第百七十四話 セルリー・フォン・テルモス
王城から、魔法科の一角に作らせた私専用の研究室へ移動してきて半年余り。
敷地こそ狭くなったものの、置かれている設備が魔術師団長として勤めていた頃からほとんど変わらないこの部屋の使い勝手はよく、ことのほか居心地よく。
やるべき仕事もほとんどなく研究に没頭できるこの環境はまさに天国で、大抵の時間を私はこの研究室で過ごしています。
そんな憩いの場で、現在私に非難の目を向けているのはエピス学園の学園長です。
「――ちゃんと私の話、聞いてくれていますか? セルリー先輩」
「はいはい。聞いていますよ」
部屋の四隅に設置してある媒体を利用して壁一面に広げた【水鏡】に映る子供達を眺めながら答えれば、学園長は声を荒げます。
「だったら、なぜ、アギニスの申し出を承諾したのか、お答えください!」
一言一言を強調しながらそう訴える彼の前には、ドイル君及びその部下達の夜間外出を認める旨を記した書類。その一番下には私のサインが書かれています。
それを見て思い出すのは、フィアを膝に乗せ微笑むドイル君です。
今回、いつの間にかフィアを懐柔していた彼の手腕は見事でした。彼女のご機嫌を損なうことと、夜間の行動許可書に署名してあげることを天秤にかけたらどちらに傾くかなど決まっています。火の精霊である彼女にへそ曲げられては大変ですからね。
また、他の教員が畏縮しないように、私の署名を最後にした心意気も評価に値します。
私やゼノの名を利用するのは構いませんが、頼りっきりになるのは問題です。ことあるごとに私達の力を当てにされては、引退した意味がありませんから。
ユリアを連れ去って来た時にはそれが理解できていないようでしたが、ここ数日の間になにがあったのやら。なにがきっかけとなったのかはわかりませんが、いい変化です。
――子供の成長は早いですねぇ。
これならば、私がやり込められる日も遠くなさそうです。近い将来訪れるだろうその日を思い描けば、自ずと口元が綻びます。ゼノや私を越え、アラン殿をも上回った時、ドイル君はどんな表情を浮かべグレイ殿下の傍らに立つのか楽しみでなりません。
ぜひ、この目でその光景を見たいものです。そう胸中で唱えつつ、いまだ不満気に私を見ている学園長へと視線を向ける。そして、この状況をどうにかすべく、言葉を紡ぎます。
「提出された資料が素晴らしく、書類に不備もなかったからですよ? 他の方々だってそう思ったから署名したのでしょう。私だけを責めるのはお門違いというものですよ」
素知らぬ顔でそう告げてやれば、学園長は悔しげな表情を浮かべます。
「たしかによくまとめられているし、不備はありませんけどもっ。七不思議なんてものを調べさせて、万が一のことがあったらどうするんです? 『すすり泣く木』は場所的に虎落笛のような自然現象かなにかでしょうでし、『青い人魂』の正体はなんとなく見当がついていますが、『二人目の図書館司書』に関しては俺もまったく心当たりがないんですよ?」
「どれも危険なものではないから大丈夫です。念のため、こうして監視もしています。そもそも、仮に危険なものが侵入していたとして、貴方は一体どうする気ですか? 私や精霊達の目を掻い潜れる者が相手の時点で、どれだけ大事をとったところで無意味。寮に押しとどめようが自由にさせようが、結果は変わりませんよ」
「それは、そうですがっ」
私の言い分によい反論が浮かばなかったのか、言葉に詰まった学園長は押し黙りました。しかし納得したわけではないらしく、彼の顔には「そういうことじゃねぇんだよ」と書いてあります。
――まぁ、この学園には色々なものが隠されていますからねぇ。
マジェスタと共に長い歴史を歩んできたエピス学園には、城には置いておけない資料や魔道具など様々なものが隠されています。子供達の健やかな成長を促す一方で、そういった代物の管理も任されている学園長からしたら、ドイル君達が学園内を探検するのは楽観視できないことなのでしょう。
しかし、ドイル君は既に図書館の禁書部屋を見つけてしまっています。フィアを迎えにきた時に、『そう言えば、セルリー様は図書館の地下になにがあるのかご存じですか?』なんて言っていましたからね。他の隠し部屋を見つけるのも時間の問題でしょう。
先ほどから恨みがましい視線を向けてくる学園長に、もう手遅れであることを告げるかどうか迷います。しかし、昔の己を思い出し、もうしばらく胸に仕舞うことにしました。
私も在学中に偶然隠し部屋の一室を見つけてからというもの、こっそり探し回った身です。その私が、ドイル君を止めるなんて野暮なことはしません。
なにより隠し部屋の中には、便利な魔道具や貴重な資料が沢山あります。その中には、私の魔術の礎となったものもありました。それらはきっとドイル君の役に立つでしょう。
そう結論付けた私は、この会話を終わらせるべく口を開きます。
「そもそも、ドイル君に大人しくしていてほしいのならば、貴方が許可を与えなければ済んだ話です。すべての最終決定権は、学園長たる貴方にあるのですから」
私の言葉に、学園長は眉間にこれでもかと皺を寄せます。
恐らく彼の中では、これ以上面倒事を起こさないでほしいという個人的な感情と、学園長として公平であらねばならないという教育者としての想いがせめぎ合っているのでしょう。しかし、彼がどちらを選ぶかなどわかりきっています。
「学園長として、正規の手順を踏んで許可をもらいに来た生徒を、明確な理由もなく追い返すことなどできません」
想像どおりの返答をしながら学園長は、重いため息を吐く。
そんな彼に、私はにっこり笑って告げます。
「なら、諦めなさい」
最終通告を受け取った学園長は悔しそうな表情を浮かべたあと、机に突っ伏してしまいました。
――己の感情よりも規律を重んじる真面目さは、昔から変わりませんねぇ。
呻き声を上げながら、向ける先のない苛立ちをなんとか消化しようとしているかつての部下に苦笑しつつ、私はドイル君達を映し出している【水鏡】へと目を向けます。
秋らしく色づき始めた木々の間には五人の生徒達とフィア、最近私付のメイドとなったユリア、それから少し離れたところで子供達を見守る風の精霊と水の精霊がいました。
彼らの視線の先にあるのは多種多様なお菓子の山が乗せられた台と、甘い香りに誘われ木の中から顔を出した山の妖精達。
その光景に、ジェフ君とソルシエ君が嬉しそうに呟きます。
『師匠の言っていたとおりの姿だ』
『あれが山の妖精……』
『妖精っていうよりも毛玉って感じだな』
『うん』
ひそひそと言葉を交わす二人の周辺には、ドイル君が契約している風の精霊の加護が浮かぶ。ジェフ君達だけでなく、ドイル君や従者のバラド君やルツェ君、フィアやユリアにも同様の魔法がかけられているので、恐らく気配を隠すためのものでしょう。山の妖精は臆病ですからねぇ。
『いっぱいいる』
『そうだな。でも、沢山いるからといって魔法は使っちゃ駄目だぞ、フィア。彼らは弱いから、捕まえる時は優しくな』
ワクワクと目を輝かせるフィアに、ドイル君が優しく言い聞かせます。
『うん!』
元気よく返事したフィアをドイル君が優しく撫でる。
――ずいぶんと懐いていますねぇ。
頭を撫でられ気持ちよさそうに目を細める火の精霊の姿に、そんなことを思う。
彼が契約している精霊達とフィアが親しくしているのは知っていましたが、ドイル君本人ともあれほど仲がいいとは驚きです。
力の塊である精霊は、己が司る属性への適性が高い人間を好むもの。ああ見えてフィアも精霊らしく好き嫌いが激しい子なのですが、ドイル君は一体いつ間にあれほど仲良くなったのでしょう。
よほど的確にフィアの琴線に触れたのか、火の適性が低くても構わないと思わせる何かがドイル君にはあるのか。どちらにしろ、大変興味深い事象です。
――フィアが戻ったら懐柔に至る経緯をもっと詳しく聞いてみましょうかね。
疼く探究心に従い予定を追加していると、親密そうなドイル君とフィアの隣でユリアが遠い目をしながら呟きます。
『……私、一応捕虜的ななにかだよね? なんで捕まえた張本人達と、ほのぼの山の妖精の捕獲なんかしてんの?』
『なにか言ったか? ユリア』
『いえいえ、なにも!』
しかしその声に反応したドイル君が目を向けると、彼女はすぐさま笑みを浮かべて誤魔化します。
『……そうか』
明らかな拒絶をみせるユリアへ言いかけていた言葉を呑み込んだドイル君は、残念そうな表情で溜息を零すと山の妖精達へと目を向けます。
一方のユリアは不自然な言動を追及されなかったことに胸を撫で下ろしつつ、罪悪感を滲ませた顔でドイル君の様子を窺っていました。
ユリアとて、今ある自由はドイル君が城から連れ出してくれた故のものだと理解しています。それが己には過分な優しさであることも、彼女は知っています。しかし、ドイル君を信じてすべてを曝け出すのは、まだ恐ろしいのでしょう。
……こちらはもう少し時間がかかりそうですねぇ。
待つ姿勢をみせるドイル君と隠し事を告げようか迷うユリア。二人が築きかけている信頼関係を崩すのはもったいないので、彼女が話す気になるまで待ってあげたいところですが、そう悠長なことを言っていられないのが現実です。
それはドイル君もわかっているのでのしょう。今回のようにどうにかユリアとの距離を縮めようと努力しながらも、彼女のもつ情報に頼らずゼノスや彼を連れ去った男を探しているようですからね。
相手が心開くのを待ちつつも、最悪の事態が起こらないよう万全の手を尽くすことのできる彼は、きっと部下に慕われる上司になるでしょう。ぜひ、このまま育ってほしいものです。
ルツェ君達に囲まれるドイル君を見ながら近い将来へ想いを馳せていると、山の妖精を監視していたバラド君が声を上げます。
『ドイル様、山の妖精達が出てきたようです』
『そろそろだな。皆準備はいいか?』
ドイル君が小さな声でそう尋ねれば、ルツェ君達は手振りで了承を伝えます。部下達の支度が整っているのを確認した彼は、次いでフィアやユリアへと目を向ける。そして彼女達が頷いたのを確認すると、ドイル君は身振り手振りで妖精達を囲むように指示していきます。
その間にも、幹から顔を覗かせた妖精らはキョロキョロと辺りを窺い危険がないか確認すると、一匹また一匹と木から転げ落ちながらお菓子へと向かいます。
菓子に集う毛玉を包囲し終えた子供達が楽しそうな表情を浮かべ、合図が出るのをいまかいまかと待ち構える中、突入の機を測っているドイル君の顔が綻びます。
その光景を水鏡越しに眺めながら、気負いないその表情を浮かべるまでに彼が辿ったこれまでを思い出す。そしてよくぞここまできたものだと感心していると、いつの間にか復活したらしい学園長が、思わずといった様子で口を開きました。
「――彼奴ら、随分と楽しそうですね。それにアギニスのあんな子供っぽい表情、はじめて見た気がします」
年相応な表情を浮かべるドイル君に安堵の息を吐き、眩しそうに目を細めるその姿は大変嬉しそうです。
――なんだかんだと言いつつも楽しそうな子供達の姿に顔を綻ばせるあたり、すっかり教育者が板についていますねぇ。
戦わねば殺されるという状況下でありながら戦に疑問を抱き、人の命を奪うことに涙を零していた部下が浮かべた穏やかな表情に流れた歳月の長さを感じつつ、私は彼の学園長らしい一面に笑みを零します。
「そうですねぇ」
頷きながら、私はこれまでの日々を振り返ります。
かつて共に戦場をかけた部下が書類上とはいえ上司になり、多くの命を奪ってきた私が未来ある子供達に向けて教鞭を取る日が来ようとは想像もしませんでした。
あれだけ荒々しかったゼノも完全に引退し、いまやただの孫馬鹿に成り果てています。
今の私達を見たら、アメリアは一体何というのでしょうねぇ……。
すっかり丸くなった私達を見て笑うのか、落ち着いてよかったと安堵の息を零すのか。今は亡き幼馴染を思い出しながら想像します。
と、その時でした。
しみじみとドイル君達を眺めていた学園長は、なにかを思い出したかのようにハッとした表情を浮かべると、勢いよく私へ体を向け矢継ぎ早に尋ねます。
「そう言えば、彼らが七不思議に関わっても大丈夫と仰っていましたが、本当に危険はないんですか? 春先のスライムの一件のように、『実は――』なんてことはないですよね? 信頼していいんですよね?」
よほどあの時のことがトラウマなのか、確認をとる学園長は必死です。
「おおげさですねぇ。別にあのくらい問題ありませんよ。実際、ドイル君はなにも言わなかったでしょう?」
「言わせなかっただけしょうが! アギニスが不満を口にしないからグレイ殿下も黙っておられましたが、『次はない』って目をしていたじゃないですか! 俺、彼奴らに睨まれるのは御免ですからね? セルリー先輩基準での大丈夫とかいうオチは、本気でやめてくださいよ!?」
適当にあしらえば、学園長はそう言い募ります。
先ほどまでの落ち着きは、一体どこにいってしまったのでしょう。学園長の必死の形相がおかしく、私の悪戯心をくすぐります。
「大丈夫です。なんの心配もありませんよ……多分」
「多分ってなんですか、多分って。しっかり保証してください!」
とはいえ、決死の表情を浮かべた学園長を見ていると、少し可哀想な気がしなくもありません。
この研究室をはじめ、巨大スライムの一件やドイル君のために用意した修行部屋、そしてユリアの雇用など彼には大変お世話になりましたし、隠し部屋の件もあります。一応感謝はしているので、今回は安心させてあげましょうか。
そう結論付けた私は、彼がもっとも気になっているだろう『二人目の図書館司書』について教えてあげます。
「セルリー先輩!」
「はいはい。今回は本当に大丈夫ですよ。彼女が生徒を傷つけることはありませんから」
「……彼女?」
「『二人目の図書館司書』の正体は、学園が建つ前からこの地に住まう土の精霊ですから」
「は?」
土の精霊がこの地にいるのは初耳だったのか、そう告げれば学園長は驚いた表情で固まりました。その間抜けな表情を笑ったあと、これで話は終わりとばかりにドイル君達へ視線を戻します。
「セルリー先輩、その話を詳しくお聞かせ――!」
我に返った学園長がなにか言っているようですが、無視です。
『フィア、そっちに行ったぞ』
ドイル君の声に反応したフィアは足元に来た山の妖精に手を伸ばします。しかし、その手が毛に触れる前に、妖精は土の中に潜ってしまいました。
『逃げられちゃった』
『想像以上に素早いな』
しょげるフィアを慰めるように撫でながら、ドイル君は難しい表情で呟きます。その光景を眺めながら、私はまもなくドイル君と対面するだろう土の精霊を想いました。
人見知りが災いして、普段は仲間の精霊達にも感知されないほど地中深くに引きこもっている彼女。しかし大の子供好きのため、偶に土人形を通して地上の様子を窺っています。
彼女の目は土人形であるが故に、模る形は人や動物など千差万別。今回は図書館司書の真似をしていたのでしょう。人型を使うと噂になりやすいとアメリアが注意してあげていましたが、彼女はすっかり忘れてしまったようですね。
彼女は、ドイル君を見たらどのような反応をするでしょうか。
私がその姿を見たのは在学中に一度だけでしたが、アメリアとは親しくしていたようで何度か話を聞いたことがあります。そのアメリアの孫であり、多くの精霊の関心を集めているドイル君を前に土の精霊たる彼女はなにを思うのか。興味深いですねぇ。
それにあの懐き具合から言って、ドイル君が土の精霊とも契約なんてことになったら、フィアも契約したいと言い出すかもしれません。そうしたら、ドイル君は火、水、風、土を司る精霊と契約することになります。
それすなわち、四大属性すべての加護を得るということです。もしそうなれば、ドイル君はこの世界ではじめて【勇者】と呼ばれた英雄と同じ。世界を揺るがす、大事件です。
――老いらくにこのような楽しみに出会えるなんて、私は幸せ者ですねぇ。
そうこう考えているうちに、散っていた部下達がドイル君の周りに集まり、再度作戦会議をはじめます。
『あの速さを素手は厳しいですよ、ドイル様』
『罠かなんか仕掛けますか?』
『それか場所を変えてもう一度――』
ジェフ君、ソルシエ君、ルツェ君の順で発された意見に耳を傾け、考え込むドイル君。真剣な表情で話し合う子供達を眺めながら、私はこれから起こるだろう歴史に残る大事件に心躍らせました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。




