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甘く優しい世界で生きるには  作者: 深/深木
本編(完結済み)
211/262

第二百十一話 ヘンドラ商会会長ヴェルコ・ヘンドラ

 ドイル一行がハンデルへ向けて出立したのとほぼ同時刻。

 長く伸びた上尾筒をたなびかせた二羽の青い鳥が主人から託された書簡を携え、密やかにヘンドラ商会のハンデル支店を目指して下降していた。


「急いで運ばねぇと朝市が終っちまうぞ!」

「わかってるよ!」

「荷馬車が通るので道を開けてくださいねー」


 商業国家の名に恥じず、早朝から商いの準備に勤しむ人々の目を盗み店の裏手にある事務所の窓枠に降り立った二羽は、そっと部屋の中を覗き込む。


「――では、今日も元気に販路拡大といこうか!」

「「「はい!」」」


 どうやら朝礼が終ったところだったらしく、簡素ながら上質な衣に身を包んだ壮年の男性の声に従業員が元気よく返事しているところだった。

 各々の仕事をこなすため動き出そうとしている事務所の人々の姿に顔を見合わせた二羽はこれ幸いと頷き合うと、手紙をもっていない一羽が窓の中央まで歩み、ガラスを囲う木枠を嘴で小突く。


 ――コツ、コツ、コツ。


 ゆっくりと三回、扉を叩き入室を求めるかのようなその音に事務所の中にいた人間達が一斉に窓へと顔を向けたのを確認した二羽がふわりと窓枠から離れれば、従業員の一人が慣れた様子で駆け寄り、空からの来訪者を招くように大きく窓を開ける。

 窓を開け放ってくれたお礼に従業員の周りを旋回した二羽は、次いでお目当ての人物の元へ向かう。そうして音もなく壮年の男の前へ降り立つと、ご主人様に託された書簡を取りやすいように胸を張った。

 一方、上質な衣に身を包むこの事務所の主、ヴェルコ・ヘンドラは首元にかけられた筒を開けやすいよう差し出した優美な青い鳥に感嘆の息を零しながら、書簡を受け取るべく手を伸ばしていた。


「失礼いたします」


 ヘンドラ商会の会長である彼が鳥相手に遜るさまは、事情を知らぬ者が見たら飛び上がる光景であったが、それを指摘する者はこの場にいない。

 皆、この鳥達と次期アギニス公爵様が文字通り言葉を交わせると知っているからだ。

 商人にとって中傷被害は身の破滅に繋がるため常日頃から客の使用人への対応には細心の注意を払っているが、会長のご子息よりその報告を受けてから商会関係者達は、フェニーチェ達に失礼がないようにと厳命されている。

 恭しい手つきで手紙を取り出したヴェルコは内容を素早く確認すると、客を相手取るような腰の低い動作で二羽のフェニーチェと向かい合った。


「ご依頼は賜りました。ドイル様がお越しになるまでにご用意できるかと存じますが、その旨を書面にした方がよろしいですか?」


 ヴェルコの問いかけにフェニーチェ達は首を横に振ると、優雅な動きで羽を広げふわりと舞い上がる。そして羽音を立てることなくヴェルコの周りを旋回すると、ハンデルの上空へと飛び去った。

 長く伸びた上尾筒と冠羽をたなびかせながら空高く上るフェニーチェ達の姿は美しく。

 一級品と呼ばれる宝飾や絵画を見慣れているはずの従業員達も賞賛の声を上げずにはいられなかったようで、事務所内がにわかに活気づく。


「アギニス様からのご連絡は何度見ても心躍るな」

「真似できれば王侯貴族相手のいい商売になるでしょうね」

「フェニーチェを飼い慣らせれば、ですけど」


 誰かが告げたその言葉に、皆が思わずと言った様子でため息を吐く。

 無理もない。必ず儲かるとわかっていても実行できないというのは、商人とってこれ以上ない不幸なのだから。


「ヴェルコ会長」

「どうにかなりませんか?」

「飼い慣らすまでいかなくても、繁殖に成功すればいい商売ができますよ」


 新規商売を夢想する従業員達に、ヴェルコは苦笑を浮かべる。

 色紙の開発から二年と少し。今や従業員達はドイル様のことをお客様としてはもちろん、商売の協力者としても申し分ない存在であると認識していると、改めて実感したからだ。中にはドイル様から離れようとしないルツェに対し、後継ぎとしての資質を問うていた者までいるが、まぁ、商売人などそんなものである。ヴェルコ自身、色紙の現物を見るまでは息子の値踏みを疑っていたくらいだ。

 しかしドイル様はルツェの言葉通り、いやそれ以上の名声を手にし、莫大な利益をヘンドラ商会に運んでくださった。そしてこれからの利益も十分に期待できるとくれば、商会が取る行動は一つ。


「ああ、わかってる。だが、我々はすでにドイル様のお蔭で莫大な利益をいただいているからな。これ以上の助力を求めるならば、それに見合う奉仕が必要だ。いい商売を続けるには持ちつ持たれつの関係でなければならん」


 手紙を懐に仕舞いながらヴェルコが告げれば、皆心得ているといった顔で頷く。


「「「存じております」」」

「では、むこう五日の予定を調整してくれ。私でなければならない仕事以外は適任者に割り振り、延期可能なものは再度日程交渉を。もちろん相手方の機嫌は損ねないような」


 急な予定変更だが異を唱える者はいない。


「畏まりました」

「会長はどちらに?」

「ドイル様は木材の取引情報をご所望のようだから、伝手をあたってくる」

「では、現在ハンデルで木材を取り扱っている商家の一覧を持ってきますね」

「頼む。あと、誰か手の空いている者を数人呼んできてくれ。人手がほしい」

「俺が呼んできます」


 ヴェルコが手紙に書かれていた依頼内容を思い出しながら指示を出せば、各々が迷うことなく得意な仕事を持っていき、すぐさま動き出す。

 時は金なり。

 そんな言葉を体現するかのような従業員達の姿をヴェルコは誇らしく感じつつ、自身も出掛ける準備をすべく足早に動き出したのであった。


   ***


 フェニーチェの来訪から三日後。

 私は本日最後の商いで賑わうハンデルの店通りを、馬車の中から眺めていた。

 本来ならばエピス学園にて勉学に励んでいるはずのドイル様が、なぜこの地にいらっしゃったのか私達は知らない。そして恐らくそれは、一介の商人が知るべきではないことだ。

 現に一月と少し前に対面したドイル様は、リヒター殿の代わりに新たな連絡係を商会へ預けるとなにも仰ることなくすぐにフォルトレイスへと旅立たれた。

 それに、私の商人としての勘も深入りしない方がいいと警鐘を鳴らしている。

 しかし、言われた仕事だけをこなしているようでは二流止まり。一流を名乗るのならば、求められた以上の仕上がりで応える必要がある。

 ドイル様からいただいた手紙には『ここ一月の間にハンデルの市場で取引された木材の売買記録を用意してほしい』とだけ書かれていた。『深入りすると危険が及ぶかもしれないから、それ以上のことはしないように』とも念入りに書かれていたが、市場での売買記録の参照などハンデルでの商売資格を与えられている者ならば誰でもできる。

 ドイル様が私にご依頼されたのは下手な商人を選び深入りされることを避けるためと、交渉する時間を惜しんだからだということは、重々承知している。

 これでも国を股にかける商会の会長だからな。手紙の文字や文面から、我々を心配しつつも逼迫した状況であり、葛藤の末の依頼なのだと読み解くことくらいできる。

 わざわざ忠告を記すくらいだ、下手に踏み込むと相当危ないのだろう。

 しかし、危険を承知で飛び込まなければ得られない利益もある。

 ルツェが周囲から非難を受けても決してドイル様の側を離れなかったように。


 ――今回の利益は、ドイル様からの感謝と祖国の平穏といったところか。


 馬車の窓から夕暮れに染まる町を眺めながら、胸中でそっと呟く。

 王女様と将来を誓い、次期国王の右腕となることが約束された次期アギニス公爵様が直々に足を運ぶ案件など、相当な事態であると考えてしかるべきだ。そう踏まえて市場での木材の売買記録、そして伝手と人手を使い集めた噂を吟味すれば見えてきたものがある。

 恐らく、ドイル様が本当に求めている情報はハンデルの市場関係者が『初めて見た』と言っていた木材を売った者についてだ。

 実物を目にした者の話ではその木材からは『爽やかな甘い香り』がしたそうだ。すでに売約済みであったのか、売り場に上がることなく買い手に引き取られていったというその木材の売り手は、シャルツ商会。

 設立から百年近い歴史を持っており、ゆり籠から墓場までを合言葉に幅広い商品を扱っているハンデルでも有数の老舗商会だ。傘下の商会や販売店を多数持ち、本店は王族や各国の大使などを主な顧客としているため、ドイル様が客として訪れても情報を引き出すのは難しいだろう。

 そうこう考えているうちに窓の外を流れていた景色が減速し、やがてカタンと小さな音を立てて馬車が停車する。どうやらシャルツ商会に到着したようだ。


「――着きましたよ、会長」

「ああ。ご苦労」


 御者に軽く応えて馬車の戸を開ければ、同行していた護衛にさりげなく制止される。その後、先に降りた護衛は安全確認が済んだのか扉の側に控え私の降車を見守っていた。

 支店の用心棒として雇っていた傭兵の中から適当に連れてきたが、彼は腕がよさそうだ。覚えておこうと護衛の顔を記憶に残しつつ、馬車から離れ御者へ目を向ける。


「時間になったらここへ迎えに来ます」

「頼む」


 頷き御者と馬車を見送った私の前に聳え立つのは、シャルツ商会の本店。格式高い老舗であるため、顧客として本店の人間と対面することは難しいだろうが、商人としてならば難易度は少し下がる。

 もともとハンデルで飛び込み営業は珍しいものでなく、シャルツ商会ほどになると取引に失敗した商人が商品確保のために駆け込んでくることもよくあるため、急に連絡をしても怪しまれることはない。

 幸いことに、ヘンドラ商会は色紙関連でそれなりに名が知れている。商売の話をしたいと申し出れば、二つ返事で顔合わせを兼ねた会食の場を設けてもらえた。


 ここまでは順調だが……。


 正直なところ、今回の席で噂の木材の話題に上げるのは不可能だ。

 しかしそれでいい。深入りし過ぎるのは危険だ。命は惜しいし、下手につついて相手に警戒されては元も子もない。ドイル様の邪魔立てすることになってしまう。

 そのため、今回の目的は最初から『次の席に部下を連れての来訪を約束をすること』だ。

 私には想像もつかないことだが、手紙に書かれていたことが事実ならばドイル様は今日明日にでもハンデルに到着される。合流したら指示を仰ぎ、ドイル様が選んだ方を部下として再度シャルツ商会を訪問すれば、私にできる仕事は完遂である。

 それ以上の干渉は一介の商人が行なうには荷が重い。

 なにより、ドイル様が許さないだろう。

 おまけをつけ過ぎて不興を買っては本末転倒だが、ここまでなら小言の一つ二つはいただくだろうが感謝してもらえるはずだ。今後の取引も良好なものになろう。

 それに危険も少ない。今晩の会食は互いの従業員を使い準備させたから、私がシャルツ商会を訪れていることは多くの人間が知っている。もし敵対したとしても、今日この場でということはないだろう。真っ先に疑われるのはシャルツ商会だからな。

 そう皮算用しているうちに、馬車の到来に気が付いたシャルツ商会の従業員が朗らかな笑みを携え店の奥から出てきた。


「――お待たせしてしまい申し訳ございません。先日ご連絡をいただいたヴェルコ・ヘンドラ様でお間違えありませんか?」

「はい。この度は突然のご連絡にも関わらず迅速にご対応いただきまして、心よりお礼申し上げます」

「いえいえ。一世を風靡した色紙を開発・製造されているヘンドラ商会様からの商談となれば、お受けしない理由がございません。本日は不在でありますが、会長のエラトマも大変喜んでおりました」


 出迎えてくれた従業員に控えめな態度で応えれば、気をよくしたのか世辞と共にその顔に笑みが浮かぶ。

 この程度で機嫌よくしてくれるなら安いものだ。


「身に余るお言葉をいただき光栄です。本日はよろしくお願いいたします」

「こちらこそよろしくお願いいたします。すぐに担当の者が参りますので、どうぞ中でお待ちください」

そうしてにこやかに挨拶を交わし、私は促されるままシャルツ商会の敷地内へ足を踏み入れたのだった。

「お気遣い感謝します。いやぁ、それにしてもさすが老舗と名高いシャルツ商会の本店ですね。門構えからして風格が違う!」

「ありがとうございます。この門は今から――」

 

   ***


 出迎えてくれた従業員と談笑しながら待つこと数分。

 それほど待たされることなく商談の担当者が現れ、私と護衛は商会の奥にある部屋へと通された。 

 会食にかかった時間はおおよそ三時間。

 予想以上に話が弾んだ印象だが悪くない。シャルツ商会が持つ販路を使って、この地ではまだ流通量の少ない色紙の関連商品を売り捌きたいという商談を見据えての会食だったお蔭で担当者の機嫌もよく、当初の目的は問題なく達成できそうだ。


「では明後日、実際に販売する商品候補をお持ちします。その際ですが、勉強を兼ねて荷物運びとして何人か連れて来てもよろしいですか?」

「ええ、もちろん。お連れする人数が決まりましたらご連絡ください」

「承知いたしました」


 そう応えながら、よく訓練された動きで静かに茶器を並べたシャルツ商会の見習いを見送れば、部屋の中には私と連れてきた護衛と商談担当者だけになり、穏やかな沈黙が訪れる。

 担当者が茶器に手を伸ばすのを眺めたあと、私も運ばれてきたお茶へ手を伸ばす。

 この商談によって独占販売という現状を崩すことになるが、色紙や関連商品はマジェスタに行けば安く買い付けることができるのだ。時間が経てば色紙商品を扱う商会は増え、自ずと独占は解ける。その前に大々的に儲けておき、ついでに老舗の販路を一部でも奪えれば上々だろう。


 一番大事な目的はもう果たせたからな――。


「――まぁ、無事に帰れたら、のお話ですが」


 茶器を机に戻すと同時に耳を打った商談担当者のくぐもった声にバッと顔を上げれば、向かい側に座っていたシャルツ商会の男の鼻から下が不思議な形の布に覆われていた。


「!」

「吸うな!」


 驚きのあまりヒュッと吸いかけた空気を遮るように控えていた護衛が私の口を塞いでくれたが、遅かった。

 鼻をくすぐる微かな香りと共にかすむ視界。

 背後でドサッとなにかが床に落ちる音。

 解放された口が反射的に息を吸い、甘い香りがより一層強く香る。

 緩やかに奪われていく意識。

 机に倒れ伏す最中ぼやける眼が捉えたのは、布で顔の下半分を覆った白金の髪を持つ若者と白衣を纏った黒髪の青年だった。


「……大変魅力的な商談だったのですが、エラトマ会長はご存知で?」

「伝えておく。此奴らも一緒に例の場所に連れていけ」


 商談担当者に応えた黒髪の青年は次いで誰かにそう言い捨てると、クルリと踵を返し廊下の闇に消える。


「――チッ」

「いけ好かない人間だ」

「放っておけ。それよりも護衛に暴れられると面倒だからしっかり縛っておけよ」


 間近で聞えた複数人の声に驚くが、自由にならない身体が反応することはなかった。


「この二人は何処の人間なんだ?」

「知らん」

「俺達が気にすることではないさ」


 倒れた護衛を拘束しているのかゴソゴソと動く音が背後から聞こえ、私も誰かに肩を掴まれ椅子から引きずり降ろされる。

 意識が落ちゆく中、最後に認識したのは人ならざる尖った耳。


 ――――――エルフがなぜ――。


 ヴェルコのその疑問は誰にも届くことなく潰えた。


「行くぞ」


 そして三人の男を抱えたエルフの青年達もまた、廊下の闇に消える。

 甘い香りが漂う部屋に残されたのは、ヘンドラ商会との商談担当者であったシャルツ商会の従業員ただ一人だった。


「………………はぁ。久々に大儲けできそうな商談が立ち消えた上に、ヘンドラ商会への言い訳を考えて、偽装工作もしなければならないなんて。会長に特別賞与でももらわないと割に合いません」


 そう呟いた男は、顔半分を覆う布の下でもう一度大きなため息を吐くと緩慢な動作で立ち上がり、人手を集めるべく部屋から立ち去ったのだった。





ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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