第二百五十一話
武器を握り向かい合う俺達を煽るように、風がザァと音を立てながら吹き抜ける。
それが合図だった。
聖刀と漆黒の剣が合わさり、世界を割るような音が荒野に鳴り響く。
この戦いに駆け引きは必要なく、小細工など無意味。
どちらかが力尽きるまで力をぶつけ合うだけだと互いに理解しているからこそ、俺がスキルや魔法を使うこともなければマリスが眷属を創り出すこともないまま、ひたすら斬り結び続ける。刀身がぶつかり合う度に互いの魔力が反発し、爆ぜて空気を震わせていた。
この世界が求めているのは始まりか、終わりか。
その答えの先に自身の存在意義があると信じ、命懸けで問いかけんとするマリスの剣は鋭く、重い。
剣戟によって土煙が上がる中その懐に飛び込まんと俺が踏み込む度に大地が白く染まり、軽やかに避けたマリスが地面を覆う霜柱を踏み砕く度にインクが滲むようにじわりじわりと赤黒い色が広がっていく。
それは陣取り合戦をしているようであり、釣り合っている天秤を己の方へ傾けんと錘を積み上げているような気分だった。
――皿に載せている錘は互いの命、ってところか?
迫るマリスの剣をはじき返しながら、我ながらくだらないことを考えたなと心の中で一人ごちる。
刀と剣が絶えずぶつかり合い、鳴りやまぬ魔力の爆ぜる音や斬撃が地を割る音などで煩くて仕方ない状況のはずなのだが不思議なことに俺の体は静かだと感じていて、山脈の向こう側の話を聞いていた時の動揺が嘘のように心も凪いでいた。
それはようやくマリスという男を理解することができたからに外ならず。何を考えているのか、何を見つめているのかわからないと思っていたマリスの頭の中はなんてことなく、ただ俺と同じことを思い願っていたのだと知ったことである意味気が抜けたからなのだろう。
この世界で生きる意味。
世界の祝福を持ち勇者の資格を授かった俺と災厄の象徴である魔王たるマリス、対極の位置に居るはずの俺達が狂おしいほどに求めたのは奇しくも同じものだった。
故に身を焦がすような焦燥や渇望、ジリジリと己を塗り潰していく不安や恐怖、それらからいかなる犠牲を払ってでも解放されたいという願いもこのような運命を与えた世界を呪う気持ちも痛いほどよくわかる。
もっと別の形で出会えていたのなら、わかり合えたかもしれないと感じるほどに。
背後から迫る白刃の下を潜り抜ければ、マリスは俺が避けることを予期していたように剣を振った勢いのままクルリと回る。その隙に今度は俺が死角から聖刀を振るうが、容易く受け止められた。
まぁ、そんな気はしてけどな。
互いに刃を弾くようにして一旦距離を取るも、剣戟はすぐさま再開される。
思考や感情を共有しているようなこの感覚は、命を削り合う運命にある勇者と魔王だからなのかもしれない。そんな考えが、マリスの心情や考えを理解できても手を取り合うことは出来ないのだという確信と共に、刃を交える度に深まっていた。
内に抱く苦しみや渇望が手に取るようにわかる所為か、マリスがとても近しい存在であるように感じられるのだが、決して慣れ合うことは出来ない。
俺が勇者となる資格を得た者であり、マリスが魔王の力に目覚めた者であるが故に。
マリスの渇望は俺を殺して世界を終焉に導く者となるか、魔王として戦い敗れ勇者の栄華を確立するための礎になることでしか満たされないのだ。
求めたものも世界の指針となる存在という点も同じであれど、示す先は真逆。俺達は酷似しているが鏡のこっち側と向こう側に立っており、己の目指す世界を実現させるためには一方を壊すしかない。
そう理解できてしまったからこそ悲しく、聖刀を握る手に力が籠った。
だって俺は知っている。
命を燃やし努力したところで報われぬ現実への絶望は底知れないことも。
優しいだけの言葉などなんの慰めにもならないことも。
甘言に浸ったところで夢はやがて覚めて惨めさが増すということも。
同情や憐憫はなんの足しにもならず苛立ちが募るだけであることも。
飽くなき渇望は世界や己が運命を呪ったところで癒されることないことも。
それらの気持ちすべて、よく知っていた。目を背けたところで忘れられない渇望に苦しみ、絶望した果てに抱く願いも、よくわかる。
誰でもいいから諦める術を教えてほしい。
できぬなら。
いっそのことすべてを終わらせてくれ。
俺が在りし日に抱いた想いと同じものを抱えにこの戦いに至ったというのなら、ここで決着をつけぬ方がマリスにとって地獄であるに違いない。中途半端な答えなど要らぬと言外に告げたその気持ちもよくわかる。
マリスはきっと俺と同じ弱さを抱えているのだろう。
望むは、この世に存在する価値があるのだと証明してくれるもの、ただ一つ。
それは自分で見つけるしかないものである。どれほど地位や名誉を得て、愛や憎しみを抱き与えられようとも己が納得できなければそれは証拠になりえない。
しかし俺は生きているだけで価値があるのだと自己肯定できるほど心強くなく、己以外の中に明確な形でそれがないと認められなかった。
お爺様や父上が受ける称賛や期待や羨望を見てきたから、なおさら。槍の勇者に成れないとわかっても、残ったものだけでは満足できなかったのだ。槍の勇者と同程度の価値を何処かに見つけないと、生きていてはいけない気がしていた。
それは被害妄想にすぎず、弱く汚い心が見せた幻影。
一瞬にして命やそれまで築き上げてきたものすべてを失くした前世を思い出したことで残されたもののありがたみを噛み締めることが出来たが、あの出来事がなければ俺は変わることなどなかっただろう。そう断言できる。
何故なら、俺は周りから槍の勇者となるよう求められ、血筋も含め父上やお爺様のように在れるだけの条件や可能性が揃っていた。なかったのは聖槍を握る資格だけ。槍さえ扱えれば夢叶いそうだったから、過去の俺はいつまでも諦められなかった。
マリスは逆だ。
一族を率いる王としての力に目覚めていたのに、取り巻く環境がそう在ることを許さなかった。
思い出すのは、皆を捨てたと呟いたマリスの姿。
大戦の記憶新しくその栄華を知れば知るほどに、魔王となった他種の生き様を見る度に、己も一族の王として在ることを望んだんだろう。しかし守り率いるべき者達は座り込んだまま。王と向き合うことなく、害にもならなかったが故に思い切って一から作り直すほどの憎しみを抱くことはできず、ただ魔王の力と才を持て余した。
資格と環境。
いっそどちらもなければ夢抱くこともなく諦めも付いただろうに、中途半端に片方だけ手の中にあったから欲が出た。もしかしたらという淡い期待が残り、こうありたいと思い描いた姿を捨てきれなかったのだ。
欲深く弱い心が己を苦しめる。
俺は死んで新たな生を得たことを思い出すまで、その苦しみから逃れることが出来なかった。
故に、命懸けで一族の王に代わる存在意義を欲すマリスを否定することなどできない。
――いや。したくない、という方が正しいな。
間近に迫った剣を渾身の力で払いのけて斬りかかれば、マリスはステップを踏むかのように身を翻す。
聖刀と漆黒の剣が交わる度に高まる鼓動と熱が、雌雄を決する運命の時が刻一刻と近づいていることを知らせていた。
聖刀を振り下ろせば、掬い上げるように動いた漆黒の剣によって止められる。
突き出された剣を避けつつ刀を突き出せば首を傾けることで回避され、互いの頬によく似た朱線が走る。
踏み込み放った一閃から逃れるように右に飛んだマリスが体勢を整えるなりお返しといった様子で斬りつけてきたので、俺は左に飛んで避ける。
そうして空いてしまった距離を詰めるべく跳んだのは、同時だった。
聖刀と漆黒の剣がぶつかり、二人の魔力が爆ぜる。
爆風が互いの色に染まった地を抉り、天を覆う雲を割った。
飛び上がる地面の欠片や、差し込む陽光がひどくゆっくりと動いている。ふわりと舞い上がったマリスの髪が照らされ、一本一本が赤く輝いていく様がはっきりと見えて綺麗だった。
恐らくマリスも同じ感覚なのだろう。
言葉を交わさずとも俺を映し僅かに細められた瞳が、聖刀と漆黒の剣が織りなす光景を焼き付けているようであり、この時を惜しんでいるように見えた。
それは終わりを感じた互いの惜別の念が与えた、束の間の休息。
相手の得物を弾いた勢いで一旦飛び退いた俺とマリスが再び地に足をつけた瞬間、世界は急速に動き出す。
土煙を立てながら着地から最短距離で踏み留まった俺達は互いを見据えて柄を握り締めると、ありったけの魔力を込めた。
白く清らかな光を放つ聖刀を手に俺が踏み出し、血のように赤黒い光を放つ漆黒の剣を握ったマリスが地を蹴る。
最後の一歩を踏み込み、腕を振り抜いたのは同時だった。
聖刀と漆黒の剣が呼び合うように交わり、世界が壊れるような音が荒野に鳴り響く。
砕けたのは漆黒の剣だった。
互いの色で分かたれていた大地が瞬く間に白く染め上げられ、晴れた空から降り注ぐ陽光が凍りついた空気をキラキラと輝かせる。
その只中に立つ俺の視線の先にあるのは、眩しそうに天を仰ぐマリスとその周囲を染め上げる赤い血。
「――この世界は、俺にちっとも優しくない」
ポツリとそう零したマリスの顔に浮かんでいたのは、安心したような笑みで。
白い大地に沈み行く姿に自ずと足が動き、その体を抱き留めようと腕が伸びた。
しかし俺の腕が触れることは叶わず、形を失い灰のようになったマリスは風に攫われてサラサラと散っていく。
その光景に込み上げる感情を、なんというべきか。
残った衣服がふわりと腕にかかってなお俺は灰となったマリスから視線を逸らすことが出来ず、輝く空気と共に風に踊りやがて見えなくなっても立ち尽くしていた。
それからどれほどの時が経ったのか。
陽光を浴びた大地が本来の色を取戻し、頬を撫でる風が温くなった頃、存在を主張するようにバサリと竜翼を鳴らしながら降り立ったアストラが俺を見下ろす。次いで中身のない服を腕に抱いたまま茫然としていた俺を映した金の瞳がスッと細められ、ゆっくりと諭すような声が頭上から降り注いだ。
「聖刀の効果だろう。勇者の持つ聖なる武器で斬られた魔は浄化され地に還ると聞く」
「……そうか」
聖なる武器にそんな効果があるだなんて、はじめて知った。
深淵の森に連れて行ってくれた時、お爺様はすでに聖槍を譲っていたし、近衛騎士である父上は王の護衛が主なので魔獣と戦っているところを見たことがなかった気がするので、その所為かもしれない。もしくは魔王が相手だったから、跡形もなく朽ちてしまったのか。
そんなことを考えながら、俺は腕に残った衣服に視線を落とす。
生き足掻いたマリスへの尊敬や境遇への同情、行動原理への共感や多くの人を巻き込んだ怒りなどが渦巻く一方で勝利した安堵と虚無感、遺体さえ残らぬことへの悲しみなどが込み上げて来て、心の中はグチャグチャだった。
せめてもの救いは、マリスが最後に浮かべていたのが笑みだったことだろう。
――不満を零しつつも、安らかな表情だった。
ようやく終わったことへの安堵か、聖刀を持つ俺に倒されたことで納得できたのか、はたまた別の理由かはわからないが、後悔に満ちた顔や苦悶を浮かべられるよりは心情的に救いがある。
「ドイル。あれほどの激戦、身も心も疲れているだろうが休むなら我の背にしてくれ。あまり時間が残っていないようだ」
「ああ」
そう語りかけるアストラに俺はこれで終わりでないことを思い出し、握りしめていた聖剣を鞘に収めた。次いで残った衣服をどうしようかと逡巡し、一先ず持ち帰るべくまとめようとしたその時、俺は違和感を覚え再び広げる。
手に触れた布ではない感触の正体を探せば乾いた何かが指に当たったので、そっと摘まみ慎重に取り出せば服の中から白くなった一本の枝のようなものが顔を覗かせた。枯れているのか軽く乾いた触り心地のそれを折らないよう、優しく引き抜けば箸のように頼りない細さだった。先端が切断されたような形状だったのでさらに布の中を探ればもう半分も見つかり、俺は先ほど戦っていた相手を思い浮かべる。
――ドライアドの魔王。
元来ドライアドは木に宿る精霊を指す。となればこの白く細い枝のようなものはマリスの本体なのだろう。鋭い刃物で斬ったかのように真ん中辺りで綺麗に切断されているしな。
そう思い至った俺はマリスだっただろうそれをこれ以上傷つけないように細心の注意を払いながら服で丁寧に包み、亜空間にそっと仕舞った。
マジェスタに帰ったらどこかに名を刻んだ墓を建ててやろう。
ドライアドが好むような、温かな陽光が降り注ぎ清らかな水が流れる肥沃な地に。
「どうしたドイル?」
「なんでもない」
不思議そうに尋ねたアストラにそう言って首を横に振ればそれ以上問われることはなく、大きな黒竜の身を俺が乗りやすいように荒野へ伏せてくれる。
しかし黄金色の瞳は鋭く山脈がある方角を見据えていた。
「そうか。なら急ぐぞ」
「ああ」
アストラの言葉に応えその背に飛び乗れば、僅かな揺れと共にグンと目線が高くなり大きな竜翼がバサリと鳴る。
次の瞬間、黒竜が大空へと舞った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




