アレス王子1 事実
「子供が倒れてる」
「ねえ! 誰かゲン爺を呼んできて!」
「何処の子…?」
「分からない、でも空から…」
「天使じゃよ! 神の使徒じゃ…! わしらの村に、天使が舞い降りたのじゃ…!!」
「ウメさん落ち着きなよ」
…声が…する。
酷い頭痛。薄く目を開くと、辺りがざわめいた。
人が…たくさんいる…。
「ゲン爺が来たよ!」
少年の声。直後駆け寄ってきて僕の顔を覗き込んだのは、お爺さん。何度か瞬きをして辺りを見渡してみると、人間だらけだった。
「…うむ。意識はあるようじゃな…。お主、何処か痛むところは?」
僕は首を横に振る。視界に映る人たちは、僕の動きを見て心底安堵したような表情を見せた。見知らぬ人たちを心配させてしまっていたことに、少し胸が痛んだ。
僕はお爺さんに背中を支えてもらいながら、体を起こす。
「お主、何処から来た? 空から降ってきたように見えたと証言しているものもいるが……」
何処からって…。此処は? 僕はあたりを見渡して、見知らぬ土地にいることを知る。
サクマは? サクマは僕の手を引いて、城を出て、それから…?
「……僕は…、アレスです。…アレス=スティファニア。スティファニア王国の第二王子です」
辺りが騒がしくなる。僕の名前を反復する声や驚きの声。半信半疑の視線が刺さる。
「スティファニア王国は、どうなりましたか? サクマは……僕と一緒に、剣士がいませんでしたか?」
不安が心を埋め尽くす。サクマの姿が何処にもない。僕がここに倒れていたのなら、サクマは…?
お爺さんは村人たちと顔を見合わせる。全員、浮かない顔。
やはり王国は……。
お爺さんがこちらを見た。その目は、真剣だった。
「王国は崩壊した。つい、昨日な。城は魔物たちに包囲されていて、もう入るのも難しいじゃろうな…。逃げ出した人間たちは全員、隣りの町の保護施設にいるはずじゃよ。きっと、その剣士さんもいるじゃろう」
「そう…ですか……」
良かった。保護施設に行けば、きっとサクマがいる。サクマは死ぬはずないし…。それに…
アテナも…きっと……。
「ありがとうございます。僕、その保護施設に行ってみます」
慌てて立ち上がると、お爺さんに腕を掴まれた。
「待て待て。そう急ぐこともないじゃろ。少し休んで行きなさい。保護施設には、わしらの方から王子が見つかったことを言っておく」
「でも……」
「顔色が優れない子供を放っておくことは出来んよ。年寄りの頼みじゃ。聞いてくれんかのぉ?」
目尻の皺を濃くして穏やかに微笑むお爺さんに、僕はぐっと反論を飲み込み、頷く。早くサクマの無事を確認したい。アテナに会いたい。けれど、この人の親切を無碍にすることは出来なかった。
頭を優しく撫でてくれたお爺さんは、「ついておいで」と歩き出す。僕は素直にその小さな背中を追いかけた。
連れてこられた家は、周りの家よりも大きかった。話を聞くと、お爺さんの名前はゲンさん。賢者様だそうだ。そしてこの村の元村長だという。
「今はわしの息子が村長の務めを果たしてくれていてな。わしはのんびり生活させてもらっとるよ」
お茶を啜りながら、ゲンさんは言う。僕は彼の息子のお嫁さんであるハルさんに手当てをしてもらいながら、ゲンさんの隣りの逞しい青年を見上げる。彼が、ゲンさんの息子のリュークさん。
「……賢者様というのなら……、魔王を封印、したのですか?」
100年ほど前。僕の父上が生まれる前。現れた魔王を封じたのは、5人の賢者だったはずだ。父上が生まれるまで、魔王は封印されていた。
ゲンさんはその子孫の一人だということだろう。
ゲンさんは難しい顔をして、湯呑を見つめる。
「今回の騒動で、先代らがしたように、わしらが責任もって魔王を封印した。…じゃが……」
「……なんですか?」
「…この話は、後にしよう。手当てが終わったなら、少し休みなさい。城の様子は酷いものじゃった。逃げてきた君が何を見て来たか……」
悲し気に目が伏せられた。僕を取り囲む村人たちも、暗い雰囲気になる。
酷いもの…。
昨日の魔物たちが人間を襲う場面、死体が転がった通路、泣き叫ぶ女、怒鳴り散らす男、怪我して動けない老人、母親を呼ぶ子供、祈る神父様。それらが全て、フラッシュバックした。
吐き気がして前屈みになる僕の肩を、ハルさんが抱いてくれる。
優しい母の体温が懐かしい。
どうして…。どうしてですか? 母上。
どうして…。
父上が何をしたのですか? 父上は…。
……父上、は?
「…ゲンさん…、父上は…? 勇者は?」
ゲンさんが顔を歪めた。
……あぁ……どうして……。
悲しい。悔しい。辛いのに。
涙は出てこない。多分、まだ僕は実感がないんだろう。
だって母上と父上は、昨日も楽しそうに会話をしていたんだ。僕たちと一緒に剣の特訓をしたし、魔法の練習に付き合ってくれた。
母上が父上を殺すなんて、そんなこと……。
「……少しだけ…散歩へ行ってきてもいいですか? 外の空気が吸いたい」
僕を止める人は誰もいなかった。
外に出ると、遊び回る子供と田畑で仕事をする大人。つい昨夜まで見ていた魔物の姿は、何処にもない。違和感がある事自体、この村の人たちからすれば、可笑しいんだろうか。
昔、外の町から来てくれた家庭教師の先生が、城下町や城に人間とともに住まう魔物を見て、酷く怯えた反応を見せた。そして、教えてくれたのだ。
人間と魔物は、本来相まみえない生き物なのですよ。
そりゃあ、野生の魔物は野蛮で怖いけど、でも、人間と魔物だって会話が出来て理解し合うことだって出来る。父と母、勇者と魔王の結婚で、大きな国では優しい魔物を受け入れる計画が進んでいた。
来年、居場所を失った優しい魔物たちが、五つの王国で受け入れられるはずだったのに……。
……どうして…母上…? どうしてですか…?
「……あれ?」
気づけば、森の中に入っていた。まずい、戻れなくなるかも…。きょろきょろと見渡すと、湖が見えた。何気なくそこに歩み寄る。……凄く、綺麗な、湖だ。
なんだか疲れていたらしい。僕はその場に座り込んだ。
『大丈夫ですよ、アレス王子』
不意に思い出した声。……じいや…? ……あれ?
じい、や?
城を出るとき、じいやは、何処にいた? サクマに手を引かれた僕は、城を出て、それから…それから、どうしたんだっけ…?
サクマと一緒に走った。それは覚えてる。それで…それから…? サクマが保護施設にいるのなら、どうして僕は村の付近で倒れていたの?
……サクマは…
『アレス様、どうか、生きて下さい』
……燃える、城の方へ……戻って、
バシャンッ
水音にびくんっと肩を跳ね上がらせる。何もない静かな森の中に突如響いたその音に、顔を上げた。数メートル先に馬。その足元には、湖に手を突っ込んだ男の人がいた。