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甘く優しい世界で生きるには  作者: 深/深木
本編(完結済み)
213/262

第二百十三話

 ――逃げられた。


 アルヴィオーネだけでなくユリアも声を上げたということは、あのゼノスの身代わりは彼女達の眷属やスキルで作られたものなのだろう。

 状況を察してスイッと上空へ飛んでいったアルヴィオーネとラファールを視界の端で捉えながら、舌打ちと共に立ち上がる。


「一応周辺の奴らとは話をつけてあるが、気を付けろよ」

「ああ、わか「シオン」」


 注意を促す傭兵に応えようとしていたシオンの言葉を遮りその名を呼べば、辺りの空気がピリッと緊張を帯び、皆の視線が俺へと集まる。


「ゼノスがいない」

「なっ!?」

「そんな馬鹿な!」


 俺の言葉に監視をしていた二人が真っ先に声を上げる。彼らの眼は片時も目を離さずにいたんだぞと如実に語っており、その主張を俺も疑う気はない。

 ただ、ゼノスの方が上手だったのだ。


 ――いや、この場合ゼノス達がというべきだろうな。


「水の精霊様も注意を促しておられたから間違いないと思うぞ。あの店の中に『人間』はいない」


 リエスの声を背中で聞きながらエスパーダを抜けば、すでに武器を抜いたリヒターさんとユリアと目が合う。


「お供します」

「私も行くわ」

「では、二人は裏手に」

「「はい」」


 左右に分かれて店の裏側へ回る二人を追いかけるように俺もゼノスの店へと向かう。

 玄関までの距離はおおよそ二十メートル。

 ハルバートを握ったシオンが後ろから着いてきているのを目の端で捉えつつ、店まで駆け抜けた俺は扉を蹴破り中へ入る。

 同時に大人の腕ほどはあろう蔓が頬を掠めて扉横の壁へ突き刺さった。

 店内へ押し入った侵入者を阻むように伸びてくる無数の蔓を、冷気を放つエスパーダで薙ぎ払う。ゴトゴトと凍り付いた蔓の断片が床を跳ねる音を背に、再度伸びてくる蔓を避けつつ、破れた白衣を纏わりつかせている中心部まで距離を詰めて一太刀。


「【氷柱】」


 幾重にも蔓が絡み合い一本の木のように見える本体を上下へ両断して氷の中に閉じ込めれば、シオンを追っていた蔓達も凍り付き動きを止めた。


「…………先手を打たれたようだな」

「すまねぇ、若様。これは俺達の手落ちだ」


 吐く息が白く色づく中、鬘や白衣の断片を覗かせる氷漬けになった本体と蔓によって荒れ果てた店内を眺めそう呟けば、四方八方に突き刺さる蔓を砕きながら俺の元へと歩んでいたシオンが悔し気な声を漏らす。


「ゼノスを甘く見過ぎた」


 それは俺も同じだった。

 対峙した時や牢に入れたあと調べた結果、ゼノスの持つスキルや才能は一般的な薬師と大差なかった。それ故に古の蛇の監視を逃れることはできないだろうと心のどこかで高をくくっていた。

 結果、これである。

 マリスの手引きも考慮し、【変装】や【偽装】などのスキルへの対策もしていたというのに、ここまで鮮やかに逃げられるとは想像もしなかった。どうやら俺達の想像以上に彼らは多才らしい。

 苦々しい想いを抱きつつ、悔恨を滲ませるシオンになにか言葉をかけようとしたその時、パキッと氷の割れる音が響き俺達へ来訪者の存在を知らせる。リエスだ。


「――いや。これはゼノスとかいう男を甘く見た所為だけではない」


 彼女は苦し気な声でそう告げたあと、許しがたいものを見つけたといいたげな鋭い目付きで窓を睨んでいた。


「リエス?」

「どうやら私達の仲間にゼノスの逃亡に助力した者がいる」


 そう言って窓に歩み寄る彼女に視線で促され俺とシオンも移動する。


「窓枠に陣を書いているこのインクはエルフの里で使われているものだ」

「……間違いないのか?」


 窓枠にかかれた陣をツーと指でなぞるリエスにそう尋ねれば、怒りを湛えた深緑の瞳が俺とシオンを射貫く。


「これは原料の一部に聖木を使用していて、里で祭事を行う時に用いられる特別なもの。見間違うなどありえない」


 そう言い切ったリエスは怒りを押し殺しきれないようで、彼女から滲む感情の強さに息を呑む。しかし、彼女の置かれた状況を思えばそれも当然かもしれない。

 マリス達に与しているエルフがいるということは、聖木が切り倒された件にも身内が関わっている確率が高いということだ。

 リエスやムスケ殿達との会話を思い出すかぎり、聖木がエルフにとってとても大切なものであることは間違いない。エルフにとって聖木はご神木であり、その身の一部を分け与えてもらうことはあれど、無意味に傷つけることは許されず、ましてや切り倒すなど言語道断と三人揃って言っていたからな。

 それほど大切なものを切り倒したとなれば、仲間に対する大変な裏切り行為である。

 彼女はエルフの里が好きだ。

 そしてエルフという種族としてこの世に生まれ落ちたことを誇りに思っている。

 故に今、リエスの脳裏では『何故』という言葉が絶え間なく巡っていることだろう。


 ……あまり時間はやれないが、彼女には落ち着く時間が必要だ。


 憤りに震える彼女からそっと視線を外し、俺は店の奥へと目を向ける。

 突入前に探って見つけた気配は一つ。室内を探ってみてもリエスとシオンがいる窓以外からはたいした魔力は感じないため、リヒターさんとユリアならば問題ないだろう。

 そう考えていると、店の奥からリヒターさんが顔を覗かせた。


「――――ドイル様。裏口に二人分の足跡がありました。痕跡の明瞭度から半日近く経っていると思われます」

「そうか」


 リヒターさんの言葉に自ずと眉が寄る。

 半日となると昨日の昼から夕方の間に、ゼノスはこの店から脱出していたということだ。それもこれほどの仕掛けを用意していたとなると、もうここに戻ってくることはないだろう。ハンデルに潜んでいるとも考えにくい。


「これを仕掛けたのはマリスでしょうね」

「わかるのか?」

「眷属は主人の魔力に影響を受けますから。わからないように魔石とかの魔力を使う方法もありますが、この様子だとマリスに隠す気はないのでしょう」


 同胞故にわかることなのだろう。氷漬けになった眷属に視線を注ぎながらそう呟くユリアは、複雑そうな顔をしていた。

 俺とユリアが行動を共にしていることくらいマリスも承知しているはずだ。となるとこれをマリスが仕掛けたものだと見抜かれることも、承知している。


 追いつけまいとなめられているのか、それとも己の存在を誇示したかったのか――。


 彼奴の考えがわからない。目的はなんとなく掴めても、行動に至った理由が想像できない。

 糧を得るためと言っても、マリスは一族を率いているわけではない。己の身を危険に晒してまでこれほど大規模に動く必要はないはずだ。そして今回の戦を契機に一族の再興を願うなら、ゼノスだけでなくユリアも連れて行くべきだった。一族がおかれた状況を考えれば彼女が俺の手を取ることくらい予想できただろう。


 ――お前は一体なにを求めている?


 マリスの真意は何処にあるのかぼんやりと考え始めたその時、一陣の風が頬を撫でる。


『店の外に続いてた魔力を追ってみたけど路地裏で途切れてたわ』

『町中を見回ってみたけど、ゼノスはもういないみたい』


 アルヴィオーネとラファールの登場で意識を引き戻された俺は、二人の言葉に「やっぱりな」と心の中でごちる。

 エルフの関与を裏付ける証拠を残してまで、わざわざ古の蛇の監視を欺いて時間を稼いだのだ。ゼノス達はとっくの昔に次の仕事場所へ移動していることだろう。


「どうしますか? ドイル様」

「…………ヘンドラ商会へ向かいます。エルフの関わった痕跡がある以上、聖木を追えばマリスやゼノスの元に辿り着けるかもしれないので」


 リヒターさんの問いにしばしの逡巡のあとそう応えて、異論がないか確認するように並ぶ顔を見渡せば、皆静かに頷いた。


   ***


 店を出てから一時間ほど。

 店内に他に手がかりになるものはないか検分した俺達は、闇市場を抜け出て繋いでおいたブラン達を回収したあと、その足でヘンドラ商会を訪ねていた。

 目的は市場で扱われた木材の売買記録。

 王家が陣頭指揮を執っている市場の売買記録はハンデルでの商売資格を持っている者が申請を出せば閲覧できるので頼んでおいたのである。

 使いから戻ってきた二羽から『承りました』というヴェルコさんの返事を聞いたのは俺達がフォルトレイスを出発した翌日。あれからまる二日経っているので、恐らくもう用意されているだろう。

 先手を打たれてゼノスに姿を消された今、聖木を切り倒した犯人へ望みを託すしかない。

 そう思ってヘンドラ商会へ足を運んだのだが、不運なことにヴェルコさんは不在だった。


「ヴェルコは昨日の夕方頃、シャルツ商会の者と会食すると言って出かけて行きました。迎えに行った者の話ですと、吞み過ぎたようで泊めてもらうとのことです。遅くとも昼過ぎには戻るかと」

「……わかりました」


 現在時刻は昼少し前。対応してくれた従業員の言葉を信じるならばあと一、二時間でヴェルコ殿は帰ってくる。ならば下手に動いて入れ違いになるより、この場にとどまった方が時間を無駄にしなくて済むだろう。


「若様。目当ての人がいないなら先に頭領達へ連絡入れとくか?」


 シオンの言葉に頷き、思案する。

 フェルトレイスにいる面々に事の次第を伝えなければならないし、王城に向かったスムバ殿とペイル殿にも一報を入れた方がいい。エルフの関与が確定したことでリエスもスコラ殿達や里の者達に伝えたいことがあるだろう。それに俺達のこれからの行動について、指針をまとめて共有しておく必要がある。


「お話し中失礼いたします」


 今後の予定を考えている最中聞こえてきたその声に顔を上げれば、対応してくれていた従業員が魅力的な提案を口にした。


「よろしければ応接室でお待ちになられませんか?」

「……よいのですか?」


 ヘンドラ商会の応接室を貸してもらえるならば大変助かるが、彼らには商会の仕事がある。そう思って尋ねれば、彼は迷うことなく首を縦に振る。


「もちろん。ドイル様は我が商会のお得意様ですから。部下に確認させましたが、本日はもう応接室を必要とするお客様はおられませんので、どうぞごゆっくりお過ごしください」


 そう告げる従業員の背後には先ほどまでいなかった部下らしき青年と女性が控えていた。俺達にヴェルコさんの不在を伝える間に本日の商談予定を確認させていたのだろう。ハンデル支店の責任者だけあって仕事が早い。


「助かります」

「いえいえ。ドイル様とよい関係を築いておくのも商会のためですから」


 イイ笑みを浮べて商会への貢献を促すのも忘れない彼に苦笑すれば、ユリアがボソリと零す。


「……したたかね」

「光栄です」

「こりゃ若様が贔屓にしてるだけあるわ」

「ありがとうございます。――それではどうぞこちらへ。応接室へご案内いたします」


 胸を張って返礼した従業員にシオンが呆れたように告げるも、彼はその言葉にも軽やかな微笑みで応えて流れるような動作で俺達を奥へと招く。

 傭兵三人とエルフを連れて来ても動揺一つ見せず、商魂を忘れぬ彼らは称賛に価する。そうしみじみ思いながら俺は従業員に促されるまま、建物の奥へと足を進めた。


「お世話になります」

「こちらの二人を部屋の外で控えさせておきますので、必要なものや商会の者に用がございましたらなんなりと申し付けてくださいませ」

「ありがとうございます」


 そうして応接室へと案内された俺達は、ヘンドラ商会の従業員達が部屋の中から居なくなると同時に連絡や状況を整理すべく各々動き出した。

 シオンは頭領へ向けての報告書を書き、エリスはエルフの里や伯母に向けて情報を記す。着いてきた二人の傭兵の片割れはスムバ殿やペイル殿へ伝えるため城へ、もう一人は炎蛇や他部隊の面々が待機しているアジトへと戻って行った。

 俺はというとシオン達の手紙を託すためフェニーチェ達を呼び戻し、ラファールやアルヴィオーネ、リヒターさんやユリアと共にゼノスやマリス、聖木を追う手立てを模索する。

 そうして一刻一刻と過ぎてゆく時間を無駄にしないように、各々が行動すること数時間。

 己のなすべきことを終えたシオンやリエス、傭兵達が戻り、ヘンドラ商会の応接室で全員が再び顔を突き合わせた頃には、外はすっかり茜色に染まっていた。

 仕事を終えた商人達や買い物を終えた親子連れが、充実感に満ちた声で今日一日を語りながら歩いていく様は平和そのものである。しかし徐々に人通りが減り、やがて外から声が聞こえなくなっても、ヴェルコ殿は姿を現さなかった。


「――こりゃどういうことだ? 若様」

「…………わからん」


 段々と嫌な予感が募る中、発せられたシオンの問いに応えた自身の声がやけに重苦しく聞こえた。





ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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