小学校低学年時代
小学生になった私は、毎日重苦しい日々を過ごしていた。最もネックだったのが勉強であり、特に算数である。
1+1を理解するだけで、私はとても苦労をして、クラスのみんなの笑いものになった。しかし、ただ単に1+1が分からなかった訳ではない。分からなかったというより、現在、心理学を勉強している私から言わせれば、あれは皆と少し考え方がずれていただけなのである。
「どうしてこんな計算もできないのですか?」と私の担任教師はいつも私に向かって怒号を上げた。たまに頭をたたかれることもあったほどである。体罰でないか?と聞かれても、私は軽く小突かれるくらいなら体罰ではないと言っておこう。しかし、1+1を2と言わないだけで、どうしてこんなに怒られるかが分からなかった。
例えば1個のミカンの皮をむいたとしよう。ミカンは1個であるはずなのに1つの個体から10個以上の個体が出てくるではないか。これを1+1を2と簡単に行ってしまってもいいものなのか。私はこれを小学校1年生から2年生までずっと考えていた。1+1=20にも、さらにその一つ一つの個体から出てくる粒まで考えれば、1+1=100でも1000でも10000でもなるかもしれないのだ。
算数の原理というものは全く分からなかった。これが影響してか、中学校までは全く理系科目はできずにテストでは10点以上を採ったことがなかった。高校生になってついに数学をやらなくてもいい、文系クラスに入った。しかし、これが数学というものを全く必要としない心理学の道に進む足がかりになったといえばその通りである。
そんな変わり者の私を担任教師は嫌っていた。三者面談では私の母に対してその教師は「窓際のトットちゃんみたいな学校はありません」と文句を言うのであった。確かに、心理学を学んだ今の私なら、自分の事を軽い発達障がいであると言えるであろう。しかし、母はその担任教師に対して毅然とした態度をとり続けた。
その教師は私に敵意をむき出しであった。「高見くんは頭が悪いからみんなで助けてあげましょう」とクラスメイト全員の前で言うのであった。それが影響して私は当然クラスの笑われ者になっていた。いじめもあったが、私は元不良上がりで喧嘩好きな父親を持っていたので、喧嘩の仕方だけは教えてもらっていた。それが幸いして、小学校2年生でいじめっ子7人にやり返しをしてまった。そんなこんなで、2年生以降はいじめられなくなった。
変わり者だけど凶暴。当然私には友達なんてできなかったが、1人だけ私の相手をしてくれるクラスメイトがいた。それは同じ町内に住み、集団登校でよく一緒になる女の子であった。元来、その女の子の両親と私の両親は仲が良く、小学校に入ってからはよく一緒に遊んでいた。後に中学校2年~高校3年までは私の恋人となる女の子であった。
その人に私はよく助けられた。「高見君をバカにするな!」と言って、男勝りの性格であったその少女は担任教師にも食って掛かっていた。要するに、その少女も変わりものであったのだ。
私はなんとかその担任教師が私の担任であった2年間を乗り切ることができた。幸いにも、その担任教師は私が小学校2年生になる時に、一部の児童との不仲があるということで、他の学校に飛ばされた。
数学ができなかった私は、高校までの勉強を必要としない大学では主席をとった。この担任教師を見返してやりたいという気持ちもどこかにあったと思う。そして、カウンセリングができる教育者を目指している私は、今、この教師に会ったら言ってやりたい、「窓際のトットちゃんみたいな学校作ってやるよ!」ってね!