第二百八話
――戦が始まる?
スコラ殿が落とした言葉をきっかけに、何故、どこで、と疑問が次々と湧き上がり、傭兵達や兵達のざわめきが遠のいていく。俺を帰国させたいムスケ殿の前で無様な姿を晒すわけにはいかないというのに、衝撃的な告白に後悔が胸中を急速に占め、焦りからか思考が空回り上手い言葉が出てこない。
このままではまずい。できれば気持ちを落ち着ける時間がほしい。
そう切に願うものの、彼らは甘くなく。
「元来争いを好まない竜の国が進軍を決意した理由は不明です。故に交渉の余地がなく、戦うしかありません。しかも此度の戦は小競り合いではなく、大戦時のような激しく大きな戦いになるでしょう。だから兄は不義理を承知で、貴方をこの地から追い返したかった。ですよね? 兄さん」
「そういうこった。悪いことは言わねぇから、この情報を持ってセルリーやゼノが居るマジェスタへ帰れ。フォルトレイスが抜かれて竜の国に進軍されたとしても、あそこなら聖女も雷槍の勇者もいるし、三人の精霊様が付いているお前が帰れば守りきれるだろう。お探しのゼノスへの落とし前はシオンにつけさせるから、心配すんな」
思考に浸る間もなく滔々と告げるスコラ殿とムスケ殿に、ちょっと待ってくれと叫びたい気持ちをグッと堪えて、代わりに大きく息を吐き出す。
――落ち着け。ここで冷静さを失ったら、丸め込まれてマジェスタに帰されるだけだ。
色々聞きたいことがあるし言いたいこともあるが、感情のまま捲し立てようものなら、冷静に行動できぬガキなど要らんと言われるのは火を見るより明らか。今ここで必要なのは感情論でなく、俺を使うことで得られる利益の提示だ。
となれば俺がすべきは、手に入れたい情報の優先順位を決め、有効な手札の確認である。
まず問うべきは、竜の国がフォルトレイスに辿り着く時間だ。山脈からフォルトレイスまでの間には獣人や蛇人といった亜人達の国々がいくつもあるからな。
次は、ゼノスについて。シオンに任せるということは、すでに居場所を掴み監視しているはずだからな。ゼノスにはマリスの行方を尋ねるという重要な用がある。
そして三つ目は、エルフの森の聖木の件はどうするつもりでいるのかだ。この事件にはゼノス同様、マリスへの手がかりが隠れている可能性が高い。
曾祖父の死の原因やアメリアお婆様が破棄したという契約書、何故この場に居ないティエーラの加護まで見抜けたのかなど、聞きたいことは山ほどあるが、これらは交渉のあとでいい。曾祖父とムスケ殿達が交わした約束をシオンは気にしていたようだが、俺からしてみれば実在したかもわからない契約書に関して不義理もなにもないと思うし、アメリアお婆様が二人の自由を願ったのなら追及すべき話ではない。
しかし、ゼノスと聖木の件は引くわけにはいかない。すでに戦が始まろうとしているのならなおさらだ。エルフと人間の戦が起これば、フォルトレイスの両側で戦が始まることになる。そうなったら、この大陸に大戦時以上の血が流れるだろう。
――それに竜の国の目的がわからないという点も引っかかる。
賢君と名高かったロウェル王を彷彿とさせる話だ。無関係ではないだろう。
そう考えが纏まったところで顔を上げれば、返答を待っていたムスケ殿とスコラ殿と視線がぶつかった。いよいよ交渉の時間である。
「――まず、誠実な情報開示をありがとうございました」
複雑そうな顔をしたシオンとリエス、それからバツが悪そうなスムバ殿、それから戸惑いを押し殺す傭兵や兵士達が俺達三人を見守る中、姿勢を正し努めて冷静な声でそう告げる。
そして動揺を悟られぬよう二人から目を逸らすことなく見つめ返せば、意外だったのか感心したのかスコラ殿が目を瞬かせながら応えた。
「いえ、それは当然のことです。貴方には知る権利がある」
「それでも、ありがとうございました。伺いたいことは山ほどあるのですが、質問や結論を出すよりも先に、お耳に入れておきたいことがあります」
情に訴えることはあれど、交渉中に感情的になるなど愚の骨頂。遠い昔にセバスやリブロ宰相、最近はセルリー様から言われていたことを思い出しつつ、交渉に臨む。
「――まぁ、ご主人様はこれで「はい。わかりました」といって引き下がるような人間じゃないわよね」
「? そうね。私達の愛し子ですもの」
愉し気なアルヴィオーネと、そんな彼女へ不思議そうに応えているラファールの声に緩む頬を引き締めながら、スコラ殿とムスケ殿を見据える。ここでなにも得られませんでしたじゃ、協力してくれたエリスやスムバ殿は勿論、別行動中のリヒターさんやユリアに悪いからな。
「まず、ゼノスという男を追うことだけが俺の目的ではありません」
「なに?」
「俺はゼノスの裏にいる、マリスという男の企みを阻止することを目標としています。マリスは黒と見紛う赤い瞳と髪を持つドライアドの魔王の末裔で、負の感情を操ることに長けています」
『黒と見紛う赤い瞳と髪』という言葉にムスケ殿とスコラ殿、それから傭兵の幾人かが息を呑む。年配の者が多かったので、恐らく【黒蛇】としてお婆様と共に戦場に立っていたことのある人達だろう。
視線を走らせて反応した人物を確認しつつ、俺は畳みかけるように情報を開示してみせる。先程のお返しだ。
「お察しのとおり、お婆様やムスケ殿達が『異能者』と呼んでいた者達とマリスは同族です。大戦の時代、彼の一族はロウェル王を操るだけでなく、自ら戦場に降りて皆の負の感情を煽り、戦を激化させていたようです。この件はお婆様の日記と彼の一族の者から確認が取れています。マリスはゼノスを使い、マジェスタに害なそうとしました。もう一度、大戦を起こそうとしていたようです。そして今も災厄を振りまかんとどこかで暗躍している。リエスが抱えている件やフォルトレイスで最近有名な獣人の盗賊団は、その暗躍の影響を受けているのではと思っています」
俺の言葉を呑み込み言わんとしていることを理解したのか、スコラ殿やムスケ殿の顔色が徐々に変わっていく。
「――――まさか、両側で戦を?」
「そうではないかと思っています」
俺と同じ結論に至ったらしいスコラ殿の言葉に頷けば、彼女は瞠目し口元を手で覆う。フォルトレイスの外交に携わっている者として、実現した場合の影響と被害を考えているのだろう。
顔色を変えたスコラ殿へ誤った返答をしないよう反応を観察しつつムスケ殿へ目を向ければ、こちらからは難しい表情と共に唸り声が上がる。
「まずいぞ、スコラ。ゼノスの潜伏先はハンデルだ。それも里と近い」
「それまた最悪な。万が一、ハンデルが機能しなくなったら武器の追加が見込めなくなりますし、アグリクルトも落ちれば食料は壊滅的です。そうなればフォルトレイスは戦うことができません。竜の国の目的によりますが、三国を素通りとなると人間の国々はあっという間に陥落ですよ」
「竜の国の進軍理由にもマリスの息がかかっているのではないかと思うのですが。穏健な国が唐突に進軍など、ファタリアのようだと思いませんか?」
スムバ殿とスコラ殿の会話に俺の意見も付け加えれば、二人は厳しい顔で押し黙る。先程伝えたマリスの件と自身の過去の経験から、今後どのような流れが起ころうとしているか想像したのだろう。
そろそろ勝負時だな……。
俺を慮ってくれていたらしいムスケ殿の気持ちは有り難いが、その気持ちに甘えられる状況ではないのだ。そのことをお二人もわかってくださったようだし、交渉するならばここだろう。
「一先ず俺はハンデルに向かい、リエスの件やゼノスを追いたいのですが、情報と【古の蛇】のお力をお借りできませんか?」
押し切れると確信を得たところで俺の望みを口にすれば、スコラ殿はその顔に迷いを滲ませ、ムスケ殿は眉間の皺をグッと深くする。
「それは……」
「一番身軽な俺がハンデルへ向かい、ムスケ殿とスコラ殿はこの地で盗賊団と竜の国の進軍理由を探りつつ戦の準備というのが最善かと」
悩むことなく斬り捨てない時点で心が揺らいでいる証拠。実際、畳みかけるようにそう提案したことでスコラ殿の顔に先ほどまでとは違う、俺をどう使うかという思案が浮かんでいる。しかし、ムスケ殿はそう簡単には折れなかった。
「まて。お前はマジェスタに大人しく帰って、ゼノとセルリーをこちらに寄越すという手がある。あの二人ならば戦力として申し分ないし、戦う理由も十分あるだろう。危ないことは年寄りに任せて、ガキは安全な場所で勉強でもしとけ」
ムスケ殿が示した提案に、逡巡していたスコラ殿が顔を上げて俺へと目を向けた。
――チッ! 余計なことを。
兄が出した案も悪くないと思っているのが透けて見えるスコラ殿に、これはまずいと焦りが浮かぶ。しかし。
『無論。今までもこれからも、お前は儂には勿体ない孫じゃ』
『私は引退した身ですからねぇ。余生を楽しみながら、貴方達がすべてを解き明かし報告しに来てくれる日を待つとします』
そう言ってようやく武器を手放したお爺様達を、再び戦場に呼び戻すなど俺には考えられない。それに、二人は俺が死にでもしなければ来ないだろう。彼らは、俺ならやり遂げられると信じ、見送ってくれたのだから。
そう思うと同時に、なにも問題がないことに気が付く。俺に任せるといった二人の言葉に偽りはない。リブロ宰相やエルバ薬師長の要請にも知らぬ存ぜぬを貫いたのだ、例えムスケ殿とスコラ殿が旧友であっても一度こうと決めたお爺様達の気持ちを動かすのは困難を極めるだろう。
「――――現状を伝えたところで二人は来ませんよ。そう、俺と約束しましたから」
「馬鹿な。あいつらはそう簡単に大人しくなるわけがない」
若干余裕を取り戻した俺がゆるく首を横に振れば、ムスケ殿はそう言って鼻で笑う。小馬鹿にしたようなその態度にムッとしつつも、俺はそれを表面に出さずに冷静に応える。
こういったタイプの人間は、感情を荒げず淡々と対応された方が受けるダメージが大きいのだと、セルリー様の立ち振る舞いから学んでいるからな。セルリー様から学んだ手法を思い出しつつ、俺は二人が来ないことを証明するものを記憶の中から探す。
「スムバ様もご覧になった通り、お爺様は俺に負けました。その後、公の役職はすべて返上し、現在はアギニス邸にて余生を過ごされています。また、セルリー様はこの件を私に任せると宣言された時、表舞台に戻らぬ証拠として愛用していた杖をくださいました――」
「セルリーが愛用の杖を手放しただと!?」
思いつく証拠になりえそうな事柄を並べていると、ムスケ殿が杖の下りでガタッと音を立てて立ち上がった。よく見ればスコラ殿も瞠目しており、二人にとってセルリー様が杖を手放したことはかなりの衝撃だったことが窺えた。
「……あの杖をちょっと借りようとして、兄さんセルリーに殺されかけましたよね」
「いや、まて。アメリアが贈ったという杖ではないかもしれん。あれを奴が手放すなど――」
ムスケ殿が殺されかけたという言葉に周囲が信じられんと騒めくが、俺からすればさもありなんといった感じである。セルリー様は口より先に手が出るし、降りかかる火の粉は徹底的に叩き消すお方だからな。フィアの加護もあるし、エルフを叩きのめしていてもまったく違和感がない。
想像できる光景だなと考えながら俺は亜空間を開き、セルリー様から受け取った杖を取り出す。そして巻いてあった布を丁寧にほどき、証拠品を突きつけるべく、いまだ否定の言葉を紡ぐムスケ殿の元へ向かう。
「受け取ったのはこの杖です」
「こ、これは!」
「セルリーが大事にしていた杖ですね……」
ムスケ殿は瞠目し、歩き出した俺に気が付き立ち上がったスコラ殿が杖を覗き込んで、感嘆の息を吐く。受けた衝撃をどうにか呑み込もうとしている二人の顔色を窺いながら、俺はそっと口を開いた。
「お爺様もセルリー様も、マジェスタのことは我々下の世代に任せると仰ってくださいました。信じて託した以上、危機が己の眼前に迫るその瞬間まで、お二人が再び武器を手に取ることはないでしょう。それに、そうあってほしいと願うからこそ、俺は今ここに居ます」
そう、己が望みを紡ぎ、ゆっくりと杖から顔を上げる。そして俺はムスケ殿とスコラ殿を正面から見つめながら万感の想いを込めて、告げた。
「必ず成してみせます。だから俺を信じて、任せてくださいませんか?」
目を逸らすことなく二人と見つめ合うこと、数秒か数分か。
不意にフゥと息を吐く音が聞こえたかと思いきや、ムスケ殿は顔を歪め、スコラ殿は眩しそうに目を細めた。
「……チッ。クソガキが」
「そこまでいうのなら、仕方ありませんねぇ」
「では」
二人の反応に期待を込めてそう問えば、スコラ殿がため息を吐きながら頷く。
「杖がここにあるということは、貴方の言う通りセルリーは来ないでしょうからね。ゼノの話も本当で、連絡したところで恐らく無駄でしょう。公爵やアメリアに楽させてあげられなかった分、貴方にはという気持ちはあるのですが……背に腹はかえられませんし、ゼノスやエルフの件は貴方に任せましょう。いいですよね? 兄さん」
「……ああ」
スコラ殿の言葉に、不服そうながらも頷いたムスケ殿はドカッと椅子に腰掛ける。不遜極まりない態度だが、なんとなくムスケ殿の性格が掴めてきた今、苛立つことはない。それどころか、相変わらず眉間に皺を寄せたまま紡がれた肯定の言葉に、思わず俺はグッと拳を握った。
しかしそれもつかの間。
喜びに浸る俺の肩と腕にポン、ポン、ポンと三つの手が乗せられる。そして。
「若様」「ドイル殿」「ドイル」
間近から聞こえた三つの低い声にビクッと肩が跳ねる。
やばい。すっかり忘れてた……。
ムスケ殿とスコラ殿に認めさせることに夢中で、彼らの存在を完全に忘却の彼方においやっていたことを思い出し、背中に嫌な汗が伝う。しかし、徐々に強まる三つの手から逃げることはできなそうだ。
しばしの葛藤のあと、じわじわと増す指の力から感じる無言の圧力に観念して振り返る。
「「「いい加減、俺(私)にもわかるように説明してもらおうか」」」
すると想像通り、半端な情報のまま放置されて大変ご立腹なシオンとスムバとリエスが俺のすぐ側に立っていたのだった。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。




