絵美 トロントへ
長い飛行機の旅の始まりです。
飛行機の搭乗は優先座席や障がい者の人から始まる。私達の座席番号はエコノミー席なので最後に呼ばれた。
映画館のチケットチェックのゲートのような所に立っているおばさんに、パスポートと航空券を見せる。
短い通路を通り抜けると、もう飛行機の中だった。
飛行機の入り口にいたスチュワーデスさんが「ボンジュール。」と乗客に挨拶している。思わず「ボンジュール。」と返した。しかし、機内は英語かと思っていたけれどフランス語なのだろうか? この嫌な予感は的中した。なんと設備の説明書きが全部フランス語なのだ。・・・さっぱりわからない。旅の会話集のポケットブックは英語の物を持って来てしまった。
カナダでは日本から来たと言えば英語で話してくれるが、思ったよりフランス語が幅を利かせていた。この後現地で旅行会社の人から説明を受けることになるのだが、イギリスが統治しているので、官僚的な上位層には英語を話す人が多いが、一般庶民はフランス語の人が多いそうだ。
カナダに住んでいる人は英語とフランス語の両方を話すなんて、感心してしまう。
ボ〇イング787のエコノミー席は、3・3・3席と横に九人が並ぶ構造になっているので、座席が狭い。私達の隣の席にも後から赤毛の若い女子学生さんがやって来た。名前は、ミランダ。大学生で、友人と一緒にアジア旅行をして来たらしい。最初はお互い遠慮してぎこちなかったけれど、この先の十三時間の寝食を共にすることになったので、飛行機を降りる頃には即席の家族のようになっていた。e-mailナンバーも交換して、後で一緒に撮った写真も送ることになった。
乗客には日本人が少なく、ほとんどが国に帰るカナダ人だった。
座席には一人ずつタッチパネルの画像システムがつけられている。前の座席の頭の後ろ側に後ろの座席の人が使用する画面がある。この画面で飛行機の位置情報、安全説明、等が全部伝えられる。そのうえゲームが出来たり、映画やミュージックビデオも観ることが出来るすぐれものだ。何百人も乗っている乗客全員が一斉にこのパネルを操作していて、よく電源が落ちないものだ。どういう仕組みになっているのだろう。
フミくんは、立体画像で飛行機が現在地まで飛んでいく映像が気に入ったらしく、何度もそれを再生している。ミランダは旅慣れているのか、直ぐに映画を観始める。私は到着地の観光映像と今日の気候状況などを確認した。なんだか二十一世紀になったことをひしひしと感じた。
機内食はとても美味しかった。日本から飛び立ったので、味付けが日本人向けだったようだ。
私はマヨネーズを使った大豆とゴボウのサラダが一番美味しかった。綾香から外国産のマヨネーズの味のことを聞いていたので、「このマヨネーズは、美味しいね。」とフミくんに言うと、「これは、成田で搬入してるやつだから日本のマヨネーズだろ。」と言われた。がーん、そうかぁ。フミくんは、地上でしっかり食べて来たからか、パックに入っていたキーウィー、リンゴ、オレンジのカットフルーツが一番美味しいと言っていた。そして、こういうところで出されるものにしては、コーヒーが美味しい。私は紅茶を飲むことが多いのだが、「一口味効きに飲んでみる?」とフミくんに言われて飲んだコーヒーが思いのほか美味しかった。カナダで泊まったホテルの部屋でもコーヒーは必ず置いてあった。カナダ人はコーヒーに拘る国民なのだろうか。
寝る時間になって機内の照明が落とされるが、皆さんまだ映画などを観ていらっしゃる。それはいいのだが・・・機内が寒い。フミくんとミランダがクーラーの調節をしてくれたのだが、まだ寒い。フミくんが上着を脱いで貸してくれた。それで人心地ついて安堵したのか、機内持ち込みの手荷物に小さくたためるカーディガンを入れたのを思い出した。フミくんに荷物入れからそのカーディガンを出してもらう。それを身に着けてやっと生き返った。トイレに行く時に見て見ると、日本人らしき人はみんな毛布を被って震えている。カナダ人たちは、平気なようだ。ミランダなどはカーディガン姿の私の隣で半袖のTシャツ一枚だ。
後で現地のガイドさんに聞いたら、ホテルでもその現象が見られるらしい。「彼らカナダ人は寒さに耐性のある遺伝子を持っているんでしょう。」と言っていた。他にも「カナダ人は暗いのも平気なので、照明がどこも薄暗いんですよ。」と言う。これは、私も後に身を持って経験した。レストランのメニューが暗すぎて読めなかったのだ。これからカナダに行く皆さんは、上着と携帯電気を忘れないようにした方がいい。
寒いのと狭いので寝心地が悪くてうとうととしか眠れなかったが、かえって現地時間に慣れやすかった。
カナダのトロントは日本よりマイナス十四時間なのだ。ここでトロントはと言ったが、カナダは国内でも時差があるので、旅行しているとおかしな気分になる。
そして州によって税金が違うのも旅行者には難易度が高い。そしてチップ制度がある。この三点で、旅行慣れした人でないと、攻略の厳しい土地だと思う。
私達はこの旅行中、物を買う度、何かを食べる度に、チップと税金に苦しめられることになる。なにか旅行者用のプリペードカードのようなものがあって、全部そこからチップと税金を取ってくれればいいのにと合理的な日本人としては思う。
長ーーい長い十三時間の飛行機の旅の後に、やっとトロントのピアソン空港に着いた。航行時間と現在地が表示されるタッチパネルの飛行航路を見ていると、カナダ国内に入ってからのほうが長く感じた。カナダは広大だ。
空港の出国手続きの所で、ミランダとは別れた。ビジターと現地の人では手続き場所が違うのだ。名残惜しかったが、また連絡を取り合いましょうと手を振ってさよならをした。この旅行で初めて会ったカナダ人がいい人で良かった。
搭乗出口には、旅行会社のWさんが迎えに来てくれていた。
ナイアガラフォールズまで、もう一組の年配のご夫婦、名古屋から来られた是枝さんと一緒に大型のワゴン車で向かうことになる。道々、Wさんが観光案内をしてくれる。
「このピアソン空港は、成田空港の三倍の広さなんです。広いでしょう。」と言われた時にはびっくりした。あの広かった成田の三倍?!それは、凄い。
道中、十車線・十車線で全部で二十車線ある高速道路を通った時には目がテンになった。高速が20車線だよ! 信じられる?!それも全部タダ。無料。フリーなのだ。
そして、車窓に見える海のような広大なオンタリオ湖が五大湖の中では一番小さいらしい。これにも驚く。ただ小さいと言っても幅が名古屋から東京ぐらいの距離である300km以上あるそうだ。
これから行くナイアガラフォールズも、九州ぐらいの大きさのエリー湖から段差がある土地に毎秒何トンという水が落ちて滝になっているらしい。是枝さんの奥さんが「そんなに水が落ちていってエリー湖は枯れないんですか?」と聞いていた。そうだよね。私もそう思う。「それが何故か枯れないんですよねぇ。」とWさん。
途中で、オンタリオ湖にも段差のある場所があった。ここでは、船を通すためにスエズ運河のような仕組みが取り入れられているそうだ。ドックのようなところに船を入れて、水位を変えてから他の湖に行けるようにしてある。何とも凄い。
湖の周りに葡萄畑が続いている。この辺りは甘いデザートワインの産地らしい。道理でフミくんがミランダに「ワインは辛口が好き。」と言った時に、ミランダが残念そうな顔をしたはずだ。
空港でのビールを飲んでいた団体さんの話をすると、Wさんが「カナダ人はビールとアイスホッケーが好きですからねぇ。」カナダでは、お酒を飲む時間や場所が決まっているらしい。ただ、アイスホッケーの試合がある時は別のようで、試合に熱狂するあまり学校を休みにして国民全員で試合を応援して、大人たちがビールをその時だけ飲めるように法律まで変えたそうだ。何という事でしょう。そこまでホッケーとビールのコラボが大事なのね。
ナイアガラフォールズのある街に着く。滝を観光するということなので、日本のようにくねくねとした山道を行くのかと思っていたら違った。普通の大きい道でそのまま街に入ることが出来た。この街は、夏場だけの街だそうだ。何万人と言うこの街の人口が、ほとんど観光業に携わっている人か世界各国から来た観光客らしい。夏にだけ現れる幻想のような街だ。
先に是枝さん夫婦の泊まられるホテルに行き、お二人と「お互いに、良い旅を。」と挨拶し合って別れた。そしてとうとう、私達の泊まるクラウンプラザホテルに着いた。ここは古いホテルだが、マリリン・モンローが映画を撮る時に泊まったことがあるという由緒あるホテルだ。
ホテルのチェックインに行ってくれたWさんがニコニコしいる。ポーターとWさんの二人で部屋まで送ってくれる。いやに丁寧だ。
「なんと辰野さんっ、今日お二人が泊まられるこの部屋は、マリリン・モンローが泊まっていた部屋なんですっ。」ジャジャーーンとばかりに、Wさんが高らかに宣言する。
「「ええっーーーー!!」」
フミくんも私も大声が出た。身体中に鳥肌が立つ。もう大興奮だ。
中に入ってみると、大きな部屋ではないけれどインテリアが落ち着いた懐古ヨーロピアンと言った感じだ。
ポーターさんの説明によると、バスルームは当時のままらしい。おおお、テンションが上がる。
二人だけになると、カメラで撮影会の始まりだ。ホテルの部屋をこんなに写真に撮ったのは初めてではないだろうか。
ベッドの脇には水辺で撮影された悩ましいマリリンの写真が飾ってあって、その隅にはマリリンのサインがしてある。
「1952.July」と読める。「生まれてねぇじゃん!!」とフミくんが叫んでいた。
二人で壁に掛かったマリリンと向かい合って、感慨にふける。ケネディ大統領との不倫や数多い離婚、こんなに純朴そうな色気のある綺麗な人だけど、彼女にもいろいろなことがあったんだろうなぁ。
この後出かける時に、なぜこの部屋がマリリンにあてがわれたのかがわかった。
部屋のドアのすぐ前が非常階段だったのだ。追っかけのファンやパパラッチから隠れて部屋に入ることができたのだろう。「有名人も大変だねぇ。」とフミくんと話した。
盛りだくさんな一日目がまだあるようです。
次回、もう少しお付き合いください。




