第二百五話
用意されていた簡易馬車に乗り込み、スムバ殿の馬に引いてもらうこと数分。ようやく城の中へ入った俺達は現在、最上階にほど近い階層を歩いていた。
フォルトレイス城の中はドーナッツ状の階がいくつも積み重なってできており、一階から最上階まで続く中央の吹抜けでは、竜人や鳥人などの有翼種や風魔法を纏った兵達が、各階に異常がないか目を光らせている。
吹抜けとの境には少し高めの柵があるだけなので、飛んでいる兵達からは各階の様子がよく見えていることだろう。その上、下を覗いてみれば何階かおきに弓兵が柵に沿って配置されている。恐らく、敵がこの吹抜けを飛んで上がった場合は彼らによって撃ち落とされる仕組みなのだろう。
――中身まで城というよりも砦だな。
城内さえ戦場にすることを想定している構造に、感心すると共に背筋が冷える。
この造りならば敵が侵入しても、各階を繋ぐ階段や各部屋の中しか潜む場所はないので制圧しやすいだろう。しかしそれしか潜む場所がないということは、もちろん城内の王侯貴族にも隠れる場がないということだ。
文字通り、この城がフォルトレイスの最後の砦というわけだ……。
至る所に施された戦闘準備と、城内を行き交う貴族や文官、従者やメイドまでもが武器を身につけているのがその証。最後の一人まで戦い続けるというフォルトレイスの意思をひしひしと感じる、恐ろしい城である。
そう感心半分畏れ半分に考察していると、ある扉の前でスムバ殿が足を止めた。
「――ここがスコラ殿のおられる執務室だ。人払いは済ませてあるから、ゆるりと話すといい」
「案内感謝する」
リエスに声をかけたスムバ殿がノックしようとしたその時、カチッと小さく鍵の開く音が耳を打ち自ずと扉が開く。
「……ノックは不要のようだな」
「伯母様らしい」
手を触れることなく開け放たれた扉に目を丸くしたあと苦笑したスムバ殿の呟きに、リエスが懐かしそうに零す。
無駄を嫌う合理主義者なのか入室時のやりとりさえ面倒な性質なのか、はたまた一刻も無駄にしたくない仕事人間か、ただ驚かせたかっただけなのか。リエスから少しだけ聞いた伯母上の話も含めて、想像してみたものの情報が少なすぎて判断が難しい。
くせのあるこの国で外交官の手伝いをしているくらいなので、一筋縄ではいかないのは確実だろうが……と考えたところで、リエスがおもむろに振り返る。そしてラファール達へ目礼すると、ついでとばかりに俺へ向かって軽く手を上げた。
「――ではルイド、またあとでな」
「ああ。久方ぶりの再会を楽しんできてくれ」
おまけのような扱いに苦笑しつつそう応えれば、彼女は軽く頷いて扉を潜る。そうしてリエスが部屋の中へ二、三歩ほど進んだところでまた扉がひとりでに動き出し、やがて完全に閉まるとカチッと鍵が鳴った。
「では、我々も行こうか」
「はい」
扉が閉ざされたの確認したスムバ殿にそう促されて歩きだしたものの、俺達が進んでいる方向はなぜか階段ではなく吹抜けを囲う柵。
……黒蛇の元へ案内してくれるのではないのか?
スムバ殿は一体どこへ向かう気なのか。
疑問に思いつつも、客人という立場故に黙って歩く。しかし、歩を進めるにつれて深まるスムバ殿の笑みと、そんな王弟の行動を呆れた顔で見ている吹抜けの兵達の姿に、徐々に嫌な予感が増していく。
そしてその予感は、聞こえてきた兵達の声によって確信に変わる。
「…………おい。スムバ様が客人と下りられるようだぞ」
「わかった――火の門の方角にいる者は道を開けろ! スムバ様と客人が通られるぞ!」
俺達に気が付き羽を止めていた兵の一人が下の誰かにそう声をかけたかと思えば、不穏な言葉を叫ぶ声が聞こえ、その後伝言ゲームのように同じ台詞が何度も吹抜けに響いた。
……そういうことか。
兵達の声が徐々に遠のく中、これからスムバ殿が取るだろう行動を理解した俺は心の中でため息を吐く。以前会った時は気が付かなかったが、スムバ殿はずいぶんと型破りな方だったらしい。
王族がこれでいいのかと思わなくもないが、慣れた様子で動く兵達を見る限り問題ないようだ。ならば、俺はなにも言うまい。郷に入っては郷に従えと言うしな。好意的に考えれば、体面を繕う必要がないと判断するほどスムバ殿が俺に心許してくれているとも受け取れる。
そう己に言い聞かせている間に柵へと辿り着いてしまった俺は、下を見てみろと指で示すスムバ殿に従い覗き込む。すると、人払いされて一階の床まで綺麗に覗き込めるようになった不自然な空間が、俺達の足元に広がっていた。まぁ、想像通りである。
「ここを飛び降りろ、と」
「階段を使うよりずっと早い」
俺の呟きにそう答えるや否や、スムバ殿は柵に手をかけて飛び越える。そして落下途中でなんらかのスキルを使ったかと思えば、数秒後、鈍い音を立てて一階に着地した。
「――ルイド殿!」
続いて微かに届いたスムバ殿の声。小さくてよく見えないが、どうやら手を振っているらしい。
「あの、お客様。よろしければ下までお送りしましょうか?」
早く来いと言わんばかりのスムバ殿の態度に呆れつつため息を零していると、先輩らしき竜人に促されたのか、年若い鳥人が戸惑いがちにそう言ってくれた。
正直、スムバ殿の対応は客人に対してあるまじきものである。しかし兵達の反応を思い出す限り、これをスムバ殿が日常的に行っているのは明白。彼が与えてくれた『友人』という立場を考えれば、便乗すべきところなのだろう。
純粋な好意から俺を『友人』として扱ってくれているのか、ついでに試そうとしているのか微妙なところだが……。
どちらにしろ、この程度のことができないと思われるのは癪である。ジッとこちらを見上げているスムバ殿に目を細めつつそう結論付けた俺は、鳥人の申し出を丁寧に断る。
「お気遣いありがとうございます。この程度ならば問題はないので大丈夫です。どうぞご自身のお仕事を続けてください」
「お待ちください! お客様――」
言い終わると同時に柵に手をかければ頭上から引き留める声が聞こえたが、俺は気が付かなかった振りをして宙に身を投げた。服や髪が勢いよくはためき、風切り音が耳をつんざくが、このくらいならばラファール達に助けてもらうまでもない。
床まであと十数メートルというところで【浮遊】を使って勢いを殺した俺は、着地寸前にも同じスキルを使用し、靴音を鳴らすことなく一階の床へ着地する。
「お待たせして、申し訳ございません」
そして嫌味を込めてそう告げれば、スムバ殿は楽しいような悔しいような笑みを浮べつつパチパチと手を打った。
「音もなく降り立つとはさすがだ」
「ありがとうございます」
「しかし豪胆すぎて悪戯しても張り合いがない。ルイド殿の父君はもう少し揶揄い甲斐がある方だったぞ」
つまらなさそうに告げられた言葉だったが、俺はスムバ殿の台詞をきっかけに彼が昔父上と共に旅をしていたことを思い出す。
ということは、スムバ殿は二十年前アグリクルトで行われた魔王討伐を知っているのか……。
そう思うと同時に思い浮かんだのは、ユリアの言葉だった。彼女は以前、マリスは二十年前のアグリクルトでユリアとは別の同胞と出会ったことがあるようだと言っていた。
これまでの経緯を思えば、アグリクルトでの魔王出現にもう一人の同胞が関わっていた可能性は高く、そうなると旅路の途中でスムバ殿が彼の一族の者と接触したということも十分ありえるだろう。
バラバラだった情報が朧げに繋がりゆくのを感じながら、俺は口を開く。
「そのお話は後ほど詳しくお聞かせいただけますか?」
「もちろんだ。積もる話もあるから今晩は城に泊まっていくといい。部屋は用意させてある」
俺がマリスやゼノスへの手がかりを探しているのと同じくらい、スムバ殿も今この国で何が起ころうとしているのか知りたいのだろう。含みのある台詞だったが、願ってもない申し出であることには違いないので、俺は喜んで頷く。
「光栄です」
「では昔話はあとにして、一先ずシオンの元へ案内しよう」
「お願いします」
「こっちだ」
言外に情報交換の約束をしたところで、そう言って歩き出したスムバ殿のあとを追う。
『ようやく会えるのね』
『愛しい子が嬉しそうで、私も嬉しいわ』
アルヴィオーネとラファールの言葉に小さく頷きつつ、スムバ殿に導かれるまま城を出る。時同じくして降り注ぐ陽光に目を細めれば、どこかそう遠くない場所で武器がぶつかり合う音が耳を掠めた。
「聞えるか?」
「ええ」
ニィと口端を上げて問うスムバ殿にそう答えれば、彼は満足そうな表情を浮べながら今しがた出てきた主塔の陰にある四角い建物を指さす。
「シオンから聞いた話と現状を考慮してリエス殿やルイド殿が入城次第、鍛錬を始めるよう兵士達に申し付けてある。黒蛇の面々には兵達を鍛えてくれるよう要請しておいたので、鍛錬場に行けば会えるだろう」
「ありがとうございます。ちなみにスムバ殿はどの程度まで事情をご存じで?」
至れり尽くせりな対応に礼を述べつつそう切り込んでみれば、スムバ殿は肩を竦めた。
「ルイド殿がなんらかの理由で【古の蛇】の戦力を求めていて、頭領はなんらかの理由でルイド殿との対面を拒んでいる、くらいしか知らんな」
「頭領は、ですか?」
「ああ。頭領の命にシオンが珍しく不満そうな表情を浮べていた」
その時のシオンを思い出したのか、スムバ殿がおかしそうにクツクツと喉を鳴らす。しかし、その顔に浮かぶ笑みはどこか優しかった。
……スムバ殿とシオンはかなり親しい間柄のようだな。
スムバ殿が浮べた柔らかな表情は、二人の関係が長いものであると認識させるには十分であった。しかしそうなると、シオンの出自やこれまでの境遇、そして【古の蛇】を名乗る傭兵団のあり方に疑問が湧いてくる。
かつてシオンは黒蛇の一人に拾われ育ててもらったと言っていたが、それがどうしたら一国の王弟とここまで親しくなれるのか。そしてフォルトレイスの王族と【古の蛇】の間には一体どのような関係があるのか。もし、【黒蛇】がお抱えになった経緯が城からの要請ではなく傭兵団からのものだったら、【古の蛇】はフォルトレイス王家に対して大きな影響力を持っていることになる。
傭兵団の立場が国に勝るなど、荒唐無稽な話だが……。
そう思う一方で、国王陛下や四英傑の方々に父上や母上の姿が脳裏をちらつき、侮らない方が身のためだと本能が囁く。
これから会う黒蛇の面々は彼らと同じ存在なのかもしれない――。
そんな予感を感じた俺は、念のため頭上に居る二人へ目を向ける。
「――いざという時は頼んだぞ?」
『任せて!』
『任せなさいな。ご主人様』
朗らかな笑みを浮べ応えた二人に「任せたぞ」と囁いたところで、スムバ殿が足を止めて振り向く。
「さて。この門の向こう側に黒蛇の方々がいるわけだが――準備はいいか? ルイド殿」
「はい」
頷けば、一際真剣な色を宿した金茶の瞳が俺を射貫いた。
「【古の蛇】の頭領殿は貴殿の国の英雄達に負けず劣らない化け物だ。心するといい」
覚悟を問うスムバ殿の声色と表情に、先程感じた予感が正しかったことを確信する。
鍛錬場からは武器がぶつかり合う音や叱咤激励する声が聞こえるのだが、壁に施された様々な魔法や結界の所為で中に居る者の魔力がまったく感知できない。力量を外部に漏らさぬためなのだろうが、その完璧な隠蔽術が逆に傭兵団の能力の高さを実感させる。
これを味方にするも敵に回すも俺次第、か……。
そう考えると緊張するが、引くわけにはいかない。
「――はい」
そんな意思を込めて真っ向から見返して応えれば、スムバ殿はフッと笑う。
「ならば、行ってくるといい」
そして、シオンや黒蛇の面々がいる鍛錬場の扉を解き放ったのだった。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。




