第百七十六話
雲一つない夜空に月と星々が映える秋の夜。
外側は青白く、中心にいくほど青みを帯びる光の塊はどこか幻想的で、火の玉とは違うその輝きを夢中で追いかける。そうして青い光を頼りに走り続けるうちに、俺達はいつしか馬牧場の中にある林へと足を踏み入れていた。
生い茂った木々に月明かりが遮られ、暗闇に包まれた林の中は、視界良好とは言い難い。しかし件の人魂は、行く手を阻む木々などなんのそのとばかりに林の中を進んでいた。
「人魂、すごい!」
地面スレスレを滑空したかと思えば、高く舞い上がり枝の間をすり抜ける人魂に、フィアが感嘆の声を上げる。
「そうだな」
そう答えながら、俺は小さな背を見失わないよう追いかける。
青い光を見つめるフィアの目は、きっと輝いているのだろう。赤い髪を靡かせ走る小さな姿は、耳を打つ楽しそうな声と相まって大変可愛らしかった。
常人を軽く凌駕するその速度にさえ、目を瞑れば。
夜の林をものともせず、獣さながらの動きを見せるフィアとその前方で優雅に飛ぶ青い人魂を見失わないよう、俺は必死に足を動かす。
フィアの肩から落ちそうで落ちない山の妖精に、ハラハラしながらひたすら走る。そんな俺の隣で軽く息を乱したユリアは、一人愚痴を零していた。
「――人魂っていったら、もっと、こう、ふよふよっと、しているものじゃないの? なんで、あんなに活発なの!?」
返答を求めているわけではない彼女は、誰に聞かせるでもなく小声で憤りを吐き出す。その姿を横目に走りながら、俺はユリアの主張に内心で激しく同意した。
大通りで発見してから馬牧場までの間、青い光の玉はゆったりと飛んでいたのだ。
しかし牧場の敷地内に入るやいなや速度を上げはじめ、林の中に入った頃にはジェフやソルシエを振り切り、現在は俺がスキルを使用してようやく追える速さだ。
「フィアもあの人魂も、速すぎるわ!」
ユリアの不満を聞きながら、青い光へと目を向ける。木々を華麗に避けて飛ぶ青い光は、彼女の言葉通り、尋常じゃないほど素早い。正直、予想外の展開である。
これ以上スピードアップされたら、俺はついて行けないだろう。
ちらりと頭上を窺えば、木々の合間からラファールとアルヴィオーネの姿が見える。彼女達が居ればフィアが迷子になる心配も、人魂を見失うこともないだろうが、そろそろ勘弁してほしいというのが本音である。
終着地点はまだか、などと考えつつ青い人魂へと視線を戻す。
それにしてもあの動き、どこかで見た気が――。
枝の間をスイスイすり抜けていく人魂を観察していると、ふとその動線に既視感を覚えた。あの軽やかに空を舞う人魂と同じ動きを、俺は最近見た気がする。
さて、一体どこだったか……、と思考を巡らせることしばし。
不意に、聞き慣れた声が耳を打つ。
『――ねぇ、ツヴァイ。あそこにいるのご主人様じゃないかしら?』
『え? あ、本当だ!』
風を切る音の合間、微かに聞こえたその声に振り向けば、後方に青く輝く光の玉が三つ。
今しがた全力で追いかけていた件の人魂と、寸分たがわぬそれらに思わず足を止めれば、ユリアも立ち止まる。
「――『ご主人様』?」
ぽろりと彼女の口から零れたその言葉に、俺の心臓が跳ねる。
さすが人あらざる者。ユリアにはフェニーチェ達の言葉が解るらしい。
ギギギ、と音が聞こえそうなほどぎこちない動きで、こちらを見た彼女と視線が絡む。と同時に、俺達の間になんとも言えない空気が漂った。
『主様!』
今俺を呼んだのはドライだ。その前に聞こえた鳴き声から察するに、他の二つ光はアインスとツヴァイ。となると、先ほどまで追っていたのはフィーアかフュンフの可能性が高い。
――いや、フュンフがあれほど軽やかに枝を避けられるはずないから、あれはフィーアだな。
個体差はあるものの、王城にいた頃は鳩ほどだったフェニーチェ達は一回りほど大きくなり、現在は全長四十センチ前後といったところまで育っている。
餌も調達できるようになり、産毛もすべてなくなった。体も成体になったことだし、そろそろ自分で巣を作らせてもいい時期だろうということで、最近は学園長やプフェ先生に許可をいただき、馬牧場の林の中で生活させていた。
それがまさか、このようなことになろうとは。
アインス達の話によると巣作りは無事完了しており、馬達とも仲良くやっているようなので安心しきっていたのだが、アルヴィオーネやラファールに引き続き、フェニーチェ達まで七不思議の一端を担っていようとは想像もしなかった。
急速に近づいてくる人魂がフェニーチェ達だった、という受け入れがたい現実に思わず天を仰いでいると、ユリアが頬を引きつらせながら口を開いた。
「気の所為でなければ、今あの人魂から『主様』とか聞こえたのですが?」
「……聞こえたな」
「お知り合いですか?」
「……恐らく、あれは俺が飼っているフェニーチェだ」
乾いた声で笑いながら尋ねるユリアにそう答えれば、非難がましい視線を向けられる。
たぶん今彼女の心の中では、俺への文句が吹き荒れていることだろう。ここまで走ってきた苦労は一体なんだったのか、とかな。
だがしかし、俺とて声を大にして同じ台詞を言いたい。
――そもそもどうやって、アインス達は光っているんだ?
フェニーチェに光属性なんてなかったはずなのになぜ、などと言い訳がましいことを考えながら彼女達の到着を待つ。すると見えてきたのは、優雅に木々を避けて飛ぶアインス達とその体を包む青白い光。
徐々に近づいてくる人魂を、俺はじっと眺める。フェニーチェ達が纏う魔力量からいって魔法やスキルを使っている様子はない。
アインス達自身が発光しているわけではない、のか?
どういった仕組みで青白い光を発しているのか、もっとよく観察しようと目を細めるが、俺が原因を見極めるよりも、追いついたアインス達がスーと木々に降り立つ方が早かった。
そうして、ほとんど音を立てず着地した彼女達は、次々と嘴を開く。
『ご主人様!』
『こんな夜になにをしているんですか?』
『手伝う』
その言動に変化はない。俺の役に立とうと申し出る姿は、いつもとまったく同じだ。
唯一の異変は、体の至るところが青白く発光している点。よくよく観察してみれば、フェニーチェの青い羽根を柔らかく照らし出す煌めきは体の部位によって異なっており、腹や背中は強いが翼の輝きは淡い。
『ご主人様?』
じっと見つめたまま返事をしない俺に、アインスが首を傾げる。それと同時に彼女の身体から淡く光るなにかがパラパラと零れ落ちた。
その光景に、俺は腕を伸ばし手近にいたツヴァイを呼び寄せる。
「おいで、ツヴァイ」
『? はい』
ツヴァイは不思議そうな顔をしつつ、枝から差し出した腕へと移動した。途端ズシッとくる腕の重みは彼らが成長した証拠だ。
ちなみに、一番小柄なのはフィーアで、最も育ったのはドライだった。次いで大きいのはフュンフで、ツヴァイとアインスは同じくらい。若干ツヴァイの方がシャープな身体つきをしており、アインスはフカフカしている印象がある。
性格だけでなく見た目にも個性が出てきたフェニーチェ達の成長を噛みしめつつ、俺は青白く輝く背を撫でる。すると滑らかな羽毛とは異なる感触が、指に触れた。
その一つを摘まみあげてみれば、俺の指先が淡く輝く。指の間には、金木犀のような小さな花。どうやらこれが、青白い光を放っていたらしい。
「月光樹の花、か?」
教科書に載っているのを見た記憶はあるものの、実物を目にしたのは初めてな花の名を口に出せば、アインス達が一斉に嘴を開く。
『私達が巣を作った木の花です。月明かりを浴びると開花するんですよ』
『花がこのとおり小さいので、巣を出入りするたびに色々なところへ入り込んでしまって……初めのうちは気になって落としていたんですが、しばらくしたら面倒になったので、最近は放置しています』
『沢山出てくる』
今思い出したといった様子で告げるアインスとツヴァイに、嘴でカシカシとかき出し羽毛に入り込んだ花を見せてくれるドライ。
月光樹の花がごみ扱いだなんて、薬学科の生徒が見たら泣きだしそうな光景だな……。
無造作に落とされ地面を淡く輝かせる月光樹の花や、一部分だけぽっかり輝きを失ったドライの胸元を眺めながらそんな感想を抱く。
多くの月光を浴びなければ開花しない月光樹の花は別名【月光の欠片】と呼ばれる希少な素材で、光魔法による【浄化】に近い効能を持つ。闇魔法や呪術系に抜群の効果的を発揮し、魔獣が多発する地域にこれを撒くと数が減るとも言われている代物だ。一部の地域では人工栽培も行なわれているが、一度採取してから最低三年は月光を取り込ませないと咲かないため需要に供給が追い付いていない素材でもある。
図鑑などでしか見たことないが、この青白い輝きと月明かりで咲くという話から言って、まず間違いないだろう。
「珍しい素材がこれほど粗雑に扱われるのは、この場所くらいです。その上、この地は属性の異なる精霊が複数おり、かの有名な元魔術師団長もいらっしゃる。本当にとんでもない学園ですね」
ユリアは、呆れとも感嘆とも受け取れる口調でそう呟く。
彼女のその言葉に物申したい気分であったが、言われた内容がもっともすぎて反論できず、俺は押し黙る。なにより七不思議のうち、四つが俺の所為であることが胸に重くのしかかっていた。
報告書になんて書こう……。
夜間の外出許可をもらった以上、報告書は必須。学園長や多くの教員が目にするであろうそれに、この事実を書かなければならない現実に、俺は再度天を仰ぐ。
と丁度その時、俺達と同様に真相へ辿り着いたらしい精霊組が二つの人魂を抱え、空から降りてきた。
「――アインス達は愛しい子のところにいたのね」
「はい、お土産」
フィアを抱えたラファールが微笑んだかと思えば、アルヴィオーネが両脇に抱えていたフィーアとフュンフを放す。
腕から解放されたフュンフはそのまま地面に落ち、軽く羽を動かしたフィーアは俺の腕にとまっていたツヴァイの隣に並んだ。成長したフェニーチェ二羽は、地味に重い。
『アインスもツヴァイもドライもひどいわ! いつまで待っても来ないと思ったらご主人様といるなんて。教えてよ!』
『ごめん。というか、フュンフはいい加減、花を落としなよ。全身光ってるし』
プリプリ怒るフィーアに答えたツヴァイは、次いで視線を落とすと、一際明るく光るフュンフを見て溜息を零す。するとその言葉に反応したアインスとドライが、花まみれのフュンフの側に降りたった。
『確かに、これはひどいわね』
『とってやるから、じっとする!』
『んんっ』
二羽に突かれよろめいたフュンフに、ツヴァイとアインスも俺の腕から離れ参戦する。
『――ほら、翼を広げて』
『仕方ないから私も手伝ってあげるわ。感謝しなさい、フュンフ』
なんだかんだ言いつつも、兄姉総出で毛づくろいしてやる辺り皆末っ子を可愛がっているらしい。仲良く過ごしているようで、なによりだ。
フュンフの身体から徐々に落ちていく月光樹の花を眺めながらそんなことを考えていると、クイッとズボンを引かれる。その感覚に視線をずらせば、頬を上気させたフィアが俺の裾を引いていた。
「あっちに、すっごく綺麗な木があったの!」
月光樹を見たのか、少女は嬉しそうに告げる。
「よかったな」
楽しそうな彼女の頭をそういって撫でてやれば、俺を見上げたフィアから可愛いお誘いをいただいた。
「一緒に見よう?」
「ああ。バラド達と合流したら皆で見に行こう。フィアが案内してくれるか?」
「まかせて!」
俺の言葉に頷いたフィアを、もう一度撫でる。
そして疲れた顔で座り込むユリアと、じゃれ合うフェニーチェ達を眺めるラファールやアルヴィオーネを横目に、今しがた見てきた月光樹の感想を述べるフィアの声に耳を傾けること、しばし。
疲労を滲ませていたユリアが回復し、立ち上がったのを確認した俺は、そろそろジェフやソルシエ、バラドやルツェと合流しなければ……と考え、顔を上げる。次いで、【気配察知】を使い彼らの気配を探した。
すると見知った気配が四つ、すぐ近くにあることに気が付く。
迎えに行かずともバラド達は自力で合流し、俺の元に向かって来ていたようだ。
「ドイル様はこの辺りにいらっしゃるはずなのですが……」
木々が邪魔している所為で俺達を見つけられないバラドが辺りを見回しながら呟けば、その言葉に反応したジェフが声を上げる。
「ドイル様ー?」
「――こっちだ!」
辺りを見回す四人に手を振りながら叫んだ俺の声は、夜の林によく響いた。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。




