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甘く優しい世界で生きるには  作者: 深/深木
本編(完結済み)
179/262

第百七十九話

 枝の間から零れ落ちた月明かりによって照らし出された、樹木に絡みつく蔓。

 踏み出すたびに靴の下で崩れる落ち葉に、ズボンの上から足を撫でる草。

 虫の音の合間に時折聞こえてくる小動物の足音。

 そんな代わり映えしない木々の間を、フィアの小さな手に引かれながら歩くこと半刻ほど。


「こっち!」


 そう言って走り出した彼女に引きずられる形で進めば、突如視界がひらける。どうやら、林が途切れたらしい。

 フィアに手を引かれるまま足を踏み入れたそこは、生い茂る木々に月明かりが遮られていた林の中と違い、随分と明るかった。

 眩しさに目を細めれば、冷たく心地いい風が頬を撫でる。次いで、視界が狭まったことで敏感になった嗅覚が花の香りを拾った。

 金木犀に似た、甘い香り。どこか懐かしいその香りを胸いっぱいに吸い込みながら、眩しさに慣れてきた目をゆっくり開く。


 そこは、別次元のようだった。

 天を仰げば、きらきら瞬く星々が散りばめられた漆黒の夜空が目に映り、視線を落とせば地面を覆う背丈の低い草が風に吹かれてそよぐ。奥へと目を向ければ、柔らかく揺れる緑の上へ月光樹から落ちた淡い光を放つ花がサラサラと降りそそぎ、時折、風に乗った花が蛍火のように宙を舞う。

 そんな中でも一際存在感を放つのは、月光樹だ。

 似たようなシルエットの木が辺りに五本ほど生えているが、花をつけているのは一本だけ。しかし、沢山の花を開かせた月光樹の存在感たるや、形容しがたく。

 満開といっても過言ではないほど咲き乱れた花々が放つ淡い光は葉や枝、幹までも覆い尽くし、木そのものが光っているかのようだ。

 降り注ぐ月明かりを全身に受け輝く様に、自ずと感嘆の吐息が零れる。

 とその時、小さな手が俺の左手を引いた。

 引っ張られる感覚に従い目を向ければ、満面の笑みを浮かべたフィアと視線が絡む。


「――きれいでしょ?」

「ああ。綺麗だ」


 自慢気な音で告げられた問いかけにそう答えれば、彼女は満足気に頷き月光樹へと目を向けた。ご機嫌な様子で目の前の光景を眺めるフィアをくすりと笑い、俺も視線を戻す。

 そうして俺とフィアは、皆が追いつくまでのつかの間、神々しく輝く月光樹に魅入っていた――。


   ***


 そろそろ月が中天にかかろうかという時刻。

 月光樹が織りなす光景を目に焼き付け、咲き誇る花をお土産用に採取した俺達はフェニーチェ達と別れ、正門前へと来ていた。

 土の精霊と交わした約束の時間は、月が中天に昇った時。曖昧だが、土の精霊が時間といった人の世の決まりを知らないことを考慮したらこうなった。

 

 ――もうすぐだな。


 天を仰ぎ、約束の時間が近いことを確認していると、いつからか夜空にあった雲が月と重なり、周囲の闇が色濃くなった。

 そんな中、すぐ側に居たバラドが動く気配を感じ、そちらへと目を向ける。ルツェ達はなにをしているかと言えば、『青い人魂』もとい、フェニーチェ達との追いかけっこによる疲労の影響か、俺やバラドの側で皆静かに座り込んでいた。正門を背に俺とバラドが並び、右前方にルツェ達、左前方に精霊達とユリアが陣取っている形だ。

 ほどなくして、俺の前にそっと明かりが灯されたランプが置かれる。


「ありがとう」

「お茶のお代わりはいかがいたしましょうか?」


 提供された光源に対し礼を告げれば、お茶のお代わりを尋ねられた。いつもならばわざわざ問うことなく、俺の状況を見て判断するバラドにしては珍しいと思ったが、彼の目が月へ向けられたことに気が付き納得する。


「いや、もういい。片付けてくれ」

「畏まりした」


 土の精霊との対面に向け備えることを選べば、俺の意を酌んだバラドは手際よく茶器を回収していく。そして、俺やルツェ達の茶器を収納し終えたバラドは、次いで精霊達を見た。

 バラドの視線の先を追って女性陣を見れば、楽しげに菓子を頬張る精霊三人とユリア、山の妖精の姿が目に入る。


「……あちらはいい。今言っても了承しないだろうからな」

「畏まりました」


 俺の言葉に了承の意を返したバラドは、そのまま俺の側に控えた。

 バラドが作業し終えたことで、自ずと女性陣の会話が耳を打つ。


「アルヴィオーネが食べているお菓子、美味しそうね」

「食べたいなら、ラファールにあげるわよ」

「ありがとう。あら、色々な種類があるのね? 迷っちゃうわ」

「人間みたいに満腹になることはないんだから、全部食べればいいじゃない」

「それもそうね」


 俺もクレアに薦められて食べたことのあるマシュマロのような菓子を間に、アルヴィオーネとラファールはそんな会話を交わす。そんな二人の隣では、フィアがその顔を半分ほど隠すサイズの焼き菓子にかじりついていた。


「むぐむぐむぐ」

『これ、いただいてもいいですか?』


 投げ出されたフィアの足の上に乗せられた菓子に目を輝かせた山の妖精達がそう尋ねれば、フィアは焼き菓子から口を離し頷く。


「うん」

『火の精霊様!』

『ありがとうございます』


 フィアから許しを得た山の妖精達は嬉しそうに、菓子が詰められた箱の中に入っていく。その光景に俺は思わず目を見張る。


 増えている……。


 林を探索中は一匹だった山の妖精が、ふと見れば二匹に増えていた。一体いつの間に、と疑問に思いつつ観察を続けていると、なにかに気が付き目を丸くしたユリアがフィアの膝から箱を掴みあげる。


「ちょっ、それ、私もまだ食べたことない高級菓子なのに! 今お皿に出しますから、箱の中に入らないでくださいっ」

『あっ』


 ユリアは慌てて箱を傾けると、菓子の一部と山の妖精を近くにあった皿に移す。そして、残った分から少し布に包み己の懐に入れると、フィアの足の上に菓子の箱を返した。

 そんなユリアの一連の行動に、彼女は意外と食い意地がはっているんだなとか、甘いものが好きらしいなどと考える。

 一方、皿の上にコロンコロンと転げ出た山の妖精達は一瞬呆けていたようだが、己の周りに菓子があることを確認すると何ごともなかったように食べ始めていた。


 ……そういえば、山の妖精の口はどうなっているのだろうか?


 妖精が移動する度に皿の上から消えゆく菓子に、そんな疑問が脳裏をよぎる。

 

 そうして、山の妖精の肉体構造や、目を離した隙に増えている不思議についてなどついて思考することしばし。

 雲に隠れていた月が顔を覗かせる。

 月明かりが降り注いだことで、彼女達の側にある瓶が淡く光り出す。月光の花が詰められた瓶は緑、青に二つの薄紅色の淡い光を放ち、それぞれの持ち主を照らす。

 ちなみ、ラファールは緑、アルヴィオーネは青、フィアとユリアは薄紅色の瓶を選んでいた。己が髪や瞳に纏う色と同じを瓶を選んだ彼女達は、再び輝きだした月光樹の花を嬉しそうに眺める。

 楽しそうな彼女達の姿に、先ほど見た光景がちらついた。


「――月光樹、綺麗でしたね」

「そうだな」

 

 感嘆の籠ったソルシエの呟きにそう答え、俺は目を閉じる。

 と同時に、先ほど見た美しい景色が鮮明に思い出される。

 数えきれないほどの星で飾られた夜空と優しく揺れる緑の絨毯、光輝く月光樹、周囲に浮かぶ蛍火。

 

 ――クレアやグレイ様にも見せてやりたかったな。


 脳裏に浮かんだ幻想的な光景に、そんなことを考える。あれほど幻想的な景色は滅多にお目にかかれない。二人もきっと喜んだだろう。

 王族が居ては許可が下りないだろうと辞退した幼馴染達を思い浮べながら、ゆっくり目を開ける。

 そして見上げた夜空の中心では、月が煌々と輝いていた。


「――時間だな」


 中天に昇った月にそう零し立ち上がれば、バラドやルツェ達も腰を上げる。

 まだ見ぬ土の精霊へと期待と僅かな不安からか、俺達の間に会話はない。一方の女性陣は相も変わらず、お茶をすすり菓子を摘まんでいた。

 そうして、待つこと十数分。


「……来ませんね」


 ジェフが呟いたかと思えば、フッと周囲が暗くなる。

 タイミングよく月明かりが遮られたことで、俺はすぐさま警戒態勢に入る。しかし続く変化はなく、辺りを探っても知った気配がするだけ。

 そこで空を見れば、厚めの雲が月を遮っていた。先ほど同様、月が雲に隠れただけであったことに、肩の力を抜く。

 それから一拍、顔を合わせた俺達は誰からともなく苦笑する。

 どうやら、新たな精霊に会うということで、皆も緊張していたらしい。


「あまりに丁度よかったので、少し驚きました」


 詰めていた息を吐きながら、ジェフがそう告げる。

 大げさに驚いてしまったと笑う彼にソルシエやルツェ、バラドも同意の声を上げたのを見て、俺も深く頷く。


「ああ」

『ええ。本当に』


 俺がそう答えるとほぼ同時に、覚えのない女性の声が聞こえた。

 柔らかなラファールとも、凛としたアルヴィオーネとも、鈴の音のようなフィアのそれとも違う、どこか頼りない震える声に俺は周囲を探る。

 すると先ほどまでなかった気配が、俺のすぐ側にあった。正門と俺の間、皆からは俺やバラドが陰になって見えないだろう場所にある、大きな気配の主を見ようと振り返る。


『――!』


 しかしそんな俺の行動に驚いたのか、彼女は短い悲鳴を残し地面に溶けるように消えてしまった。


「ドイル様?」

「どうかしましたかー?」


 心配そうに俺を呼ぶバラドやジェフの声に応えることなく、今しがた土の精霊が消えた場所を凝視する。

 見えたのは数秒、しかし俺の目が土の精霊の姿を捉えるには十分な時間だった。

 艶やかなストレートの黒髪に、焦げ茶の瞳。温和な顔をした彼女は、ラファールやアルヴィオーネよりも年上のように見えた。

 垣間見た土の精霊の姿を思い出していると、ポンと肩に手が乗せられる。次いで感じたひやりとした感触に、その手の持ち主を見ようと首を少し動かせば、意地悪い笑みを浮かべたアルヴィオーネと目が合った。


「ご主人様が驚かすから、逃げちゃったじゃない」

「……今の、俺の所為か? 振り返っただけだぞ?」

「他にいないでしょ?」


 からかい交じりにかけられたアルヴィオーネの言葉が腑に落ちずそう告げれば、あっさり切り捨てられる。


「で、どうするの?」

「どうするって……」


 続いたアルヴィオーネの問いかけに「一体俺に、どうしろと?」と心の中で呟く。

 引きこもりは伊達じゃない。振り向き目があった瞬間、速攻で逃げられるという悲しい現実を前に、「急に振り向いた俺が悪かったのか?」などと自問自答を繰り返すが、もはやあとの祭り。反省したところでどうすることもできない。


 人見知りとはいえ、繊細過ぎるだろう……。 


 どうすればいいんだと、なす術なく土の精霊が消えた場所を見つめる。

 と、その時だった。


『土の精霊様、土の精霊様』

『出てきてくださいな』

『皆さん優しくて、いい人達ですじゃ』

『なにも怖いことはありません』

『美味しいお菓子も沢山ありますよ』


 いつの間にか五匹に増えた山の妖精達が、土の精霊が消えた場所で輪になり、ポンポン跳ねながら呼びかける。


『土の精霊様!』

『人間の子らとお話したいのでしょう?』

『この機を逃してはなりませんぞ!』

『水に風、火の精霊様もいらっしゃいます!』

『皆、土の精霊様にお会いしたくて待っていたのですよ?』


 必死に言葉を紡ぐ彼らの努力を無駄にしないよう、俺はそっと地下の様子を探る。


 ――彼女を驚かせないように。


 そう己に言い聞かせながら、慎重に魔力を張り巡らせていく。するとそう深くない位置に、土の精霊が留まっているのが感じられた。

 どうやら毛玉達の声は彼女に届いているらしい。

 俺が探っている間も続く山の妖精達の言葉に励まされたのか、土の精霊の気配は少しずつ地上に近づいている。

 ならば、俺がするべき行動は一つ。

 地下の探索を止め、俺は山の妖精達の輪の中心にそっと手を置き、土の精霊に呼びかける。


「土の精霊様。先ほどは驚かせてしまい、申し訳ございません。私の名は、ドイル・フォン・アギニス。ただ貴方とお話したいだけで、危害を加える気はございません。どうか今一度、お姿を現してくださいませんか?」


 優しく、ゆっくりとした口調を意識してそう告げれば、俺の言葉を聞いていた山の妖精達はより激しく彼女へ声をかけた。


『『『『『土の精霊様!』』』』』


 すると――、


『――――アギニス? ……あの子、アメリアも、そう名乗っていたわ』


 土の精霊は震える声でそう呟きながら、再び地上へ顔を覗かせた。




ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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