第二百三十九話
乾燥した状態であるにも関わらず一気に広がった甘く優しい香りに、俺も族長や長老も目を細める。それほどアストラが差し出した花は心地いい香りを放っていた。
しかしその花を視界に入れた瞬間、族長と長老が眉を下げる。
「残念だが、これでは……」
族長が絞り出すように紡いだ結論にアストラの顔が歪む。
彼が両手に広げた白い布の中にあるのは、青い花弁の山。
大切に運んできたのだろう。脆そうな親指ほどの花弁はその形を保っており、その中には固く閉じた小さな蕾がいくつか見受けられる。薬草としてでなくポプリか装飾などに使われていたものを集めたと思わしき花弁の山に葉や茎の部分はなく、どのような形の花だったのか想像するのも難しい状態だった。
「そんな――どうしても不可能なのか?」
懇願するように言い募るアストラに族長も長老も、静かに首を振る。
「たしかに我らは枯れてしまった植物に命を分け与えるスキルをもっている。しかし、花びらや蕾だけではさすがに……残念だが、どうにもできん」
「一輪あればよい。花が元の形を保ち茎や葉が残っているものはないのか?」
二人の言葉に、今度はアストラが力なく首を振った。
「…………ない。花びらで形が残っているものも、ここにあるのがすべてだ」
「力になってやりたいが……これだけでは我らでも生き返らせることはできん」
辛そうな顔を見せつつもはっきり不可能だと告げた長老に、アストラは言葉を失い崩れ落ちる。
苦し気な様子で沈黙する族長や長老、アストラの姿は痛々しく。そんな彼らを哀れに思ったのかピネス殿とヴェルコ殿が口を開いた。
「花の名はわかるのか? ハンデルでは見かけん品だが、加工されたものがあるということは他の商品もある可能性が高い」
「人間の国々のどこかにあるというのならば探せるかもしれません」
問いかける二人の奥ではレオ先輩達が荷を広げて似た花を持ってないか確認しており、数人のエルフが保存庫でも見に行ったのか建物の方へ走って行く。
そんな周囲に気が付いたのか、アストラは唇を噛みしめると己を奮い立たせるように顔を上げた。
「――シエロ、という名の花だ。生花は青空を切り取ったかのような鮮やかな青色で『天の花』とも呼ばれていたそうだが、覚えのある者はいるだろうか」
――天の花?
聞き覚えのある名に俺は目を瞬かせる。
その花は、たしか。
俺がそう考えている間に、ピネス殿が悲痛の滲む声でアストラに応えた。
「その花はすでにこの世にない」
「この世にない?」
「シエロの花は人間の地でも大変珍しく、五十年ほど前に起こった大戦で滅びたファタリアでしか確認されていなかった」
信じたくないのか聞き返したアストラに、ピネス殿が言い聞かせるようにそう告げるのを聞きながら俺は己の懐を探る。そして指に触れたしおりを半分ほど懐から引き出し、貼られた押し花とアストラの手の中にある花びらを見比べた。
お婆様の日記と共に壺の中で保存されたお蔭か花弁は鮮やかな青を保っており、摘み取られた形のまま押し花にされただろう二輪の花から伸びる細い茎には葉が一枚ずつ残っている。実家に日記を送る際お守り代わりにと抜き取ったしおりを飾る花は、アストラが大事に持っている花弁と同じ形をしていた。
アメリアお婆様――。
今は亡き人を想う。
そして彼女にこの花を贈った、ロウェル陛下とシルトという名の騎士のことを。
貴方達のお蔭で、血を流すことなくこの戦は終わる。
「滅びた? では……」
「ファタリアやその周辺各国があった地は最も戦火が強く、今なお草一つない更地だ。探しても花など――「いや」」
震えた声で問うアストラに首振ろうとしたピネス殿の言葉を遮れば、皆の視線が俺に集まる。
「ドイル様」
「次期アギニス公爵でも手に入れることは叶わんと思うぞ。大戦後ファタリアは戦犯として恨まれ、彼の国を思い出すようなものは焼かれておる。ハンデルにさえ残っておらん」
「――いいえ。お婆様が残してくれたものがここにあります」
苦々しい顔を向けるヴェルコ殿とピネス殿に首を振りつつ、懐から引き抜いたしおりを差し出せば皆の顔が驚愕に彩られる。そんな中、しおりに貼られた押し花とアストラの手の中にある花弁をしきりに見比べて目を見開いた長老が声を上げた。
「同じ花弁の花。それも綺麗に残っておる――これならば大丈夫だ。この花は再びこの世で咲き誇るだろう!」
その言葉に皆が驚き、息を呑む。
信じられないといった様子で押し花を見つめていたアストラは俺へと視線を移すが言葉が出ないのか、唇を戦慄かせる。
俺を映す黄金色の瞳には涙が湛えられており、今にも零れ落ちそうだった。
「このシエロの花はお婆様が小さな子供だった頃、父である当時のアギニス公爵と共にファタリアを訪ね、そこで出会ったロウェル陛下と彼の右腕と名高かったシルト殿から頂いたものだ」
ファタリアが滅んだことすら知らなかったアストラやマジェスタと交流のないエルフ達に込み上げるこの想いは伝わらないだろうが、それでも俺は聞いてほしかった。
運命ともいうべき奇跡が、今、ここにあるのだと。
「お二人は緊張する少女に花を贈ってくださるような優しい方達で、お婆様は大変慕っていたんだ」
一から説明する時間がないのが口惜しいと思いながらそう告げれば、辺りはいつの間にか静まり返っていた。
「――ハハ。そんなことがあんのかよ」
俺や人間達の雰囲気に呑まれたのか、声を震わせるシオンを笑う者は一人もいなかった。
かつて大戦を引き起こし多くの国々を戦火で包んだロウェル王が生前、一人の少女に贈った花が今度は戦を止めるきっかけになるなど誰が想像しただろうか。
平和を願ったお婆様や本来のロウェル陛下の目指していた未来、そして友と国のために殉じただろうシルトいう名の騎士の想いが長い時を経て今、俺達を守ろうとしてくれている。そんな現実をファタリアが辿った歴史やお婆様を知る者が聞けば、誰もがこの巡り会わせに数奇な運命を感じることだろう。
今の俺のように。
「間違いなくこれはファタリアの王城に咲いていた『天の花』だ。俺――いやアギニス公爵家が保証しよう。これと引き換えに竜の国を止めてくれるか? アストラ」
「ああ! 必ず!」
筆舌に尽くしがたい想いを胸にアストラへそう言って手を伸ばせば、頼もしい返事共に力強く握り返される。
たしかに今、過去からなにかが繋がった。
そう感じながらアストラを立ち上がらせた俺は族長達へと向き直り、押し花を手渡す。
「よろしくお願いします」
「ああ。たしかに」
押し花を受け取りながら出会ってから初めて笑みを見せた族長にリエスや長老達の顔が綻ぶ中、俺は天を仰ぐ。
「ラファール。アルヴィオーネ」
『なぁに?』
『どうせエルフ達の手伝いでしょ?』
「ああ」
頭上で一連の流れを見守っていた精霊達に目を向ければ、朗らかな笑みを浮かべたラファールと呆れた様子で苦笑するアルヴィオーネがふわりと降り立つ。そして押し花を生き返らせるべく慎重にしおりから剥がしているエルフ達を横目に、アルヴィオーネが俺にある提案を投げかけたのだった。
『ねぇ、ご主人様』
「ん?」
『ティエーラを呼んだら? あの子と私がいればあっと言う間に育つわよ』
なるほどたしかに。土の精霊と水の精霊の助力があれば、植物は健やかに育つだろう。
「それはそうだな」
『でしょ?』
得意げに応えたアルヴィオーネに気付かせてくれた礼を言って、俺は遠い地にあるエピス学園にいるティエーラとの繋がりをクンッと引っ張り彼女の気を引く。
「ちょっと力を貸してくれないか? ティエーラ」
契約の証である繋がりに魔力を流しながらそう呼びかければ、了承の意を示すようにティエーラの優しい声というか思念のようなものが脳裏に響く。
――すぐ行くわ。
お婆様と親しくしていた彼女はこの巡り会わせを知ったら、どのような反応をするのだろうか。そんことを考えながらティエーラが来やすいように、繋がりを引き寄せる。
しかし感じた違和感に思わず首を傾げれば、そんな俺にアストラが不思議そうに問う。
「どうしたドイル?」
「いや、花を育てるのを手伝ってもらうために土の精霊を呼んでいるのだが……」
なんか、重い。
ラファールやアルヴィオーネを呼ぶ時には感じたことない抵抗に、適性が低い属性の精霊だからなのかと考えながらさらに魔力を込めれば、詰まっていったものが一気に抜けたような解放感と反動に踏鞴を踏む。転ぶのをなんとか堪え、一体どうしたんだと顔を上げれば、空から舞い降りる黒と赤。
――は?
久方ぶりの再会に嬉しそうなティエーラとシレッとした顔で一緒に居る幼女、フィアに目を瞬かせる俺の側でラファールとアルヴィオーネが声を上げるもその表情はどこか柔らかい。
『あら?』
『待てなくてついて来ちゃったのね。まぁ、いつかこうなる気がしたけど』
不穏な雰囲気漂うアルヴィオーネの台詞を聞き返すよりも先に飛び込んできたフィアを慌てて受け止めれば、クスクスと楽しそうな少女の笑い声が耳を打つ。俺を見上げる鮮やかな赤い瞳には悪戯な色が宿っており、なにやら彼女はご機嫌のようだった。
それにしても、一体彼女はなにしに来たというのか。
「フィア。どうしてここに?」
というかよくセルリー様が許したなとか、学園や王城を守る結界にはフィアの力も使われていたはずだがマジェスタを離れても大丈夫なのかなど色々な疑問が湧きあがる中、一先ずなにしにきたのか問えば、彼女は至極楽しそうに宣った。
『お祝いに』
…………なにの?
あまりに端的すぎるフィアの回答が理解できず四苦八苦しているとフワリと赤い髪が揺れ、次いで頬に感じた柔く温かな感触。
『勇者になったお祝い。あんまり相性は良くないんだけどドイルは特別。セルリーと同じようにフィアーマって呼んでいいよ』
チュッと聞こえたリップ音に固まっている俺にそう告げたフィアは満足そうな笑みを見せると腕から降りて、ラファールとアルヴィオーネの元にテテッと駆け寄り、来たばかりだというのに別れの挨拶を始める。
『もう帰るの?』
『やり逃げる気?』
『うん。加護なんて私達の気持ち次第なのに、ドイルは互いの利益とか口うるさいから。結界も見てなきゃいけないし帰る』
思いがけない展開を処理しきれない頭の隅で酷い言われようだなと考えるや否や、フィアはそう言ってセルリー様との繋がりらしきものを手に取る。
『そう。気を付けてね。あと皆さんによろしく』
『うん。――またね、ドイル』
そしてティエーラの言葉に首を縦に振るとついでのように俺へ手を振り、フッと消えた。
どうやらセルリー様の元に帰ったらしい。
………………自由すぎんだろ。
ていうか本当になにしに来たんだ。
嵐のように去って行ったフィアに唖然しつつ抱いたそんな疑問は、脳裏を過った文面によって解消されることとなる。
『四属性(火・水・風・土)を司る精霊の加護が揃い、スキル【精霊の祝福】が解放されました。今後、四属性の魔法適性及び基本ステータスが強化されます』
久方ぶりに見たゲームのような文面に、俺は思わず崩れ落ちる。同時に己の内側へと意識を向ければ遠い地まで続くフィアとのと繋がりを感じ、精霊達の会話の意味を思い知った。
一方的に与えられた加護は仮契約の状態なのか、繋がりは細い。
しかしたしかに、幼女の笑い声が脳裏に届いた。
「……フィアーマ」
ぼそりと呟けば彼女との繋がりが、より強固なものへと変わる。どうやらフィアーマは本気で俺に無償で加護を提供してくれるようだ。火の属性への適性が低い俺に対し、これ以上ない大盤振る舞いである。
これからエラトマやマリスと対峙することを考えれば、大助かりだが……。
マジェスタに戻り再び顔を合わせた時が怖い気がする。しかし今は深く考えずにおこうと思う。セルリー様の反応も色んな意味で恐ろしいしな。うん。
頭に浮かんだ研究対象という未来にそっと蓋をして立ち上がれば、族長や長老が眩しそうに俺を見ていた。
「まるで伝承に残る初代勇者のようだ」
「人の身でそれほどの加護を精霊から受け取るとは、まことめでたい」
「……ありがとうございます?」
ただの感想なのか称賛なのかよくわからなかったものの一応お礼を言えば二人の表情が柔いだので、褒められていたらしい。族長達の側ではリエスも手を叩いており、なにやら祝福ムードだ。
とはいえ、今現在するべきことは他にある。
花が生き返るのを見届けたらピネス殿とヴェルコ殿をハンデルに送り、急ぎフォルトレイスの軍と竜の国の軍がぶつかる山脈に向かねばならない。
「シエロの花は復元できそうですか?」
「ん? ああ。それはこの通りだ。【緑への回帰】」
そういって族長がスキル名を唱えると乾燥し、紙のように薄く頼りなかった花が水気を帯びてみるみるうちに膨らみ、花弁が大きく開き。伸びた茎の先から白い根が幾多も生える。
甘く優しい香りを放つかつて『天の花』と呼ばれたその花は、およそ五十年ぶりに真夏の空を切り取ったような鮮やかな青い花を力強く広げて陽光を浴びていた。
「――美しい花だな」
アストラが思わず零した言葉に、ピネス殿がそっと口を開く。
「頭上に広がる青い空に、目の前をどこまでも行く青い海、そして大地を覆う青い天の花。ファタリアは、大層美しい国であったそうだ」
「それは、ぜひ拝見したかったな」
「ああ。儂も一度行ってみたかったと心から思うとる」
――俺も、アメリアお婆様が見たその光景を見てみたかった。
天の花を囲みしみじみと呟く彼らに心の中で同意しながら、俺はラファールやアルヴィオーネから説明を受けていたティエーラへと目を向ける。
「アルヴィオーネやラファールと共に、アメリアお婆様が残してくれたこの花を増やす手伝いをしてくれないか?」
『勿論。アメリアも、自分が残したものがこうしてドイルの役に立って喜んでいるわ』
琥珀色の瞳を細めてティエーラが微笑んだ瞬間サーと風が吹き、甘く優しいシエロの花の香りが辺りに広がる。
――――。
なにかに誘われるように仰ぎ見た天は雲一つなく。
青一色で彩られた空に、俺は金の髪を翻す幼きアメリアお婆様と若き王達の姿を見た気がした。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。




