第二百二十四話
コミカライズのお知らせへ沢山の温かいお言葉をいただき、ありがとうございました。
今話からドイル視点へ戻りますので、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。
エーデルシュタインの王太子ブリオ殿下から得た情報を元に聖木の売買の詳細を探るためハンデルを出発したのが昨日の昼過ぎ。そしてラファールの力を借り、アルヴィオーネに見守られながら空を飛ぶこと一日足らず。
俺とリエスは昼食の時間を少し越えたくらいに、アグリクルトの大神殿がある都市の関所付近へと降り立ったのだった。
「大丈夫か? ドイル」
「ああ」
久方ぶりに踏みしめた地面の感触に腹の底から安堵の息を吐き出しながら、首を傾げているリエスに頷く。
結果から言えば、ラファールの大丈夫はやはり大丈夫なんかじゃなかった。
王城の魔術師や薬師達への仕打ちを思い出すべきだった……。
フェニーチェ達にちょっかいを出した彼らの末路がフリーフォールならば、今回の旅路はさながら高速ジェットコースターであった。しかも走行経路は雲の上。
ラファールが気を遣ってくれたらしく寒さに打ち震えたり叩き付ける風で痛みを感じたり呼吸が苦しいなんてことはなかったが、速度が尋常じゃない。早馬でほとんど休まず駆け抜けて二日半かかる距離を一日で進んだのだから当然なのかもしれないが、他の者達は来なくて正解である。
飛ぶように流れる空と雲の切れ間から覗く地面の遠さや建造物の小ささが肝を冷やし、翼を持つ魔獣や漂う精霊を避けるため予告なしで行われる縦横を問わない方向転換に心臓が早鐘のごとく脈打つ。夜になり視界が黒一色に染まってからはそれなりに休めたが、明るい時間帯は地獄だった。
だというのに、女性陣は誰一人堪えていない。
精霊であるラファールやアルヴィオーネはともかく、顔色一つ変えないリエスに驚きが隠せない。あの空旅で『もしかしたら』とか『万が一』とか一度も考えなかったのだろうか。だとしたら精霊への盲信が凄すぎる。
『……私なにか失敗しちゃったかしら?』
そんなことをつらつらと考えていると、ラファールの不安そうな声が耳を打つ。俺が俯いていたものだから心配させてしまったらしい。
気分的には今一つだが肉体的には問題はないし、今回の旅路は急いでいるという俺達の状況を加味した結果とも言えるのでラファールの所為ではない。
進んでもう一度体験したいものではなかったが、衝撃を引きずり過ぎてラファールを悲しませることになっては困る。そのフォローをする時間が惜しいからな。
そう考えた俺は高速飛行の余韻で若干おぼつかない足に力を入れて姿勢を正し、顔を上げる。すると一番に目が合ったアルヴィオーネが任せなさいとばかりにウインクして見せ、不安そうにこちらを窺うラファールや首を傾げるリエスへと語りかけた。
『人間は地で生活する生き物だから長時間空に居て疲れたんでしょ。そうよね? ご主人様』
「ああ。特に問題はないから気にしないでくれ」
アルヴィオーネのフォローに感謝しつつ肯定すればラファールの顔に安堵の表情が浮かび、不思議そうに俺を見ていたリエスもそれならば得心がいったとでも言うような様子で頷く。どうやらこの場は誤魔化せたようだ。
「それはたしかに。ずっと同じ姿勢でいた所為か私も体が固まっている」
首を左右に伸ばしながらそう申告したリエスは、ちょっと待てと呟くと腰に下げた袋に手を入れて中を漁り、乾燥保存された薬草らしき草を二本取り出した。
回復薬の原料になるその草は、そのまま噛めば気持ちばかりだが体力を回復できるので分けてくれるのだろう。しかしリエスはなぜか薬草へ手をかざした。一体なにをする気なのだろうか。
「【緑への回帰】」
スキル名らしきものを囁いたかと思えばかざした手が淡く光り、乾きその生を完全に終えていた薬草が息を吹き返し青々とした葉を広げる。
「回復魔法が使えるのか?」
「まさか」
生き返った緑に驚き思わず声を漏らせば、リエスは青々とした薬草を一本俺へと差し出しながら笑った。
「回復魔法へ適性を示す者は滅多にいない故、生れ出たら里の奥深くで大切に育てられる。これはエルフが持つ固有スキルだ。植物にしか効かないし、対象が有る程度形を残している必要がある。しかし森と生きる我らには大切な力だ」
「……なるほど」
森の民と呼ばれることもあるエルフらしいスキルだ。
渡された薬草をよく見れば切り揃えられていた茎から根が伸びているし、回帰という言葉から想像するに己の魔力を分けて与え植物を再生、育成するもののようだ。
薬学科の先輩方が喜びそうなスキルだな……。
乾燥させた方が成分濃縮されて有用なものもあれば、鮮度の低下と共に効能が薄れていく薬草もあるからな。いつでも採りたての状態に戻せるというのは、彼等にとって大変魅力的な力だろう。
そんなことを考えながらリエスがくれた回復薬の元になる薬草の根をちぎり取り、残りをすべて口に入れて咀嚼すれば気分がスッとして心なしか体が楽になったので、俺は改めてリエスに礼を告げた。
「ありがとう。お蔭で楽になった」
「ああ。それでどうするんだ、と言いたいところだがドイル」
「わかっている」
スッと目を細めたリエスに頷きラファールとアルヴィオーネを仰ぎ見れば、二人は軽く頷いて再び空を舞う。
俺の気配察知の圏内で十人ほどの集団が移動していた。
「ラファール、アルヴィオーネ。見えるか?」
関所から俺達を目指してまっすぐ進んできている集団の正体を尋ねれば、精霊二人から返ってきたのは意外な言葉で。
『銀の鎧を着た人間と馬車が走ってきているみたい』
『あれは神殿の馬車と騎士よ。マジェスタで見たことがある。このままだと鉢合わせるわよ』
二人の言葉に俺とリエスは怪訝な表情を浮べる。
人気のない場所を選んで降り立ったため、周辺に俺達以外の気配はない。人が去り朽ちた建物と背丈の高い草原しかないというのに、鉢合わせるような進路で進んできているということは一体どういうことなのか。
しかもそれが神殿の者達だからな……。
力ある精霊が二人も共に居るのだから、俺達の存在に気が付いていないとは思えない。ラファール達の存在を危惧したのか、それとも俺やリエスに目を付けたのか。どちらにせよ、どういった用件かもわからぬうちに俺やリエスが姿を晒すのは良くない。
大神殿を訪ねて話を聞く前に、不審者として捕縛されては事だからな。
「どうするんだ? ドイル」
「一旦身を隠して様子を見よう。もし今後に不利なりそうな用件だったら、姿を見られる前に逃げるぞ」
「承知した」
方針を確認し合ったところで、俺とリエスは示し合わせたように朽ちかけた屋根に上がった。ラファールはそんな俺達をいざとなったら逃がすため側に佇み、アルヴィオーネは来訪者の行動を観察するために屋根の縁へと腰掛ける。
そうして気配を消して身を隠すこと数分。
馬に引かれて走る馬車は、俺達が潜む朽ちかけた建物の前で足を止めた。
――トス。カチャカチャカチャ。ゴトッ。キィ。
馬から人が下り立ち、数歩進んだかと思えば何かを地面に置く。恐らく馬車の入り口に足台を置いたのだろう。それから時間を空けることなく馬車の扉が開いたような音が辺りに響いたからな。
『――ご主人様。立派な身なりをした神官様のお出ましよ。ちょっと隠れている私のことも見えてるみたいだから位も結構高いんじゃないかしら』
下を覗いているアルヴィオーネのその言葉に、俺もリエスも僅かに身を固くする。
神殿は神々を祀っているということもあり精霊を見ることができる人間が多いと聞く。ラファールが言うには母上も見えておられたみたいだからな。
しかし不完全とはいえ気配を抑えているアルヴィーネが見えるということは、侮れない。恐らく、神殿の中でも上から数えた方が早い方なのだろう。
「……アーバー様。本当にこちらでよろしいのでしょうか?」
「ええ、大丈夫です。この場であっておりますよ――水の精霊様。我々は大神官様のお言葉によりこの近辺にいらっしゃる聖女セレナ様のご子息様をお迎えに参りました。危害を加えることは決してございません。どうか我らの声に耳を貸していただけませんか?」
ブリオ殿下が紹介してくれた神官と同じ名に瞠目すれば、穏やかな声が聞こえアルヴィオーネに恭しく語りかける。
チラリと視線を寄越しどうするのかと問うアルヴィオーネに頷けば、彼女はスッと目を細めて神官達を見下ろし解放した力で軽く威圧しながら高飛車に言い放った。
『聞くだけ聞いてあげるわ。伝えてあげるかは内容次第よ』
「ありがとうございます」
俺やリエスの位置から下の様子を窺うことはできない。
しかし神官の口から零れた感謝の言葉によってアルヴィオーネが聞く耳を持ったことを騎士やお付き者達も理解したのか、安堵の息がいくつも上がったのが聞こえた。
***
予想だにしない来客から数時間。
俺達四人は白い石を用いて建造されたアグリクルトの大神殿の中にいた。
「――それでは大神官様を呼んで参りますので、こちらでしばしお待ちくださいませ」
「ありがとうございます」
アーバー神官はそう言って俺達に恭しく頭を下げると、白い大理石の床を音もなく歩き退室していく。
『……なんだかおかしなことになってるわね』
『そうなの?』
アルヴィオーネの言葉にラファールが不思議そうに首をかしげる。その際サラリと零れ落ちた緑の髪が白と銀でまとめられた室内ではやけに映えて見えた気がした。
……たしかにおかしいと言えばおかしい。
アルヴィオーネの言葉に心の中で賛同しつつ、この部屋に至るまでを思い出す。
俺達を迎えに来た神官はアーバーと名乗っていた。ブリオ殿下が紹介してくれた神官であり、現在は大神官付きという役職に身を置く次期大神官候補とも言える方である。
そんな大神殿の中でも要職に就いている彼がなぜあのような場所に我々を迎えに来たかと言えば、少し前に大神官様が俺の来訪を神託により知ったかららしい。聖女セレナの息子が大神殿になにやら用があるようだから、面倒な手続きを省くためにもお招きという形をとり話を聞こうというわけだ。
上手くいきすぎてこれはこれで不安だな……。
都合良いことこの上ない状況が、逆に心配を募らせる。しかし迎えに来たというアーバー神官や神殿騎士や付き添いの者達は皆腰が低く大変好意的だった。
部屋に入るまでに会った人々は俺の紫色の瞳を見ていたく感動していたようだし、聖女と名高かった母上の威光がそれだけ大きいと言ってしまえばそれまでなのだが、どうもそれだけではない気がする。
なんというか言葉にしにくいのだが、神殿全体が浮足立っているような気配がするのだ。嫌な雰囲気ではないので悪い予感はしないが、歓迎されている理由がわからず腑に落ちない。
俺に回復魔法の適性があれば、彼らが歓迎してくれる理由もわかるんだが……。
神官になれない俺のどこに喜ぶ要素があるのか。さっぱりわからない。
『ねぇ、ご主人様。ちょっと中を探ってみる?』
アルヴィオーネのその提案は魅力的であった。俺も彼女と同じくこの空気の理由が知りたいと思っていたところだからな。
しかし、神殿内には精霊を見れる人間がそこかしこに居る。ラファールやアルヴィオーネが動けばそう時間が経たないうちに見つかるだろう。彼女達が足を踏み入れた場所によっては神殿関係者の不興を買ってしまうかもしれないし、折角好意的な雰囲気を壊してしまうのはもったいない。
「いや、側に居てくれ。悪い気配はしないし、信用を裏切る方が良くないだろうからな」
『そうね。じゃぁ、ラファールと部屋の中でも見てるわ』
「ああ」
どうするか念のため確認しただけだったらしく、アルヴィオーネは俺の答えを聞き終えるなりラファールを誘って高い天井に描かれた神々や精霊を描いた絵を見に行ってしまった。
リエスはと言えば、神殿の清廉な気配が心地いいらしく「まるで聖木の側に居るようだ」と呟いたあと椅子に腰掛け目を閉じてしまっている。
里を出てから気を張っていただろうしな……。
慣れ親しんだ空気に似た部屋の中で安らいでいるようなので、今しばらく休ませてやろうと思う。聖木の消失からゼノスらによって悪用されていることが発覚し、その上数々の件には信じていた同胞が関わっていたとくればその心痛は計り知れない。しかも下手したらハンデルとの戦の可能性もあり、里の命運を背負っているのだ。休める時に休んでいた方がいい。
思い思いに過ごしている彼女達を眺めつつそう結論づけた俺は、この部屋に至るまでに見た神殿内部の光景を思い出しながら在りし日の母上を思い描く。
大半を白と磨かれた銀で埋め尽くされた神殿内は不思議なことに落ち着く雰囲気で、一呼吸ごとに体の中が浄化されていく気がした。
いや、実際されているのだろう。
それほどここは清らかな空気が満ちている。
しかし肌に感じるほどの綺麗さはどこか恐ろしくて、この世のものではないような気さえする。
本来ならば神殿関係者しか足を踏み入れることができない神殿の奥は、常人よりも聴力がいいと自負する俺でも耳を澄ませないと人々の生活音を拾うことができない。その異常なまでの静けさは、どこか浮世離れしていた。
普段の生活ではありえない静寂に嫌悪感はない。しかし人が生きる世界ではない気さえする神聖な空気漂うこの場所で、母上は一体どんな風に日々を過ごしていたのか想像もつかなかった。
人の世とはかけ離れた雰囲気にそんなことを考えながら、白亜に描かれた楽園を見て回る人外な美しさを持つ精霊達を見上げれば、神域を思わすような静けさと相まって悪寒とは違う感覚が背を走る。
畏怖、なのだろう。
人では到底及ぶことができぬ領域で生きる者への本能的な恐怖だ。
――ここは人と神々が交わる境界線。
過った考えと泡立つ肌に、大神殿は人の世にありながら我々人間には理解が及ばぬなにかが存在する場所なのだと感じ入ったその時だった。
空気が僅かに動き、頬を撫でる。
微かに感じたその感覚に振り返れば部屋の入り口がゆっくりと開かれ、白と銀に支配されていた室内に橙色が差し込んでいく。
「――お待たせして申し訳ございません」
廊下を照らす夕日に目を細めながら開け放たれた扉を見れば、母上とよく似た穏やかな笑みを浮かべた初老の男性が立っていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




