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甘く優しい世界で生きるには  作者: 深/深木
本編(完結済み)
172/262

第百七十二話

 ベージュ色のズボンとベストに清潔感のある白いシャツ、それから栗色の長髪を一つにまとめ流した姿はリーブル殿とそっくりだった。俺も、本人と対面した直後でなかったら、なんの違和感も抱くことなく、本の整理のでもしているのかなと素通りしてしまっただろう。


 ――これならば、『二人目の図書館司書』と名付けられたのも納得だ。


 などと考えていたのがよくなかった。

 採光用の窓から日没を告げる茜色の光が差し込む中、『二人目の図書館司書』は深緑の本を音もなく本棚に戻す。

 次の瞬間、床へ足元から吸い込まれるような形で姿を消した。


「ドイル様っ」


 たった今目の前で起こった出来事に、バラドが声を上げる。

場所や状況を考慮したのだろう。感情を押し殺しながら俺の名を呼ぶその声は、小さい。しかし、俺を我に返すには十分だった。

 『二人目の図書館司書』を追うべく、急いで彼が立っていた場所へ向かう。

 俺達がいた場所から男が立っていた地点までは数十メートルしかなかったので、すぐに着いた。


「俺は地下を探る。バラドは図書館やこの辺り一帯を調べてくれ」


 バラドに地上を探知するよう命じ、俺は地下を探るためしゃがみ込む。

 『二人目の図書館司書』がどのような生物であれ、逃げたのならば地下深くに潜り続けるよりも、ある程度図書館から離れたら地上に顔を出す可能性が高い。ならば、俺よりも広範囲を探知できるバラドに上を任せるのが賢明だろう。


「畏まりました」


 頷くバラドを視界の隅に収めながら、俺は地下を探るため床へ手を置いた。と同時に、図書館にはありえないジャリっとした感触を掌に感じる。


 ……砂?

 

 戸惑いつつ床へ目を凝らせば、彼が立っていたと思われる場所に砂粒のようなもの散っていた。

 図書館にはあるまじき存在に興味を引かれたが、今は『二人目の図書館司書』の行方を優先すべきだ。そうして、己がすべきことを思い出した俺は、床下へ神経を集中させる。

 なにしろ、気配察知を地中に使うのは初めての試み。上手くいくかどうか、わからない。


 成功すればいいが……。


 わずかな不安を胸に男が立っていた場所を中心に地下へ向かって【気配察知】を使えば、脳裏に『スキル【地中探索】を取得しました』との言葉が浮かんだ。

 ざっとスキル効果を見れば、地中生物をその魔力量に応じて大小の丸で見られるらしく、気配察知の地中用といった印象を受けるスキルだった。気配察知との違いを挙げるならば、鉱物の探知もできる点だろう。

 これ幸いと、すぐさま【地中探索】へと切り替え『二人目の図書館司書』の気配を探す。しかし、図書館の敷地内にそれらしき存在はない。スキルの限界まで範囲を広げて調べてみたが、それらしき生き物を見つけることはできなかった。

 その代わり、建物の最奥にある棚の下から地下へ向かって伸びる空洞と教室ほどの空間を見つける。


 ――隠し部屋か。


 結界と隠蔽魔法かなにかで守られているそこは、俺の【地中探知】では空洞とぽっかり穴が空いているようにしか見えない。しかし、図書館から繋がっているという点と空洞や空間が帯びる高い魔力が、重要な何かを保管している場所なのだと教えてくれた。

 

 存在を隠されていただろう部屋を、見つけられたことは喜ばしいが……。

 

 捉えたかった気配は何処にもない。これ以上の探索は無駄だと判断した俺は、一縷の望みをかけて顔を上げる。


「人の気配はいくつも感じるのですが、不審な動きをしている者はおりません」


 しかし、俺の淡い期待虚しく、目が合ったバラドは難しそうな表情で首を振った。

 折しも丁度、生徒達がそれぞれの用を終え寮に戻る時間帯。件の司書は彼らの中に紛れた可能性が高い。今から外へ出て探しても、発見できる可能性は低いだろう。

 気配察知で見られるのは、魔力の大きさ。故に、魔力量や動きからなんの生物か推測したり、目当ての人物を探すのは術者の技量による。

 察知や追跡に長けたバラドの目を掻い潜るほど、自然な動きをしているのならば仕方ない。折角の遭遇を活かせなかったのは残念だが、『二人目の図書館司書』が実際に存在し、後姿だけといえその姿形を確認できただけよしとしよう。


「そうか。ご苦労だったな」


 頭を切り替えた俺は、バラドを労う。次いで、この場に残された手がかりを回収するべく立ち上がった。

 そして目をやったのは正面にある本棚。上から三段目、その中でも砂が散っている辺りから深緑の装丁を探す。


 ――これか。


 棚から『最新版 歴史と流行』と書かれた本を抜きとる。と同時に、俺はバラドに命じた。


「この本を借りてくるから、バラドは床に散っている砂を回収しておいてくれ」

「砂、ですか?」

「ああ」


 不思議そうに首を傾げたバラドに床を示せば、僅かに目を見開いたあと頷いた。


「畏まりました」

「頼んだ」


 そうして、俺は再びリーブル殿の元に向かった。






 思いがけない『二人目の図書館司書』との邂逅後、夕食を済ませた俺は自室にてラファールやアルヴィオーネ、ルツェにジェフ、ソルシエといったメンバーでバラドが用意したお茶を飲んでいる。

 精霊達とルツェ達という珍しい組み合わせで何をしているかと言えば七不思議の残り四つの対策会議だ。好機が巡ってこないと確認すらできない『すすり泣く木』、『青い人魂』は一先ず置いておくとして、今回は『もう一人の図書館司書』と『菓子泥棒』に関して話し合っている。


「では、図書館には夕暮れ頃に向かうとして、それまでは『菓子泥棒』の捕獲でよろしいですか?」

「そうだな」


 ルツェの言葉に頷けば、他の面々からも了承の返事が飛び交う。

 不自然な砂を回収したあと、図書館内にいた生徒達にバラドが話を聞いて回ったところ、件の司書は人が減って閑散としはじめる夕刻に目撃されることが多いらしい。

 話し合いが一段落したところで、俺は机の上へ目を向ける。

 卓上には香り高いダージリンによく似た最高級品の紅茶と、ルツェの協力により王都の老舗店から最新作までを網羅したお菓子が机の上に所狭しと並べられている。なぜここまでの品々を用意したかと言えば簡単な話、ラファール達への賄賂だ。

 山の妖精だろう『菓子泥棒』や砂を残して消えた『二人目の図書館司書』などは人の手にあまる。実際、山の妖精は何度かトライしてみたが未だに姿を拝んだことはないし、司書に関しては俺とバラド二人がかりで探知しても追えなかった。そこで、彼女達の力を借りることにした訳だ。

 ラファール達に菓子の山や紅茶は効果てき面で、ようやく完成した器に入り、飲食を楽しむ水の精霊様はご機嫌な様子で、俺が見せた砂入りの瓶を手の中で弄んでいる。


「――で、この瓶の中に入っているのが、『二人目の図書館司書』が残した砂ってわけね」

「ああ。見た目は普通の砂と変わらないのだが、手がかりになるか?」


 アルヴィオーネの言葉を肯定すれば、彼女はなんのためらいもなく瓶を開け中身を少量手に出した。出された砂に興味を引かれたのか、ラファールも彼女の掌を覗き込む。


「魔力を感じるような気はする、かも?」

「そうねぇ。魔力を感じなくもないけど、微か過ぎてこれじゃわからないわ。その場にいればもうちょっと色々わかったでしょうけど」

「そうか」


 二人の反応を残念に思いつつ、俺は返された瓶をしまう。


 ――つくづく、あの時の失態が悔やまれるな。


 なぜあの時、反射的に動けなかったのか。リーブル殿ではないと一目見た時からわかっていたのだから、すぐに行動に移せばよかった。

 そんなことを考えていると、目の前に新しい茶菓子が置かれる。


「こちらはドーナといいまして、最近ヘンドラ商会で売り出しているものです。商会内では美味しいと評判なのですが、揚げ菓子は初の試み。よろしければ、ドイル様のご意見をいただけると幸いです」


 ルツェは、そういって一口ドーナツのような菓子を紹介する。周囲を見渡せば、バラドが皆に配っているところで、ラファールとアルヴィオーネに至ってはすでに食べていた。


「甘いものを揚げるなんて……人は日々進化するわねぇ」

「表面はカリカリなのに、中は柔らかいわ」


 お菓子に夢中な彼女達の姿に、ふっと肩の力が抜ける。

 そんな俺を見計らったかのように、ソルシエとジェフが口を開いた。


「謎解きも楽しいですが、折角の機会ですから」

「そうそう。ドイル様も、たまには雑談しましょ」


 二人の言葉に、俺は七不思議を調べようと考えた理由を思い出す。


 ……そういえば、ルツェ達と交流しようと思って始めたんだった。

 

 忘れかけていた本来の目的を思い出した俺は、先ほどまでとは別の意味で反省する。

 あまりにも不可思議な『二人の図書館司書』の存在に、今回の件は一人で解き明かしても意味がないと気付けないほど、俺は動揺していたようだ。いや、追おうとしてまったく歯がたたなかったのが、自覚以上に悔しかったかもしれない。

 ようするに、俺はうぬぼれていたのだろう。

 セルリー様が注意喚起しない程度の存在ならばどうにでもなると、無意識下で思っていた。

 そう理解すると同時に思い出すのは、研究室での会話。今思えば、あの時グレイ様が七不思議の話を雑談内容に選んだのは、最後の安全確認だったのだろう。

 セルリー様が一度も触れてこなかったということは、すでに正体を知っている可能性が高い。承知の上で噂を放置しているのならば、危険なものではない証拠だ。


 ――グレイ様の気遣いまで、無駄にするところだった。


 部下の安全確認を手伝ってくれたことにすら、気付かずにいた己を恥じる。今回の件をルツェ達との交流の場にするのならば、俺はもっともっと気を配らなければならなかった。

 漠然と結論付けるのではなく、グレイ様のようにセルリー様本人の反応を見てから安全だと判断すべきだったし、夜に寮を抜け出すのならば、秘密裏に学園長と話をつけるくらいのことはしておかなければならない。

 誰かを率いるのならば、なんとかなるなんて甘い考えではいけないのだ。

 万全の準備を期してもなお不測の事態に見舞われ、苦渋の末、死んでくれと告げるのと、現状を楽観視したせいで立ちゆかなくなり、部下に尻拭いさせるのでは、まったく違う。

 彼らを部下と位置づけるならば、果たさねばならぬ責任がある。

 己の浅はかな考えで、ルツェ達に迷惑をかける前に気が付けてよかった。そう思うと同時に、安心するなと自を戒める。

 そうして皆の様子を確認すれば、ドーナを配り終えたバラドが席についたところだった。


「ありがたく、いただこう」


 ルツェにそう告げたあと、盛られたドーナの中から色の濃いものを選び口にする。よく揚げられたそれは表面がカリカリでほろ苦く、噛めばふっくらした生地の食感と蜂蜜の甘さが広がる。さながら、昔ながらのパン屋さんの片隅に置いてある、ドーナツといった感じだ。

 反省と共に噛みしめたこの菓子の味を、俺は忘れないようにしようと思う。


「いかがですか?」

「俺は美味しいが、女性や子供の中には表面の苦みを嫌がる者もいるかもしれないな」


 自戒を胸に率直な意見を述べれば、ルツェは目を見張ったあと笑う。


「流石、ドイル様。ご慧眼恐れ入ります。実は、少数ですが購入された女性や子供から焦げているのではないか、表面がない方が美味しいなど意見が出ておりまして、改良できないか職人達が頭をひねっているところなんです。揚げ方をこれ以上甘くすると中が生焼けの物が出てしまうという問題点がございまして……そこで砂糖をまぶすという案がでたのですが、価格が跳ね上がり貴族しか購入しなくなると廃案になりました」

「別に砂糖だけで苦みを誤魔化す必要はないだろう? 例えば渋みの少ない茶葉を粉状にしたものと砂糖を混ぜるとかな。煎った木の実を粉状にしたものとか、甘さだけで打ち消そうとせず、なにか風味の強いものを足せばいい。でなければ、果実でつくったソースでも添えるんだな」


 抹茶や紅茶に黄粉、それから別添えのジャムやソースなど、前世にあった味を思い出し告げれば、ルツェの目が輝いた。


「確かにその方法ならば、価格は抑えられます。なにより、味の幅が広がりますね!」


 凄まじい勢いでメモを取り出したルツェを眺めていると、ジェフが声を上げる。


「味はいいとして、これもっと大きくできねぇの? 折角美味しいんだから、もっと思いっきり食べたいんだけど」

「その意見は男性から時々寄せられますが、表面が黒くなるまで揚げても中心が生焼けになるので、今の形が最大です」


 そう答えながらルツェは俺を見た。そして、何故かジェフも俺に問う。


「どうにかなりませんか? ドイル様」


 なぜ俺に聞く。

 二人から期待に満ちた視線を向けられた俺はそんなことを考えながら、ドーナツの穴の逸話について思い出す。

 ドーナツ中心にある穴については諸説あるが、一番納得したのが生焼けを防ぐためにあけたというものだった。他には、もともと真ん中に乗せていた胡桃が入手困難になったため乗せるべき中心に穴をあけた。インディアンの矢がパン生地にあたり、油に落ちたのがドーナツの始まりとかいうのもあった気がする。


「生地を球体でなく薄くする、棒状にする。もしくは中心に穴をあける」


 先人の偉業を真似ることに申し訳なさを感じつつ、彼らの不満を解消する術を告げる。すると、手を止めたルツェが顔を上げる。


「中心に穴、ですか?」

「指輪とか腕輪みたいな形にすれば、中心からも火が通るだろう?」

「それは、盲点でした。そうですね。どうせ生焼けになるのなら、失くしてしまえばいい」


 唖然とした様子で呟いたルツェは次の瞬間、もの凄い勢いでなにかを書き連ねていく。


「貴族専用に砂糖だけをまぶしたもの。茶葉や木の実、果物のソースはどちらにも受けるだろうから、貴族向けと大衆向けを用意。生地の大きさと中心の穴は、揚げ時間を基準に要実験。棒状にしたものは、屋台などで人気が出そうだ――」


 普段よりも雑な口調で、ぶつぶつ言っているルツェは正直怖い。


「素の口調になってんぞー」

「無駄だって、ジェフ。ああなったルツェには聞こえてないよ」

「それもそうだな」

 

 ソルシエの言葉であっさり見放したジェフに、もっと粘ってくれと若干本気で思う。

 しかし、そんな俺の胸中を知らない二人の意識はすでに、手元に並ぶお菓子へと移行していた。ちらりとバラドを見るも、毎度のことながらいつの間にか旅立っており、期待できそうにない。ラファールやアルヴィオーネは、論外である。


 ――味わいも名の響きも近いことだし、いつかドーナツの穴のように『ドーナの穴論争』が起こるかもな。


 いつになく騒がしい自室に一瞬、現実逃避しつつ。

 皆が落ち着くまで暇になった俺は、学園長から夜間に寮を出る許可を取る方法を考えることにした。



ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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