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甘く優しい世界で生きるには  作者: 深/深木
本編(完結済み)
244/262

第二百四十四話 サナーレ・テラペイア視点

「――殺せ」


 短くもわかりやすいゼノスの命令に私達を囲んでいた木型の魔獣が一斉に蔓を伸ばす。しかしシオンさんは冷静で、大きなハルバートを器用に操り迫りくる蔓を切断していった。

 ボトボトと落ちていく断片と、見当違いの場所に突き刺さる蔓。シオンさん自身や私達に当たりそうな蔓だけを見極めて処理してくれたみたい。すごい動体視力だ。

 絶え間なく繰り出される蔓と器用に動くハルバートの息を吐く暇もない攻防はなおも続く。けれどもその戦いを私達が目にしていられたのは、僅かな時間だけだった。

 森の木々に紛れていた魔獣達が攻めつつも徐々に距離を詰め、私の目でも確認できる範囲に姿を現すや否や放たれたシオンさんの一撃が、数体の魔獣と共に大地を割る。

 次いで響くシオンさんの声。


「行け!」


 シオンさんのその言葉にちゃんと返事できたかどうわからない。ただ考えるよりも早く体が動くとはこのことか、ゼノスや魔獣から目を離すことなく空いている手で示された方向に私達は弾かれたように走り出していた。


「! 待てっ!」

「おっと。それはこっちの台詞だぜ。ゼノス!」


 続いて耳に届く会話と激しくなる交戦音に思わず振り返りそうになったけど、後頭部に添えられた兄貴の手がそんな私を留める。


「振り返んなって言われただろ」


 力が込められた兄貴の手に促されるように前を向けばそっと左手が掬い上げられ、一拍後にはギュッと握られる感触。離れないよう固く繋がれた手の持ち主は見なくてもわかる。リェチだ。

 いつの間にか私よりも大きくなっていた手は温かく、側に居ると主張するかのようにきつく握るその力強さに過った不安が拭われていく。


 ――大丈夫。


 私達さえいなくなれば、シオンさんは最大限にその力を振るってゼノスや魔獣と戦えるし、きっとすぐに追いついてくれるだろう。兄貴もリェチもいるし、なにも怖いことはない。

 後押ししてくれる兄貴と前へ引いてくれるリェチのお蔭でそう思えた私は、背後から聞えてくる音を振り払うように進むべき方向を見据えた。


「一先ずこの場を離れる。はぐれんなよ!」

「「了解です!」」


 そう言って前に出た兄貴のあとを追いかけて、シオンさんが放った技によって木々が吹き飛び凸凹はしているものの一直線に拓けた道を駆け抜ける。

 目指す先の空には厚く大きな雲が浮かんでいた。




 兄貴やリェチと一緒に、後ろを振り向くことなく全力で疾走すること数分。

 少し遠くなった喧騒に速度を落とした兄貴を真似て、私やリェチもちょっとだけ足を緩める。

 シオンさんと魔獣が戦っている音がまだ聞こえるし、それほど離れられたわけではないから油断はできない。一刻も早く遠くに行かないといけない状況なんだけど、私達の体力じゃ全力で走り続けるなんてできないからね。


「また走るから回復しておけよ」

「「りょーかい、ですっ」」


 口で呼吸しながらなんとかそう応えたリェチと私は、兄貴の指示通り回復薬を取り出して飲み干す。手にしたのは魔力を補充してくれたり体力を全快してくれたりするような強力なものではなく、疲労を軽減してくれる程度の栄養剤に近いものだけど少しは楽になった。

 一息ついた私達の顔色を確認し、自身も回復薬へ手を伸ばした兄貴を見ながら再度気合を入れる。兄貴が飲み終わったら、私達はまた全力で森の中を走らなきゃいけない。

 シオンさんが作ってくれた道はとっくに終わっていて、乱立する木々を避けつつ草や岩がそこかしこにある地面を進むのは結構大変。その上、空は分厚く大きな雲に覆われている。


 この感じだと一雨降るだろうし……。


 故郷の森で過ごした日々を思い出しながら空を見つめ、ムムッと眉を寄せる。

 いつもなら恵みの雨は嬉しいものだけど、一刻も早く森を抜けたい今は少し厄介だ。森に住まう動物達との遭遇率が減る分楽になるけど、雨に濡れることで体力を消耗するし道もさらに走りにくくなる。

 といっても暢気に雨宿りできるような状況じゃないし、どうすることもできないわけで。


「行くぞ」


 兄貴の言葉を合図に、私達は再び全力で走りだした。

 未だ止まないシオンさんと魔獣の戦いの音が少しずつ小さくなるのを感じながら、必死に足を動かす。そうこうしているうちに予想通り雨が降ってきて、ポツポツと顔に当たっていた雨粒が次第に勢いを増していく。にわか雨だろうけどなんとも間が悪い。


 ビショビショになりながら走るなんていつぶりだろう……。


 ただでさえ息が上がって辛いのに、段々強くなっていく雨脚に現実逃避よろしくそんなことを考える。ただ、雨に打たれた森が放つ香りは懐かしかった。

 雨粒が木々や岩を叩く音。

 ぬかるんだ地面。

 湿った森の香り。

 この森みたいに聖木なんて生えてなかったけど、故郷の雨期もこんな感じだった。幼い頃のリェチと私は元気が有り余っていたから家でジッとしているのがあんまり好きじゃなくて、雨が降っていようとお構いなしに外で遊んだものである。

 雨に濡れて濃くなった森の香りにつられたのかやんちゃだった子供時代の記憶が次々と蘇り、こんな時だというのに口元が緩む。いや、こんな時だからかもしれない。

 普段とは違う景色や感触が楽しくて泥まみれになりながら遊ぶ私達に、両親は仕方のない子達だと言いながらも好きにさせてくれていた。

 何歳ぐらいまでそうやって遊んでいたっけ。

 いつしか雨の日に外で遊ぶことがなくなっていた。

 大きくなったから汚れるのが嫌になったのかなとぼんやり考えたその時、頭の中に私達を叱る誰かの声が響く。


 ――リェチ! サナ! 雨期の森は危険だから入るなと言っただろう!?


 そうだ。

 村の敷地内で遊んでいたうちは雨の中外で遊んでも仕方ない子供達だと苦笑しながら見てくれていたけれど、調子に乗って森に入ってしまいものすごく叱られた覚えがある。怒られ慣れていなかった私達はその剣幕に驚き怖がって、あの日から雨が降っている時は家の中で大人しく過ごすようになったんだ。

 あの時私達を怒鳴りつけたのは誰だったっけ。

 両親や村長、隣のおじさんやおばさん、お爺ちゃん、お婆ちゃんも違う。よく遊び相手になってくれたティムさんかなと思い、記憶の中の声を当てはめてみるけどなんだかしっくりこない。

 森の中にある小さな村で過ごしていた時は薬学の才能ゆえにいつだって私とリェチが一番で、大抵のわがままは許されていた。だから叱られることなんてほとんどなくて、数少ない経験だから印象深いはずなのに、なんで思い出せないんだろう。

 首を傾げつつ、あの日の記憶を掘り起こしていく。

 最初は家の前で泥遊びをしていた気がする。しばらくしたら飽きて、大きな水たまりに村とその辺から千切ってきた葉を浮かべて遊んだ。どうせならもっと大きな葉を浮かべてみようって話になって、リェチと一緒に森の中に探しに行って、それで――。


『「見つけた!」』

 

 その時、思い出の中の誰かと同じ言葉が森に響いた。

 しかし聞こえてきた声に込められた喜色は記憶の中の優し気なものとは異なり、背に走った悪寒に急かされるように顔を上げて声の主を探す。

 そうして見つけたのは、乱立する木々を避けながらすごい速さで向かってくる蔓の塊とそれに乗ったゼノスの姿で。


「横に飛べ!」


 どこかからシオンさんが叫んでいる。

 しかし先程まで羽織っていた白衣はどこかに置いて来たのか消え失せ、傷を負いボロボロだというのに獲物を見つけた獣のように目を輝かせているゼノスに呑まれた私の足は、動かない。


「サナ!」


 リェチの声が聞こえてからの出来事は、一瞬だった。

 引っ張られたのか押されたのかわからないけど身を襲った衝撃によろめき転んだ私の真横をゼノスが乗った蔓が勢いよく通り過ぎ、大きな衝撃音が木霊する。肌を震わせる轟音に慌てて立ち上がり辺りを見渡すもリェチや兄貴の姿はなく、目の前には沢山の蔓が絡まりあった塊が横たわっていた。


「リェチ! 兄貴! シオンさん!」


 状況を理解するよりも早く、足が動いた。

 立ち止まり固まっていたのが嘘のように、皆が居るだろう蔓の先端に向かって走る。

 音はすぐに聞こえてきたのでそう遠くない場所で衝突したはず。

 ここまで走ってきた疲労や息が上がっていたことなど忘れていた。

 打ちつける雨もぬかるんだ地面も関係ない。

 ただ、見えなくなったリェチや兄貴の姿を追い求めて森の中を駆ける。

 それは身に覚えがある感覚だった。


 絶えず降り注ぐ恵みの雨といつもよりも濃い森の香り。

 今の状況と当時の場景が重なり、幼き日の記憶が呼び覚まされていく。

 

『待って! 行かないで――兄さん!』


 遠い昔、私はそう叫ぶように呼び止めた。

 とても大切な人だったから。

 側に居てほしかったから。 

 見失わないよう必死に追いかけて、駆け寄った。


 ――あの、背中に。


 走り辿り着いたその場所で私が見たのは、聳え立つ岩肌に突き刺さった蔓の塊とその側で対峙する四人の姿。

 一瞬でちゃんと確認できなかったから声が聞こえたのは気の所為だったかもしれないと少し不安だったけど、シオンさんはちゃんと居たらしい。その上リェチや兄貴のことを守ってくれたようで、背に庇われている二人の姿に胸を撫で下ろす。少しくたびれているけど三人ともしっかり立ってるし、顔色も悪くないから問題なさそうだ。

 ホッとした私はゼーゼーと耳障りな音を出す口を閉じて、ひりつく痛みを我慢しながらゴクリと喉を鳴らす。そして見詰めるのは、一人だけ背を向けている黒髪の男性。

 シオンさんは『ゼノス』と呼び、それを彼も否定しなかった。

 一目見て懐かしいと感じたけど、ゼノスなんて名前に聞き覚えなんてなくて顔を見てもピンとこなかったから知らない人だと思った。だから胸を焦がす衝動は気の所為だと思い、考えないことにした。

 でも、あの時抱いた感情はすべて正しかった。

 忘れていただけだった。

 なんでそうなったのかは、さっき思い出したあの日の出来事が原因だ。

 優しく、温厚な兄が初めて露わにした怒りが恐ろしく、告げられた本心が痛くて、必死に伸ばした手を拒絶されたことが悲しかった。だから全部嘘だと、なにもなかったのだと思いたくて、私は記憶から消してしまったのだろう。

 大切で、大好きな家族だったのに。


「ゼーゲン、兄さん」


 雨脚が弱まって来ていた所為か私のその声は思ったよりも大きく響き、耳にした四人の視線が一斉にこちらを向く。


「サナ!?」


 信じられないといった様子で目を見開いた顔を見て、リェチは兄さんのことを覚えていたのだと確信する。

 そして振り向き、忌々しいと言わんばかりの目で私を見つめるゼーゲン兄さんもまた、すべて覚えているのだろう。


「俺の名はゼノスだ。ゼーゲンなど知らんし、俺に家族など居ない」


 あの日と同じ凍てついた眼差しと拒絶の言葉に胸の痛みを感じるのと時同じくして、いつの間にか伸びてきていた蔓が私の首に巻きつき呼吸を奪う。

 どこか身に覚えのある苦しさに、そういえばあの時も兄さんに首を絞められたな、と上手く回らない頭で思った。そして、どうしてこうなってしまったんだろう、とも。


 怒りに満ちた瞳で消えろと告げる兄さんと、私を助けようと駆け出したリェチ。

 真逆の感情を宿す同じ色をした二対の瞳を最後に私の世界は暗転したのだった。







ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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