第四十三話
ここからドイルの昔話に入ります。
ガン! ガン! ガン! ブンッ!
右、左、上、下と様々な方向から槍を打ち込み、薙ぎ払う。しかし、俺が繰り出した槍を父上はその場から動くことなく軽々止め、足元をすくうように振りぬいた槍はひょいっと跨いで避けられてしまった。
「次はこちらから行くぞ、ドイル!」
槍を振りぬき向き直った俺に、父上はバチバチバチッ! と槍を鳴らしながら叫ぶ。普段の甘ったるい猫撫で声ではなく、一人の武人としての声にピリピリと肌が震え、鋭い眼光と声に込められた気迫に一瞬足が止まる。
次の瞬間、目前まで距離を詰めていた父上は容赦なく、鋭い突きを放ってくる。降り注ぐ雨のように、途切れることなく繰り出される突きは速く重い。
父上と距離を取ろうと、槍を紙一重で躱しながら後退するが【雷槍の勇者】がそれを許すはずもなく。広がることの無い距離と、槍が掠る度に感じる僅かな痛みと痺れに本能が警鐘を鳴らす。
早く離れないと、押し切られる!
父上の射程距離から出なければと頭では分っているものの、実践するのは遥かに困難で。徐々に上がるスピードと回数にすり傷も皮膚一枚切るものから、血が滲み出るものへと深さを増していく。
現状を打破する為の策を、必死に頭の中で浮かべては消していく。チリチリと雷が肌を焼く感触が強くなるのを感じながらも、突きの猛襲をなんとかしのいでいるとバチバチと耳障りな雷の音がシンと、一瞬消えた。
そして次ぎの瞬間、腹に突き刺さるような衝撃と痛みを感じ、そのまま後方に吹っ飛ぶ。ビュッと耳元で風を切る音がしたかと思った時には、追い打ちをかけるように背中に強い衝撃を感じた。
「ドイルちゃん!」
背中全体に感じた衝撃と、熱を持ったようにジクジクと痛む腹に声も無く悶絶していると、側で鍛錬を見ていた母上が悲鳴じみた声で俺の名を呼びながら駆け寄ってくる。
「ドイルちゃん、大丈夫? 直ぐに治してあげるわ! ほら、痛いの痛いの飛んで行け~」
地面でうずくまる俺に、民間療法でよく使われる台詞を口にした母上に気が抜ける。しかし母上が如何に【聖女】と呼ばれる人であろうとも所詮民間療法の、しかも四、五歳児に使うような気休めの言葉では父上から喰らった痛みは引く訳が無い。
…………母上。そんな民間療法よりも先に、回復魔法をかけて下さい!
腹と背中を痛めている為、声を出す余裕のない俺は心の中でそう叫ぶ。しかし、そんな俺の心情が母上に伝わる訳が無く、母上は中々回復魔法を使おうとしなかった。
多分、先日行われた領民の子を持つ母親達との交流会でこのおまじないを教わったのだろう。
これはただの鍛錬なので父上は勿論手加減してくれている。その為、命に係わるような怪我は無いし、多分安静にしていればこの打ち身は一週間ほどで治るだろう。
しかし目の前に国一番の【聖女】がいて、一瞬でこの痛みと別れられると分っているのに、何故、痛みに耐えなければならないのか。
こんな時、少々天然でおっとりした母親に突っ込みを入れて軌道修正してくれるのはメリルなのだが、生憎今はお客様がいらっしゃるとかで、その準備に追われ家の中である。
まったく効かない母上の気休めのおまじないを聞きながら、俺が復帰してくるのを待っている父上に何とか視線を向ける。段々酷くなる腹の痛み悶えながら父上に目で必死に助けを求めていると、ようやく俺の異変に気が付いた父上が慌ててこちらに走ってくるのが見えた。
「ドイル!」
持っていた練習用の槍を放り出して走ってきてくれる父上の姿に、ようやく痛みから解放されると心の中で安堵した。
「ごめんなさい、ドイルちゃん。私、ただのおまじないだって知らなくって!」
「大丈夫です母上。おかげさまでもう何処も痛くありませんし、あの程度の怪我は鍛錬では日常茶飯事です。父上も手加減してくださっていますし、放って置いても治る怪我です」
「でも、痛かったでしょう? ごめんなさい」
しゅんと縮こまってしまった母上への対応に困り父上を見上げれば、苦笑いを浮かべながら母上を慰めに入ってくれる。
「ドイルが大丈夫だって言っているだろう?」
「でも……」
「誰にでも失敗はあるよ、セレナ」
「……アラン」
手を取り合い、熱く見つめ合う両親を複雑な気持ちで見つめながら、休憩用にとメリルが用意しておいてくれた布の上に座り、一人休憩に入る。
服はボロボロで汚れているが、今の俺の体は傷一つなく、痛みもなくなっている。普段ならば、痛みに弱くならないようにと父上の最後の一撃と背中の打ち身を治すくらいで鍛錬を再開するのだが、慌てた母上が惜しげもなく回復魔法をかけてくれたお蔭で、全快どころか鍛錬を始める前より体が軽く、快調である。
正直、母上がおまじないの言葉を口にしながら腹部を撫でてくれた時は、久しぶりに痛みに意識を持っていかれるかと思ったが、駆けつけてくれた父上のお蔭でギリギリ意識を手放さずに済んだ。
その際、何故父上が慌てて駆けつけてきたのか、まったく理解できていなかった母上は、駆け寄ってきた父上の形相にとても驚いていた。
そしてその後、父上の必死の説明により『痛いの、痛いの飛んでいけ~』という言葉と共に患部を撫でるのはただの気休めのおまじないであり、実際に痛みが引く訳では無いと理解した母上は、半泣きになりながら回復魔法をかけてくれ、今にいたる。
…………危うく、父上じゃなくて母上に止めの一撃を貰うところだったな。
打撲跡を撫でまわされるという苦行を思い出し、メリルが側に居ない母上の危険性を再認識した俺は、未だにいちゃつく両親を視界の端に収めながら、このまま今日の鍛錬が終わりそうな雰囲気にほっとする。
何時もならばここで軽い昼食をとって、そのまま夕方まで一緒に鍛錬するのが父上が休みの日の定番なのだが、今日はお客様が来るから晩餐があると言っていたので、多分もう少ししたらメリルかモルドが俺達を呼びに来るだろう。
ごろんと寝っころがりながら空を見上げる。
雲一つない青空に浮かぶ太陽がまぶしくて思わず手で目を覆った。瞼に触れた己の手の感触に目を開ければ、潰れた豆の所為でボロボロな己の掌が見え、思わずギュッと握りしめる。
………………また、何のスキルも手に入らなかった。
噛みしめた口の中に、僅かに広がる血の味を感じながら、今日の鍛錬を思い返す。父上が見せてくれた槍の連打や雷を纏わせた属性槍、棒術の一種であろう柄を使った一撃。いくら真似て槍を振っても、防いでも何のスキルも得られないのはどうしてなのだろうか?
父上や御爺様は鍛錬を続ければいい、一つ取得出来れば他もあっという間に覚えられるようになると仰ってくださっている。セバスやモルドやメリルや母上も大丈夫だと、俺が幼いからまだ覚えられないだけだろうと言うが、果たして本当にそうなのだろうか?
もうすぐ十歳の誕生日を迎える俺は、幼いと言うには無理があると思うのは俺だけなのだろうか?
これだけ振るっても一つもスキルを得られないなんて、もしかして俺は――――――。
「――――ちゃん。――ルちゃん! ドイルちゃん!!」
「っ母上?」
突然肩を揺さぶられ、ハッと思考の渦から戻ると母上が心配そうに俺を覗き込んでいた。どうやら考え事していた為、俺を呼びに来た母上の声がまったく聞こえてなかったらしい。
俺が母上を呼べば、不安そうな表情を浮かべていた母上はさらに顔を歪め、起き上がった俺の背に手をあてて、心配そうに体調を聞いてきた。
「ドイルちゃん。どうしたの? やっぱりまだ何処か痛むの?」
「いいえ。大丈夫です。何処も痛くなどありません」
「本当に? お客様が来るからって無理しなくていいのよ?」
「大丈夫です。ちょっと考え事していたので、反応が遅くなっただけです」
「考え事? 何か悩みでもあるの?」
心配そうに俺を起こした母上に、父上は一体何処に行ったのかと思えば、何時の間にか迎えにきていたモルドと何やら話しこんでいる。
どうやら報告を聞いているらしい父上に、助けを求めるのは無理そうだと判断し、母上に視線を戻す。何でも相談してね、といった表情で俺が考え事を打ち明けるのを待っている母上に、なんと答えるべきか悩む。
きっと、スキルが習得できず悩んでいたといえば母上は、大丈夫だと俺を慰めてくださるだろう。
しかし、今の俺はその言葉を聞くのが辛い。
母上が純粋に俺を信じ、大丈夫だと口にしてくれているのは重々分っているが、何の根拠も無い『大丈夫』という言葉は俺の中に、澱のようなものを積もらせる。
この不快な澱のような感情が溢れた時、俺はきっと酷い言葉を母上に投げつけてしまう気がするのだ。
「…………大したことではありませんよ。お腹が空いたからお昼は何かなと、考えていたんです」
「あらあら。それなら早く戻って、お着替えしなくちゃいけないわね」
静かに俺が話すのを待っていた母上は、俺の空腹を訴える言葉に朗らかに笑うと俺を立ち上がらせ、地面に敷かれていた布や水差しをテキパキと片付け始めた。
幼い頃から教会で過ごしていた母上は、民間のおまじないや常識には少し疎いものの、身支度や掃除は自身でやる教会の教えの所為か意外に片付けや洗濯はお上手だ。
あっという間に片付けを済ませ、大きめのバスケットに全てを収めた母上は満足そうに頷くと、父上とモルドを呼ぶ。
その声に丁度話し終わったらしい二人が此方に足を向けたのを見て、母上も荷物を抱えて父上達の元へ歩き出そうとしたので、引き留めて荷物を受け取った。
「お持ちします」
「まぁ。ありがとう、ドイルちゃん」
母上の手から少し強引に荷物を取り上げれば、母上は一瞬驚いた表情を浮かべたが、次の瞬間には柔らかく微笑んだ。
「ドイルちゃんは優しいわね」
「男が荷物を持つのは当たり前です。母上」
「それに男前だわ」
くすくすと笑いながら俺の頭を撫でる手がくすぐったくて、母上の手から逃れるように歩き出す。そして数歩歩いたところで母上を振り返った。
「母上。父上とモルドが待っています」
「今行くわ」
母上の手を故意に避けたことで傷つけたかなと思い声をかければ、母上はまったく気にした風もなく、むしろ何処か嬉しそうに笑っていた。
「きっとドイルちゃんは、アランより強くて男前な、素敵な勇者様になるわね」
ぱちんとウインクしながらそう告げた母上は「行きましょう?」と言って俺の背を押した。
その言葉と、偽りない母上の笑顔にまた澱のようなものが積み重なった気がした。
「セレナ! ドイル! そろそろ行かないと!」
「はーい!」
父上の言葉に嬉しそうに返事を返した母上に、背を押されながら歩く俺は、今浮かべているだろう表情を見られたくなくてバスケットを抱え直して顔を隠す。優しく俺の背を押す母上の掌の温度を背中に感じながら、俺は唇をグッと噛みしめた。
あと数十メートルもない父上達との距離の間に、浮かんでいるだろう表情を消す為に浅く呼吸を繰り返せば、顔に込められた力が徐々に抜けていく。
そして最後に大きく深呼吸をした所で、ふっと顔を隠していたバスケットが俺の手の中から無くなった。
「お疲れ様。重たかったかい? ドイル」
「これくらい大丈夫です」
「そうか」
俺の手から取り上げたバスケットをモルドに渡しながら、俺の頭を撫でた父上に笑みを浮かべて答える。そんな俺を見て、行こうかと歩き出した父上と隣を歩く母上、その斜め後ろを歩くモルドの後を俺も追う。
もう到着しているらしいお客様の話をしながら、楽しそうに歩く両親の後を歩く俺の頭の中には、先ほどの母上の言葉がグルグルと回っていた。
『きっとドイルちゃんは、アランより強くて男前な、素敵な勇者様になるわね』
本当に俺は、【槍の勇者】になれるのですか、母上。
己よりもずっと大きい両親の背を追いながら、俺は心の中で母上にそう尋ねた。
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