第二百二十二話 レオパルド・デスフェクタ視点
「リェチ、サナ。急患だ」
亜空間から愛用の薬箱を取り出しながら二人にそう告げれば、待ってましたとばかりに明るい声が返ってくる。
「はいはい。わかってますよっと」
「治療するんで道を開けてくださいねー」
「! お三方ともなにをっ」
言い争う獣人達を避けながら鳥人の元に向かう俺達を神殿騎士が慌てて追いかけて来るが、師匠に鍛えられた俺達の方が些か早かった。どうせたいした戦力にはなれないのだからと避ける、逃げるといった訓練を重点的にやらされた甲斐があったようだ。
「頑張れよ、ヴァルク」
「一体誰がこんなことを……」
「絶対復讐してやるからな」
争う仲間達や神官達の態度から治療は望めないと思ったのか、患者を囲みながら諦めを滲ませる獣人の一人の肩を掴めば、勢いよく振り返った鳥人の赤くなった目と視線がぶつかる。最後の時を邪魔するなと言いたげな眼差しは鋭く殺気さえ感じられたが、戦闘時ならまだしも必死な患者の付添人となれば怖くもなんともねぇ。
「まだ助かる。治療するから場所を空けてくれ」
見開かれたその目から視線を逸らすことなく見詰めて、意味が伝わるよう一音一句はっきり告げる。そして掴んだ肩を引けば、唖然とした様子ではあるが素直に従い下がってくれたので、これ幸いと空いた場所に体を滑り込ませて患者の診察を始める。
腕や脚や翼と至る所に裂傷が見られるが、やはり一番深刻なのは腕の太さほどのなにかで貫かれただろう脇腹だ。
「俺はこの傷塞ぐからリェチは他の裂傷、サナは造血と魔力を回復させてやってくれ。んで、手が空いた奴から折れた翼の処置に移る」
「「了解!」」
「――治療しますんで」
「――代わってくださいな」
指示を出せばリェチとサナも俺と同じように獣人をどかして怪我人の側に陣取り、己のすべき作業を開始する。その姿を横目に余計なものを巻き込んで塞いでしまわないよう傷口を洗浄していると、チリッ首筋を焼くような視線を向けられたのを感じ、思わず振り返る。
そうして視線を抜けた先では牙を覗かせる黄金色の耳と尾っぽを持った獣人がこちらへ武器を向けていたが、アギニス家で過ごした俺達はこの程度では怯まねぇ。
「――おい。なにをしてやがる」
「やめて!」
「折角治療してくれんだから邪魔するな」
「客人に手を上げないよう忠告したはずです!」
「取り返しがつかなくなるからやめろっ」
先ほどの黄金色の獣人がこちらに寄って来たが、患者を囲っていた面々がすぐさま応戦するように立ち塞がり、追いついた神殿騎士や神官様が張ってくれた結界らしきものが見えたので問題ないなと判断する。
そして視線を再び患者へ戻そうとしたその時だった。
――――!
遠吠えなのだろうが、音というには生易しい鼓膜をつんざくような衝撃が走り、その場にいたすべての生き物が例外なく動きを止めた。
そして訪れた静寂を逃さぬように黒い狼を思わす耳と尾を持った獣人が対立する者達の間に降り立ち、威圧するように告げる。
「やめろ。もはや取り返しのつかぬことを延々と言い争うばかりか仲間割れなど見苦しい」
「「「「「ルーヴ(様)(隊長)(殿)!」」」」」
どうやら彼奴がこの集団の長らしく、先ほどまで争っていたのが嘘のように多種多様な獣人達が身を固くし戸惑いつつも武器を下ろしていく。
……まったく、度肝を抜かれるようなことばっかりだな。
神託の一端を担うことになって神殿の秘密を知って、その上襲撃されて空を飛んだかと思いきや重傷人は居るわ、出て来たのは盗賊の頭でなくどこかの組織の隊長様ときたもんだ。ドイル様に届け物するだけのはずなのに、どうしてこうも目まぐるしいのか。
そういう星の下に生まれたお人を主人に選んだからと言っちまえばそれまでだが、平穏という言葉がほど遠すぎるぜ。
静かになった根城の中で鳥人の処置を進めながら「俺達ももっと色んなもん鍛えねぇとな」などと考えていると人が動くような布ずれや足音が聞こえたのでいったん手を止める。
チラリと背後を確認すれば、周囲を一瞥し争いが止んだことを確認したルーヴと呼ばれた男が部下達の間を縫うように歩み俺達の元へやってくるところだった。しかし患者と俺達の周りには神官様が張ってくれただろう結界があるので案ずることはなにもないと判断して再び手を動かせば、すぐ近くでルーヴが静かに膝をついたのが目の端に映った。
「ヴァルクは助かるのか?」
周囲が固唾を呑んで見守る中、発せられたのはそんな言葉で俺は小さく笑う。
仲間想いな奴は嫌いじゃねぇ。
「任せろ。今なら後遺症も残さず治してやれるから、ちょっと待ってな」
傷を塞ぐための治療薬を手に取るついでにそう応えてやれば、結界の外から安堵の息がいくつも零れるのが聞こえてさらに気合が入る。
こんだけ慕われているんだ。きちんと治してやらねぇとな。
腕をまくり直して患者である鳥人に向き合えば、近くから熱い視線を向けられているのを感じたものの気に留めることなく傷口を見詰める。そして状態をつぶさに観察しながら治療薬を垂らしていけば、真摯な声が俺の鼓膜を震わせた。
「――恩に着る。治療が終ったら貴殿らのことは我々が責任もってフォルトレイスへ送ろう。ここからならば二時間もあれば届けてやれる」
「ああ。そりゃ助かるな」
「なにか治療に必要なものやしてほしいことはあるか?」
認めてくれたらしいルーヴに応えれば手伝いを申し出られたので、遠慮なくほしいものを要求する。俺とリェチとサナは治療するので手一杯だからな。
「んじゃ、体を拭くお湯沸かしてくれ。あとは新しい着替えだな」
「承知した」
そう言って立ち去るルーヴと入れ替わるように神官様と神殿騎士達が訪れる。そして神殿騎士達は俺達を守るように陣取り、結界を解いた神官様は俺の隣へと腰を下ろした。
「…………レオパルド殿はそれでいいのですか? お仕えする主人がお待ちでしょうに」
傷口を見詰めているので表情は窺えないが、神官様の声色にはわずかに戸惑いが滲んでいる。
なによりも優先すべき【神託】ではなく、襲撃者達の仲間を助けることを選んだ俺達に言いたいことがあるのだろうが口にしたりはせず、己の不満は隠したりと若いのに大変よくできたお人柄だ。それにどのような方法を用いても俺達を逃がそうとしたところからいって、責任感や使命感が大変強い人なのだろう。
……迷惑かけてわりぃが今回は甘えさせてもらうぜ。
その志を利用するようで気が引けるが、俺達にも譲れないもんがある。
「色々よくしてもらったのに悪いが、これでいいんだ。患者を見捨てて荷物を届けに来たなんて言った日にはどやされちまうからな」
そう告げたあと、傷口に治療薬を慎重に垂らしていけばリェチとサナの誇らしげな声が耳を打つ。
「そうそう!」
「僕らのご主人様は高潔な人なのです!」
「「ねー」」
思ったよりも効きの悪い治療薬に見立てを誤ったかと舌打ちして、別の薬を取り出す。その際見えた嬉しそうに主人自慢する二人の姿に、もはや信者と化している従者を思い出しつつ注意を飛ばせば、なんとなくいつも調子を取り戻せた気がした。
「いいから手ェ動かせ」
「ちゃんと動かしてますよ」
「治療中に手を止めるほど馬鹿じゃないですって」
言い合いながらいつも通り処置を進めていくが、やはりこちらの治療薬も想定より効きがよくない。
――問題はねぇが、塞ぐのに予定より時間がかかるな。
俺達の薬は基本的に人間を想定して調整してあるので、この程度の誤差は予想の範囲内ではあるが一分が命運を分けるような時には困る。ドイル様はこんなところまで足を運んじまうような性質だし、今後は獣人用の薬も調整しておいた方がいいだろう。
そんなことを考えていると、ため息を零した神官様がそっと患者に手をかざす。
「適性があっても未だスキルを得ていないのでこの程度しかできませんが、やらないよりはましでしょう」
淡い光が患者を包みその体に吸い込まれて消えれば、至る所にある裂傷が若干薄くなり呼吸音が少し落ち着いた。
――回復魔法か。
聖女や聖人と呼ばれる人間ならば腹に開いた風穴さえも瞬く間に塞ぎ、条件が揃えば切り離された腕さえも繋げるという奇跡の力だ。
「ありがとうございます」
意外な助力に礼を言いつつ手を動かす。
治療師を志す者ならば喉から手が出るほどほしい力だが、ないものをいくら羨んでも仕方ねぇ。俺達は自分達にできることをやるだけだと胸中で呟きながら処置を進めて行くものの、不意に浮かない顔の神官様が目の端に映った。
素晴らしい適性を持つ神官様にも色々悩みがあるらしい。
「いいえ。私が得意なのは結界と浄化。回復魔法の適性はあるもののスキル取得までは至っておらず、どれほど魔力を注ぎ込んでもこれ以上の効果は見込めませんから」
「いやいや! とっても助かりますよ。体力も回復するから顔色も良くなってますし」
「命の瀬戸際にある人にかければ治療する時間が生まれるんですよ。それってすごいことです!」
手を止めぬままそう告げたリェチとサナに思いもよらないことを言われたといった表情を浮べた神官様だったが、少しして噛みしめるように言葉を紡ぎ始める。
「そう、ですね。貴方方の言う通り、スキルに至らぬこの力でも救えるものはあるのですよね……」
そして吹っ切れたような表情を浮べた神官様は、己の亜空間から魔力回復薬を取り出すと一気に飲み干して再び横たわる鳥人と向き合った。
「私も手伝います」
「そりゃ助かります」
ふっと微笑んだ神官様がかざした手から生み出される淡い光が鳥人の体を包み、溶けるように染みこんでいく様はとても神聖で美しかった。
そうして神官様と共に患者の治療に励むことしばし。
回復魔法の効果と相まってみるみるうちに健康体へ戻って行った鳥人ヴァルクは、皆が見詰める中ゆっくりと目覚めた。そして。
「だい――」
「ルーヴは!? アイツはどこにいる!」
ガバッと勢いよく起き上がったヴァルクは、大丈夫かと尋ねようとした俺の言葉を遮り叫ぶ。その形相は必死で、ただならぬ事態なのだと全身で伝えているようだった。
「ここにいるから落ち着け」
「ルーヴ!」
そんなヴァルクの元にすぐ側で見守っていたルーヴが声をかければ、その表情に僅かながら安堵が浮かぶ。しかしその顏はすぐさま歪み、大怪我を負っていた鳥人は悲痛な声で不穏な台詞を叫んだのだった。
「すべて嘘だった!」
「なにが――」
「俺達は皆騙されていたんだ。密約など端から存在しない!」
怒りや悲しみが籠った咆哮にその場が凍りつくのを、俺達は確かに感じ取った。
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