第百八十八話
力強く応えたバラドは現在、流れるような動作で紙の束と正方形に折られた布地が詰まった箱を卓上の空いているスペースへ並べていた。
「今は色々な形の衣装があるのね」
『布もいっぱいですじゃ』
『ツルツルしてるわ』
『こっちは動物の毛皮みたいだね』
図案の束と布見本を興味深げに見て回る黒猫や山の妖精達と違い、俺は次々と積まれていくそれらにゴクリと息を呑む。
舞踏会。それは貴族として生きるのならば必須項目であり、平民であってもエリート街道を望むのなら避けて通れない場である。
故にエピス学園には舞踏会での立ち振る舞いを身につけるために礼儀作法や踊りの授業というものが存在する。そしてシンシンと雪が降りグラウンドが使えなくなった頃、学んだ成果をお披露目するべく学園主導で『舞踏会』が開催されるのだ。
エピス学園の冬の風物詩ともいえる舞踏会は鍛錬場や校舎内といった室内でしか活動できない鬱憤を晴らすという目的もあり、比較的緩い雰囲気で進行されるため一種の娯楽として楽しみにしている生徒も多い。
会場は入学式が行われたのと同じ場所。異性と組んで参加してもいいし、友人同士で入ってもいい。しかし恋人や婚約者がいる場合は同伴が基本だ。
またダンスの事前練習から始まり衣装の相談や同伴の申し込みなどがあるため、男女の仲が発展しやすい行事でもある。いつ頃から囁かれているのかは不明だが、舞踏会の最中に男性が同伴者に贈り物をし、それを身に着けた女性と最後の一曲を踊ると末永く幸せになれるなんて言い伝えもあり、生徒達の青春を彩るある意味一大イベントだ。
去年はクレアがいないことを理由にグレイ様の護衛で通したからな……。
同伴者や意中の相手がいる者達は凝った衣装を身に纏い参加していたが、俺は手持ちの礼服を着用しダンスの誘いを受けることなくグレイ様とジンを見守って過ごした。
そのことをバラドが内心不満に思っていたことは知っている。本当に手持ちの服で行くのかと再三尋ねられたからな。
去年はクレアとまだ婚約予定の段階であったし、彼女の兄であるグレイ様の手前、バラドは俺に衣装を新調して参加しろとは言わなかった。彼女が不在なのに派手に着飾って他のご令嬢と踊るなどあってはならないからだ。
しかし今年は違う。夏に婚約したばかりのクレアが在学しているのだ。
丁重にエスコートして然るべき存在がいる以上、着飾って参加するのは当然である。衣装の雰囲気を合わせたりしておかねば、彼女にも恥をかかせてしまうからな。
故に否やはない。ないのだが、出来ることならば大変うきうきしているバラドからは目を背けていたかった。
……一年前、密かに舞踏会を心待ちにしていたバラドに悪いなと思いつつ、楽をしたツケを払う時が来たようだな。
シオン達の動向の監視や新しく雇ったリヒターさん達の采配、それからクレアへの贈り物を探すことにかまけて目を逸らしていた存在と対峙する時がついに来たことを悟った俺は、覚悟を決めてバラドの行動を見守る。
そうして待つことしばし。
説明の準備が整ったらしいバラドが意気揚々と口を開いた。
「昨年はご令嬢と踊る予定はないと仰りほぼ普段着でご出席なさいましたが、今年はクレア様がいらっしゃいます。それも婚約式を上げたばかりとなれば、お二人のご衣装の準備は必須。しかしドイル様はお忙しい身でございますから、僭越ながらこのバラドが針子や布地の確保をさせていただきました。ご衣装の図案もこちらに。ドイル様のご希望を仰っていただければ、いつでも制作を開始できる状態です。セレジェイラ様に確認したところクレア様はロイヤルブルーの上品なドレスをお選びになられたそうなので、これらの装飾品の少ない型の衣装にし、暗めのお色味になさると並ばれた際に映えるかと存じます!」
バラドは滔々と語りながらさりげなくお勧めなのだろう数枚の図案を俺へ手渡すと、色別に布地が詰められた箱の中から黒や灰色系の入ったものを俺の前へ押し出す。とはいえそれらの色は丁度俺の正面に配置されていたので、並べられた他の箱より拳一つ分近くなっただけだった。
「そ、そうか。ありがとう」
この機を逃すまいといった様子のバラドの勢いに押されつつ、俺はこっそり握らされた図案を数える。そしてそれが十枚に満たないことに胸を撫で下ろす。これまでのバラドのスムーズかつ無駄がない動きから考えるに、大半のイメージは決まっているのだろう。
十センチを超える図案の束と積まれた布見本に眩暈がしたが、この中から選ぶならなんとかなりそうだ。そう安堵の息を吐きながら図案に目を通していると、卓上を覗いたユリアの呟きが耳を打つ。
「これは流石に気合入れ過ぎでしょう……舞踏会と銘打っているとはいえ、所詮は礼儀作法の授業成果をお披露目する場でしょう?」
呆れたようにそう呟いたユリアに心の中で同意する。
去年の不完全燃焼分が含まれているとはいえ、布地も図案も用意し過ぎである。着飾るのも仕事のうちである女性ではないのだ。もっと言ってやってくれと胸中でユリアを応援していると、カッと目を見開いたバラドが彼女の言葉を否定した。
「いいえ! これくらい当然でございます!」
バラドの強い物言いにユリアやティエーラ達はおろか、俺も肩を跳ねさせてしまった。
しかしバラドはそんな周囲の様子を意に介することなくユリアへ向き直ると、言い聞かせるように語りだす。
「『舞踏会』を授業成果のお披露目だと考えている生徒などほぼいないといっても過言ではありません。お早い方だと夏の終わりには衣装の準備を開始しており、初秋くらいからダンスの練習のお誘いなどで少しずつ仲を深め、折を見て意中の相手と同伴の約束を取り付けておくのです。ドイル様の場合はクレア様という正式な婚約者がいらっしゃいますし、お二方とも今更ダンスの練習など必要ないためそういった手順を踏んでおりませんが、その分『舞踏会』のお衣装が大事になってくるのです。着回した衣装で参加するなどクレア様に失礼ですし、並ばれた時の雰囲気が合っていないなどといった事態が起これば笑い者になります!」
熱いバラドの言葉にユリアは目を丸くする。その表情は驚愕というよりも衝撃を受けたといった様子だった。
その瞬間、二人を盗み見ていた俺の胸に嫌な予感が過る。
「娯楽の少ない学園生活の中で最も男女の仲を発展させることのできる行事であり、未だ決まったお相手がいない貴族子弟にとって婚約者を見つける最大の場。そこで主人と婚約者様の不仲説を立てられるようなことがあっては一生の恥!」
「!」
「主達に恥をかかせないよう、従者同士の情報共有力と技量が問われる場でもあります。アギニス公爵家の一人息子と我が国の第三王女のご婚約ということで、夏に国を上げて祝ったばかりです。ここで失態を犯すことは許されません!」
力説するバラドにユリアの顔つきが変わる。
興味半分といった様子でバラドの話を聞いていた彼女はスッと姿勢を正すと、表情を真剣なものへ変え口を開いた。
「――よく、わかりましたわ。どうやら私の認識が甘かったようです」
なにかを悟ったような表情を浮かべたユリアがそう告げれば、神妙な顔でバラドは問う。
「ご理解いただけましたか?」
「ええ。所詮学生行事と侮っていたことをお詫びいたしますわ、バラド様。つまり舞踏会とは、主達に楽しんでいただきつつ、お仕えしている家の格の違いを皆にしらしめる場なのですね?」
――ちょっと待て。今バラドがした説明のどこにそんな要素があった。
婚約者との不仲説を立てられるのは不名誉だというのは理解できるが、なにをどう解釈したら格の違いを見せつけるという話になるんだ。
突然ユリアが発した物騒な言葉に思わず顔を上げる。しかし驚いた俺と異なり、バラドは力強く彼女の言葉を肯定した。
「その通りです!」
返事のあとバラドとユリアは視線で会話し頷くと、固く手を握り合う。
その光景に味方は居なくなったことを悟った俺は、大人しく手元の紙に視線を落とした。
まだクレアに贈る髪飾りの用意もできていないのに……。
提示された図案を見比べながら、そんなことを考える。
男性から女性へ物を贈る風習は舞踏会の目玉イベントだ。宴もたけなわとなった頃、贈り物をするためにダンスの曲が途切れる時間がある。その間に男子生徒は同伴者や意中の相手へプレゼントを渡し、両想いならば女性側はそれを身に着ける。そして舞踏会の最後の一曲を踊り切ると二人は幸せになれるらしい。
まぁ、よくある言い伝えである。起源も定かでなはないため嘘か真か怪しいところだが、今年は【愛の女神】の加護を持つクレアがいるのでご利益があるのではないかと、例年にない盛り上がりを見せている。
贈り物の内容はその時々で変化し、ここ数年は髪飾りが主流だ。そして俺はその贈り物を未だ用意できていない状況だったりする。暇を見つけては探しているものの、「これだ!」という逸品にまだ出会えていないのだ。
先ほどリヒターさんから提案されなければあとでこっそり頼むつもりだったが、婚約者へ贈る品一つ見つけられないとは情けない話である。
とはいえ今優先すべきは衣装だ。
これが終わらないことには、部屋に戻ってキープしてある髪飾りを見比べ悩むこともできないからな。
舞踏会までの日数を考えれば考えるほど焦る気持ちにいったん蓋をし、俺は手元の紙へ意識を集中する。そうして先ほどバラドが口にしていた『ロイヤルブルーの上品なドレス』というヒントを元に彼女の衣装を想像しながら合いそうな図案はどれか思案していると、バラドと布地を眺めていたユリアがふと声を上げた。
「そういえば、言い伝えとは詳しくはどういったものなのですか?」
「あ、それアメリアから聞いたことがあるわ。舞踏会の最中に同伴の相手から贈り物をもらって、それを身に着けて最後の一曲を踊ると幸せになれるのよね? アメリアがゼノと踊ることが出来なくて残念がっていたわ」
ユリアが発した質問に答えたティエーラの言葉をバラドが引き継ぐ。
「ちなみに恋人や婚約者へ渡す場合は男性の瞳と同色が使われた品を贈るのが習わしです」
「……ドイル様からいただく贈り物は紫色をあしらった品だろうから、クレア様のご衣装はロイヤルブルーなのですね?」
バラドの返答にしばし沈黙したユリアはそう言いながら、俺へと視線を向ける。
「ええ。どのような髪飾りをいただいても合うようにドレスに装飾は付けず、質感の違う布地を重ねることで華やかさを保ったドレスにされたとセレジェイラ様が仰っておりました」
「舞踏会の開催ってもうすぐですよね?」
「ええ。本日で丁度二十日を切ったところです」
「今更贈り物の準備って……それも人に言われてって……」
会話を重ねるにつれ強くなるユリアからの非難の眼差しが辛い。しかしクレアへの贈り物を決めきれていないのは事実なので、言い訳は呑み込み耐える。
するとそんな俺達を見たバラドが声を潜めてユリアに告げた。
「――ドイル様を責めないでください。贈り物に関しては随分前から探されていたようなのです。ルツェも何度か相談を受けていると言っておりましたし、ここ最近開催された学園商店街ではいつも宝石店や小物屋へ目を向けておられましたから。しかしお気に召すものがなかったようで何点か取り置いている状態なのです」
わざわざ小声で話してくれているのに申し訳ないのだが、この距離でははっきりと聞こえてしまった。そして内容が内容なため、気遣われた分ダメージが深い。
バラドの優しさが辛い……。
ルツェからバラドへ情報が筒抜けであることを嘆くべきか、こっそり見て回っていたつもりがバレバレだったことを恥ずべきか、むしろ甲斐性なしとでも罵倒された方が楽になれた気がする。
気を揉みつつも素知らぬ顔を突き通していてくれたらしい従者に、俺が内心悶えている間にも二人の会話は進んでいく。
「それを聞いて安心しました。忙しい身なのは承知しているけれど、学生生活における一大行事が手抜きなんてクレア姫が可哀想ですもの」
「ドイル様がクレア様を蔑ろにされることはございません。恐らくですが、公の場から離れていた間にアラン様やセレナ様が贈られた袖を通していない礼服が多くあるので、衣装は後回しでよいと判断し、贈り物を探すことに専念されていたのでしょう」
「なるほど。しかしこういった行事だと、わざわざ注文したという事実が大事なのでは?」
「ええ。ですからなるべくドイル様のお手を煩わせないよう、衣装は図案と布地さえお決めいただければ十日で完成するよう手配しておいたのです。とはいえ早く制作を開始できた方がよいので、リヒター様が話を持ちだしてくださり助かりました」
「そうね。想像と出来上がりの雰囲気が違うこともあるし、実際につけてみたところ布の質感と装飾品が合わないなんてこともあるもの。でも十日あれば替えの品も用意できるから安心だわ」
「ええ。贈り物もハンデルならば良い品が見つかるでしょう」
「輸送は間に合うの?」
「ハンデルからの報告書をフェニーチェ達は三日で運んできた実績があります。宝飾品であることを考慮して慎重に運んだとしても五日かからないかと」
輸送期間まで考慮してくれている二人に、俺はもうなにも言えなかった。
本音を言えば、従者やメイドという職に身を置いているが故に通じ合ってしまった二人に口を挟めなかったともいえる。それほど、二人の気合が凄かった。
「フェニーチェの速さなら確かに可能ね。となると、図案と色はこの場で決めていただきたいといったところかしら?」
「ええ。ドイル様は服飾に深いこだわりは持たない方なので、布の質感などはいつもこちらで選んでいます。採寸は先日鍛錬着を新調した時に行ったばかりなので、完成品の試着と小物合わせにあと一日いただくだけですむでしょう」
「腕の見せどころね。ドイル様は見目がよい方だから着飾らせ甲斐があるしクレア姫も可愛らしい方だから、お二人が並んだ時に周囲をあっと言わせてやりたいわ」
「セレジェイラ様もそう仰られていました。それで今回は、これまでの可愛らしさを押し出したドレスではなく大人っぽい姿に挑戦すると」
「となるとドイル様は光沢のある素材よりも――」
「ええ。個人的にはこの辺りの質感が映えるのではと――」
大量の布見本を前に真剣に話し合う従者とメイド。
熱の入った二人の論議に無言のプレッシャーを感じながら俺は真剣かつ迅速に衣装デザインを選んだ。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。




