第二百話 セルリー・フォン・テルモス&メリル・ルメディ
(セルリー・フォン・テルモス視点)
――小高い丘の上でドイルがフォルトレイス城を見据えていた頃のエピス学園。
入学式に相応しい晴れやかなその日。
二年前にはドイル君が、昨年は己も立った舞台の上で今年の首席が希望に満ちた眼差しでこれからの学生生活での目標や決意を高らかに告げて、賓客達や教師、先輩方に向けて腰を折ります。
途端に降り注ぐ拍手の中、舞台から颯爽と立ち去る新入生はその途中、不意に足を止めました。どうしたのかと教師陣が注目するも、なんてことはありません。新入生は王太子殿下や第三王女に挨拶し、それからそのすぐ側に座っているドイル君へ頬を紅潮させながら頭を下げると嬉しそうな表情を浮べて自席へ戻って行きました。
「……今年の首席はアギニス派か」
「二年の首席と次席は冬にグレイ殿下の元へ下ったようですし、女子の派閥はクレア王女と彼女の御友人方が完全に掌握してますから、今年もきっと平和ですよ」
「当の本人達が問題起こさなければね」
「まぁ、その時はダス先生の出番じゃな」
「勘弁してくださいよ……」
わかりやすい新入生の態度をきっかけに生徒達の派閥について語りはじめた教師陣の会話を聞きながら、私はドイル君の石像へ目を向ける。
――問題はすでに起こっているのですけどねぇ?
時折石像から覗く土の精霊の変わらぬ姿に目を細めながら、やれやれと心の中で呟く。
土の精霊が入っている石像がドイル君の代わりに姿を見せるようになって早一か月。一体彼は何処へ向かい、どうしているのやら。
まぁ、ドイル君のことですから決着をつけに行ったのでしょうが……。
共に姿を消したユリアと彼女の一族が抱える秘密を思えば、ドイル君が旅立った理由を想像するのはたやすい。この一か月間、石像の手助けをしていたローブ君達やグレイ殿下、クレア王女に問えば何かしらの手がかりは掴めるでしょう。
しかしそこで私は思考を止めました。
過去を思えば様々な感情が胸の中に渦巻き、知れば知るほど己の足で動きたくなります。しかしそれでは、ドイル君との約束を違えることになりますからねぇ。
この私が我慢してあげるなんて、アメリアと君のためぐらいですよ?
感謝しなさい、とここにいないドイル君へ告げる。
誰かが事を成し終えるのを大人しく待つなど性に合いませんが、仕方ありません。幸せな余生を、というのが可愛い弟子からのお願いですからね。
思うまま行動できない不自由さに喜びを感じるというとなんだか怪しげですが、似たような状況でいるゼノならば私の胸中をきっと理解してくれるでしょう。
――たまにはゼノと昔話しながら呑むのも悪くないですねぇ。
近いうちにアギニス家にお邪魔しましょう、と勝手に予定を立てていると、隣から恐る恐るという表現がピッタリな声で学園長が話しかけてきました。
「セ、セルリー様? 恐れながらそのような笑みを浮べて、一体何をお考えですか?」
その声に隣を見れば引きつった笑みを浮べた学園長と目が合う。怯えの滲む表情を浮べている彼からの指摘に己の顔へ手をやれば、口角が上がっていました。どうやら、ドイル君について考えているうちに笑みを浮べていたようです。
これは自業自得なのでしょうが……。
学園長には色々苦労をかけているのは自覚しておりますが、あらぬ疑いをかけられるのは少し面白くありません。なのでつい、きつい言葉を吐いてしまいました。
「学園長たる者がそのような表情をするなどみっともない」
「いや、ちょっとスライム事件を思い出したもので……」
「ちょっとした悪戯でしょう? それにもう済んだことです。それをいつまでも引きずるなんて男らしくないですよ」
「いや、だってあの時の王太子殿下の目は……アギニスも素手で木をへし折る勢いで……王城からの手紙は止まないですし……。これ以上の事件は勘弁してください!」
賓客や生徒達の目や耳を気にしてか、ところどころぼかしつつ懇願する学園長の必死の形相にさすがの私にも僅かばかりの罪悪感が芽生えます。
恐らく、私やゼノがだんまりな所為でリブロとエルヴァの標的が彼に移ったのでしょう。彼らはドイル君とユリアの行動を、把握しておきたくて仕方ないようですからね。
ドイル君を心配する胸中はわからなくもありませんが、その想いが足枷とならないようにリブロ達へ釘を刺すか、目を逸らしておいた方がいいですね。早いうちにゼノと相談しておきましょう。
そんなことを考えながら、私はとりあえず口煩い学園長をあしらうべく口を開きます。
「安心なさい。近いうちにアギニス邸へお邪魔する予定なのでゼノへの悪戯を考えていただけですよ」
「本当ですか? まぁ、それなら問題ない――」
私の言葉を聞いてあからさまに表情を緩めた学園長の言葉を聞き流しつつ、呆れた目を向けようとしたその時です。居並ぶ賓客達の中、一人の女性が身を翻した拍子に浮いた帽子の鍔と首の間で銀色が煌く瞬間を目撃してしまいました。
私がフィアの力を用いて張った結界の中へ偽りの姿で入ることはできません。そして、このマジェスタの地で銀色の髪を持つ女性はただ一人。
卒業後、アギニス邸に住み込みで働いているレオパルド君達と会ったことでドイル君を一目見たくなったのか、入学式の賓客の中に紛れ込んでいたセレナ殿の後姿を目で追う。引退したとはいえ彼女は元聖女、そして実の母君です。ドイル君の身代わりにきっと気が付いたでしょう。これはまずいかもしれません。
今晩にでもゼノの元を訪ねた方がいいかもしれませんねぇ……。
セレナ殿が今後とる可能性のある行動を思いつくかぎり考えながら、私は周囲に気が付かれないようにそっとため息を零しました。
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(メリル・ルメディ視点)
――入学式、翌日。
アギニス邸の一角にあるメイドが共同で使用している控室で少女達の明るい声が響いていた。
クスクス。――ええ! それ本当なの? ――ちょ、声が大きいわよ!
ご主人様方の夕食や湯あみも終わり、本日の業務が一しきり片付いた時間帯ということもあり、室内にはまだ若いメイド達の楽しそうな話し声が響く。そんな中、メイド長たる私は黙々と報告書に目を通しながら、昨日から続くアギニス家の異変に思考を巡らせておりました。
ドイル様からお預かりした弟子三人へ私の不在中にこなすようにと体力づくりと課題を申し付け、エピス学園の入学式にセレナ様と潜入したのは昨日のことです。
『――少し一人にしてくれる?』
また、セレナ様がそう言ってお部屋に籠ってしまわれたのも。
ドイル様の元気な姿を一目見たいという願いに応え共に入学式へ潜入したものの、セレナ様は新入生の首席が挨拶を終え少ししたところでご帰宅を希望。そうしてアギニス邸に帰ってくるなり、お食事をとることなく自室に閉じこもっております。
私が見るかぎりドイル様におかしな様子はなかったように思えたのですが、セレナ様には思うところがあったのでしょう。今思えば、あれほどドイル様のお帰りを待つと仰っていたセレナ様が、突然会いに行くと言い始めた時点でおかしかったのです。聖女であるが故に、何かを感じ取られていたのかもしれませんね。
そうそう。昨日の異変といえば、ゼノ様とセバスにもございました。なにやら急な来客を迎えたらしく、セバスが夜中に茶器一式をゼノ様の部屋に持ち込んだかと思えば、明け方近くまで部屋から出て来ることなく。また、来訪者についての説明もございませんでした。
私の勘なのですが、こちらにもドイル様が関係されているのでしょう。マジェスタでも特殊なアギニス公爵家の邸宅は王城に匹敵する防衛対策がなされておりますもの。それらに引っかかることなく侵入できるのはアギニス家の方々か招かれた客人かこの家に仕える者、もしくは勇者や聖女に匹敵する化け物染みた人間だけ。屋敷内にちらほらと陣が増えているところから察するに、昨晩のお客様はセルリー様であったと思われます。
弟子達も約二名がなんだか不審な動きをしていますし……。
ドイル様から弟子にとってくれとお願いされたレオパルド、リェチーチ、サナーレの三人。そのうちのレオパルドとリェチーチの行動を思い返しながら、ドイル様への手がかりを探します。
ドイル様のご卒業まであと一年。しかし彼らはどうも学び急いています。それはサナーレにも言えることですが、私の知識をすべてものにしようとしているサナーレと異なり、レオパルドとリェチーチの知識欲は現実味を帯びた方面へ偏っています。若者ならばサナーレのように未知の素材や理論段階の夢物語のような薬の話に興味を示すだろうに、二人にはそれがない――いえ。興味はあるのですが、それ以上にその辺りで生えている薬草から傷薬を作る方法など実践的な技術を取得したがっているようです。
そう。まるで、近いうちにそれらの知識が必要になると分かっているかのように――。
人々からの情報と、ドイル様から数か月前に送られてきたアメリア様直筆のアギニス家の歴史書、婚約式の時に起こった魔獣の大量発生時に発覚したドイル様の人脈の広さ。
すべてを統合して考えるに、ドイル様が己の伝手を頼りなんらかの情報を取得、戦いの地に赴こうとしている……いえ。セレナ様のあのご様子だとすでに旅立たれている、との解釈が正解でしょう。
主人の行ないにメイドが考えを巡らせる必要などないと知りつつも、昔のくせか反射的に散ばる情報から状況を解析している己に気が付き、苦笑する。
もう、とっくの昔に引退したはずなのに、染みついた習性とはなかなか抜けないものですね……。
セレナ様と出会う前の自身を思い出し感慨に耽っていると、リーン、リーンと私専用の呼び鈴の音が耳を打つ。
「メリル様? こんな時間にどちらへ?」
「用事を思い出したので、席を外します」
突然席を立った私を不思議そうな表情で見上げる後輩にそう告げて、見ていた報告書を一つにまとめていく。
「お仕事でしたらお手伝いいたしますよ」
「でしたら、私も」
明日の確認も終え雑談に興じていた子達がそう言って手を挙げてくれましたが、セレナ様がお呼びなのは私一人。常人には聞こえない鈴の音が再び鳴るのを聞きながら、私は丁寧に彼女達の申し出を断ります。
「ありがとうございます。でも、私用なので手伝いは不要です」
「かしこまりました」
「私用が終ったらそのまま部屋に戻りますから、待つ必要はありません。各々の用が済んだら待機の者以外は部屋に戻り、休みなさい」
「「「「「はい」」」」」
私の言葉に皆が頷いたのを確認して歩き出せば、「お休みなさいませ」という声がそこかしこから聞こえてきます。その声に返事しながら部屋から出た私は、【気配察知】で周囲に人がいなことを確認しつつセレナ様の元へ急ぎ足で向かいました。
人目を避けて急ぐこと数分。
辿り着いたセレナ様の部屋の前に立った私は、昨晩から張られている人の出入りを感知する陣が反応しないよう【魔力遮断】で己の魔力を断ちつつ、音もなく扉を開けて身を滑り込ませます。
そうしてセレナ様がお張りになった結界の中に歩を進めると、静かに腰を折りました。
「お待たせして申し訳ございません、セレナ様」
「さすがメリル。早かったわね」
そう言っていつも通りの笑みの浮かべるセレナ様。しかしその身に纏っているのは、普段着用している公爵夫人としての服でもアラン殿と旅しておられた時の服でもなく、神殿の中で聖女として過ごされていた頃の正装でした。
指先まで隠す手袋も緩やかなドレープを描きながらつま先まで隠すドレスも、上げてらっしゃるベールも、汚れることを知らない純白の衣装は神々しい光を放っており、この方は【聖女】なのだと、見る者に実感させます。
まぁ、見慣れている私は魅了されることも恐れ戦くこともございませんが。
「お言葉の割には随分と鈴を鳴らしてらっしゃったようですが?」
「私には聞こえないから、本当にメリルに届いているのか不安になっちゃうのよ」
そう仰りながら間近で私専用の呼び鈴をリンリン鳴らすセレナ様に、思わず耳を押さえます。あまりの煩さに会話する声へ力が籠ってしまいますが、ご愛嬌でしょう。
「再三お伝えしておりますが、一度で十分聞こえています。煩いので連続で鳴らすのはお止めくださいませ」
「……相変わらず冷ややかな反応ね」
「褒め言葉として受け取っておきますわ」
「もう。本当に冷たい!」
そう言って怒った表情を作って見せるセレナ様の望みどおり冷たい視線向ければ、つまらなさそうな顔をしつつも彼女は佇まいを直します。と同時に、部屋の空気がより一層清浄さを増しました。
その懐かしい空気に私も姿勢を正して、セレナ様が再び口を開かれる時を待ちます。
マジェスタの人間どころかアラン様も見たことがないだろう正装を身に着けたセレナ様が部屋に籠ってなにをしていたのかなど、ドイル様がなんらかの渦中に身を置いているとなれば考えるまでもございません。
「――神々より『数多の種族が住まう地へ、満たした聖女の証と黒き華が育てし三つの蕾を送りなさい。さすれば愛し子の力となろう』との【神託】をいただきました。故に貴方にこれを」
そういって差し出されたのは、聖女の結界によって守られた木箱。中には淡く輝く【聖水】によって満たされた、【聖女】が神々から授かるという片手ほどの聖杯が収められていました。
触れることを躊躇ってしまうほど美しい純白の杯を確認して頷けば、セレナ様は箱に蓋をして【封印】をかけられます。
「この【封印】は時が来れば自ずと解けるでしょう」
「かしこまりました。彼らにもそのように伝えます」
恭しく跪き木箱を受け取ります。【聖女】の中でも限られた者しか使えないと言われる神々の声を拝聴する【神託】というスキルを、引退し神殿を退いてもなお使える彼女はまさしく神々に愛された人なのでしょう。
「お願いね?」
「はい」
感慨深い思いで神々しい笑みを見つめながら丁寧に頷く。そして託された物とそれが持つ意味の重大さにコクリと息を呑みました。
【聖女】の聖杯と【聖水】がドイル様のお役に立つ時が来るなんて……。
聖女の【聖水】が持つ効果は、浄化と癒し。それも聖杯から直接となれば飛び切り強力な威力を発揮するでしょう。本人が使うのか、はたまた誰かに使うのか。どちらにしても穏やかな状況ではないのは確かです。だというのに。
「セレナ様が行かれなくていいのですか?」
その胸中を想い問いかければ、セレナ様は困ったように眉を下げて笑う。
「神々は『届けなさい』ではなくて『送りなさい』と仰ったもの。私は行っちゃ駄目ってことよ。だから家で大人しくしているわ。折角いただいた神託が変わってしまったら困るし、ドイルちゃんとの約束もあるもの」
やるせなさそうな表情を浮べつつも明るく答えたセレナ様に、胸が締め付けられます。しかしその一方で、なるほどと納得しました。
幼い頃から聖女として過ごしてきたセレナ様は、神々の愛情深さを実感すると共に気まぐれさと残酷さも誰よりもご存知です。故にアラン様と出会った二十年前と同じく、己の気持ちよりも【神託】に従い行動することを選ばれたのでしょう。
神々に見初められたが故に難儀な人生を歩まれていたセレナ様。神殿の外へ出る恐怖を押し殺して旅をしていた姿を思い出しながら彼女の胸中に想いを馳せていたその時、私ははたとある事実に気が付きました。
「……セレナ様。もしや『黒き華が育てた蕾を三つ』ということは……?」
「そうよ。『送る』のは『三つの蕾』だけ。だから貴方は行っちゃ駄目よ、メリル」
仲良くお留守番ねというセレナ様のお言葉に多大な衝撃を受け、思わず目を見開きます。
――神々はあの、まだまだ未熟な弟子達に聖杯を持たせて送り出せ、というの?
ドイル様に関わる重大な役目を他人に任せなければならない悔しさと、己の身を守ることもおぼつかない弟子達だけで旅するという心配と不安。様々な感情が渦巻きますが、セレナ様が仰る通り折角の【神託】になにかあっても困ります。
――私も、感情を殺すのは慣れておりますわ。
呼吸一つ。その間に心を落ち着かせた私は、いつも通りセレナ様に語りかけました。
「かしこまりました。では、明日より十日ほどお暇をいただきますわ」
固い決意と共にそう告げれば、咎めるようなセレナ様の声が耳を打つ。
「メリル」
「ええ。もちろん承知しておりますわ、セレナ様。マジェスタを出たりはしません。ただ少しだけ、あの弟子達を特訓してくるだけです。あのままでは目的地に無事辿り着けるかあやしいので」
訝し気な表情をされていたセレナ様にそう伝えれば、彼女はハッとした表情で私を見詰めます。
「メリル? 貴方もしかして……」
「『黒き花が育てた』ということはそういうことでしょう?」
過去の己を思い出しながらそう告げれば、セレナ様は懐かしそうに目を細めたあと、悲しいような頼もしいような複雑な表情浮かべ、最後に苦笑されました。
「……無茶しちゃ駄目よ? メリル」
『――無茶しちゃ駄目よ? 暗殺者さん』
無謀にも聖女が張った結界を強行突破しようとして傷だらけになった暗殺者へ手を差し伸ばした時と変わらぬ言葉と表情に、私はそっと目を閉じます。
『暗殺を生業にする身には承服しかねる言葉ですね』
次いで目を開けた私は、そう言って睨み返したあの頃からは考えられない微笑みを浮べて、標的から敬愛する主人へ変わったセレナ様に深く腰を折りました。
「承知しておりますわ。セレナ様」
ここまでお読み、いただきありがとうございました。
※12/15
メリルの「かしこまりました。では、明日より一か月ほどお暇をいただきますわ」という台詞を、「かしこまりました。では、明日より十日ほどお暇をいただきますわ」と変更させていただきました。




