第四十四話
「初めましてドイル君。私はウィンカル・フォン・グラディウス、婿入りしたから姓は違うけどアメリア姉さんの弟、君の御婆様の弟だからドイル君からしたら大叔父にあたるよ。よろしくね」
「お初にお目にかかります。アギニス家当主アランとその妻セレナの息子ドイルと申します」
淡い金髪は猫毛で、父と同じ碧色の瞳を細めて自己紹介するその人は、御爺様の部屋に飾られているアメリア御婆様の肖像画とよく似ていた。初対面だと言うのに何処か懐かしい気がするのは、彼と俺の血が繋がっているからだろうか?
ふわんとした不思議な空気を纏うグラディウス様を観察しつつ、俺も先日習ったばかりの挨拶をする。
名を名乗りながら右足を引き、右手を身体に添えて左手は横方向に水平に差し出す。軽く目線を下げ1、2、3、と心の中でゆっくり数えて頭を上げた後、気が付かれないように御爺様の斜め後ろにいるセバスにこっそり目を向ければ、満足そうに頷いていたので俺の挨拶は合格点だったのだろう。
満足そうなセバスにほっと息を吐きそうになった瞬間、乗馬鞭を指でしならせながら礼儀作法を指導するセバスの姿が思い浮かび、さらにピシリという乗馬鞭が机を叩く幻聴が聞こえた気がした為、気を引き締めてもう一人のお客様に向き直る。
セバスが武器として愛用している乗馬鞭を使われたことは無いが、ここで気を抜いて粗相した日には、ようやく終わった礼儀作法の授業がより厳しいものになって続行されるのは間違いない。
ほんわかした空気に危うく気を抜きかけた己を叱咤しつつ、グラディウス様達に向き直れば、感心したように護衛と頷き合うグラディウス様と目が合った。
「――――流石、公爵家の跡取り息子だね。綺麗な挨拶だ。でも、そんなに畏まらなくていいんだよ? 私は爵位では侯爵だし、君の大叔父だからね。気軽にウィン大叔父さんとでも呼んでくれると嬉しいな」
「承知いたしました、ウィン大叔父様」
「…………まだ少し他人行儀だけど、それは仕方ないかな? 今日が初対面だしね。そうそう。遅くなったけれど、こっちは今回僕の護衛をしてくれているオブザ。昔からの知り合いだけど本業は冒険者だよ」
「オブザです。俺は確かにグラディウスの知り合いだけど、何の爵位も持たないただの冒険者だから挨拶は必要ないよ」
「分りました。それでは簡略ですが、ドイルと申します。宜しくお願いします」
優しげに笑うグラディウス様改め、ウィン大叔父様が紹介してくれた人は、にぱっと笑い挨拶は不要だと俺に告げた。しかし、本人がただの冒険者だと申告していても、ウィン大叔父様と親しげな人をぞんざいに扱う訳にもいかないので俺は少し迷った後、軽く頭を下げて名を名乗った。
そんな俺を見て柔らかく笑いながら俺の頭を撫でたウィン大叔父様は、俺に断りの言葉をいれると食卓の端の席に腰かけ、俺とウィン大叔父様の挨拶を見守っていた父上に声をかけた。
「いい子に育ちましたね、アラン」
「はい! 自慢の息子です!」
「君とセレナさんの息子だからね」
「その上、ドイルはとても修行熱心なんです。この間だって、この歳で騎士達といい勝負しましてね。あっという間に俺なんか抜かれてしまいそうで、ひやひやしていますよ!」
「【雷槍の勇者】がそこまで言うのなら、将来が楽しみですね」
立ち上がり楽しそうに話す父上の言葉に、ウィン大叔父様は穏やかな笑みを浮かべながら相槌を打っている。そのまま二人は談笑しながら席に座り直した。
会話しながら流れるような動作で席についた二人は、離れていた時を埋めるかのように会話している。会話と言っても近況を話す父上に、ウィン大叔父様が相槌を打ちながら聞いているだけなのだが、その様子がまた面倒見のいいお兄ちゃんとその弟といった感じで、二人の間にある自然な空気に少し驚く。
一時期は一緒に住んでいたらしく、『兄上みたいなものだよ』と仰っていた父上のお言葉は本当だったようだ。
父上と親しげに話すウィン大叔父様の姿を見て、この人は本当にアギニス家の人間だったのだと納得する。同時に僅かに感じていた緊張が薄れたのか、ふっと肩の力が抜けるのを感じた。
いくら血縁者だといわれても、ウィン大叔父様は俺からしたら初対面の大人である。しかも父上が慕い、御爺様が可愛がっていた人となれば少々見栄を張り、好印象を持ってもらいたいと思うのが子供心というものだろう。
セバスの礼儀作法を頑張った甲斐があったな。
ドキドキしていたウィン大叔父様との自己紹介も無事終わり、談笑へと移った大人達を見て、己の役割を果たし終えたことを感じ取る。後はもうすぐ始まる昼食の席で粗相がなければ夕食までは自由時間だ。
折角父上と御爺様がいらっしゃるのに、お二人に槍を見て貰えないのは残念だが、今日は仕方ない。一人で出来る鍛錬は限られているがここで大人達の会話に付き合わされるよりはずっとましだろう。
それに鍛錬しなければスキルを得るもなにも無い。父上や御爺様が仰るには、何か切っ掛けがあればスキルは取れるようになるらしいので、長く鍛錬していればそれだけ切っ掛けになる動作をする確率も上がるだろう。となれば、一刻も早く何かしらの槍か棒術のスキルが欲しい俺には一分一秒だって惜しい。
長く鍛錬すればするほど、スキルを得る機会が多くなるのだからな。
今日こそはと気合を入れ直し、どんな鍛錬をしようかなと頭の中で午後の予定を組み立てる。そしてある程度午後の予定が決まったところで喉の渇きを感じた俺は、部屋の隅にあるサイドテーブルに近づいた。そして置かれていた水差しからグラスに水を注ぎ、一気に飲み干す。
その後、空になったグラスに半分ほどの水を注ぎ、少し離れたその場から改めて談笑する父上達を眺める。
「今日も雷槍を使ってドイルと鍛錬していたのですが、どうもドイルには雷耐性があるようでしてね。日に日に、持ち堪える時間が長くなっていってるんですよ! それに通常の防御力も高いようで、最近では普通の打撃だけでは意識を飛ばさないんです。今日だって腹部に渾身の一撃を入れてやったのに、吹っ飛んでから俺に目で訴えるくらい余裕があったんですよ? この間入った新米騎士を一発で落としたのと同じ攻撃だったのに」
「……それは凄いですね」
「最近はドイルとの手合わせが楽しみで仕方ないんです。俺はあまり家に帰れない分、会う度に腕をあげるドイルに驚かされていますよ」
「それはそれは」
ウィン大叔父様は肖像画の御婆様にそっくりで、俺と御婆様と同じ淡い金髪に、父上と同じ碧色の瞳をしていた。自国では外交官を務めているというだけあり、線の細い身体つきで正に文官といった感じである。ウィン大叔父様が紹介してくれた赤銅色の髪をしたオブザと言う冒険者の体格がいい分、なおさら細く感じる。
父上の話では今年で四十三歳になられるようだが、色白で白髪一本無い髪の所為か遠目で見ると父上と同じ位に見える。まぁ、近づいてみれば目じりの皺などが見て取れるので、四十三歳というのも納得なのだが。
ウィン大叔父様は肖像画を見る限りアメリア御婆様とよく似た容姿をされているが、後妻の子供らしく御婆様とは十歳離れているそうだ。御婆様が御爺様とご結婚なされた時にアギニス家の継承権を破棄されたり、他国に婿入りされた裏にはその辺りの込み入った事情もあったそうだが、詳しくは教えていただけなかった。
ただ、父上がお生まれになった時ウィン大叔父様は十二歳の少年であり、二十二歳で婿入りするまではよく遊んでもらったと父上は仰っていた。
「こうしてゆっくり言葉を交わすのは姉さんが生きていた頃が最後だね。多分、私の結婚式以来だから、アランが幸せそうで安心したよ。姉上が儚く亡くなられた時、既に婿入りしていた私は君の傍にいてあげられなかったから、とても心配していたんだよ? その上、数年も経たずにアランは勇者として魔王討伐の旅に出てしまうし」
「――ウィン兄さん」
「もしかして姉さんが亡くなった件で何かあったのか、何か心無いことを言われたのではないかと、私はずっと気を揉んでいたんだ。それなのに当のアランはようやく帰還したかと思えば、ちゃっかり当時国一番の美女と名高かった聖女セレナさんと結婚するというし。君から送られてきた結婚式の招待状と手紙を読んだ時には、私の心配は何だったんだ! と思ったね」
「…………その節はご心配おかけしました」
ウィン大叔父様の言葉に申し訳なそうに身を縮めた父上は、そう言って謝った。そんな父上に「冗談だよ」と笑いかけるウィン大叔父様の表情はとても柔らかった。
その表情に嘘や打算は感じられず、心から父上の幸せをウィン大叔父様が喜んでくれているのが伝わってくる。
お爺様が家督を継いだことや、ウィン大叔父様が態々他国に婿入りしたことなどを考えれば、血で血を洗うような間柄になっていても可笑しくないくらい複雑な関係であるはずなのに、本当の兄弟のように仲のいい父上達が少し羨ましい。
長い間遠く離れていたにもかかわらず、時間や距離を感じさせない二人の関係は一人っ子の俺には一生分らない関係だ。
「まぁ、なにはともあれ幸せそうで何よりだよ。アギニス家は優秀な跡取りもいるし、今のアランには何の心配もないね」
「ウィン兄上もお元気そうで安心しました。――――――ですが、俺にだって心配事くらいありますよ?」
「へぇ?」
「ドイルが日に日に強くなっていくものだから、父親の威厳を保つのに必死なんです。これでも簡単に抜かれないように、以前より鍛錬の量を増やしたんですよ? 色々努力しなければいけなくて大変です。俺にも父親としてのプライドがありますからね」
「………………どんな悩みかと思えば、随分と贅沢な悩みだなぁ」
「ははは! 国王陛下にも同じこと言われましたよ」
「それはそうだろう。子供というのは大人が『やりなさい』と強制すると、えてして反発するものだからね。ドイル君の年で、側で見張らずとも真面目に鍛錬をこなす子は珍しいよ。やんちゃ盛りの遊びたい盛りだろうに」
「ドイルは俺と御爺様の跡を継ぐと言って、張り切ってくれてますから」
「親孝行な子だね」
「俺とセレナの自慢の息子ですからね!」
「遠慮なく惚気るね、アラン。私はここ数か月、一人寂しく単身赴任中だというのに。少しは遠慮したらどうだい?」
「それは申し訳ない!」
嬉しそうに俺の自慢をする父上と、口では諫めながらも話を促すウィン大叔父様を複雑な気持ちで見つめる。
父上が俺を自慢してくれるのは嬉しい。けど――――、
何となく、笑みを浮かべて話す父上の顔を見ていられなくて、視線を落とす。
俺を自慢の息子だと仰ってくれた父上の言葉は本当に嬉しい。ウィン大叔父様が父上にとって大事な家族なのが感じられる分なおさら。
しかしだからこそ、そう言って貰える資格が本当に俺にあるかと叫ぶ声が己の内には確かにある。スキルの得られない俺の腕前は褒められるに値するのか、ただ単に父上や御爺様が親馬鹿、孫馬鹿なだけでは無いのか、と思うのだ。
父上や御爺様がこと戦闘において世辞を言うとは思わないが、未だにスキルを得ることが出来ない事と相俟って、その褒め言葉を素直に受け止めることが出来ない。
…………昔は、父上達の褒め言葉もただ嬉しかったんだけどな。
褒め言葉や、向けられる期待の眼差しが重いと感じ始めたのはいつからだったか。俺の事を嬉しそうにウィン大叔父様に話す父上の横顔を見ながら、ふとそんなことを思った。
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