第二百四十八話
「あ゛あ゛あ゛!」
苦悶に満ちたエラトマの悲鳴と飛散る血飛沫。
しかし身に着けていた護身用の魔道具の効果と寸前のところでエラトマが体を捻ったことによって致命傷は回避されており、被害は腕一本に収まっていた。さらに加えていえば、痛みに顔を歪めてはいるものの俺を捉える眼光は鋭く、この程度で屈する気はさらさらないのが見て取れる。
当然といえば当然の反応だ。
この程度で心折れる輩ならばこの場に立つことなく、とっくの昔に逃亡している。そうしなかったのは、今ここで俺達を消しておかねば一生追われる身となり、これまでのように表舞台に立つことはおろか人心を扇動し高みの見物と洒落込むことなど出来なくなるとわかっているからだ。
――まずは、聖木から遠ざける。
ようやく得たこのチャンスを逃すわけにはいかない。
聖木とエラトマの間を割るようさらに踏み込み、聖刀に氷を纏わせて刀身を伸ばし射程距離を広げる。そして氷柱に閉じ込めた魔獣諸共斬るつもりで一閃。
「っ!」
舌打ちを零し後ろに飛び退いたエラトマが体勢を整えきる前に、俺は背後の聖木へ素早く視線を走らせながら異変を探す。
清らかな魔力に満ちた真白の木の中から異質な魔力を見つけるのは簡単で、根元や枝の分岐点に置かれていた眷属の断片を見つけ次第凍らせて無効化し向き直れば、鬼のような形相で俺を睨むエラトマの姿があった。
「アストラ!」
「聖木は任せろ」
俺が声を上げるや否やといったタイミングでピネス殿とヴェルコ殿を両脇に抱えて駆け込んできたアストラに聖木を任せ、エラトマと対峙する。
いつの間にか、雨が降り出していた。
「これほど急激に成長するなんて……マリス様が仰る通り、忌々しいほど世界に愛されていますねぇ……羨ましくて羨ましくて……」
氷像や新しく生み出した魔獣達を盾にしながら手の中にある無数の魔道具をジャラリジャラリと弄ぶエラトマの前方に無数の陣が浮かび上がる。赤や青、緑に黄色など様々な色の光に照らされたエラトマの顔に浮かぶは、おぞましいほど歪んだ笑み。
「今すぐ、死んでほしいくらいです」
カッと発光した陣は火の玉や水の槍や風の鎌、拳大の氷塊を吐き出し、その合間を縫うように雷の矢が宙を走り地面からは身の丈ほどの石の槍が数十本と顔を出す。
その光景に今度は俺が舌打ちを零す番だった。
――どんだけ金をつぎ込んでんだよ!
広範囲に展開した数多の魔法に心の中で悪態を吐きながら、俺は弾幕の中に飛び込んで炎も水も風も雷も石もすべて力任せに斬り裂く。
高価な魔道具の中でも一級品と言われるそれらを惜しげもなく使った攻撃は一つ一つが強力で上下左右どこにも逃げ道はなく、背後にはアストラが張っただろう結界に包まれた聖木があり下がることは叶わない。
活路があるとすればエラトマがいる前方。
たとえ辿り着いた先に罠があるとわかっていても進む以外、道はない。
弾幕のような魔道具の攻撃を抜ければ思っていたとおり魔獣達が待ち受けていたので、聖刀へ魔力を追加してねじ伏せる。朽ちて粉雪のように舞い散る魔獣は勢いを増す雨に流されるように足早に消えて行った。
大きな怪我こそないが、ふんだんに使われた高級魔道具と魔獣の群れのお蔭で俺もだいぶボロボロだが休んでいる暇ない。
強力な魔道具ほど発動までに時間がかかるし、事前に仕掛けておく必要がある罠も多い。シャルツ商会で得た富を魔道具に費やしているだろうし、時間を与えれば与えるほどにエラトマの手数と戦法を増やすことになる。
一気に片を付けるべく周囲に視線を走らせれば、広がる白い煙とその中に身を隠そうとしているエラトマの姿を見つけ、俺は迷うことなく地を蹴った。
――見つけた。
徐々に濃さを増す白煙の只中にある姿を見失わないよう注意しつつ、射程範囲内にエラトマを捉えるべく距離を詰める。
異変を察知できたのは白煙の中に踏み込んだ瞬間だった。
蒸気か!
肌を焼く熱さに白煙の正体を悟ると時同じくして数歩先に赤く煮え滾った地面が目に映り、激しさを増した雨がジュウジュウと蒸発する音が鼓膜を震わせる。
しかし勢いづいた体は急には止まれないわけで。
俺は慌てて氷で身を守り、溶岩を飛び越えるべく風魔法を使い力いっぱい跳躍した。
恐らく溶岩の周辺には盗聴防止用の魔道具や室温などを管理するのに使われる魔道具などが仕込んであるのだろう。雨のお蔭で蒸気量が増え、少し離れたところまで広がっていたのが幸いだった。気が付かずに突っ込んでいたら大怪我どころでは済まない。
しかし、安堵できたのは一瞬。
溶岩の奥に居たエラトマ目がけて天高く跳躍した俺の下には、バチバチと爆ぜる雷の網が広がっていた。
重力に従い落ちている体を広範囲に走る雷の外に出す時間はもはやなく、引きつる頬を自覚しながら俺は覚悟を決めて足元に居るエラトマを見据える。
避けられないものは仕方ない。
こうなったらエラトマが用意した魔道具の威力が上か俺の力が上か、真っ向勝負である。
禍々しい魔力を帯びた短剣を握り待ち構えているエラトマを見つめたまま、俺は聖刀を頭上に掲げる。そして間違っても雷の衝撃で落とさぬよう渾身の力で柄を握り締め、全力で振り下ろした。
切っ先が触れた瞬間、バチッと爆ぜた雷が刀身や柄を伝い全身に痛みが走る。
身に纏った氷と雨の所為で最悪だ。滅茶苦茶痛い。
しかしこれを押し切りエラトマを斬らなければ、十中八九あの短剣を急所に受けることになる。
――バチバチバチバチバチ!
全身を巡る痛みを振り切るように雄叫びを上げて聖刀を押し込めば、俺とエラトマの間を火花が飛び交い、一拍後バキンッと大きな音が雨音にかき消されることなく響き渡った。
聖刀を阻んでいた雷の網がフッと宙に溶け、止まっていた俺の腕が動き出す。
エラトマは、迫る白刃から最後まで目を逸らさなかった。
――トスッ。
湿った腐葉土に禍々しい魔力を帯びた短剣が落ちたあと、ゆっくりとエラトマの体が後ろに傾き、沈む。
仰向けに倒れたまま動かぬエラトマの服が赤く染まり、雨が全身を洗うように降り注ぐ様をどのくらい眺めていたのか。
髪の毛から滴り落ちた雫が焼けた手に当たった痛みでハッとし我に返った俺は、両手で握り締めたままだった聖刀を下ろし、エラトマの側へ歩み寄る。そして膝をつくと生死を確認すべく手を伸ばした。
血を流し過ぎたのかそれとも雨に打たれた所為か、青白くなった肌はひどく冷たい。しかしそれだけでエラトマの側を離れるわけにはいかず、脈を確認するために首筋へ指先を押し付ければ、微かに感じる生の脈動。
しっかり触れたことで気が付いたのか、エラトマの瞼がゆっくりと持ち上がり紅玉が顔を覗かせる。
「――勇者も、所詮は神々の駒ですよ」
死にゆく者とは思えぬほどはっきりとした口調だった。
俺を映しだすエラトマの瞳は赤く、【心蝕】かなにかを使用していると思われるが聖刀に弾かれたのかすぐに輝きを失い黒色へ変化する。
「その力……私が何をしようとも変わらない、世界に愛されし者であるが故に貴方とは必ず相見えることになるとマリス様は仰ってましたが、その通りになりそうですね……貴方もあの女もその父も、憎たらしいほどに私の想像を超えていく。これが天命だと言うならなんとも忌々しい……」
憎しみの籠ったその目は俺を見ていないようだった。
アメリアお婆様や曽お爺様とエラトマの間にどのような関係があったのか俺は知らないし、今さら調べてもわからないだろう。彼らと一体何があったのか、二人の死にどう関わったのか詳しく聞きたいのは山々だが、徐々に浅くなる呼吸がエラトマに残された時間の少なさを物語っている。
ならば俺が此奴に問うべきことは一つしかない。
「マリスはどこにいる? 彼奴はなんと言ってたんだ?」
「心配せずともすぐに会えますよ。私や外野がどうしようと関係なく必ず巡り会う。勇者と魔王はそういうものだとマリス様は仰ってましたから……あの方も、可哀想な方だ」
「可哀想?」
エラトマの口から零れた呟きを聞き返せば、青ざめた唇が綺麗な弧を型どり歪んだ笑み浮かぶ。
「冠を被り損ねた王の行く末を、最後まで見れないのは残念です」
「それはどういう――」
謳うように囁いたエラトマをさらに問い詰めるべく身を寄せようとしたその時だった。
「ドイル!」
咎めるような鋭い声が俺を呼ぶ。
次いで頭上にかかる黒い影。
俺が反射的に飛び退くのとエラトマが舌打ったのはほぼ同時だった。
黒い鱗から覗く大きな白い牙がエラトマの姿を覆い隠し、土を抉りながらその体を口内に攫う。僅かに覗くエラトマの手には、怪しげな光を発する魔道具らしきもの。
発動仕掛けている魔道具を投げようとしたのか握る手に力が籠ったところで口が完全に閉じられ、黒竜が天を仰ぐ。そしてゴクリという音と共に、大きな竜の喉が僅かに波打った。
――――――はっ?
口内に消えたエラトマとその手に握られていた発動しかけの魔道具、閉じられた竜の口に、波打つ黒い鱗。一連の光景から導かれたのは『魔道具ごとエラトマが食べられた』という結論で。
「アストラ!?」
驚き声を上げれば、黄金色の瞳がゆっくりと俺を映しだす。
「まんまと乗せられ利用されていた俺が言えたことではないが、魔の者の言葉に耳を貸すべきじゃない。あのまま聞き入っていたら道連れにされていたぞ?」
そう言いながら再び人化したアストラに言葉が出ない。
エラトマの手の中にあった魔道具を思い出すかぎり助けてくれたのだろうがそれにしたって、と思うのは俺だけなのだろうか。そもそもかなり禍々しい感じの光だったが、あんなものを飲み込んでアストラは大丈夫なのか。
色々と思うことがあったがなんと声をかけていいのかわからず、言いあぐねているとアストラは空を見上げ目を細めた。
「父達の咆哮が聞こえる。間もなく山脈を登り始めるのだろう」
「!」
「急いだ方がいい。あれほど人に近しい形、それも因縁深き相手となれば残る感傷もあろうが、立ち止まっている暇はないぞ」
金の瞳をひたりと合わせ、告げられた言葉に息を呑む。
アストラは一体いつから俺とエラトマのことを見ていたのか。
そんな疑問と共に、人間とほとんど変わらないエラトマを手にかけたことで俺が罪悪感を抱かぬよう事切れる前に飲み込んだのではないかという考えが脳裏を過った。
……俺が、ここで足を止めないように。
あのままエラトマと会話を続けていたら俺の身に危険があったのはたしかだ。
故に俺を心配して助力しくれたのだろうが、それ以上にエラトマの首を刎ねずに生存確認しに向かった俺を見てアストラは不安を抱いていたのかもしれない。もしくは、俺がお婆様の死の原因を付き止めるべく時間を消費するではないかと危惧したとかな。
俺を見つめるアストラの眼差しを見るかぎり、あながち間違いではないだろう。
惑うなと言われたことを思い出す。
そして竜達が動き出したという言葉が示す意味も。
思い浮かぶのはムスケ殿やスコラ殿をはじめとする傭兵団の人々や活気に満ちたフォルトレイス、それからハンデルで待つスムバ殿やリヒターさんやユリアに、はぐれたままの先輩方やシオン。
ハンデルで、と約束したのだ。早くピネス前王を届けて先輩方やシオンと合流、不可能ならばリヒターさん達に捜索を頼んでおかなければ。
そして俺はアストラと共にフォルトレイスの戦場へ。
「ピネス殿とヴェルコ殿を回収してハンデルに向かおう」
「ああ」
急速に回り始めた頭が導き出した結論を告げれば、アストラは安堵したかのように小さく息を吐いた。次いで満足げに頷くと、俺の隣に並ぶ。
雨はいつの間にか止んでいた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




