第二百七話
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。
懐かしくも寂しさを滲ませた笑みを浮かべたスコラ殿はそう言うと、持っていた杖で鍛錬場の床をトンと叩く。するとたったそれだけの動作で鍛錬場に新たな結界が張られ、どこかから八脚の椅子が現れた。
「スコラ」
「ちゃんと陛下に許可をもらってるので大丈夫ですよ」
スコラ殿の返答を聞いたムスケ殿はフンと鼻を鳴らして、円状に並べられた椅子の一つに座る。そんな兄の態度にスコラ殿は「仕方のない人ですねぇ」と呟きながら苦笑う。
以心伝心な二人に置いてきぼりにされている感があるが、フォルトレイスの王も関わっているのなら俺が問うべきことではないだろう。
「貴方はそちらの赤い椅子、シオンはそこの青い椅子に。リエスとスムバは私の隣に座りなさい」
スコラ殿の指示に従うとなるとシオン、ムスケ殿、リエス、スコラ殿、スムバ殿、一席空けて俺が座り、また空席が一つといった形になり首を傾げる。しかし両脇の席に降り立ったラファールとアルヴィオーネの姿に俺は驚きと共に深く納得した。
万人に見える姿で椅子に座ったラファール達に、スムバ殿や周囲の傭兵や兵士達から微かに驚きの声が漏れる。そんな中、すでに会ったことのあるシオンやリエスは勿論ムスケ殿やスコラ殿も動揺することなく座っていた。
「気が付いていたのですね」
「当然だろう。精霊様達さえいらっしゃらなければ、とっくにお前を城から叩きだしている」
スコラ殿に問いかけたつもりだったが、答えたのは不機嫌そうなムスケ殿だった。苛立ちを隠さないムスケ殿の声色と眼差しにどう対応すべきか迷っていると、女性陣が次々と口を開く。
「感じの悪いエルフね」
「アルヴィオーネ。ムスケは素直じゃないだけで本当は優しい子なの」
アルヴィオーネとラファールのそんなやりとりにグッと押し黙ったムスケ殿に、リエスとスコラ殿が畳みかけるように告げた。
「伯父上はなぜそれほどルイドを邪険にされるのですか?」
「いい加減にしてください兄さん。話が始められないでしょう」
スコラ殿にピシャリと言われたムスケ殿は最後に俺をひと睨みすると、誰にも応えることなく背凭れに腕を乗せそっぽを向いてしまった。乱暴に足を組み、背凭れに腕を乗せて寄りかかる姿は眉間に刻まれた皺と相まってガラの悪い不良のようで、正直、エルフがもつ神秘的な美しさが台無しである。
ムスケ殿の姿に前世から抱いていたエルフへの憧れがガラガラと崩れていくのを感じつつ、俺は指定された椅子にそっと腰かける。なんかもう、色々疲れたのだ。
ムスケ殿の意味のわからない敵意に内心苛立ちを募らせつつ、スコラ殿へ目を向ける。すると彼女は困ったように笑いながら、俺へ謝った。
「兄がすみませんね」
「……いえ」
不満はあるものの、俺は首を小さく横に振って気にしないでくれと伝える。ムスケ殿の態度は理不尽に思えるが、理由がわからないのに不服を口にするのは得策ではない。
そんな俺を見て懐かしそうに目を細めたスコラ殿は一度目を閉じると、表情を引き締めて告げる。
「――それでは、兄の態度の理由も含め、私達がどういった経緯で【古の蛇】という傭兵団を作ったのか、また、今何をしているのかお話ししましょう。シオン、スムバ、それから貴方達にも関係する話ですから心して聞きなさい」
彼女の言葉にシオンやスムバ、そして並べられた椅子の周りを囲うように床に腰を下ろしていた黒蛇の面々やフォルトレイスの兵士達が頷く。そんな周囲の様子に僅かに満足気な笑みを見せたスコラ殿は、ゆっくりと過去を語り出す。
「――始まりは今から五十三年前。当時、兄と私はオピスという傭兵団に身を寄せていました。オピスは長い歴史を持つ傭兵団でしたが、時代の流れか私達が出会った頃には傭兵団とは呼べないほど人数が減っていて……。オピスの武勇を失墜させるくらいならばと言って頭は、人知れず解散する道を選びました。そうして散り散りになったオピスの残党は故郷に帰ったり、国仕えになったり、気の合う仲間と傭兵業を続けたりと自由に生きました。そんな中、兄と私は傭兵団で学んだ知識を使い人間の国々を放浪することを選び、大戦に巻き込まれたのです」
スコラ殿が口を閉じれば、鍛錬場内に沈黙が落ちる。言葉を呑むような事実に俺も含め皆、なにも言えなかったのだ。
――二人が昔オピスに所属していた?
そんなこと日記には書いてなかった。驚きの事実に動揺するも、ふと脳裏にお婆様の優しい文字が浮かび、俺は「ああ、だからか」と納得する。ただでさえ人目を集めるエルフ、それも伝説に近いオピス傭兵団の元団員となれば、平穏な生き方は望めない。だからこそお婆様は友人達の行く先を案じ、その事実を文字に残さなかったのだ。
そうお婆様の胸中を慮っていると、ムスケ殿が意外そうな顔で俺を見ていた。
「知らなかったのか」
「ええ。お婆様の日記には傭兵としか書かれていませんでしたから」
そう答えればムスケ殿はなんとも言えない表情で、俺に問う。
「我々が【黒蛇】という名の傭兵団として、アギニス公爵家の軍に身を置いていたことは」
「……たった今、知りました」
続いた質問の内容に驚き、なぜ今確認したのかと疑問に感じつつもありのままを告げれば、ムスケ殿は苦しそうに顔を歪めて押し黙った。そんなムスケ殿の様子に困惑し、スコラ殿へ目を向ければ、彼女の顔に嬉しいような寂しいような表情が浮かぶ。
「アメリアは私達について、なにも伝えなかったのですね」
言葉の意味がわからず首を傾げれば、スコラ殿は小さな声で「まったく、あの子は……」と呟いてため息を吐く。そして、気を取り直すかのように軽く頭を振ると再び口を開く。
「時折傭兵として働きながら放浪していた私達は武力を求めた人々に勧誘され、それを断ると敵対するくらいならばと言って追われました。顔見知りだった傭兵達が逃亡を手伝ってくれましたが、多勢に無勢。次第に追い詰められ、死にかけていたところを当時のアギニス公爵、アメリアの父君に救っていただいたのです。そうして共に救われた顔見知り達と共に【黒蛇】という傭兵団として公爵軍に身を置き、戦うことで恩返ししようと思いました。しかしそれが、余計な恨みと疑惑を買った」
深い後悔を滲ませるスコラ殿になにも言えず、沈黙する。同時に、俺はアギニス公爵家についてなにも知らないのだと、改めて実感した。
「我々の追手と敵対することになった上に、二人のエルフとそこそこ名の知れた傭兵を一度に雇い入れたことで、アギニス公爵は前線付近の貴族達から疑惑の目を向けられました。なぜ傭兵を前線に送らない、自軍を強化して背を討つつもりなのではないかと。そうして孤立してもなお戦い続け、命を落としたのです。公爵の最後の言葉は我々への恨み辛みではなく、残した娘と息子を、アギニス公爵家に仕える者達を頼む、といったものでした。そうして今際の際にあったアギニス公爵と契約を交わした我々は、アメリアと共に戦場に立ったのです」
涙を零すでもなく淡々と語るスコラ殿の姿は、見る者によっては冷たく映るだろう。しかし俺にはその毅然とした態度が、どんな非難中傷も受け止める決意の表れに思えた。
「我々は必要があらば力になるとアギニス公爵へ約束し、契約書を作りました。当然、それはアギニス公爵家に連なる者ならば有効、もちろんアメリアの孫である貴方でも、です。だから兄は、貴方と会いたくなかった」
その言葉に思わず口を開くが衝撃的な情報の数々を処理しきれず、胸に渦巻く感情を声に出すことなく口を閉じる。そんな俺に代わり、静寂を打ち破ったのはシオンだった。
「――それは不義理がすぎるんじゃねぇの、頭領」
咎めるようなシオンの声にハッと目を向ければ、憤りを携えたアイスブルーの瞳がムスケ殿を見詰めていた。
「こっちにも事情があんだよ、クソガキ」
誰よりも先にシオンが反応したことに驚いている間に、ムスケ殿が吐き捨てるようにそう応える。そんな態度が気に障ったのか、シオンがガタッと音を立てて腰を浮かせはじめていた。
しかしシオンが完全に立ち上がる前に、スコラ殿の凛とした声が響く。
「おやめなさい、シオン。兄さんもそれでは説明になっていませんし、話がこじれるので少し黙っていてください」
その言葉と共にシオンはなにかに押されるように椅子へ倒れ込み、ムスケ殿の口がピタッと閉じる。有無を言わせぬスコラ殿の手腕は、なんだかすごく見覚えがあった。
一連の流れについて行けず目を瞬かせているうちに、力づくでシオン達を黙らせたスコラ殿は二人を気にかけることなく平然とした様子で俺へと話しかけた。
「アメリアは別れ際、拘束力のある契約書は破棄すると言っていました。十二分に働いてもらったから、今後はアギニス公爵家に縛られることはないと。その言葉通り、彼女は【黒蛇】の情報をなに一つ子孫へ残さなかった。しかしだからといって、すべてなかったことにするのはシオンの言う通り不義理が過ぎます。兄とてそう思っているはずです。だから、貴方をなんとしてもこの件から手を引かせ、まだ安全なマジェスタに帰らせたかったのです」
俺がスコラ殿の物言いに疑問を持つよりも早く、今度はスムバ殿が声を上げる。
「まさか!」
「ええ」
血相を変えたスムバ殿になんだどうしたと注目が集まる中、コクリと頷いたスコラ殿はいたって冷静に告げた。
「竜の国の軍が動き出そうとしています。この調子ならば彼らはあと二月も経てば山脈を越え、麓に広がる獣人の国々を蹂躙し、やがてフォルトレイスへ進軍してくるでしょう」
スコラ殿から告げられたその言葉にハッと息を呑んだのは己か、それとも周囲の誰かか。わからぬが、確かめようとは思わなかった。皆、瞬きすることも忘れて、スコラ殿の言葉に聞き入っていた。
「フォルトレイスはもう間もなく戦時体制に入ります。あと数日もすれば関係各所に王命が下り、ほどなくして民への宣言も行なわれるでしょう。そしてこの国の軍も準備ができ次第、山脈の麓に向けて進軍を開始します」
周囲の視線を一身に受けながらも彼女は動揺一つ見せず、静かな深緑の瞳で俺を見据え告げた。
「――戦が、始まるのです」
彼女のその言葉に、クッと喉を鳴らし嗤うマリスの姿が浮かんだ。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。




