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甘く優しい世界で生きるには  作者: 深/深木
本編(完結済み)
215/262

第二百十五話

 雲に隔たれ星一つ見えない夜空の下、支店長や従業員達が用意してくれた資材店や木工店のリスト、それからヴェルコ殿が残してくれた資料を元に、ペイル殿やシオンや傭兵達それからスムバ殿やリエス、リヒターさん達と手分けして町中を走る。

 そうして家屋から漏れ出た明かりや手元の光源を頼りに市場や商会、傘下の小売店が集う地区に港や倉庫が居並ぶ一帯、住宅街や城の周辺などを片っ端から足を運び、ヴェルコ殿やピネス殿の姿や痕跡を求め探し回ること数時間。

 リストにあった場所すべてで聞き込みを行い、時にはラファールやアルヴィオーネの力を借りて周辺や建物内を調べたが、おかしなことに目撃情報一つ出てこなかった。

 ピネス殿は闇市場を監視していた兵が目撃したのが最後で、ヴェルコ殿は迎えの者がシャルツ商会で会ったあと完全に足跡が断たれており、両方とも付近で不審な人物や怪しい荷物が運ばれていたという話もない。

 ここまでなにもでないというのは逆におかしい。

 町中が口裏を合わせているのではなかろうかと疑いたくなる状況である。


 ……シャルツ商会ならば、あながち不可能ではない。


 調べて回るうちに知ったのだが、この地で長らく生き残っているシャルツ商会の繋がりは広く、深い。その上、下手打った時の駆け込み寺として他の商人などから利用されているようで、シャルツ商会に関しては『世話になったことがあるから……』と言葉を濁す者が多かった。他の商人達の反応でさえそうなのだから、傘下の店や商会周辺の店ならば口裏を合わせることなど容易いに違いない。

 黒一色だった空が青いグラデーションへ変わりゆく中、舌打ちしながら集合場所にしていた町の外れにある空き地へ駈け込めば、すでにスムバ殿やペイル殿にシオン、リヒターさんやユリアやリエスが顔を揃えていた。どうやら俺が最後だったらしい。


「――駄目でした。皆口裏を合わせたかのように知らないと」


 足早に皆の輪に加わりながら状況を報告すれば、皆の顔にやっぱりなという諦めに似た表情が浮かぶ。

 皆の反応を見るかぎり何処も芳しくない成果であり、俺と似たような対応をされたのだろう。想像通りともいえる結果に思わずため息を零せば、苛立ちを誤魔化すように髪をかき上げたシオンが吐き捨てように告げる。


「こっちもだ。ましな情報といえば、会長さんの護衛としてついて行ったのがうちの奴だったことくらいだぜ」

「気を利かせて会長さんに同行しておきながら誘拐一つ防げなかった不甲斐ない子だけど、一緒に連れていかれているならなにかしらの反応をみせるかもしれないから、何人かに町の周りを見張るように命じておいたわ」

「……なにかあったら若様にも連絡するように言ってあるから、覚えておいてくれ」

「承知した」


 底冷えするような声色で告げたペイル殿の顔色を窺いながら言葉を引き継いだシオンにそう返せば、次いで真剣な面持ちを浮かべたスムバ殿と目が合った。


「俺は、もう一度城へ行ってくる」


 その言葉に改めてスムバ殿を見れば、彼が昨日と異なる正装に身を包んでいることに気が付く。そこで周囲を観察し直せばペイル殿も着替えており、少し離れたところには馬車がすでに控えているではないか。

 あとは出発するだけという状況に少しばかり困惑しながら視線を戻せば、さも当然といった様子でスムバ殿は告げる。


「収穫がなく、手がかりもないとなると一から調べ直すしかないが、その間にハンデルの国軍が動き出しては事だからな」


 まったくもってその通りである。

 しかし、いかにスムバ殿の考えが正しくとも、現在は空が明るくなりはじめたばかり。間違っても城を訪ねるような時間ではない。


「今からですか?」 

「ああ。嫌な顔はされるだろうが、なんとかしてプラタ王に捜索を待ってもらえるよう交渉してくる。だから、こちらのことは頼むぞ」


 王弟という立場を背負っている以上、スムバ殿の行動は国交に影響することになるが大丈夫なのだろうかと案じつつ尋ねれば、迷いない言葉が返されこの場を託された。

 どうやらスムバ殿は非常識なのは重々承知した上で、それでも今行かねばならないと判断したらしい。ならば、俺が気にするのはお門違いというものだろう。


「――ありがとうございます。こちらのことはお任せください」


 覚悟の籠ったスムバ殿の顔をまっすぐ見返して応えれば、スムバ殿はニィと口端を上げて俺の背を叩いた。


「任せた。では、またあとでな」


 よろめきそうなるのを寸前のところで堪えて頷けば、話は済んだといった様子でスムバ殿は馬車へと歩き出す。振り返ることなく進むその背を思わず目で追えば、今度はポンと軽い感触でペイル殿が俺の肩に手を置いた。


「スムバのことは私に任せなさい。そんじょそこらの男どもには負けないわ」


 頼もしく言い放ったペイル殿は艶やかに片目を瞑ると、馬車へ向かうスムバ殿のあとを颯爽と追いかけて行く。微笑を浮べて悠然と歩くその様は、大変男前である。


 ――――バタンッ。


 威風堂々とした彼女の後ろ姿に見惚れること数十秒。戸が閉まるその音にハッと我に返るやいなや馬車は走り出し、朝日が差し込む町中へと消えていった。


「――で、俺達はどうすんだ? 若様」

「もう一度、シャルツ商会に行く。これだけ調べてなにも出ないとなると、すでに必要な場所には箝口令が敷かれているとみて間違いないだろうからな。探し回っても無駄だ」


 口火を切ったシオンにそう応えれば、リヒターさんも頷く。


「その可能性は高いと思います。そして状況的にシャルツ商会はかなり怪しい」


 どうやら彼も俺と同意見らしい。

 しかし浮かべている表情は優れず、資料を見詰める目は苦悶に満ちていた。


「しかし、この資料だけでシャルツ商会を崩すことは不可能です。有力な情報もなく赴いたところで、ヘンドラ商会の方々と同様に『ヴェルコ殿がお帰りになられたあとのことは知らない』と門前払いされてお終いでしょう。それにヴェルコ殿は彼の商会が聖木の売買に関わったと確信していたようですが、一般的にはこの資料だけでそう考えることはできません。カマをかけてみるという手もありますが、この状況下では控えるべきです。身分を伏せて入国している以上、我々よりもシャルツ商会の方が地位も周囲からの信用ありますし、無理に問い詰めようものなら名誉毀損などと騒がれて動きにくくなります。下手したら、エルフの里とハンデルの間に諍いを起こすためにマジェスタやフォルトレイスが我々を忍び込ませたのではと疑われる可能性もあるでしょう。シャルツ商会がヴェルコ殿の誘拐に関わった証拠が出るか、聖木の売買に関わったという証明ができなければ状況を悪化させるだけです」


 リヒターさんの苦言に沈黙が落ちる。

 彼の言葉は、まさしくその通りだからだ。

 シャルツ商会を調べる権利を得るには、誘拐に関わった証拠か商会が聖木を売買したという証拠がいる。

 しかし、もし商会が誘拐に関わっていたのなら、その証拠が出ることはないだろう。

 そして、聖木の売買した証拠を得るにはシャルツ商会の口を割らせるしかない。

 スムバ殿に任せろと言ったものの、正直にっちもさっちもいかない状況だ。せめて聖木の行方がわかればシャルツ商会が関わったかどうか調べることもできるだろうが、目を皿にしてヴェルコ殿が残してくれた資料を読み込んだところでそれらしい記述は見つからなかった。


 もう一度聖木の目撃者に話を聞くか、ラファール達に商会の内部を探ってもらうか……。

 

 前者は時間がかかる上に空振りの可能性が高く、後者はリスクが多い。マリス達とシャルツ商会が繋がっているのなら精霊に対する対策はしているだろうし、そもそもハンデルでも有数の老舗商会の本店がその手の防犯対策をしていないはずがない。

 捜索したことが露見した場合、黒ならば相手の警戒を深めさせ、マリス達にさらなる手を打たれるきっかけになるだろう。そして白だった場合はハンデルに不信を残す上に、下手したら俺達自身が国家間の諍いの引き金となる。


 証拠が出る可能性に賭けるか否か――。


 いいように踊らされている気分だなと胸中で吐き捨てつつ、思案していたその時だった。

 少し離れて俺達の輪を囲っていた傭兵達の空気がピリッと緊張を帯びるのを感じ、伏せていた視線を上げて原因を探す。

 朝市の準備に勤しむ商人達が行き交う町中から外れたこの場所に近づいてくる気配は八つ。

 しかし傭兵達は武器を握るも敵襲の知らせを告げることはなく、警戒してはいるもののどこか困惑した空気が感じられる。

 

 ――なんだ?


 招くように道をあける傭兵達を疑問に思い俺が目を凝らすのと時併せて、頭を動かしていたリエスがスッと目を細めて不可解な言葉を零す。


「ドイル、客人は貴人のようだ。それから側仕え一人に護衛と思わしき男が六人」


 ピネス殿が行方不明である今、ここハンデルで俺を訪ねてくる貴人などまったく心当たりがない。

 一体誰がなんの用だと首を傾げつつ、腰に下げていたエスパーダに手を置く。そして客人を肉眼で捉えようと彼女の隣に移動すれば、同じく移動していたユリアから戸惑いの声が上がった。


「え。なんで、あの方がこんなところに……いやいや、これはまずいって!」


 来訪者の正体に気付くなり身を翻したユリアが空き地の奥にいた傭兵達の背後に慌てて隠れるのを視界の端で捉えながら、俺はようやく見えた来訪者の顔に思わず目を見開いた。

 一方で傭兵達が戸惑いながらあけた道を宝飾品の鎖をシャラシャラと鳴らしながら優雅に歩いてきた客人もまた、俺の姿を認めるなり息を呑み瞠目する。


「「――――なぜ」」


 緊迫した空気の中、重なった言葉に俺も客人も計ったように口ごもる。

 その一連の行動によって偶然の出会いであると悟った我々は、互いに動揺を隠せぬままゆっくりと口を開いたのだった。


「なぜ、貴殿がおられる? アギニス公爵殿」

「そのお言葉、そっくりそのままお返しいたしましょう。ブリオ王太子殿下」





ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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