絵美 偶然のオプショナル
人との出会いは、驚きを運んでくれますね。
七日目(月)穏やかな晴れ
夜中に「ふぁ~ん、ふぁ~ん。」と大きな汽笛の音がしていたので、列車が止まっているかもしれないと、バンフの駅に早朝散歩に行くことにする。空気が澄み切っていて、少し肌寒い。朝風が歩いて火照った頬に心地いい。
バンフの駅は、道路・駅舎の周りの舗装された広場・プラットホーム・線路がずうっとフラットに繋がっていて、改札もなんにもない広々とした空間だった。後から聞いたのだが、列車が汽笛を鳴らし続けて走るのは動物除けの為らしい。ここに列車が止まっていますよーという合図じゃあなかったらしい。
早朝なので人の少ない道を住宅街の方からホテルに帰ることにする。クマ対策のされた開けにくいゴミ収集箱や小学校の運動場の側を走るリスや鳥などを時たま撮影しながら、フミくんと手を繋いでぶらぶら歩く。今朝は「おはよ〇バンフ」というサービスオプショナルツアーを申し込んでいるので、時計を気にしながら歩いて帰った。
オプショナルツアーの出発地点は、病院の側にある大きなホテルのロビーだった。
カナダは医療費が無料らしい。最初にその説明を聞いて驚いた。日本でそんなことをしたら国が潰れてしまうだろう。
街中を歩いて昨日私達が歩いたボウ川の方へ向かう。ガイドのSさんの説明によると、私達が昨日夕食を食べた店はメキシコ料理の店だったようだ。どうりでタコスのようなものが出て来たはずだよ。フミくんと一緒に苦笑する。ここアルバータ州で有名なステーキを食べようと思って入った店がメキシコの店だったとは・・・。最初の朝にこのツアーに参加しておけば良かったね。でも時差ボケと移動でヘロヘロの時に早朝ウォーキングは辛いのでやめたのだ。
ボウ川は、ロッキー山脈の氷河が溶けだした水で水量を増して勢いよく流れていた。この水はカナダをずぅーーーーーと流れていってネルソン川と名前を変え、ニューヨークのハドソン湾に流れ着くそうだ。なんとも長い旅路だ。長いと言えば、カナダを横に走る高速道路は7000キロメートル以上あって、世界で2番目に長い道だそうだ。これは日本からカナダに来る距離に匹敵すると言われて驚いた。あの長かった飛行機の時間を思い出してしまう。とてつもない距離だね。
ボウ川の滝を廻る散歩の途中で、ガイドのSさんに「モレーン湖かルイーズ湖かどこか一つでいいので湖を見に行きたいんですけど・・。旅行会社のオプショナルツアーは一日中かかるので疲れそうで辞めたんです。バス会社のツアーとかないですかね。」と相談したら、「バス会社のツアーも公共の交通機関もないんですよ。ガイドを雇うしかないですね。」とガイドさん仲間のパンフレットを見せてくれた。私達が求めていたツアーがある。でもお値段が・・・。「湖を二つ廻って250ドルは高いなー。」と躊躇していると、「おせっかいなようですけど、氷河や湖の氷が溶けてから二週間は湖が特別な色になるんです。一年の内で今がちょうどそのいい時期で、今日のこの天気だったら必ず山の稜線が綺麗に見えます。あの湖の色と山を一望に出来るチャンスはそうそうありませんよ。ガスって山や湖が観えなくても同じお値段を頂くんです・・。」とSさんが強く勧めてくれた。バンフに何十年も住んでいるガイドさんの言葉には説得力がある。「行こう!Sさん、お願いします。」フミくんが決断した。
私達がマリリン・モンローが映画を撮影した滝のほとりで写真を撮っている間に、Sさんはガイド仲間の人に連絡を取ってくれたらしく、「このツアーの後にホテルに車が迎えに行きます。昼食のお弁当を何か用意してホテルのロビーで待っていてください。」と言われた。
「何だかわくわくするね。」「うん。フミくん念願の湖だもんね。」
今日、この朝のツアー以外何も予定がなかった私達は、お土産でも買いに行く?と言っていたのだ。急に予定が出来て、気分が高揚する。
ボウ川の滝の所からこのツアーの最終地点になるザ・フェアモント・バンフ・スプリングスホテルに向かう林の小道の間に、急に15番ホールと書いた札とグリーンが見えて来た。なんとこんな一般道のほとりにもゴルフ場がある。Sさんによると川越えのコースだそうだ。・・・カナダのゴルフ場はどこにでもあるね。「ファー!」(暴飛打)の時にはどうするんだろう??
◇◇◇
ホテルに迎えに来てくれたガイドのYさんは、変わった経歴の持ち主だった。ファストフードチェーンで猛烈社員をしていて、家になかなか帰れなくて離婚してしまったが、親友の元カノの勧めでカナダで第二の人生を送ろうとガイドの資格を取った人だった。その元カノさんはこちらの人と結婚しているらしい。なかなか小説でもこういう設定はないよね。
乗り込んだのは普通のセダンの自動車で、私達だけがお客さんのようだ。これは自由が利きそうだ。
高速道路を走っている時に、道沿いに黒い動物が歩いていた。「今の見ましたか?! あれクマですよっ。」と言われて驚いた。こんなに自動車がビュンビュン走っている所にクマがいるんだ。「生態系を壊さないように、動物専用の橋があるんです。ほら、あそこの草の生えたトンネルみたいなところがそうですよ。一つ作るのに二億円かかるそうですけど、幾つもあるでしょ。」その【動物Path】は、高速道路を人間が自然の中に作ってしまってごめんねーと言っているようだった。
キャッスル・マウンテンやバビルの山と言われている変わった山々を観ながら車は走る。「今日は氷河がよく見えるなぁ。こんなにクリアに見えることはそうそうないんですよ。あれ、厚みが150メートル以上あるんです。あそこは夏でも溶けないんですよ。」Yさんがそう話してくれる。やっぱり思い切って来たのは正解だったようだ。
モレーン・レイク(氷河の泥)という名前は、イエール大学の登山隊のウォルターという人がつけたらしい。最初に発見した人は二人いたのだが、二人とも別々の名前をつけて発表したそうだ。しかしウォルターが「紀行文」を発表したため、一般的にウォルターのつけた呼び名が定着したらしい。ペンは強しだね。
モレーン・レイクの駐車場は車でいっぱいで、車を止める所がなかった。流石に人気のスポットである。Yさんが道沿いに自動車を止めに行っている間に、あまりにも綺麗な湖に引き寄せられて、フミくんと湖をバックに写真を撮っていたら、「辰野さん、こっちこっち。」戻ってきたYさんが呼んでいる。「みんなここからの湖だけを観て帰る人が多いんですよ。本当はこの山の上から見るのが一番お勧めなんですっ。」と細い小道を登って案内してくれる。Yさんが「みんな知らないんです。穴場なんですよ。」と言う通り、山道を登っている人は30人に1人ぐらいの少なさだ。
小山の頂上に着くと、そこには写真のように綺麗な景色が広がっていた。氷河を頂いた高い山々をバックに、エメラルドに輝く湖が静かに佇んでいる。
「「うわーーーーっ。」」「すごいっ!」「・・・綺麗。」
私達が感動していると、Yさんも側で感動していた。
「辰野さん、ありがとうございます!僕もこの色の湖の実物は初めて見ましたっ。それもこんなに山もはっきり見えるなんてっ。最高ですっ。」Yさんは、今日私達が観光に行きたいと言ってくれて感謝していたそうだ。この時期の湖の色を、この晴れ渡った日差しのもとで観た人はガイドさん仲間でもそうそういないらしい。あまりに嬉しそうだったので、こっちも嬉しくなってしまった。
「僕が持っている『死ぬまでに行きたい世界の絶景〇選』にカナダではナイアガラの滝とこのモレーン・レイクが2つ入っているだけなんですよ。辰野さんは今回の旅行で期せずしてこの2つを制覇されたことになりますね。」と羨ましそうに教えてくれた。Yさんはまだナイアガラには行ったことがないらしい。
レイク・ルイーズへは車で十五分ほどの距離だった。このルイーズというのはビクトリア女王の娘の名前だそうだ。ビクトリア氷河から流れて来た水で出来ている湖なので、レイク・ルイーズと名付けられたという。なんだか洒落ている。
ここの湖のほとりのベンチで、サンドイッチや果物でランチにする。ここの湖畔には大きなホテルもあり、モレーン・レイクよりも広々とした雰囲気だ。遊歩道の側の草原にはたんぽぽが咲き乱れている。雄大な景色を眺めながらゆっくりと食べたランチは贅沢な味がした。
帰り道に山火事の後を見た。これはタング(舌)=「お喋り女房」という名前の油分の多い樹が風でこすれ合って発火したのではないかと言われているそうだ。この山火事があった時にはバンフの町も煙で覆われたそうで、その時のツアー客の人たちは煙で何も見えなかったらしい。お気の毒なことである。しかし悪いことばかりではない。パインツリーの実はこういう山火事で永い眠りから覚めて芽吹くのだそうだ。自然って力強いね。
バンフの町の近くに帰って来た時に、列車の信号にかかった。「列車に出会ったら何両あったか数えてガイド仲間で自慢するんです。Yさんがずうっと数え続けた結果、なんと114両の長さだった!規模が違う。
Yさんにお礼を言ってホテルの部屋に帰った時には二人ともくたくただった。万歩計を見てみると15,000歩、歩いていた。Yさんにお土産屋さんの前で降ろしてもらって買い物もして帰ったのが堪えていたのだろう、二人ともベッドに寝転ぶと夕食も食べずに寝落ちしてしまった。
目が覚めたのが夜の11時。起きだしてシャワーを浴び、荷物の整理をする。二人でベッドに寝転んでいちゃいちゃごろごろするけれど眠れない。結局、3時にまた起きだして夜明けのティータイムだ。財布の外貨の残金を見て、今日の行動の相談をする。今日、帰国するので小銭は全部使っておきたい。空港に行ってからお土産を見てみようという事になった。
明け方にウトウトしながら、私は今回のカナダの旅路を思い出していた。
念願のアンの島に行けた。そしてたくさんの絶景の数々。何より出会った人がみな暖かかった。フミくんのこともより一層わかったような気がする。いい新婚旅行だったなー。
良い旅でよかったね。




