第二百二十一話 レオパルド・デスフェクタ視点
夕暮れ色の大地を見下ろしながら上空を進むこと数時間。
神官様に魔力を温存してもらうため神殿騎士の傷を処置したり、獣人達の盗賊団の説明を受けて隙があれば逃げるよう指導されたりと忙しく過ごしているうちに夕日は沈み、空に星が瞬き始めていた。
そして月明かりを頼りに移動することしばし。
突然の空旅、また夜目が利かないということもあり移動経路を把握しきれず現在位置が定かでなくなった頃、俺達が乗っていた幌馬車は小山の中に下ろされて獣人達に引かれて再び大地を走り出した。
フォルトレイス周辺で活動している獣人の盗賊団の話は有名らしく神官様や神殿騎士達も知っていたようだが、これまで彼らが襲っていたのは物資などを積んだ商隊ばかりらしく神殿所有と一目でわかる幌馬車を襲った理由は不明。ただ、神殿騎士達が言うには、何処の幌馬車か承知で襲ってきていたので大神殿に対して何らかの要求があっての襲撃だろうとのことだ。
よりによってこんな時にと思わなくもないが「先を急ぐ旅なのにこのようなことになって申し訳ない。貴方方のことは必ず解放させますから」と告げる神官様達の表情があまりにも真摯なもんだから、別の不安が俺の胸を過った。
まさか、自分達を犠牲にして逃げろとでも言うつもりじゃねぇだろうな……。
これまでの道中に受けた下にも置かない対応から、神官様達にとって【神託】がどれほど重いのかはなんとなく察している。神様の思し召しならば迷いなくその身を捧げられるほどの信仰が彼らの中にはあり、課せられた運命に殉じたところで後悔などねぇんだろう。
それは国のために生きて死に行くと決めているグレイ殿下やドイル様達とある種、同じ覚悟だ。俺達が命を無駄にするなと諭したところで、彼らは考えを改めたりはしない。
彼等はそれである意味幸せなんだろうが、こっちはたまったもんじゃねぇ。
ドイル様に着いていくって決めた時から荒事に巻き込まれることも大怪我する可能性も承知しているが、俺のために誰かを犠牲にする覚悟なんざまだ持ち合わせてねぇし、そもそもそんな立場に置かれること自体が想定外もいいところだ。
もしもの事態を懸念して出かけた舌打ちをなんとか呑み込みリェチとサナへ目を向ければ、二人も同じようなことを想像していることがその表情からわかった。
「念のため準備しておけ」
「「りょーかいです」」
神官様達には聞こえないよう小声で告げれば二人も囁くようにそう応え、催眠薬や麻痺薬などを手に取りやすいところへ隠していく。その姿を横目に俺も鍼や薬が仕込んであることを確認していった。
目まぐるしい展開に先刻は後れを取ったが、敵を無力化する方法はそれなりに用意してきている。師匠直伝の暴れる患者を大人しくさせる薬も鍼に塗ってあるしな。
経験が乏しいが故に襲撃時は動揺が先立ってなにもできなかったが、落ち着いて行動すればこの程度の事態は乗り切れるはずだ。師匠もそう思ったから俺達を送り出したんだろうからな。
そう己に言い聞かせ、心を落ち着けること数分。
幌馬車はたいした距離を走ることなくガタンッと乱暴に止められ、それから間もなく獣人達が顔を見せたかと思えば武器を片手に俺達を睨みつけられた。
「武器を置いて降りろ。抵抗しなければ悪いようにはしない」
予想通りの要求に神官様と神殿騎士達は目配せし合うと、先ほど話し合っていた通りに動き出す。
「――従いましょう。ただし、彼ら三人はとある方からお預かりした客人。神殿の威信にかけても傷つけることは許しません」
「剣以外にも戦う術はあります」
「大人しくしていてほしかったら客人は丁重に扱うことだな」
神官様や剣を外し床に置いた神殿騎士達の言葉に俺達へと目を向けた獣人は、頭からつま先まで視線を動かしながら観察すると次いで鼻を動かした。
その動作に心臓が逸る。薬瓶はきっちり密閉してあるので匂いで薬の種類を判別されることはないだろうし、物騒なやつも目につかないよう隠してあるがもしかしたらという考えが過り手に汗が滲んだ。
しかしそんな俺の心配は杞憂だったようで、獣人は少しして納得するように頷く。
「薬師か」
暗くて表情が見えない中そう呟いた獣人の声色がどこか嬉しそうに聞こえたのは、極度の緊張による幻聴か。その疑問を解消しようとサッと視線を走らせるが不思議に思ったのは俺だけだったようで、少し緊張した面持ちのリェチやサナ、それから獣人達を見据える神官様や神殿騎士達の表情に変化はなかった。
「問題ないなら急ぎましょう」
「ああ。お前ら、一人ずつ出てこい」
その言葉に従い幌馬車を下りれば俺達がいるのは闇夜に包まれた崖の麓だったようで、武器を持った獣人達の後ろには明りが漏れ出る隠れ家らしき洞窟が見える。
「着いてこい」
武器を構える獣人や幌馬車を運んでいただろう鳥人達に囲まれた俺達は、大人しく明かりが灯る洞窟へと足を進め、岩が転がる凸凹した道なき道を歩かされた。
しかし悪路はそう長く続かず、奥に進むほどに足元や壁は整い、道の途中には部屋なのか扉が付いている場所までみられた。
……獣人達が洞窟を掘って住みやすいように整備していった結果なんだろうが、盗賊の隠れ家にしては上等すぎねぇか?
丁寧に拵えられた洞窟内にそんな疑問を抱きつつ歩くこと数分。
――? ――――! ――。――――!?
内容はわからないが言い合っているような音が耳を掠めたかと思えば、少しして薬草とは違うしかし嗅ぎ慣れた匂いが鼻を刺激し、思わずリェチやサナと顔を見合わせる。
「……兄貴」
「この匂いはもしかして」
「ああ」
眉を寄せた二人に苦々しい声で応えながら思い出すのは、先ほど「薬師か」と呟いた獣人の微かに喜色を帯びた声色。あれは俺の幻聴なんかではなく、本当に喜んでいたようだ。
……この先にいる怪我人のために神官様が必要だったのか。
しかし神官様がどの程度のスキルを持ち回復魔法を扱えるのかはわからないし、結界を張ったりしたので魔力切れだってありうる。そもそも素直に回復系の魔法を使ってくれるかもわからないしな。その点、薬師ならば魔力残量に左右されることはないし、治療の過程を見守ることができるから安心だ。
鮮明になっていく血の香りとようやくわかった獣人達が神殿の幌馬車を襲った理由に得も言われない感情を抱きつつ、段々文化的になっていく洞窟の中を進む。
そうして辿り着いた先で見たものは、想像以上の修羅場だった。
「しっかりしろ!」
「ヴァルク……」
「こんなところで死ぬんじゃないわよ!」
部屋の中心に横たえられた鳥人は茶色い羽まで血塗られており、その側には怪我人に必死に呼びかける翼を持つ者達、それから多種多様な耳や尾をもつ獣人達が入って来た俺達へ武器を向けて威嚇している。
……これはどういう状況なんだ?
仲間の後ろに俺達の姿を見つけるなり殺気だった獣人達は明らかに怒っているが、怪我人の周りにいる者達は目を輝かせて神官達を見ていた。そして俺達を連れてきたことで武器を向けられている面々の中には鳥人以外の種族も混じっておりその中の一人、ここまで先導してきた牛のような角をもつ獣人がきつい眼差しで虎のような耳と尾を持つ獣人と睨み合っている。
「その神官達は一体どうやって連れてきた」
「……ヴァルクの治療をさせるのが先だ」
「よもや攫って来たのではあるまいな。大神殿と対立するような事態になれば我々の命などでは済まされんぞ」
「――っじゃぁ! あんたはヴァルクを見捨てろっていうのか!」
「……そうは言っていない。しかしなぜよりにもよって大神殿に手を出したのかを問うているのだ」
「たまたま、此奴らがフォルトレイスに向かって平原を走ってたんだよ。アグリクルトの大神殿から連れてきたわけじゃない」
牛の獣人の言葉に狼のような男は難しい顔で考え込む。
どうやら神殿の馬車襲撃は全員が承知の上だったわけでなく、その上彼らは大神殿と事を構えることをやけに恐れているようだった。
我々の命などでは済まされんぞ、か……。
ここにいる者達だけの問題ではないと言わんばかりの言葉だが俺がそう感じるくらいなので、当然神殿騎士が気に留めないわけはなく。
「根城にしては上等な技術で整備されている上に医薬品も豊富。お前達、ただの盗賊ではないな?」
「ティグリス、カーネ、サングリエ、ムッカ……怪我人はラプタ出身のようですが、獣人の国々がこのように徒党を組むなどなにが目的ですか?」
神殿騎士達が多種多様な盗賊達を見渡しながら告げれば、獣人達の表情が一気に凍り付いた。そしてそんな獣人達の前に踏み出した神官様は毅然とした態度で、厳しい現実を彼らに突き付ける。
「此度の件、簡単に闇へ葬れるとは思わないことです。お預かりした客人の安否は大神殿の威信に関わります。もしも彼らが予定通りフォルトレイスに辿り着いておらねばどうなるか――よく、考えなさい」
厳かに言い放たれた最終通告に獣人達は静寂から一転、一気に騒ぎ出してそこかしこから怒声が飛んだ。
「なぜこいつらを連れてきた!」
「殺して証拠を消すか?」
「無理だ。馬は殺したが騎士を三人置いてきちまってる!」
「人間の足ならまだ追いつけるかもしれんぞ」
「馬鹿か! 余罪増やしてどうするんだ」
「此奴らをサッサと帰して逃げるべきよ」
「まって! ヴァルクの治療をさせてからでもっ」
「無理やり連れて来て治療などしてくれるはずないだろう!」
多種多様な種族が入り混じり喧々囂々と言い合う姿はまさに混乱ここに極まりといった様子で、彼等にとってもこの状況は不測の事態だったことが窺える。
集団で行動しておきながら纏まりきれていない彼らは何者で、一体になにがあったというのか。わからないことだらけで嫌になってくるぜ。
「――レオパルド殿達はこちらへ。もう少し場が混乱したら逃げましょう」
そんな中、仲間割れを始めた獣人達に気付かれぬよう距離を詰めた神殿騎士の一人が俺達にそう囁き、離れてしまった神官様やその側に居る神殿騎士も『逃げろ』と視線で訴えてくる。しかし俺の足は、神殿騎士に背を押されても動こうとはしなかった。
襲撃して攫うなど決して許されることではない。しかし瀕死の仲間を助けようと奔走した彼らと、収まりをみせぬ騒ぎに横たわる怪我人は助からないのかと涙を零す仲間達。そしてなによりもこの場に俺の足を留めるのは、一目で重傷とわかるあの鳥人の存在だった。
ざっと目視しただけでも片翼が折れており、脇腹の傷が最も深く出血量が多い。獣人は総じて体が頑丈だと聞くし、辺りに転がっている薬瓶をみるかぎり出来うる限りの処置は施されているようだが恐らく持ってあと二時間、後遺症を残さず完治させるならあと一時間以内が山場に違いねぇ。
今ならまだ救える。なのになにもせず立ち去るなど、薬学を学び医療に携わる者として論外だし俺の志にも反する行為だ。
そしてあの鳥人を見殺しにして駆け付けたところで、ドイル様は喜ばねぇだろう。元々ドイル様に頼まれて向かっているわけではねぇのに患者をほったらかしたとなれば、幻滅されちまう。
わからないことだらけだが、それだけは確信できた。
――己が苦境に立たされようとも見捨てられない人だからな。
そして俺はドイル様のそんなところも気に入ってるし、尊敬してんだ。
ならば今取るべき行動は一つ。
「リェチ、サナ。急患だ」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




