第二百三十一話
勢いよく開け放った扉の向こうにあったのは、灼熱の炎を纏った無数の矢。
冷気を纏う聖刀へさらに魔力を込めて目前に迫るそれらを薙ぎ払えば、凍り付いた矢が次々と床に落ち砕け散る。
部屋の奥を見据えれば、弓や杖を手にした三人のエルフと剣や槍を構えた二人の人間の男、それから彼らに守られるように座る商人だろう壮年の男。彼らの姿を視界に収めたのは一瞬だったが、俺が見た商人の顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。
「――ようこそいらっしゃいました」
パリン、パリン、と氷が割れるような音に混ざってそんな言葉が聞こえてきたかと思えば、降り注ぐ凍てついた矢に紛れて先を尖らせた杭が頭上から落ちてくる。それらも薙ぎ払おうと身構えるが、リエスが弓を引く方が早かった。
「私に任せろ」
そんな言葉が聞こえるや否や、杭はリエスの暴風を纏った矢によって一掃された。
しかし敵の攻撃は止まず。
矢や杭が吹き飛ばされて視界が拓けると同時に、距離を詰めようとしている槍士と剣士が見えたので、俺は受けて立つべく地を蹴った。
まっすぐ突き出された槍を首を捻って回避し、強化した聖刀で振り下ろされた剣を打ち返す。次いで背後から迫っていた槍へ向き合い、体勢を崩した剣士を慮ることなく繰り出された穂先を切断。そのまま間合いを詰めて槍士に斬りかかるが、残った柄で受け止められた所為で傷は浅く、致命傷とはならなかった。
胸元に走った朱線を押さえながら商人の元に戻った槍士を視界の端で捉え、チッと舌打ちを零すも俺に休む暇などなく。背に刺さった殺気にその場から飛び退けば、一呼吸前まで俺が立っていた床を斬撃が割り、剣士の声が耳を打った。
「【飛刀】!」
俺の着地地点を見計らったように飛ばされた見えぬ刃は衣服を切り裂いていくが、その程度の攻撃では甘い。怯むことなく間合いを詰めて一太刀浴びせるべく刀を振るうが肉を斬るまでには及ばず、折れた剣士の刀身が床に刺さる。
追撃を試みるものの、頭部目がけて投げ込まれた槍を避けるため一瞬目を離した隙に剣士は俺と距離を取り、槍士と同様に新たな剣を得るべく商人の元へ戻って行ってしまった。
――仕留めきれなかったか。
一旦引いた二人を警戒しつつ俺もリエスの隣へと戻り顔を上げれば、まるで称賛するかのような拍手が部屋の中に鳴り響く。
「――うちの戦闘職の中で一、二を争う二人がこの有様とは。折角あれだけの仕掛けを用意したというのに、お客様方にはまだまだ余力がありそうで残念です。この場を乗り越えた暁にはエラトマ会長に特別賞与を強請らなければやってられませんね」
槍士と剣士を侍らせた商人は、悪意ある言葉と共にやれやれと肩を竦めて見せる。その顔に恐怖や後悔はなく、どこか諦めが滲む苦笑があった。
しかしその目は輝きを失ってはおらず、機を窺うように俺へと向けられている。
なにか企んでいそうだが……。
エルフ達の大きな気配にかき消されて細かな魔力を探り難い上に、道中に仕掛けられていたような罠の可能性もある。はたまた俺の注意を引くことで、槍士と剣士のために隙を作ろうとしているのか。
恐らく、俺がこうして迷うことも計算の内なのだろう。卓上に組んだ手を乗せた商人の顔には困ったような笑みが浮かんでいるが、勝負を捨てる気などないようだ。
浮かべた表情の裏でなにを考えているのやら。
態度にそぐわぬ内心は、商人らしいと言えばらしい。
商人へそんな評価を下しつつサッと視線を走らせれば、商人や槍士や剣士が一心に俺へと視線を注ぐ一方で、エルフ達の視線はリエスへと向けられており、その顔には苦々しい表情を浮かんでいた。
「リエス様」
「なぜ貴方がここに?」
「それも人間の男なんぞと」
自身の行いを反省するどころか咎めるような口調の彼らに、リエスの口からはその可憐な容姿からは想像できないほど鋭い声が飛ぶ。
「なぜ、だと? 貴様ら己がなにをしたのかわかってるのか。どのような甘言に惑わされたのかは知らんが、聖木を切り倒し、あまつさえ悪用するなど決して許されることではない!」
叫ぶリエスに呼応して握られた弓が魔力を帯び、空気が騒めく。その怒りが向けられているのは俺ではないというのに、思わず息を呑むほどの迫力だ。
しかしエルフ達は気付いていないのか、もしくはこの程度の魔力の高まりでは気にならないのか、言葉こそ丁寧であるが謝罪するつもりなど毛頭ないようだった。
「長老びいきな貴方にはご理解いただけないかもしれませんが、すべては里のため」
リエスと似たような年だろう青年の言葉に他の二人が頷けば、彼女のまなじりがますますつり上がり漏れ出る魔力も濃密なものになっていくのだが、エルフ達はなんのその。
鈍いのか、それともこの程度は恐れるに足らずとでも思っているのか……。
どちらにしろ、危険な奴らであることは間違いない。向こう見ずな馬鹿はなにを仕出かすかわからないし、実力者であるならばなおさら厄介だ。リエスとの会話を聞くかぎり人間に友好的ではなさそうだし、改心させるのは骨が折れそうである。
――まぁ、それは商人達にも言えるがな。
言い合うエルフ達の奥に隠れ、不意打ち上等といった感じで俺の隙を窺っている槍士も剣士も手ごわそうだし、彼らが守っている商人は言わずもがな。
剣士と槍士が俺と戦っている時に手助ける素振りも見せなかったことや、リエス以外は眼中になさそうな様子から考えるに、エルフ達と商人達の関係は良好とは言い難いようだが、どうしたものか。
此奴らからピネス前王とヴェルコ殿の居場所を聞き出さなければならないのか……。
どう考えても簡単には吐きそうにない連中を前に、どう攻略すべきか思案していたその時だった。
「リエス様。皆が大切にしている聖木を手にかけたことは心苦しく思っておりますが、エルフの未来を切り開くには必要なことなのです」
「我々はエルフの誇りを取り戻すためにも、抗わなければなりません」
「誇り高きエルフが人の子に従うなどあってはならん。それにたぶらかされているのは貴方の方であろう」
俺とリエスを見比べて放たれたその言葉に、ピシリと空気が凍り付く。
エルフの里の内情や思想を詳しく知らぬ身であるが故に口を挟むことなく会話を見守っていたわけだが、そんな俺から見ても彼らがリエスの地雷を踏み抜いたことは明白だった。
なにしろ、すぐ隣から感じる魔力の高まり方がやばい。
怒り心頭に発するといった様子のリエスに戦いの再開を予見し聖刀を握る手に力を込めれば、エルフ達の奥で槍士と剣士も得物を持ち直しているのが見えた。
「――精霊様の寵愛もわからなくなった愚か者どもが、一族の誇りを語るなど千年早い!」
そう断じたリエスに怪訝な表情を見せつつも、応じるエルフ達に引く気はないようだ。
「精霊様の寵愛?」
「重々わかっております。だから我々エルフは他種族よりもずっと優れているではありませんか」
「人間など数が多いだけではないか。それなのに誇り高きエルフである我々が、人目を気にしてあのような小さな森に隠れ続けなければならないなどおかしいだろう」
言い合う彼らの陰から機を窺っている剣士と槍士、それから何か企んでいそうな商人を警戒しているとエルフ達の口から不穏な言葉が零れる。
――なるほどな。
彼らがマリス達の誘いに乗った理由を俺が察するのと、リエスの堪忍袋の緒が切れるのは同時だった。
「もういい。これ以上の会話は時間の無駄だ」
そう言い捨てて弓を引いたリエスが放った風の矢が彼らの足元を吹き飛ばせば、逃げるように散ったエルフ達が弓と杖をこちらに向けて各々の攻撃を放つ。
飛んでくる火矢や石礫や雷光をまともにくらったら、俺とリエスであってもただではすまない。飛来する攻撃を遮るべく、俺は魔力を多めに込めて氷壁を周囲に築いていく。
「あっちを先に片づけてくるから、それまで耐えてくれ」
氷壁に攻撃を弾かれ驚くエルフ達を目の端に収めつつそう声をかければ、リエスの顔に不敵な笑みが浮かんだ。
「いや、これがあれば十分だ。礼を言う」
「そうか」
氷壁の隙間から狙いを定め、エルフの杖を破壊したリエスに小さく笑う。
次いでエルフ達の攻撃を目隠しにして商人の側から離れた槍士と剣士を追って氷壁の囲いから出れば、ジャラリと鎖が動く音が耳を掠め、俺はバッと天井を仰ぐ。
高価そうなシャンデリアの上に立つ剣士はそんな俺を見て笑うと、天井と繋がる太い鎖を掴むと躊躇うことなく断ち切った。
そうすれば当然、豪華な造りのシャンデリアは落ちてくるわけで。
回避しようにも反転して氷壁の囲いの中に戻る余裕はなく、左はエルフ達の魔法や矢が飛び交い、前方は商人が座す執務机、右側では槍士が待ち構えており、上に道を斬り拓いたとしても剣士が残った鎖にぶら下がっている。
判断は一瞬だった。
「【陥穽】!」
足元に開けた穴の中に落ちながら氷壁で頭上を塞ぐのとタッチの差でガラスが砕け散る音が盛大に鳴り響き、振動が体中に伝わる。
……なんでもありだな。
下手したら味方や自身も巻き込まれるかもしれない作戦だが、それだけ本気ということなのだろう。形振り構う気はないらしい。
ならば俺もうかうかしてられない。
詰めていた息を吐き出しながら【陥穽】の断面に手を伸ばし、土魔法を使って穴を横に広げて立ち上がる。そして聖刀を鞘に納めたあと腰を落として抜刀の準備をしつつ、【気配察知】を使い頭上の状況を確認。
エルフ達とリエスは相変わらず向き合っており商人も執務机に座したまま、剣士は下に降りてきたようで槍士と共に俺のいる穴へ慎重に近づいてきていた。
一方の俺は挟み撃ちにするべく歩調を合わせて迫りくる二人の気配を追いつつ五、四、三、と数えて聖刀の柄を握る。
「――――【居合斬り】」
二、一、と数え零のタイミングで氷の天井と床を一閃。
地上で二つの気配が飛び退いたようだが、もう遅い。
「【斬り上げ】!」
崩れ落ちてきた氷と床を斬り上げ宙に舞った破片に紛れて穴の外に飛び出せば、降り注ぐ瓦礫を薙ぎ払う二人の姿。得物の射程距離の関係でより近くにいた剣士に狙いを定めて一足飛びで間合いを詰めたら、今度は仕留め損ねないようにスキルを使いながら聖刀を振るう。
「【いかづち】」
雷が落ちたかのような音と共に叩き付けられた斬撃が剣ごと剣士を斬り伏せ、紅が飛び散った。確かな手ごたえを感じたので、彼が立ち上がることはないだろう。
徐々に広がる血だまりの中に倒れ動かぬ剣士を顧みることなく、向かい合うは体勢を立て直した槍士。
この状況で会話など必要ない。俺も槍士も目が合った瞬間には踏み出していた。
「【乱突き】!」
この男が槍にどれほど適性があるかは知らないが、お爺様達やジンには劣る。
幾度となく繰り出される穂先を躱しながら聖刀に魔力を流して氷で強化する。そして相手のスキルが途切れるのを待てば、先に負わせた怪我の影響かその瞬間はそう遠くないうちに訪れた。
「――っは」
槍士が苦し気に息を吐いた刹那、フッとスキルが解けて槍の動きが鈍る。
その好機を逃すことなく懐に踏み込み一太刀浴びせれば肉を斬る感触が手を伝い、一拍後、槍士は崩れ落ちた。
リエスの方を見ればあちらも勝敗は決しているようで、地を這うエルフ達を彼女が見下ろしており、問題はなさそうだ。
槍士も剣士も、此度の件の大事な証人となる。
床に広がる血を止めるべく二人の傷口を氷魔法で塞ごうと視線を動かせば、笑みを浮かべた商人と目が合い、同時に言い知れぬ悪寒が背を走った。
「――お疲れ様でした」
商人のその言葉は、一体誰にかけられたものなのか。
それを考える暇もなくパラパラと天井から壁紙のようなものが降り、次いでうねるような轟音がどこかから聞えて来たかと思えば、木片など大きな破片が頭や肩を叩いていく。
「ドイル! 建物が崩れてきているぞ!」
「わかってる!」
リエスの声に応えながら足元に転がる二人の傷口を凍らせ、商人の元に走れば彼は抵抗することなく大人しく捕まった。
彼が座っていた机の下には大きな杭が転がっており、背後の壁には拳大の穴がぽっかりと空いている。
恐らくこの杭が鍵だったのだろう。やたら罠が仕込んであるとは思っていたが、この建物自体が最大の仕掛けだったようだ。
エントランスには傭兵と暗殺者、道中の廊下にはエルフを一人放置しているし、裏にはリヒターさんとユリア、左右にはシオン達や彼等が捕らえた者達が居る。
杭を戻すことで止まらないか壁の穴を覗き見るが、杭があったはずの空洞はすでに十数センチしか残っておらず奥は埋まってしまっていた。
「一度抜いたらもう戻りませんよ」
「そのようだな」
淡々と告げられた事実と目にした光景に仕掛けを止めることは不可能だと理解した俺は氷の錠で商人を拘束し、建物の外にいる彼女達を呼ぶ。
「――ラファール、アルヴィオーネ。手伝ってくれないか」
意識すればすぐそこにある彼女達との繋がりを引き寄せるように魔力を流せば、緑色と青色がふわりと目の前で舞う。
『貴方が望むならいくらでも手伝ってあげるわ。愛しい子』
『で、具体的にどうするの? ご主人様。上から見てたけどあまり持たないわよ』
「凍らせるからその補助をしてほしい」
刻一刻と建物が壊れ行く中そう簡潔に伝えれば、アルヴィオーネは俺のやりたいことがなんとなくわかったらしく得意げな笑みを浮かべた。
『私の水をラファールの力で建物中に広げればいいのね』
「ああ。匙加減は二人に任せる。上手く建物だけ濡らしてくれ」
『任せて!』
アルヴィオーネの言葉に頷きつつ頼めばラファールが花のような笑みで応え、二人は再び舞い上がる。そして部屋の中をグルっと巡ると、行ってくると手を振りながら廊下を通って飛んでいった。
変化は目に見えない。しかし床に触れればしっとりと濡れており、彼女達の力で包まれているのを感じるので大丈夫だ。
「一体なにをする気ですか」
「こうするんだよ」
こちらを見詰める商人に笑みを返し、俺はアルヴィオーネとラファールの力を帯びた水に沿って己の魔力を流していく。そして。
「【凍結】」
得意の氷魔法を口にすれば、ぺキぺキと音を立てて世界が変化した。
床や天井には霜が広がり、崩れ始めていた壁や折れかかった柱を守るように分厚い氷が覆い、壊れかけた建物を支える。
氷の強弱はアルヴィオーネとラファールがつけてくれているので、魔力を無駄にする心配はない。俺は彼女達を信じて、ただひたすら水を凍らせていけばいい。
そうして魔力を解放することしばし。
目に映る世界が氷の青と霜の白で埋め尽くされ、吐き出す息も白く染まるようになった頃には唸るような轟音と崩落の音はすっかり聞こえなくなり、代わりに時が止まったかのような静けさに包まれていた。
とめどなく流れていた魔力はやがて緩やかに動くようになり、やがてこれ以上は必要ないとばかりに行き先を失ったので、もう建物は大丈夫なのだろう。大規模に凍らせたことで倦怠感が漂うが、セルリー様の修行やお爺様との手合わせを思い出せばまだイケる。
そんなことを考えながら立ちあがり、グッと背を伸ばす。次いでエルフ達がいる方へ目を向ければ、微笑むリエスがいた。
「お見事。さすがは数多の精霊様から寵愛されし勇者だ」
しかしそう言い終えるなり彼女の表情は一変し、呆然としているエルフ達を鋭い眼差しで見据える。寒さからか、リエスの冷たい視線にさらされたからかは知らぬが、エルフ達の顔は青かった。
そんな中で商人はというと、なにを言うでもなく拘束されたまま座り込み、凍り付いた室内をじっと眺めている。しかしそう経たないうちに俺の視線に気が付いたのか、ゆっくりとその眼差しをこちらに移した。
まっすぐ俺を映す瞳の裏にあるのは、畏怖か恐怖か感嘆か。
表情のない顔からは判断できないが、とりあえず彼には聞かねばならないことがある。
「すべてはエラトマ会長の指示だったのか?」
なんの色もない視線に居心地の悪さを感じつつ問いかければ、会長の名に反応したのか商人の顔が歪む。ようやく光が宿った瞳には、羨望や悲しみ、悔しさなど様々な感情が浮かんでは消えていく。
……俺達もろともすべてを土に還そうとするくらいだからな。
思うところは色々あるのだろう。
しばしの葛藤のあと、俺から目を逸らした商人は改めて室内を見渡し、倒れ伏した剣士や槍士、顔色の悪いエルフ達とそんな彼らを見下ろすリエスをしげしげと観察すると大きなため息を零す。
そしてゆっくりとした動作で俺を仰ぎ見ると、力なく笑った。
「――いいえ。会長は『シャルツ商会はもう終わりだから、逃げるなりなんなり好きにしなさい』と。大方、慌てふためいて逃げる従業員達を高みから見下ろして、楽しみたかったのでしょう。エラトマ様はそういう方ですからね」
そう語った商人は今度こそ本当に諦めたのか、疲れたように体の力を抜き地に伏したのだった。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。




