仕方なしに起き上がって、身体を覆う気だるさに溜め息をついていると、先刻、ナツと交わした会話がぐるぐると頭の中を廻り始めた。
(外に置いてあったナツの自転車、無くなってたな…。やっぱ、町に行ったのか…………って、また考えてるし!オレ!)
……………落ち着かない。
結局、ナツとはあれから一言も言葉を交わさないまま、気付けば一人、のめり込むように作業に没頭していた。
轟さんに声を掛けられてはじめて、今日の仕事が終わったことを知った時には、おばさんの買い物に向かってしまったのか、ナツの姿はもう見えなかった。
(………居ない)
「お疲れさん、ハル。今日はもう上がっていいぞ」
「あ〜、うん。……轟さん、えっ、と……ナツは?」
「あ?ナツ?アイツならちょっと前にハウスから出て行ったけど……。何だ?何か用事か?」
「あ、ううん、別に何でもない…。あ〜、じゃあ、オレ、道具を片したら帰るから」
「おう」
使った道具を元の所に戻してハウスを出る。
通い慣れた砂利道をとぼとぼ歩いていると、なぜか急いで追ってきたらしい轟さんに声を掛けられた。
「ハル ‼︎ ちょっといいか ⁉︎ 」
「何?どしたの?そんなに慌てて」
何か用事かあったから追いかけてきた筈なのに、足を止めて待っているオレの所まで来ると、轟さんはナゼかバツが悪そうに頭を掻きながら口を開いた。
「いや〜、その、なんだ、別に聞き耳立ててたワケじゃねぇし、お節介焼くつもりも無いんだけどな…」
「?」
「まわりくどい言い方は、オレの性に合わねぇからハッキリ云うけど。ハル………お前、ナツのこと好きか?」
「は?」
一瞬、何を云われたのか理解出来ず、全ての動きが止まった。
何?
好き?
誰が?
誰を???
「 ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎ 」
数秒後、ようやく脳が情報を処理して伝達してくれたと同時に、オレはそこが外だという事も忘れて叫んでいた。
「はぁっ⁉︎ 何 ⁉︎ 好き⁉︎ 好きって ‼︎ 何言ってんの、轟さん⁉︎ 藪から棒に ‼︎ 」
突然、何言い出すんだ、この人はっ ‼︎
「だってよぉ、お前、いつもナツに対して結構つっけんどんな態度だろ?アイツ、確かに他人との距離の取り方がメチャクチャなヤツだけど、基本悪いヤツじゃないし、お前のこと構うのも、お前のことが気に入ってるからなんだぜ?」
(な、なんだビックリした!そういうイミか………)
なんのことを云っているのか漸くピン、ときて、オレは安堵の混じった大きな溜め息をついた。
「……さっきのこと?確かにアレは言い過ぎたよ。反省してる。でも云ってたことは嘘じゃない。オレは別に退屈してるワケじゃないし、つまんないワケでもないから。だから別に構ってもらう必要も……って、何?」
もの言いたげな上目遣いでオレを見ている轟さんの視線に気付いて、オレは喋るのをやめた。
轟さんは少しの間黙ってオレを見ていたが、何故か小さく溜め息をつくと、少しだけあきれたように云った。
「…ホントか?それ」
「え?」
「ホントにそう思ってるんか?お前」
「え?お、思ってるけど…?」
いつになく真面目な轟さんの表情に、内心少し驚きながらも返事をすると、
「……そうか、分かった」
オレの言葉を聞いた轟さんはナゼかちょっと複雑な表情のまま頷いて、やがて気を取り直したようにオレの肩を叩いた。
「なら、いいんだ。…変なコト云って悪かったな。なんていうか、まぁ、ちょっとした老婆心だよ。お前にも色々と考える所があるだろうし、無理にとは云わないが、まぁ、出来たらアイツにもう少しだけ優しくしてやってくれ。ホント、悪いヤツじゃないから、な?」
「う……うん」
(轟さんは一体何が云いたかったんだろう)
身体中を包む気だるさから動く気にもなれず、その場に座り込んだまま考え込んでいると、開け放していた部屋の窓から
「ニャア」
とタマコが入ってきた。
「おかえり、タマコ。お前も今散歩から帰ってきたのか?」
タマコは座っているオレの足の上に乗ると、澄んだ声でニャア、と短く返事した。
「……なあ、タマコ。お前、どう思う?轟さんはホントは何が云いたかったんだろうな」
ネコのタマコに分かるワケがないし、返事が帰ってこないのは百も承知で、オレはタマコに話しかけた。
轟さんとのやりとりがアタマから離れなかったせいだろう。
誰でもいいから話したい気分になっていた。
「たぶん、オレのナツに対する態度のことだけじゃないよな、アレ。オレ…轟さんにはあんな風に云っちゃったんだけどさ、ナツに対して酷い態度をとってんのは、良く分かってるんだ。かなり変ってるとは思うけど、アイツがイイ奴なのも分かってる。こういったらナンだけど、会ってすぐ分かったし。……だけどさ、アイツ、すごく似てるんだ。昔一番仲のよかった奴に。そいつとは、もう話も出来なくなっちゃったんだけどな…」
話している内容なんて全く分からないに違いないのに、タマコはキラキラと輝く青い瞳で、話しているオレの顔をジッと見つめていた。
「そいつと話せなくなったのはオレのせいだったんだけど……自分のせいだから自業自得なんだけど、オレさ、それ以来怖くなっちゃったんだ。恐怖症?っていうのかな。自分の気持ちを表に出すのがめちゃめちゃ怖い。怖すぎて、そんなことするくらいならイヤな奴だと思われる方がまだマシに思えるんだ」
オレはタマコの小さな頭を撫でた。
「変なんだよ、オレ。きっとどっかオカシイんだ……もう、ずっと…」
(ナンナンダヨ、オマエ!ドコカオカシインジャネーノ⁉︎)
(ジブントオナジオトコガスキッテ、オカシイダロ‼︎ )
「ニャア!」
「うおっ!ビックリした!何だよ、タマコ」
それまでジッとしていたタマコが急に大きく鳴いたので、オレはハッと我に帰った。
どうやらいつのまにか考えに耽って、ボーッとしていたらしく、タマコを撫でていた手が止まってしまっていたらしい。
ジッとしているのに飽きてしまったようで、驚いているオレをよそに、驚かせた本人(?)はトンっ、と足の上から軽やかに降りると、膝に一度顔を擦り付けて、襖の方へと歩いて行った。
「ニャア!」
振り返って、短く鳴くと、その場でちょこん、と座ってオレが動くのを待っている。
(この鳴き方は昼ご飯の催促だな)
時計を見ると、思っていた以上に時間をくっていたらしく、昼まであと三十分も無かった。
「ヤバい!もうこんな時間じゃん!早く昼メシ作んないと、爺ちゃんが帰って来るっ!」
オレは考えていたことを振り払うように、急いで立ち上がると、前を先導するタマコの後に付いて台所に向かった。
爺ちゃんは、基本、時間厳守の人なので、『昼メシは十二時』と決めている。
よって、それより遅くなると地味に機嫌が悪くなる。
一緒に生活するようになって知ったんだけど。
(ヤバい、急がねば)
今日も気温はぐんぐん上がっているようで、さっきまではまだひんやりしていた廊下にも、もう熱気が溜まっていた。
「あ〜〜、それにしてもアッチ〜なあ!メシより何よりソーダのアイスが超食いて〜〜‼︎ 」
半ばヤケ気味に叫びながら台所に入り、慌ただしく用意にとりかかると、慌てて材料を取り出そうと開けた冷蔵庫を前にオレはふと、その手を止めた。
(何でだ?)
一瞬、冷気に晒されたアタマに浮かんだのは、差し迫った昼メシの献立などではなく、ナゼか振り払った筈の、そう、この暑い中を自転車で走っているだろうナツの、まだ一度も見たことのない生き生きとした姿だった。