第二百十四話
ヴェルコ殿の帰りを待つこと数時間。
シオンの問いかけに首を振り、事情を聴くべく応接室から顔を出した俺を出迎えたのは商売で活気づく普段とは違う、どこか不安を誘うざわめきだった。
……ヴェルコ殿の不在はヘンドラ商会の者達にとっても想定外ということか。
廊下の奥から聞こえてくる人々の声に歓迎すべきでない事態であることを悟った俺は、扉の向かい側で不安げな顔を浮かべながら事務所の様子を窺うことに夢中になっている青年と女性従業員に一声かけて歩き出す。
「お二人も気になるのでしたら、どうぞご一緒に」
「! お気遣い、ありがとうございます」
「ご一緒させていただきます」
ハッとした表情で振り向いた二人は俺の言葉に礼を述べると足早についてくる。やはり彼らも未だ帰らぬヴェルコ殿のことが気にかかっているのだろう。廊下の先にある事務所も騒めいているし、ルツェの父君は随分と慕われているようだ。なによりである。
しかし、ヴェルコ殿はなぜ行方知れずになったのか……。
そう考えたのは一瞬のことで、すぐに愚問だなと思い直す。
恐らくヴェルコ殿はなにかを掴んだに違いない。
優秀な商人は客の要望に対し敏感だ。だからこそ最低限の助力しか頼まず、深入りせぬよう念入りに忠告を記したというのに、彼はあれだけの情報から俺が本当に求めているものはなにか見極め、手に入れようとしたのだろう。
そして、巻き込まれた。
マリスは随分と前から俺へ目を付けていたようなので、交友関係も洗っている可能性が高く、ヘンドラ商会と親しくしていたことも知っていたのであろう。
シャルツ商会へ会食しに向かったのは昨日の夕暮れ時で、ゼノスが闇市場にある店から姿を消したのが恐らく夕刻前後。朝方、商会を発ったヴェルコ殿を攫ったのか、シャルツ商会で鉢合わせたのか。
ヴェルコ殿の身に起こったかもしれぬ事態を幾通りも想像しながら事務所へ足を踏み入れれば、ヘンドラ商会の面々が切迫した表情で顔を突き合わせていた。
「――間違いなく、会長だったんだな?」
「はい。多少酔ってらっしゃるようでしたが、行きと変わらぬお姿でした。護衛の方ご一緒にお泊りになるとのことでしたので問題ないと判断し、事務所へ戻りました」
「それが昨日の夜半か」
「そうです」
どうやら事情を聴いている真っ最中らしい。
丁度いい時に顏を出したようだ。
話に熱中している彼らの邪魔にならないよう静かに近づきながら現状を把握すべく目を走らせば、大層動き回ったのか、くたびれた服のまま椅子に腰掛け飲み物で喉を潤している男性を中心に、集った従業員達が次々に質問を投げかけていた。
「それから朝も貴方が迎えに上がったんですよね?」
「ええ、朝市の商人達が店を開け始める頃に。しかし市が終わっても出てこられなかったのでシャルツ商会の方に尋ねたら、数刻前に帰られたと告げられました。それで一度事務所へ戻ってきたのですが、まだ会長のお姿を見ていないと皆が言うので再び探しに出たのです」
「会長の行きつけの店や馴染みの商人のところは回って来たんだな?」
「はい。どなたもお会いしていないそうです。もし会長をお見かけしたら『お得様がいらっしゃったので、すぐに事務所へお戻りください』と言付けてあります」
「しかし会長はおらず、何処からも連絡がない。どうする?」
その言葉に従業一同が渋面を浮べて顔を見合わせる。
「馴染みの業者さんが今日は騎士や兵士がやけに落ち着きがないと仰ってましたよ」
「そもそも彼等ではシャルツ商会を相手取ることは出来ないだろう。あそこは長らくハンデルの経済に貢献している。いいようにあしらわれて終わりだ」
「では、傭兵を雇いますか?」
「――私が行きます」
注目を促すようにコッと足音を鳴らして告げれば、不安げに案を出し合っている従業員達の視線が一斉に俺へと集まった。
「「「ドイル様!」」」
「私が探します。念のため警備隊の方へ届を出しておいてください」
俺の言葉にヘンドラ商会の面々は安堵や困惑や焦燥と様々な表情を見せる。その中でも一等複雑そうな顔をしていたのは、ハンデル支店の責任者であった。
「それは……しかし、よいのですか? ドイル様には重要なご用事があるのでしょう?」
言い淀み頼んでいいものか葛藤している彼に、俺はしっかりと首を縦に振る。
もとよりこれは俺の責任だ。ヴェルコ殿に深入りさせたくないのならば、調べる時間などないくらいギリギリのタイミングで依頼すべきだった。
「ヴェルコ殿は俺の頼み事の所為で巻き込まれた可能性が高いので」
悔やみつつそう口にすれば、支店長は考え込むように顎に手をかけるとやや間を空けてから探るように言葉を紡ぐ。
「……………………会長は、シャルツ商会の販路を使って希少価値が高いうちに色紙の関連商品を売りさばきたいと言っておりました。マジェスタのいたる所で販売している以上、転売する者が現れ独占はいずれ解けますが、工房を抱えているうちが価格競争で負けることはまずありえません。ですから、色紙を餌に販路を掠め取っておこうとのお話に、私も納得しました。それで言われるまま会食の席を用意したのですが……シャルツ商会は老舗と呼ばれるだけあって、方々に伝手を持ち幅広い商品を扱っている商会です。傘下の中には木材などの資材を専門に扱っているところもあったと思います」
「調べられますか?」
「すぐに。念のため会長の部屋も調べてまいります。込み入った事情があったのならばヴェルコは恐らく保険を残しているはずなので」
「お願いします」
俺と支店長の会話を引き金に、従業員達が慌ただしく動き出す。
互いに声をかけあうことで己の仕事を確認しながら行動するヘンドラ商会の面々に背を向け、俺も自身にできることをするため聞き耳を立てていたシオン達へと向き合うべく振り返った。
廊下と事務所の境い目に立つシオンとリヒターさん、それからその後ろから様子を窺っているユリアとリエスを視界に収めたところで口を開こうとするも、それよりも先にシオンが話し始める。
「今、うちの連中を呼びに行かせたから一刻もせずに来ると思うぜ」
「早いな」
「まぁ、このくらいはな」
そう言って肩を竦めるシオンに続き、リヒターさんもすぐさま口を開く。
「私の判断で部下達にシャルツ商会の近辺の店にヴェルコ殿やゼノスらしき人物を見かけなかった聞きに行かせましたが、よろしかったですか?」
「ええ。助かります」
どうやら俺が頼もうと思っていたことはすべて済んでいたようだ。
ならばヘンドラ商会の面々を手伝いに行こうと再び事務所内へ目を向けたその時、店の扉が揺れチリンチリンと来訪を告げる鐘が鳴った。
その音に玄関近くにいた従業員が反応し駆け寄るが、そんな彼を制したのは聞きなれた女性の声だった。
「申し訳ございません、お客様。本日の営業は――」
「客じゃないから気しなくていいわ。私達はドイル様に会いにきたの」
そんな会話から一拍後、ペイル殿とスムバ殿が顔を見せる。そして事務所内をグルリと見渡したスムバ殿は最後に俺へと視線を固定し、おもむろに現状を問てきた。
「――ずいぶんと慌ただしいがなにかあったのか? ドイル殿」
「木材の売買記録を調べていただいていたヴェルコ殿の行方がわからないのです」
俺の応えに二人が同時に眉を顰めたかと思えば、ややあってペイル殿が固い声で呟く。
「それは歓迎できない奇遇ね」
彼女の口ぶりから察するに、どうやら城でも誰かが行方不明らしい。
嫌な予感が増す情報である。
そう感じたのは俺だけでなかったようで、事務所内へ足を踏み入れたシオンがスムバ殿へなにがあったのだと尋ねていた。
「そっちは誰がいなくなったんだ?」
「前王のピネス・ドール殿だ。昨日の昼過ぎに闇市場へ向かいその後連絡が途絶えたそうで、親しくしている外交官の話によると上層部はエルフの関与を疑っているようだ」
シオンに応えスムバ殿が口にした内容に、一瞬呼吸するのを忘れる。
昨日の昼過ぎから消息不明のピネス前王。
同日の夕刻前後に行方を眩ませただろうゼノス。
昨晩の会食後から行方知らずのヴェルコ殿。
順を追うように姿を消した三人を偶然の一致とは言い難く、俺はさらなる情報を求めてスムバ殿へ問いかける。
「ハンデルの上層部が疑惑を抱いた原因はわかりますか?」
「ここ最近市場でエルフらしき姿が目撃されていたらしい」
「実はゼノスの店でも、リエスがエルフの痕跡を見つけています」
「それは、また。最悪だな」
こちらの状況を伝えれば、スムバ殿は苛立ちを誤魔化すように髪をかき上げながそう吐き捨てた。
その気持ちは痛いほどよくわかる。俺もここがヘンドラ商会の事務所でなければ、悪態の一つや二つ零したい気分だからな。
エルフがピネス殿を攫ったという証拠が出てしまったら、争いはもう避けられない。
仮に人とエルフ、両者が互いに誰かに嵌められていたのだと気が付いたとしても、止まることなどできないだろう。
ピネス殿に手を出すということはそういうことだ。彼の持つ『前王』という地位には多大な影響力があり、またそれだけの価値がある。
故に、すでに殺されているという可能性は低い。
仮にマリス達から殺害指示が出ていたとしても、犯人達は後に起こるだろう戦の雌雄が決するまでは切り札として取っておくはずだ。生かしておけば、足止めや交渉などの際に使えるのだから。
そしてそれはヴェルコ殿も同様。彼は俺に対しての手札として大変有効である。
いまだ死体が見つかっていないならば、二人は今後のために攫われたと考えるのが妥当。救出する余地は十分あるはずだ。
「今、ヘンドラ商会の方々に手がかりと怪しい店を探してもらっています。間もなくシオンが呼んでくれた古の蛇の方々も来られるはずなので手分けして探しましょう」
「ああ」
険しい顔でスムバ殿が頷くと時併せて、事務所の中を慌ただしく動き回っていた従業員達から声が上がる。
「――お待たせしました! これがシャルツ商会と関りがある資材店や木工店です」
「それから、こちらがヴェルコの部屋の金庫の中にありました。先日照会したハンデル市場の木材に関する売買記録の写しと、こちらの書類は恐らくドイル様のご依頼に関する資料です」
「ありがとうございます」
従業員と支店長から渡されたリストと紙の束を受け取り、素早く目を通す。
居並ぶ商会や業者の名前と大中小様々な規模の取引、そしてヴェルコ殿の直筆だろう書類には目新しい木材の目撃情報や噂話についてまとめられていた。
「……ヴェルコ殿は優秀ですね。密偵としてもやっていけそうだ」
「ええ。困ったことに」
一緒に資料を覗き込んでいたリヒターさんから零れた感嘆の声に、ため息交じりに頷く。
想像通り、ヴェルコ殿は自力で聖木に辿り着いていたようだ。『木材の売買記録』という情報一つから俺の目的を察する先見の明は素晴らしいが、有能すぎるのも考えものである。
売り場へ出されることなく引き取られていった『爽やかな甘い香りの木材』を最後に目撃したのは市場の裏側で働く従業員で、今からおおよそ一月前の話。その時パニーア商会の面々が資材の受け取りか何かの際に市場の倉庫で聖木と出会っていた可能性は高く、リエスから聞いた話とも合致する。
売買記録を見れば、本数が少なく売人や買い手までは書かれていない取引の一つに印が付いているので、恐らくこれが聖木なのだろう。
沢山ある無記名の小口取引の中からどうやって聖木を特定したのか、また買い手と売り手のどちらがどうシャルツ商会と繋がるのかこの資料から読み解くことは出来ない。しかし、ヴェルコ殿がなんらかの関連性を見い出した結果行方不明になった以上、賭ける価値はある。
――――パカラッ、パカラッ。ジャリッ。ガチャガチャ。
ヴェルコ殿が残した資料を眺めつつそうこう考えていると馬の蹄や足音、金属が擦れ合う音が耳を掠めたので顔を上げれば、シオンと目が合った。
「――若様。集まり始めたみたいぜ」
「ああ。今行く」
書類の束から資材や木工店の名が記された紙を抜き出して一番上に乗せながらそう応え、外へ出て行ったシオンの後を追いかければ、支店長がそっと扉を押し開け閉まらないよう支える。
「会長をよろしくお願いいたします」
その言葉と共にヘンドラ商会の従業員達が一斉に腰を折った。
あれほど心配していたのだ。彼等とて自身の上司を探しに行きたいに違いない。しかしその気持ちを堪えて、ただ深々と下げられた頭の数々が胸を突く。
――ヴェルコ殿とピネス殿はなんとしてでも見つけ出す。
彼らの帰りを待つ者は大勢おり、俺もそのうちの一人である。それに、いつまでもマリス達の好きにさせておくわけにはいかない。
従業員達の姿を目に焼き付けて、俺は事務所の扉を潜るべく足を踏み出す。
「必ず連れて戻ります」
そうして、夜を徹しての大捜索が始まったのだった。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。




