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甘く優しい世界で生きるには  作者: 深/深木
本編(完結済み)
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第百九十四話

 入学式や卒業式といった式事に使われる会場は、華やかに着飾った生徒達で賑わっていた。

 中央に用意されたダンスフロアではペアになった男女が楽し気に踊り、その両脇では踊り疲れた生徒や相手を探している者達が談笑しながら、用意された軽食や飲み物に舌鼓を打っている。

 そして部屋の最奥にある壇上では、学園が用意した楽団が美しい音色を奏でる。

 肩慣らし、と言わんばかりのゆったりした曲から始まり、軽快なものから、しっとりした雰囲気の曲、ダンス上級者のための激しい曲などが絶え間なく流れ、生徒達は好きな曲を選び、踊りを楽しんでいた。

 俺やクレアも、その中の一人。


 左足前進、右足を横に少し前進、左足を右足に揃える。

 右足前進、左足を横につま先で立つ、右足を左足に揃える。

 左足前進、右足を横につま先で立つ、左足を右足に揃える、右足を後退、左足を横に、つま先でたって右足を左足に揃える。


 曲に合わせ、ステップを踏んでいく。

 押したり、引っ張ったりしないように気を配りつつ、クレアと共に踊る。 

 すると、入り口付近に立つバラドの姿が、視界を掠めた。

 どうやら、クレアと話す場が整ったらしい。


 もう少し、時間がほしかったんだが……。


 仕事の早いバラドに胸中でそんなこと呟きつつ、ちらとクレアへ視線を向ける。丁度、彼女も俺を見ていたところだったらしく、目が合った。

 視線が絡んだことで、クレアの碧色の瞳が僅かに見開かれるが、すぐに表情を戻すと彼女は小さく頷いた。目が合っただけで、彼女は対話するための場が整ったと、わかったらしい。

 察しのいいクレアに苦笑しつつ、踊り続ける。

 曲の終わりはもうすぐだった。


 着々と終盤へ向かっているメロディに耳を傾けながら、俺は入場前のクレアとのやり取りを思い出す。

 怒っているようならば開口一番に謝って、拗ねているようならば、男女間の定石に従って彼女の装いを褒めるところからはじめよう。そんな風に何通りもクレアへかける言葉を考えてきたというのに、実際の彼女が取った行動は想定外だった。


『ドイル様。先日の茶会では、大変失礼いたしました。そのあとも、お忙しい中、何度も足を運んでくださったのにお会いできず、申し訳ございません』


 まさか先に謝られるとは思っていなかったため、「俺も悪かった」なんて言葉しか出てこず、俺は誤魔化すようにクレアの手を引いて舞踏会の会場へとやってきた。

 今回の一件は、旅立ちの予定やグレイ様の真意を知らぬ者の目には、ただ俺が振り回されていたように見えただろう。

 実際、俺は学園内を奔走する羽目になった。

 しかしそれらの苦労をふまえても、俺はクレアへ謝り、「クレアはなにも悪くない」と言ってやりたかったのだ。


 ――あれが初めて、だったからな。


 初めて会った日から今日までの間で、クレアが俺へ『こうしてほしい』と要求してきたのは、あの時が初めてだった。


 グレイ様と和解したあと、自室に戻った俺はクレアとのこれまでと、これからについて考えていた。そして、気が付いたのだ。

 クレアが、俺がいいと、俺でないと嫌だと主張することは、幾度もあった。

 しかし、俺の想いを問うことも、言葉を強請ることもなかった。

 子供時代、クレアは撒いても隠れても追いかけて来て、気が付けば俺の側に居た。

 しかし、『会いに来てほしい』と言われた記憶はない。

 城に通わなくなってからも、彼女は何度も手紙を送ってきていた。俺が返事を書かずとも、グレイ様や自身の近況報告、俺の体調を案ずる手紙を、絶えることなく定期的に。

 しかし、返事を求める文字が綴られていたことはなかった。

 その事実に気が付いた時、俺は茶会で己が取った行動を悔やんだ。

 あの時クレアが発した質問は、確かに答えようのないものだった。

 マリスやゼノスを追うと決めたことに後悔はなく、それらの事柄をクレアに秘匿することは当然だと、今も思っている。

 しかし、クレアが初めて口にした俺への要求を、あんな風に濁し、簡単に跳ね除けなければよかった、と心の底から後悔したのだ。

 もっと他にやりようがあったのではないか。ユリアに関して説明できなくとも、別の言葉を尽くすくらいの機転を、俺はどうして利かせられなかったのか。

 そう、本気で思った。


 どうしようもなかった。

 でも、どうにかしてやればよかった。


 現実と矛盾する己の心に、決着をつけることなどできなかった。

 しかしそれは、当然の結果だ。

 過ぎた時間は戻らず、一介の人間である俺にできることは限られ、覆せない現実などこの世には数えきれないほどあるのだから。

 だから俺は、己にできることはなにか考えた。

 そうして出た結論は、『今回の件でクレアを責めない』だった。

 というか、それくらいしかできることはなかった。

 誰に何を言われても、俺は行くと決めたから。


 ……それなのに、先に謝られてしまったからなぁ。


 現実とは、ままならぬものである。

 そんなことを考えながら俺は曲の終わりに合わせて足を止め、クレアと向かい合う。


「ありがとうございました」

「こちらこそ、ありがとうございました。ドイル様」


 ゆっくりした動作で終わりの挨拶を交わしたあと、俺はクレアへ腕を差し出す。


「休憩がてら、あちらで少し話そう」

「はい」


 そうして、腕を組んだ俺とクレアは、バラドが待つ出入口に向かって歩き出した。


 


 会場を出た俺達は、開場前に待機していた通路を移動していた。

 舞踏会が始まる前はただの広い通路だったその場所には現在、無数の机が並べてあり、生徒達の簡易休憩所となっていた。

 会場の喧騒が嘘のように穏やかな空気が流れる通路では、机を囲み会話を楽しんでいる生徒や、贈り物を渡している男女の姿がポツポツと見受けられる。

 会話に興じる生徒達の前を通り過ぎて、歩くこと数分。通路にそって点在していた机の終着点に、バラドが用意しただろうその席があった。


「――それでは、私はあちらに控えておりますので、ご用の際はお声がけください」


 飲み物や軽食が用意された机へ俺とクレアを案内したバラドはそう言って五メートルほど離れた隣のテーブルを示す。


「ああ。ありがとう」

「ありがとうございます、バラド様」

「どうぞ、ごゆるりとお過ごしくださいませ」


 腰を折ったバラドはそう告げると、足早に俺達の前から去る。


 気を遣わせてしまったな……。


 足音を立てず、しかし速やかに移動していったバラドに心の中で礼を言う。

 次いで、俺は隣に立つクレアへと目を向けた。


「どれがいい?」


 右から水、柑橘系の果汁、ポットに入った温かい紅茶の順で並べられている飲み物を指して尋ねれば、クレアは少し迷ったあと応える。


「では、果汁をいただけますか?」

「わかった」


 用意されていた二つのグラスに果汁を注ぎ、片方をクレアに渡す。


「どうぞ」

「ありがとうございます」


 クレアがグラスに口をつけるのを横目に、俺も果汁を飲む。オレンジに似た味のその果汁は程よい冷たさで、踊りで温まった身体には丁度良かった。

 そのまま無言で、互いに飲み物を口にする。その沈黙がなんとなく気まずくて、俺は窓の外へと目を向けた。

 ここ数日で少し溶け始めていたというのに、ハラリハラリと再び雪が降り注ぎ、それは地色を取り戻しつつあった枝や屋根を白く染め上げ、外を銀世界へと逆戻りさせようとしている。

 ――コトン。

 外の景色に「これは結構積もりそうだな」といった感想を抱いたその時、グラスを置く音が耳を掠めた。

 窓から視線を外す。そして隣へ目を向ければ、姿勢を正し俺を見据えるクレアがいた。


「――ドイル様」

「それ以上は言わないでくれ、クレア」


 意を決した様子で口を開いたクレアの言葉を遮り告げれば、碧色の瞳に戸惑いが浮かぶ。しかし、ここで彼女に続きを言わせるわけにはいかない。


 本格的な謝罪を受けたら、いよいよ俺の立つ瀬がなくなるからな……。


 グラスを机に置いた俺は亜空間から長細い箱を取り出し、クレアの前に跪く。そして箱を開け、中の首飾りが彼女に見えるよう差し出した。


「今は髪飾りが主流らしいが、俺はこの首飾りを贈りたい」


 箱の中にあるのは二つに割られた紫玉の片割れに、銀で作られたリング状の台座を嵌めて銀の鎖を付けた首飾りが一本入っている。


「ドイル様……」


 何故、とクレアは声に出さず呟く。

 どうして謝罪を遮るのか、と言いたげな表情を浮かべる彼女に笑みを向け、俺は箱から首飾りを出して手に取る。

 次いで、己が身につけていた片割れを服の下から取り出した。


「もとは一つだった玉を割っているので、この通り二つを合わせると綺麗な球体に戻る」


 説明しながら、実際に割れ目を合わせて見せた俺は、己の首元にある首飾りを放し、もう一本を掌に乗せ、クレアの前に差し出す。

 そして、クレアの瞳を見つめながら、約束を紡いだ。


「すべてを終えたら、二つをつなげて玉へと戻し、その石で君に指輪を贈ると誓う。だから、俺が役目を終えるその日まで、これを持っていてほしい」


 それは、クレアとのまだ見ぬ未来を約束する言葉。

 二つを合わせることを前提に作られる通行手形を見て、これを思いついた。

 俺は首飾りにはめられた石の欠片を、ティエーラの元にあった通行手形のような、無意味なものにはしない。いつか必ず、玉の形へ戻し彼女へ贈る。


 ――そのために、何があっても俺はクレアの元に帰る。


 目を見張りながら俺の言葉に耳を傾けていたクレアの手を取り、その手の中に誓いの証である首飾りを乗せる。


「話せないことは沢山あるし、遠く離れた地に赴くこともある。その所為で不安にさせたり、心配をかけるだろうが、俺は必ず君の元に戻ると、この石に誓う」


 俺の言葉に涙を堪えるように唇を噛んだクレアは、震える声で告げる。


「……尋ねてはいけない質問だと知っていても、辛抱できず口にしてしまう未熟者ですが、よろしいのですか?」


 不安に揺れるクレアの瞳を見つめ、笑む。

 次いで、首飾りを握らせるように彼女の手を自身の両手で包み、立ち上がる。そして、彼女が俺にしてくれていたように、自信を持って告げた。


「未熟だろうがなんだろうが、俺はクレアがいい。だから、どうかこの地で、俺の帰りを待っていてくれ」


 俺のその言葉に、碧色の瞳から堪えきれなかった涙が一粒落ち、クレアの頬を伝う。

 しかし次の瞬間、彼女は花綻ぶように笑った。


「――っ、はい!」 


 頷いたクレアの手から首飾りを抜き取り、その首に掛けてやる。

 首飾りの留め金をカチッとはめ込み、そっと鎖から手を離せば、チャリンと音を立てて紫玉の欠片がクレアの首元で揺れた。

 

   ***


 --舞踏会から二か月と少し。

 傭兵団【古の蛇】の本体である黒蛇の本拠地を突き止めたという報告をリヒターさんから貰った俺は、馬牧場の中にある雑木林の最奥に足を運んでいた。


 春はあけぼの、というのは本当だな……。


 ブランに跨った俺は、夜と朝の狭間にある空を見上げしみじみしたあと、ブランの首にしがみつくユリアへと視線を落とす。


「忘れ物はないか? ユリア」

「だ、大丈夫だけど……ねぇ。本当にこれを渡るの? 私こんな高さから落ちたら、死んじゃうわよ?」


 氷で作った橋を見ながら言い募るユリアを、ブランは馬鹿にしたように鼻で笑う。


『ご主人様が作られたんだから、大丈夫に決まってるでしょう』

「だって、谷底見えないほど高いじゃないっ」

『臆病者』

「私はもともとか弱い乙女よ!」


 俺以外を乗せることに不満気なブランと、恐怖からか苛立ちを隠せないユリアの言い合いは放っておくと終わらなさそうなので、二人の会話を遮るように声を張り上げる。


「――そこまでだ。昼には国境を越えたいから、もう出るぞ」

「ちょっと、人の話――」


 文句を言いたそうなユリアを無視して、俺はブランの手綱を握る。


「二人も乗せて悪いが、頼むぞ、ブラン。さぁ、出発だ!」

『お任せくださいー!』


 そう言いながら、足で軽く腹を叩けば、ブランは高らかに嘶き走り出す。


「~~っ」


 ユリアの声なき悲鳴を聞いている間に橋を渡り終えたブランは、軽やかなステップで国境へと方向を変え、駆ける。

 その間に俺は氷の橋を水に戻し、一度だけエピス学園の校舎がある方角へ目を向けた。


『――いついつまでも、ドイル様のお帰りをお待ちしております。ですから、どうかご無事な姿で、お戻りくださいませ』


 贈った首飾りを握りしめながら俺を案じるクレアの姿が頭を過り、そっと目を閉じる。


 ――必ず、帰る。


 誓いを胸に、前を向く。

 そして俺はエピス学園から旅立ったのだった。





これにて、二年生編は終了となります。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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