第百八十四話
驚愕と恐怖と絶望。
俺を見るユリアの顔に浮かんだのは、そんな感情だった。
控え目に室内を照らす灯りが見開かれた黒い瞳に差し込み、彼女が持つ本来の色が浮き彫りになる。
魅入られそうなほど美しい赤色。大戦を生み出し、ファタリアを滅亡へと導き、お婆様の命をも奪っただろう魔性の色を見返し俺は告げる。
「土の精霊が渡してくれたお婆様からの贈り物の中に、当時の日々を綴った日記があった。そこに人々の『恐怖や苛立ちを煽る異能を持つ者』が頻繁にでてくる」
「っ」
くしゃりと顔を歪めた彼女を見て、日記に書かれていたことが事実なのだと確信する。同時に彼女が隠していたことはこれだったのだと悟る。
お婆様が異能と称したその能力は、ドライアドの魔王が持っていた固有スキルなのだろう。そして彼の魔王の末裔であるユリアや同胞達も力を受け継いでいる。彼女の一族が大戦を起こした理由も、恐らくこれだ。
それが嬉しくも悲しかった。
直接聞いたわけではないが、見た目から言ってユリアの歳は二十代後半。マリスはそれよりも上で三十代半ばといったところ。以前ユリアから聞いた話やお婆様の日記から考察するに、彼女の一族の成長速度は人間となんら変わらない。すなわち、ユリアは大戦中まだ生まれていないのだ。にもかかわらずこのような反応を見せるということは、彼女に当時のことを語って聞かせた者がいるということ。
ユリアに当時のことを教えた者はどのような理由であれ、大戦を引き起こしたことを悔いているのだろう。だから彼女も一族の所業を罪と認識し、断罪されること恐れている。
情報を持っていたことが喜ばしく、当時生まれてもいなかっただろうユリアに罪を問わなければならぬことが悲しい。
「大戦が起こる少し前にロウェル陛下の傍らにお前やマリスと同じ色を纏う者がいたと書いてあった。またアメリアお婆様は終戦から十年近く経った頃、異能を操る一族らしき者を見かけ、殺される覚悟を持ってお前達について再度調べることを決意されていた」
今にも泣き出しそうな表情でユリアは俺の話を聞いていた。
償うべきは罪を犯した者だけだ。だからリェチ先輩やサナ先輩にゼノスが犯した事件について問うべきではないと思っている。それは彼女も同様である。
しかしこの件だけはそういっていられない。マリスが動いている以上、罪なきユリアやひっそりと終焉を迎えようとしているという一族達に問うてでも、止めねばならない。
――惨劇を繰り返すわけにはいかない。
そのためにはユリアやマリスがどのような能力を持ち、どうやって事を起こしているのか知らねばならない。故に俺は、彼女が隠した事実を暴くべく踏み込む。
「ロウェル王の変異や大戦に一族の者達がどう関わったのか教えてほしい。それから、お婆様の事件について知っていることがあれば、それに関しても――俺はな、ユリア。お婆様の死の真相を聞いたことがないと今日初めて自覚したんだ。驚いたし、愕然とした。説明してもわからぬ幼子でもなし、直系の孫である俺に祖母の死の理由を隠す意味などない。故に、いままで誰も教えてくれなかった理由は他殺だったからではないかと考えている。アギニス公爵夫人が謀殺されたとあっては、犯人によっては戦に発展する大事件だ。ようやく各国が立ち直り平穏を取り戻したばかりという時に再び火種を起こすわけにいかなかったから、お婆様の死の真相は闇に葬り去られたのではないかと思っている」
俺なりに考察した結果を告げる。そして「マリスを止めるために。その最中、お婆様のように志半ばで倒れることないように、お前達について教えてくれ」とユリアに頼もうとしたその時だった。
「――正解ですよ、ドイル君」
強張った声が俺とユリアの間に落とされる。突然聞こえてきた第三者の声にバッと扉を振り返れば、冷ややかな笑みを浮かべ杖を握ったセルリー様がいた。
俺がその姿を認識するや否やといったところで、ユリアに向かって束縛の魔法が放たれる。彼女を捕えようと伸びた黒い鎖は触れた者の自由を奪う、犯罪者の捕縛や尋問の時に用いられるものだ。使える人間が少ない高度な魔法であり、国の許可なく使えばそれだけで罪に問われる。
勿論セルリー様はその許可をお持ちだろうが、ユリアに使わせるわけにはいかない。
俺は彼女を守るように立ちはだかり、蠢く鎖をすべて斬り落とす。そしてセルリー様へと目を向けた。
途端、凍えそうなほど冷ややかな白群の瞳が俺達を射抜く。
「邪魔です。どきなさい」
「彼女に何をする気かお聞かせ願えるならば、検討しましょう」
「無論すべてを吐かせます。一族やその能力について、ファタリアのことも大戦のことも、勿論アメリアのこともすべて」
セルリー様が答え終わるなり、背後からはカタカタと震える音が聞こえてくる。彼の方が発する気配にユリアは怯えているのだろう。
――まずいな。
ユリアを庇いながら、俺はこの場をどう切り抜けるか思案する。
彼女にすべて話してもらう点に関しては否定しない。俺もそのつもりだ。しかし、目の前にいるセルリー様に任せるのはヤバイと俺の本能が告げている。
俺の質問に答える声は淡々していた。しかし隙あらばユリアを捕らえようとする黒鎖や向けられた視線、物々しい魔力が尋常になくセルリー様が激昂しているのだと感じさせる。
「納得したならば引きなさい」
苛立ちを押し殺した声が俺に命じる。
日記を読み終えたあと、俺はアメリアお婆様を守りきれなかったお爺様やセルリー様達の感情に思いを馳せた。志半ばで倒れたお婆様の願いだけでなく、叶うならロウェル陛下やお爺様達の無念を晴らしてやりたいとも思った。
しかし、今のセルリー様にユリアを預けることはできない。任せたら最後、取り返しのつかないことが起こる気がした。
だから俺は静かに首を振る。その瞬間、セルリー様の我慢が切れた。
「どきなさい!」
怒声と共にいくつもの陣が宙に浮かび上がり、発動する。火や雷で出来た矢が降り注ぎ、風の刃や氷柱が舞い鎖が踊る中、俺は両手に刀を握りスキルを使った。
「【氷壁】!」
張り巡らせた氷の壁が火矢や風の刃に崩れ落ちるのと時同じくして、間近まで迫っていった黒い鎖を斬り捨てれば、怒りに燃えるセルリー様と視線が絡む。
「なぜ邪魔をするのです、ドイル君。彼女は、彼女の一族があの大戦を引き起こし、あまつさえアメリアを殺したのでしょう? 大戦では沢山の人が死にました。マジェスタだけじゃない。エーデルやハンデル、フォルトレイスやアグリクルトでも数えきれないほどの命が散り、戦の波にのまれ属国と成り果てた国も沢山あります。一族郎党皆殺しにしたところで誰も咎めやしない!」
それは出会ってから初めてセルリー様が見せた激情だった。
いつだって飄々としていた方が怒りを露わに叫ぶ姿に、俺はセルリー様がいかにアメリアお婆様を大切にしていらしたのか痛感する。同時に、この方を止めなければと強く思った。
孫として、お婆様の死を心から嘆いているくれる人を大切にしたい。
加えてティエーラの話や日記から思うに、アメリアお婆様はアギニス家の誇りを胸に気高く生きた人だ。己が原因で誰かが戦いに身を投じ傷つくなど、きっと許さない。
だから俺は、セルリー様の考えを否定する。
「それはなりません」
白群の瞳を真っ直ぐ見つめはっきりと告げれば、憤りに満ちた顔が歪んだ。
次いで、セルリー様の周囲に数多の魔法陣が浮かび魔法が放たれる。
絶え間なく繰り出される火柱や落雷をオレオルで斬り裂き、襲いくる水龍やゴーレムをエスパーダで凍らせ砕く。ユリア諸共捕獲しようと這う黒鎖や床から生えてきた牢はスキルや魔法を使って蹴散らした。
そうして部屋の中の家具や資料が灰や屑となって消え、特殊強化されていた部屋だけが残った頃、セルリー様が再び口を開いた。
「――なぜアメリアも貴方も許してくれないのですか? 殺されたのだと知りながら、犯人を捕らえ断罪するどころか真相を調べることすら諦めなければならなかった私やゼノの悔しさがわかりますか? 走り去る者達と血だまりに伏せるアメリアがいて、それなのに彼女が『真の犯人ではないからどうか追わないで。アランが生きる世に火種を残したくないの』というから、我々は激情を呑み込まなければならなかった。それがどれほど辛かったか。真の家族以上に愛しみ大切にしてきた命が奪われたのですよ? 復讐を許してくれなかったアメリアが愛しくて憎かった。何度も何度も彼女の言う『本当の犯人』について考えました。そして今、その血を引く者が目の前にいる!」
怒りか哀哭か、そう告げるセルリー様の声は震えていた。
「これが最後です。引きなさい!」
「なりません」
この場は動かないと態度で示せば、セルリー様は一瞬苦しそうな表情を浮かべる。しかしすぐに消し去り、大きな陣を組み上げ始めた。
「フィア!」
『えー?』
セルリー様がフィアを呼べば、いつの間にかラファールと共に天井で俺達の行方を見守っていたフィアが嫌そうな顔をしながら降りてきた。
次いで内容はわからなかったがセルリー様と二、三言葉を交わす。
『…………しかたない。ごめんね、ドイル』
そしてフィアはそういうとセルリー様が組んだ巨大な陣に手をかざした。途端、室温が上がり陣の輝きが増していく。
「ラファール! アルヴィオーネ! ティエーラ!」
俺がユリアを背に庇い精霊達を呼び出した瞬間、閃光が走った。
「【劫火】」
セルリー様の声と共に陣を受け取ったフィアが魔法を発動させれば、黒い火の玉が生まれた。
しかしそれは、駆けつけたティエーラが創りだした石の箱に閉じ込められる。なんの鉱石なのか不明な漆黒の石箱が火の玉を包み完全に閉じられると、室内の温度が下がった。
だがそう時間が経たぬうちに、石の箱がグツグツと不穏な音を立てながら湯気を出す。
その光景を見て動いたのはアルヴィオーネだった。
『ちょっと冷ました方がよさそうね』
軽い調子で発された呟きに反し、大量の水が劫火入りの石箱を包む。ジュウと音を立て湯気が上がるがその蒸気さえも水の中に呑み込まれた。石箱の周りこそ煮立っているものの、水面に波紋一つない美しい水球が瞬く間に出来上がる。
精霊達がそういった働きをしている一方、俺はユリアに迫る拘束魔法を切り捨て、セルリー様の懐へと潜り込んでいた。
「っ」
間近に迫った俺にセルリー様が魔法を繰り出そうとするが、柄で腹に一撃入れ引き倒す方がずっと早かった。呻き声を殺す余裕はあったようだが、それでも発動させようとしていた陣もスキルも魔法もすべて霧散していた。
仰向けになったことで晒されたセルリー様の首筋にエスパーダの刃を添えた俺は、様々な感情を浮かべる白群の瞳を見据え告げる。
「――私なんかよりもセルリー様の方がご存じだと思いますが、多くの兵を導いた誇り高きアメリア・フォン・アギニス公爵は自身が火種となりマジェスタや大切な人を傷つけるなど決して望みません。そして私もアギニスの名を継ぐ者として、国を守るという公爵家の役目を立派に果たされたアメリアお婆様の願いを踏みにじることは許しません。このまま貴方を斬り伏せることになったとしても」
覚悟を示すようにエスパーダをセルリー様に押し付ければ、朱が走り僅かに零れた血が首を伝う。
主人の危機に駆けつけるべきフィアは、ラファールやティエーラに抑え込まれていた。
精霊達の決着がついたことを確認しセルリー様へ視線を戻せば、辛そうな表情を浮かべていた。アメリアお婆様が苦しんだように、この人も沢山の葛藤と戦いあの時代を乗り越えてきたのだろう。
苦悩を隠し昔と変わらない態度で接してくれるセルリー様がいると、昔に戻れるような気がすると日記には書かれていた。セルリー様には穏やかな人生を送り幸せになってほしいから、異能の一族ついては告げないのだとも。
過去の痛みをいまだ拭えないセルリー様とこの方の幸せを願ったお婆様、そんな二人を知り抱いた想いを俺は口にする。
「お婆様のことを大切に思ってくださったことを孫として嬉しく思います。それから血に塗れながらこの地を守ってくださったことも感謝していますし、決して戦うことを止めなかった生き方を心から尊敬しております。師としても。だからこそ復讐に心を染めた貴方が罪なき命を奪い、その手を汚してしまう前に俺がアメリアお婆様の元に送って差し上げますよ、セルリー様。貴方を慕い敬愛していたお婆様が常世から舞い戻ることができたのなら、同じことをしたでしょうから」
そう告げれば、セルリー様は絶句した。
流石のセルリー様も殺してやると面と向かって告げられては、動揺するようだ。信じられないといった表情を浮かべ俺を見るセルリー様を、静かに見下ろす。
セルリー様の言う通り彼女の一族を滅ぼしても、非難の声が上がる可能性は限りなく低い。しかしユリアの話が本当ならば、彼の一族はユリアやマリスのような一部を覗き老いも若きも終焉の時を待っている。勿論、大戦など知らぬ者達もそれこそ生まれたばかりの無垢な命もいるだろう。
そんな者達をセルリー様が殺めるなどあってはならない。俺達の未来のために血にまみれ生きることを選んでくれたこの人の誇りを穢してはならないのだ。
――道を誤るこの人を見ているくらいならば、命を奪ってでも止める。
そう決意を固めていると、不意にセルリー様が目を閉じた。
眉間に僅かな皺を残して瞑した顔からは、なんの感情も窺えない。怒らせたのか薄情だと思われたのか、そんなことを考えながら俺はセルリー様の答えを待った。
数十秒か数分、短くも重苦しい沈黙を耐えれば再び白群色の瞳が俺を捉える。
「貴方にそんなことができるのですか? 人を殺めたことなどないくせに」
次いで、ひどく穏やかな声が耳を打った。
少しでも力を込めれば首が飛ぶという状況に追い込まれながらも真顔で本当に殺せるのかと聞くその人は、相も変わらず厳しい視線で俺に覚悟を問う。怒りに染まっていたその目が、今は冷静にこちらの力量を測る姿に俺は胸を撫で下ろした。
「やります。アメリアお婆様が兄と慕った我が師のためならば。お婆様も私も、殿下やジョイエ殿達だって貴方が復讐に生きることなど望みません。すでに引退した身なのですからマリスやユリア達一族の件はすべて私やジョイエ殿達に任せて、お婆様の分も穏やかな余生を楽しんでください。それが無理ならば、私が今ここで」
そう言って穏やかに微笑めば、セルリー様が僅かに口端を上げる。
――言ってくれますねぇ。
いつもと同じ、人を食ったような笑みを浮かべたセルリー様が声に出さず呟いたその時、カツンと床を踏みしめる音が響いた。
聞こえてきた足音を上げれば、口元を引き締めたユリアが居た。彼女はそのまま俺達の側に膝をつくと、おもむろに口を開く。
「――全部、話します。私の知識がどれだけ役に立つかわからないけど大戦のことも、その後の同胞達の行方も知っていることはすべて話します。だから剣をおさめて下さい、ドイル様。償うべきは我が一族。貴方がその方を斬る必要はありません」
真っ直ぐ俺を見る紅玉の瞳は、息を呑むほど美しかった。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。




