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甘く優しい世界で生きるには  作者: 深/深木
本編(完結済み)
250/262

第二百五十話

 天空へと帰る黒竜には目もくれず俺を捉える紅玉の瞳に、地下牢での出会いを思い出す。

 あの日からおおよそ一年。

 マリスのことを忘れた日などなく、姿なき姿を追い続けた。

 そうして再び顔を合わせることになったここは、父上が勇者としてその名を轟かせることになった最たる場所。偶然、なんてことはありえない。

 俺のそんな考えを肯定するように、マリスがゆっくりと口を開く。


「ここがどのような場所かわかるか?」


 そう問いかけるマリスは変わりないように見えた。

 しかしその姿を視界に収めた時から俺の心はざわめいている。体の内から湧き立つこの言い知れぬ感情はなんと名づけるべきなのだろう。

 高揚、焦燥、歓喜、不安、もしくはそのすべてが渦巻いているような不思議な感覚に、父上がこの地に立った時もこんな感じだったのだろうかなどと考えながら、俺はマリスの質問に答える。


「蟲の王と呼び恐れられた魔王が雷槍の勇者によって倒された場所だろう?」

「その通り。彼の魔王を討伐すべく旅したことで雷槍の勇者と聖女は絆を深め、その功績をもって結ばれた。そう考えるとここはお前が生まれる要因となった場所でもある」


 満足そうに頷いたマリスはそう告げると次いで俺の腰にある聖刀へと視線を落とし、目を細める。その顏に浮かぶ表情はなく、マリスの胸中を推し測ることは出来なかった。

 

 ここが、俺の生まれる要因となった場所……。


 俺とマリス以外いない荒野を見渡し、その言葉の意味を考える。

 魔王討伐の最中に父上と母上が出会い、旅をしているうちに互いを想い合うようになり、その功績をもって大神殿から聖女を連れ出して娶ったことを考えれば、マリスが言う通り俺が生まれるきっかけとなった場所とも考えられるのだろう。しかしそれをわざわざ俺に伝え、この場所を選んだ理由を理解させたことにはどんな意味があるのか。

 それを知るためには、もうしばらくマリスと言葉を交わす必要がある。


「だからここに俺を呼んだのか?」

「そうだ。勇者と魔王の因縁を礎に産み落とされた、この世界に愛されし者。お前に問いかける舞台としてふさわしい、始まりの場所だ」


 どうやら俺に何か聞きたいことがあるらしい。

 いや、今マリスは『この世界に愛されし者』と言っていた。ということは俺にというよりも【世界の祝福】を授かりし者にということなのだろう。もしくは聖刀を気にしていたので【勇者】に用があるのかもしれない。


 どちらにしても俺に答えられることなんてないんだが……。


 世界の祝福は神々や精霊の力を貸してもらい易くなり、基礎ステータスの強化があるだけだし、聖刀を得たばかりの俺に勇者としての自覚は今一つである。聖刀を得た時に世界の記憶らしきものを垣間見たがそれだけだ。特別な知識を得たわけではなく、母上や大神官様のように神託を賜るスキルもないので神々に問いかけることもできない。

 勇者と魔王は必ず巡り会うものだと言っていたマリスの方が、俺よりもよほど色々なことを知っているはずだ。

 その証拠に、マリスは俺が知らぬ情報をスラスラと口にしていく。


「【勇者】が希望の光であり繁栄の兆しをもたらす者であるなら、【魔王】は破壊の申し子であり命の終焉を告げる者。勇者と魔王が入れ替わるように栄華を謳歌することで、この世界は再生と破壊を繰り返しているのだろう。一種の自浄作用というべきか……とはいえ、その行為の必要性は神々にしか理解できない領域にある事柄故、さして興味はない」


 ならば何に興味があるというのか。

 そんな気持ちが顔に出ていたらしく、マリスは俺を見て小さく喉を鳴らす。


「意図するところがわからない、といった顔だな」

「……ああ。俺はずっとお前が何をしたいのかわからないからな。一体お前は何を求め、何処を目指しているんだ?」


 俺の言葉を耳にしたマリスは口角を僅かに上げて、目を細めた。その顏は穏やかに微笑んでいるように見えて、状況と不釣り合いな表情に俺は誰かに喉を掴まれているような錯覚に陥る。


「それを問いかけに来たのだ」


 ザァと吹き抜ける風が俺とマリスの髪を攫う。

 続いて乾いた大地から土煙が舞い上がる中、逸らされることのない紅玉を見つめ返しながら俺の頭を巡るのは今しがたマリスが口にした台詞だった。


 ――マリスは俺に一体何を期待しているんだ?


 脳裏を過ったそんな考えに、俺は今しがた感じた息苦しさの正体に気が付く。

 マリスの視線に込められているのは、両親やお爺様やグレイ殿下や周囲の人々が幼い俺へ向けていたものと同じ、押し潰されそうなほど重たい期待。勿論そんなものをマリスから向けられる理由など知る由もなく。気を抜けば矢継ぎ早に問い詰めてしまいそうなほど荒れ出した胸中を落ち着かせながら、俺は会話を遮っている風が止むのを待った。


「――知っているか? ドイル・フォン・アギニス。フォルトレイスや獣人の国々を越えた先にある山脈の向こう側では、お前が討ったマーナガルムやアラクネが亜人達と共存していることを」


 風が止み、会話の再開と共にもたらされたその情報に息を呑む。

 竜の国がある山脈の向こう側は人間にとっては未知の領域。エルフも暮らしていたというそこにはドワーフやハーフリング、人とよく似た姿形をした魔人と呼ばれる種族の国々があるそうだが人間には過酷な土地であるため詳しく調べた者は居らず、伝承やこちらに顔を出す亜人達から聞いた話をまとめたような不確かな知識しかない。

 故にマリスの言葉を嘘だと一笑に付すことは出来ず、俺はなんとも言えない感情が胸に広がっていくのを感じた。


「仲間を喰わぬと誓うことでマーナガルムの群れは移動手段の一つとしてハーフリングの国などで受け入れられ、服飾の才を開花させたアラクネ達は数多のハーレムからなる国を築き、お前の父が討ったムカデの王と同じ種は各国で土地を均すのに一役買っている」


 マリスの言葉に耳を傾けながら脳裏に浮かべたのは、この喉元を食い千切らんと牙を剥いたマーナガルムの咆哮と一族の栄華を夢見て邪魔者を消さんと三叉槍を振るうアラクネの怒声。

 マーナガルムやアラクネとの戦いを何度振り返ろうとも、選ぶ結末は変わらない。彼らの繁栄の果てにマジェスタの危機がある以上、この身や大切なものを守る為に俺は必ずやその命を奪いに行くだろう。

 そこに後悔はなく、彼らの生き様を哀れむこともない。一歩間違えばすべてを失っていたのは俺の方なのだから。

 しかし人間の国々の只中に産まれなければ彼らも平穏に暮らすことが出来たのだという事実が、固めたはずの意思に俺の行動はあれで本当に正しかったのかという一滴の疑念を落とし、罪責感が波及する。


「彼奴らは皆、人間や亜人を喰うが同族以外の魔獣も餌として喰らうからな。言葉の通じぬ魔獣を主食とすることで、他種族との共存共栄を可能にしたんだ」


 波立つ自身の感情に魔の者の言葉にあまり聞き入らない方がいいというアストラの忠告を思い出したが、ここまで来て耳を塞ぐことなんてできるわけがない。一抹の恐怖を押し込めて湧き立つ知識欲のまま未知の世界について語るその声を逃さないように集中していると、ふっとマリスの口調に変化が訪れた。


「しかし、俺達にはそれができない――なぜなのかは、お前も知っているだろう?」


 これまでの言葉は共存を考えることなくマーナガルムやアラクネを斬った俺への非難かと思っていたが、マリスのその問いかけに考えを改める。そして共存共栄を果たした他種への羨望か、それが叶わぬ一族へ生まれたことへの憤りからかは知らぬが、微かに熱が籠った声で紡がれたこれが本題かと思い、身構えた。

 しかしマリスにそれ以上の変化はなく、こちらの返答を待つことなく再び語りだそうとする姿が結論はまだ先にあるのだと物語っていて俺は困惑する。


「我らの喜びは他者の悲しみで、他者の不幸こそが我らの幸福だからだ。つまり、他種族と手を取り合うことは、我々の一族にとっては永遠に満たされない生に甘んじると同意義。故に先人達は他種族が住まう国々へ災厄を振りまき、己達の欲求を満たすことを選んだ。そうできるだけの力がまだあったからな。しかし失敗し、強い力持つ者達を失った。そうして戦う力を失ったからこそ、今を生きる同胞達は穏やかな終焉を望んでいる。それは決して、過去の悲劇を悼んだからではない。満たされた人生を諦めるしかない現実から、己が心を守るために綺麗ごとを語っているだけだ。今を生きる同胞達にも他者を圧倒できる力があれば、先人達と同じ生き方を選んだはずだ。人間や数多の種族が過去におびただしいほどの血が流れた歴史を知りながらも、いまだ戦を繰り返すように」


 他者を蹂躙することを肯定したいのか、戦おうとしない己が一族の現状を嘆いているのか、それともまったく違う結論に辿り着くのか。淡々と告げられる言葉からは、マリスが一体何を俺へ伝えようとしているのかまったく想像できなかった。

 しかしその答えは突然もたらされる。


「繰り返される過ちを愚かだとは思わない。植物も動物も魔獣も人間も亜人も、俺達だって同じ。この世に生きとし生けるものすべて、己が種族の繁栄を目指すことを根底に創られたのだから、争い血を流すことにもきっと意味がある。しかし、同族達は諦めた。戦い奪い充実した生を望み栄えることを。ならば、彼らの王として生まれた俺はどうすればいい?」


 凪いでいた瞳が目に見えて怒りに染まり、紅玉が赤々と輝く。


「山脈の向こう側の話を聞いて、お前はその手で斬ったマーナガルムやアラクネを哀れだと思ったか? 俺は思わない。あいつらは魔王として一族の者達から崇められ、己の種の繁栄のために戦い散ったのだから。夢叶わなかったのは奴らがお前よりも弱かっただけのこと。故に人の国を乗っ取れなかった。それは弱肉強食を常とするこの世界では致し方ない。負けた悔しさはあるだろうが、王としてさぞかし充足した生であっただろう」


 そう言い切ったマリスから溢れ出した魔力は肌を焼くように熱く、その胸中に押し込められていた感情を物語っているようだった。


「共存共栄できれば楽ではあるが、本来の目的を考えれば他種族と共存する必要などない。故に己が生まれた種族を嘆く気はない。同族達が望んでくれれば、それだけで王となるべく生まれた俺の命には意味がある。しかし彼らは王に率いられることを望まず、俺は途方に暮れた。従い、共に戦うというのならば我が力すべてで立ちふさがる敵を血祭りにしてやったし、他種との争いを恐れるあまり俺に怯え憎むような不出来な同族であったならば、反逆の徒として容赦なく屠ってやっただろう。しかし皆はどちらも望まず、ただ慈しまれるだけの俺はずっと生殺しにされている気分だった。だから皆を捨てたのだ」


 俯き呟くその表情は窺えなかったが、俺はここにきてようやくマリスという男を見た気がした。そしてその行動の根底にあるものも。

 

 冠を被り損ねた王――。

 

 エラトマのあの言葉がすべてを物語っていたのだと、今さらながらに理解した。

 ゆっくりとその瞳に俺を映すマリスがまるで迷子のように見えるのは、きっと勘違いなんかじゃない。守り率いるべき者達から顔を背けられた王に果たすべき目的や目指すべき場所などなく、己が存在意義を失くしてしまったのだろう。


 ……取り戻そうと、しているんだな。


 己が生きる意味を。

 俺が槍の勇者の後継者として以外の居場所を得ようと足掻いたように、マリスは一族の王として以外のこの世に在る価値を探し求めていたんだ。

 狂おしいほどに。


「望まれぬ王は一体何処へ行けばいい? 目的も使命も俺にはない。しかしこの命とて初めからやり直すことも繰り返すこともできない一回限りのもの、お前やこの世に生きとし生けるものすべてと同じで変わりない。ならば、俺が知らずにいるだけで何か意味があるのかもしれぬと、この世界に誰よりも愛されていることに気が付かず己が運命を呪うお前を見て思った。だから破滅に向かうお前を神々がどうするのか、試してみることにしたのだ」

「結果、お前から【心蝕】を受けたはずだった俺はギリギリのところで踏み留まり、道を正さんと行動し始めたというわけか?」

「その通り。お前があのまま俺の駒になるのなら、この世を滅亡へ導くのが役目かと思っていたが違ったらしい。世界はお前が本来の役割を果たすことを望んでいる。ならば、俺に与えられた役割とはなんなのか。神々に尋ねたところで答えが返ってこないのは重々承知しているからな。俺はお前に問う」


 頷き、そう告げたマリスの視線の先にあるのは聖刀。

 同時に溢れて出ていたひりつくような魔力が彼奴の右手に集まり、剣が形を成していく。

 

 ……なるほど。そういうことか。


 期待と不安を瞳に宿したマリスとその手に握られた剣に、俺は先ほどから耳にしている『問い』の意味を理解する。一族の繁栄を目指して皆を率いるという王としての最たる役目を果たせず自身の生に意義を見出せなくなったマリスは、俺と殺し合うことで生まれ落ちた意味を推し測ろうとしているようだ。

 

「この世界において、勇者と魔王が繁栄と崩壊の指針。だから勇者の資格を得た俺と魔王の力に目覚めたお前のどちらが生き残るかによって、この世界が目指している先がわかる。それに神々が特に目をかけているだろう俺に勝てば、お前にはこの世に終焉を告げる者としての役割があった確たる証拠になるというわけか」

「もしくは、蟲の王のように新たな勇者の名を轟かせるためかもしれんがな」

 

 そう零しながらクッと喉を鳴らして嗤ったマリスは、次いで表情を消すと俺をまっすぐ見据える。凪いだ顔の中で一際目を引く赤い瞳がマリスの激情を反映するかのように煌々と輝いており、その視線に込められた意志の強さに魅入られそうだった。


「同情も憐みも要らん。勇者と魔王が魂を削り合った末に垣間見ることのできる世界の意思を、俺は知りたいのだ。それこそがこの命の意味となる。そのためにこうしてお前が全力を出しやすい舞台も用意した。その事実を胸に刻め、世界に愛されし者よ。例え今回の計画が成就しなくとも、俺は生きている限り繰り返す。この命に意味がもたらされるまで、何度でも」


 大戦以上の戦火となりうる一連の出来事すべてがマリスの存在意義を問うために行われていたと知りなんて傲慢なのかと憤りを抱く一方で、ここまでしてでも自身が生きる意味を渇望するその想いの深さを噛み締める。


 ――中途半端は許さないってことか。


 俺かマリス。

 どちらかの命尽きるまでこの戦いは終わらないと宣言したマリスの手に握られているのは、一振りの剣。切っ先から柄まで漆黒に染まった剣の刀身には鮮血のごとく赤い蔓と葉の紋様が絡みつくように浮かんでおり、禍々しい魔力が放たれていた。さらにいえば、肌を焼くような魔力を放つ剣からは俺を殺さんとする意思がひしひしと感じられ、これまでの会話に嘘はなく先ほどの宣言も本気なのだと主張している。

 ならば、俺が選ぶ道は一つ。

 ここで死ぬ気などさらさらないし、グレイ殿下やクレアに必ず帰ると約束した。ムスケ殿達にも無事にマジェスタヘ帰れと言われているし、掴んだお婆様の死の真相の一端をお爺様やセルリー様にお伝えせねばならないだろう。

 『生きている限り』『何度でも』という口ぶりから察するに和解の道はなく、またマリスが俺を殺してこの世に在る意味を得たところで平穏が訪れることは恐らくない。俺との戦いに勝利したあとは、命の終焉を告げる者としてこの世界を蹂躙していくはずだ。それ以外にやることがないし、実行しなければようやく得た生きる意味が無駄になるからな。

 マリスが口にした宣言はそういった意味であり、わざわざ言葉にしてその可能性を示唆したのはここで死力を尽くせ、本気で殺しに来いと伝えるため。

 俺がマリスの命を奪わぬかぎり、平穏な未来はない。


「理解したようだな」


 マリスの言葉に応える代わりに腰を落として聖刀の柄に手をかければ、握り直された漆黒の剣が陽光を反射して煌く。


「ならば始めよう。ドイル・フォン・アギニス」


 そうして、俺とマリス。

 互いの命を賭けた問答の幕が開けた。





ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


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