第二百三話 シオン・フォルガー
――ドイルがエルフの少女リエスと宿屋で向かい合っている頃。
フォルトレイスの王城の一角にある王弟の執務室では、買い取り所の責任者である竜人レヴィ・メーアと部屋の主であるスムバ・シャムスが向かい合っていた。
「ゴールデンフォックス八、フープスネーク九、ペリュトン二十三。仕留めた者が違うのか三割ほど『良』の判定がつきましたが、それ以外は一撃で仕留められており『特』で支払いました」
客人を招くことを想定していないのか、そこかしこに本や書類が適当に積み上げられた男らしい室内に、レヴィの硬質な声が響く。しかしどこか緊張感を漂わせるレヴィとは異なり、スムバは紡がれる報告を金茶の目を愉しそうに細めながら聞いていた。
「また、城壁や堀の建設資材を仕入れているパニーア商会が件の盗賊団に襲われたそうですが、商品を積んでいた荷馬車三台中一台を奪われただけで人的被害は皆無だったそうです。パニーア商会の護衛を請け負っていたカネルらの話によると、こちらも彼が関わっているとか」
「被害がそれだけで済んだならよかったではないか」
最近話題になっている盗賊団の出現に一瞬鋭い眼差しを浮かべたものの、続きを聞いて笑いを我慢しきれなくなったのか、スムバはおかしそうに笑いだす。そんなスムバの態度が勘に障ったのか、レヴィは咎めるようにその名を呼んだ。
「笑い事ではありません、スムバ様。彼の行いが法に触れないとしても、あれだけ荒稼ぎしていれば妬みや嫉妬を抱く者は多い。その上、本人は私の忠告を気にも留めず、不遜な態度も改めず。このままではいらぬ諍いを生みます」
「そうか。今のところ喧嘩を売った者はいないのだな?」
「ええ。貴方の命令通り、彼の方に無礼を働きそうな者は見張っておりますから」
収まりきらない笑いを噛み殺しながら尋ねたスムバに、レヴィは吐き捨てるように応える。しかしその顔には隠しきれない不満の色が滲んでいた。
――派手にやってんなぁ。若様。
スムバとレヴィのやり取りを部屋の端から眺めながら、俺も声に出さず笑う。同種族以外からは表情がわかりにくいと言われがちな竜人の顔に、これほど感情を浮かばせるとはさすが若様だぜ。
そう一人感心しているうちに、しびれを切らしたレヴィが核心を突く。
「諸々の采配をするのも、皆をなだめるのも私なのです。これ以上何も知らされぬまま、命に従うことはできません! お答えください、スムバ様。聖女セレナ様の色を纏いルイドと名乗る彼は一体何者なのですか?」
苛立ちの籠ったレヴィの言葉にスムバはようやく笑いを収め、顎を擦りながら口を開いた。
「あの方はなぁ……」
「部下にやらせてるにしろ、ペリュトンの群れを数時間で狩っている時点で只者でないことはわかっているのです。立ち振る舞いに垣間見える気品からいって、何処かの貴族なのでしょう?」
捲し立てるレヴィからは計り知れない苛立ちを感じる。まぁ、噂を聞くかぎり若様は随分と周囲を煽っているらしいので、荒れる地元住民の宥め役を押し付けられた彼の苦労は相当なものなのだろう。若様がそう振る舞う原因の一端となっている身としては、耳に痛い主張だ。
剣呑な雰囲気を漂わせるレヴィに気持ち体を小さくしながら、俺は二人のやり取りを見守る。
「はっきりお答えください、スムバ様!」
言い逃れを許さないレヴィの追及に諦めたのか、スムバは「やれやれ」と呟きながらため息を一つ零す。
「あの方はご子息だ」
「誰の」
「聖女様の」
「は?」
言葉の意味がわからなかったのか、それとも理解したくなかったのか、レヴィは一音だけ発し追加の情報を促す。
そんなレヴィに面倒くさくなったのか、スムバは投げやりに告げた。
「だから、あの方は雷槍の勇者アランと共にマジェスタへ渡った聖女セレナ様のご子息だ。去年俺が遥々マジェスタまで足を運んで第三王女との婚約を祝ってきた、彼の国一の武勇を誇るアギニス公爵家の継嗣で炎槍の勇者の孫! 二年前には魔王マーナガルムを一刀両断したドイル・フォン・アギニス、ご本人だ。ペリュトンの群れなど楽勝だろうよ」
スムバの口から出たその言葉に、レヴィは顔に出にくいと定評のある竜人からは想像もつかほど表情を崩して叫ぶ。
「はあぁぁぁぁぁ!? なんでそんな方がこんなところに居るんですか!」
「知らん」
「知らんて! 昨年第三王女様とご婚約されたドイル様といったら、次期マジェスタ国王の幼馴染で大変近しい方なのでしょう? この地で彼の身に何かあったらどうするんですか!」
「だから、馬鹿な真似をする者がいたら止めてくれと言っただろう? まぁ、炎槍の勇者を下して隠居させるような腕前の持ち主だ。並大抵の奴じゃ掠り傷一つつけられずに返り討ちだろうが」
「そういう問題ではないでしょう!? 万が一があったら外交問題、下手したら戦ものですよ!」
「わかってるさ」
「本当におわかりですか? スムバ様。亜人の国々が不穏な動きを見せているこの時期にマジェスタと揉めるようなことがあれば、フォルトレイスは――!」
それからしばらくの間。
荒ぶるレヴィはヒビが入ってもかまうことなくバンバンと執務机を叩きながら、飄々とした態度を崩さないスムバへ現状の危うさを説いたのだった――。
レヴィの絶叫から小一時間ほど。
怒れる竜人をどうにか宥めてお帰りいただき、ようやく静かになった執務室に大きなため息が一つ零れ落ちた。
「この机はもう使い物にならんな……」
レヴィの手によって木片になり果てた執務机を見下ろしながらそう呟いたあと、俺に視線を移したスムバは至極真面目な顔で告げる。
「これ、マジェスタに請求したら弁償してくれると思うか?」
「無理だろ?」
「そうか……。兄上にこれ以上城の物を壊したら、出稼ぎに行けと言われているのだが……」
「あー」
使い物にならなくなった机へ悲しげに視線を落とすスムバの言葉に、彼が尊敬してやまない兄の姿を思い描く。
家族や民想いな良き国王陛下なのだが、争いが絶えない土地であるが故に補強や増築、食料や武器の備蓄が常に必要とされるため大変金に厳しい。彼ならば修理費は自分で稼いでこいくらい軽く告げるだろう。
――スムバの強さを認めて信頼しているからこそ、言えるんだろうけどな。
簡単に想像できるその光景を思い浮かべて苦笑しながら、俺はスムバを慰める。
「まぁ、マジェスタは無理でも若様に言えば出してくれるかもしれないぜ? 色々開発してるらしくて、相当な額の私財を持っているみたいだからな」
「そうなのか?」
「ああ。学生のくせして若様は俺やペイル姐さんが率いる炎蛇全員雇って、費用はほしいだけくれてやると言ったんだぜ? ありゃ、相当持ってる」
「この地に来てからも相当稼いでいるようだしな。若いのに羨ましいかぎりだ」
「買い取り所の知り合いに聞いた。魔獣の処理もほぼ完璧なんだろ? すげぇよな」
木片を片づけるスムバを手伝いながら雑談に興じる。
監視を寄越したり恐ろしい技術力を披露して牽制するくせに、なんだかんだと俺達の身を案じて不足がないよう気遣ってくれる若様を思い出せば、自ずと笑みが浮かんだ。
弟というには頼り甲斐があり過ぎる若様との関係は、共に師匠から扱かわれて過ごしたスムバとの間柄に少し似ている。気安く友と呼ぶには少し歳が離れているが、しかし仕事や金だけで繋がっているわけでもない。契約中は部下だが、主従のように相手の人生に責任を持つ必要がないから側に居て楽だし、礼儀に口うるさい性質ではなかったから気軽な会話ができた。
「――買い取り所の奴らにはいけ好かないクソガキなんて言われてたけど、実際はそんなことないんだよ。たしかに貴族様なんだけど話すと気安くてさぁ。きっと、スムバも気に入るぜ」
出会った場所があれだっただけに落ち着くまで色々あったが、マジェスタ城で若様と過ごした日々は悪くなかった。そう心から思っているからこそ出た言葉だったのだが、なぜかスムバからの返答がない。
口を開く気配がないスムバに、俺はそんなに変なことを言っただろうかと考える。そしてすぐに己が口走った台詞の内容のまずさ気が付き、思わず口元を手で覆った。
しかし一度出た言葉は戻らないわけで……。
「アギニス公爵殿のことを、ずいぶんと気に入っているではないか」
良いことを聞いたと笑み浮かべるスムバにしまったと思うが、もう遅い。情報が命に直結する傭兵業に身を置くようになって十数年。このような失態は駆けだしの頃でもしたことがなかったというのに。
それだけ俺自身、今回の頭領の命令が不服だったってことか……。
ハンデルから呼び戻されて一か月と少し。これまで見て見ぬ振りしていた自身の感情を思わぬ形で思い知り、苦笑する。
「アギニス公爵殿を拒むのは【古の蛇】の総意だと俺と兄上は聞いていたのだが、その様子だと違うようだな。【古の蛇】の面々には王家も昔から世話になっているし、この地の傭兵に顔が利く。故にアギニス公爵殿に貸しを作る折角の機会を見逃すつもりだったが、違ったのか」
確信をもって問いかけるスムバに、俺は両手を上げて降参の意を示す。
「ああ。今回の決定は頭領の独断だ。結構前から副頭領は国王の手伝いで忙しくしてたんだろ? なんでか知らねぇけど、これまで俺達が上げてた若様関連の報告を頭領は全部隠してたみたいでさ。副頭領には若様のことまったく伝えてないんだよ。俺も急に呼び戻されたかと思いきや『副頭領には伝えるな』ってきつく口止めされて、あとは若様に絶対会うな、連絡も取るなの一点張り」
「ほう? では我が国の賢者としてご活躍の副頭領殿は、お前や炎蛇の面々がドイル殿の元に居たことも知らないのか」
「ああ。姐さんもなんで若様に協力しないのか不思議がってたぜ」
溜め込んでいた愚痴も少しだけ述べつつ、不可解な頭領の行動を暴露する。
若様は話のわからない男ではない。ゼノスの件とてまだなにか隠しているようだが、落とし前をつけさせたいという俺達の意思を無下にすることはないだろう。公的な処罰ができないのなら、俺達が納得する落としどころを探してくれるはずだ。
そして、傭兵だからといって不当に扱うこともない。そもそも若様は誰かを捨て駒のように扱える人間ではない。そんな男ならばあの時、あの状況で自ら深淵の森に来るわけがないのだから。
――敬意を払うに値する男だ。
アルゴ殿達マジェスタの傭兵も、己達を率いていく者として若様を認めている。金払いもいいし、仕事相手としてはこれ以上ない相手だろう。それなのに、なぜ。
「……頭領は、若様の一体何が気に入らないんだ」
ずっと胸の内に仕舞い込んでいた不満を思わず口にすれば、なにやら考え込んでいたスムバが目を輝かせる。
「ならば聞きに行こうではないか」
「頭領に聞いても無駄だぜ? 若様の名前を出すだけですっげぇ機嫌悪くなるから」
三百歳をゆうに超えているらしいがエルフである頭領は現在人間でいう三十代、魔術師としての力はまだまだ衰えをしらない。精霊を従えているマジェスタの元魔術師長様ならばともかく、本気で怒らせたら俺達などでは手に負えない相手だ。
それ故、頭領の独断に否を唱えることができなかったというのに、スムバは何を言っているのか。そんな俺の感情が口にせずとも伝わったのか、スムバは首を振る。
「師匠にも勝てない俺達が、頭領に直接意見できるわけないだろう。俺はまだ死ねない」
「なら――」
断言したスムバにどうするつもりなのか聞こうと口を開いたが自信に満ちたその顔を見て、俺は彼がしようとしていることに気が付く。
「まさか副頭領に言いつける気か?」
「当然。頭領を止められるのは双子の妹であるあの方だけだ。ああ、シオンは来るなよ? お前が動くと頭領に露見するかもしれないからな。アギニス公爵殿がこの地に居ることを俺がそれとなく副頭領のお耳に入れてこよう。シオンの話が本当ならば、それで万事解決するはずだ」
双子の妹であり、同等の力を持つ副頭領に此度の件を報告することは俺だって考えたが、【古の蛇】に身を置く以上、頭領の命令は守らなければならないものだ。それ故、不服に感じていても行動しようとは思わなかった。副頭領に問いただされたならまだしも、この地にいる黒蛇の面々だって率先して頭領の命令を破ったりはしない。
しかし、傭兵でもないスムバにそんな気遣いは必要ない。ただフォルトレイスの王族として、【古の蛇】が国内におよぼす影響と若様がもたらす利を天秤にかけていただけだ。
――こんなことにも気が付かなかったなんて。
急に呼び戻されて意味のわからない命令を受けた所為で、知らぬ間に冷静さをなくしていたようだ。一連の流れを姐さん達が知ったら、さぞかし馬鹿にされるに違いない。
しかしそれ以上に、若様と一仕事できるかもしれないことに胸が躍った。
そんな胸中が顔に出ていたのだろう。スムバはフッと笑って立ち上がる。
「――行ってくる。残りの片づけは頼んだぞ」
「ああ」
さりげなく後片付けを押し付けられたが、ここは目を瞑ってやろう。
スムバを見送った俺は扉が閉まる音を背中で聞きながら、張り切って散ばった木片集めに勤しんだのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




