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甘く優しい世界で生きるには  作者: 深/深木
本編(完結済み)
165/262

第百六十五話

「――不意をつくため用意した砦を近寄ることなく一掃したかと思えば、こうも容易く私を傷つけ血を流させる。なんと危険な人の子らか」


 アラクネはそう告げながら強い視線で俺を射抜く。

 怒りや恐れ、悔しさに恨み、そして微かにちらつく悲しみ。複雑な感情を湛えた瞳で俺を見据えた彼女は、目を伏せるとか細い息を吐いた。

 怯えているようにも見えるその態度に、大蜘蛛は不安そうにアラクネを見上げる。


『母様?』

「……私は少々驕っていたようだ。脆弱な肉体しかもたぬ種族がこれほどの力を持つとは、森の外とは恐ろしいところよ」

『そのようなことはありません! 奴らは偶々運がよかっただけのこと。現にあの氷がなければ、我々の接近に気が付くことなくあの者達は息絶えていたはず。母様より人の子が勝るなど何かの間違いです!』

 

 弱気にも聞こえるアラクネの言葉に、大蜘蛛が悲鳴のような声を上げる。

 短い会話故、大蜘蛛の言葉が本心か虚勢なのか判断するのは難しい。しかし奴が母たるアラクネのことを、絶対的な存在として崇めていることはよくわかった。

 大蜘蛛の表情はわからないものの、その声色と態度が彼女の言葉を『信じたくない』と語っている。

 先の言葉を否定してほしい、といった感情が透けて見える大蜘蛛は、縋るような声で母を呼ぶ。


『母様っ』

「いや、間違いではない。この人の子らは強い。私が畏れを抱くほどに」


 しかしアラクネは、眉一つ動かすことなく冷静にそう告げた。

 血の流れる腕にシュルシュルと糸を巻き止血した彼女は、次いで大蜘蛛の足も手当してやる。そして、再び俺とジンへと目を向けた。

 その顔に驕った様子はなく、どうすれば俺達を狩れるのかを真剣に考えているようだった。

 

 己の力を過信していてくれれば楽だったのだが……。


 一分の隙も見せないアラクネに、内心舌打ちする。

 やはり、先ほどの攻撃で仕留めておくべきだった。

 彼女達の隠密を見破り攻撃してしまった所為で、アラクネに警戒心を抱かせてしまったようだ。うぬぼれを捨て、全力で俺達と対峙する彼女からはただならぬ気迫を感じる。


「――恐ろしいが、戦い勝たねばならぬ。この者達に負けるようでは、森を出て人の国を襲うなど夢の夢。それでは、私の言葉を信じ砦と共に散っていった子達が浮かばれぬ。国を興し王となるのは私。ドライアドの末裔になど屈するものか!」

『母様!』


 アラクネのその言葉に、大蜘蛛が喜色に満ちた声を上げる。

 嬉しそうな大蜘蛛に口元を僅かに綻ばせた彼女は、掌に糸を集めると棒状の武器を形成していく。

 その間も俺達から目を放すことはなく。俺達がアラクネと大蜘蛛の動きを警戒しているように彼女もまた、俺達の行動を監視していた。


 これは骨が折れるな……。


 俺達の一挙一動を警戒しているアラクネに、そんなことを考える。同時に、当初彼女へ抱いていた『他者に従うのを嫌う、かなり我が強い自信家』という印象を捨てた。

 慢心しない敵というのは、それだけで厄介だ。付け入る隙が少ない、ということだからな。

 ましてや、アラクネ達は正面切って戦うよりも罠や待ち伏せを得意する蜘蛛の性質を持つ魔獣。一度逃したら、万全の準備を施し全力で罠に嵌めにくるだろう。そうなっては、こちらが狩られる可能性が増す。

 潜む隙を与えず、この場で確実にアラクネと大蜘蛛を屠る。

 そんな決意を胸にチラリと横へ目を動かせば、僅かに眉を寄せるジンが視界に映る。『やりにくい』と書いてあるその表情に、アラクネの相手は俺がした方がよさそうだなとひっそり息を吐いた。

 白く滑らかな肌に細い腕、さらさらと零れる黒髪は艶やか。目元は少々きつめだが、アラクネの上半身だけを見れば、美しい女性である。そうそう見ない美人が決死の覚悟で挑んでくる様は、庇護欲を感じさせないこともない。

 快活で真っ直ぐなジンは、女性や子供といった弱そうな外見を持つ者と戦うのが苦手だ。


 ――敵を選んでいるようではこの先やっていけないぞ、ジン。


 か弱い見た目を利用する敵など、いくらでもいる。アラクネにやりづらさを感じているようでは、いつか足をすくわれるだろう。

 しかしそう考える反面、そこがジンの良さだと思う己もいる。

 故に俺は、ジンに囁いた。


「アラクネは俺が相手するから、ジンは大蜘蛛を頼む。逃がすなよ?」

「――お任せ下さい」


 その言葉にほっと息を吐いたジンに何とも言えない気持ちを抱きながら、俺はエスパーダとオレオルを握り直す。

 弱き者を助け、悪を砕く。

 そんな絵に描いたような勇者像は、いつの時代も民に好まれるもの。

 甘いといわれるかもしれないが、きっとグレイ様がいたら俺と同じ選択をしただろう。ジンの真っ直ぐさは危ういが、覚悟さえ伴えば民衆の心を掴む素晴らしい英雄になれる。

 しかし、その覚悟は誰に言われるものでなく、己でするものだ。

 人に唆されてした覚悟では困難を乗り越えられないし、『己の本意ではなかった』という逃げ道を残すことになるからな。


 ――もう少し時間をやるからさっさと腹を決めろよ、ジン。


 エピス学園を卒業しても克服できないようならば、『グレイ様の側近』という立場から遠慮なく蹴落としてやろうとは思っているが、今はまだこれでいい。

 まぁ、俺がそこまで気を揉まずとも、その内グレイ様がどうにかするだろう。あの人は基本優しいが、怠け者には厳しいからな。

 そうこう考えているうちに、敵の準備が整ったらしい。

 真白の三叉槍を握ったアラクネが、キッと俺達を見据え叫ぶ。


「人の子らよ。我が一族の悲願を叶えるため、その命貰い受ける!」

『母様に逆らう愚か者など、我が餌にしてやるわ!』


 その言葉を皮切りに俺はアラクネ、ジンは大蜘蛛へ向かって距離を詰める。


「貴方の相手は俺だ」

「お前は、氷使いの方だな」

「そうだ」


 突き出された三叉槍を弾き、懐に潜り込む。

 そして斬りかかろうとしたが、エスパーダの刃はアラクネに届くことなく、張り付いた糸によって、強制的に太刀筋を変えられ地面へ刺さる。

 再度迫りくる三叉槍をオレオルで受け止めると同時に、糸を凍らせエスパーダの自由を取り戻した俺は動きを止めるため【影刈り】を使いアラクネの足を狙う。

 そんな俺の行動に気が付いた彼女は、オレオルと噛みあった三叉槍を基点に棒高跳びの要領で空高く舞い上がる。

 その体躯からは信じられないほど軽やかなアラクネの動きに、瞠目したのは一瞬。降りそそぐ蜘蛛の毛と共に落ちてくる彼女を迎え撃つ時間を稼ぐため、俺は氷壁を五枚ほど重ねて頭上に張った。


 ――あれはやばいな。


 おびただしい魔力が込められた三叉槍にそんな判断を下した俺は、魔法耐性の高いオレオルに限界まで強化したエスパーダを添え迎撃態勢をとる。

 俺の中に、『避ける』という選択肢はない。

 お爺様ほど戦歴を重ねた戦士であっても、大きな技のあとは僅かな隙が生まれる。

 アラクネにとって渾身の一撃だろうあの攻撃を受け止めることができたなら、俺は彼女を確実に仕留めるチャンスを得ることになる。

 砦への攻撃をきっかけに、全身全霊で俺達を警戒しているアラクネの隙をつくのは難しい。そんな中、巡ってきた好機を見逃すなど愚の骨頂である。

 細身のボールペンほどある毛は針のように鋭く、氷壁を一枚、二枚と砕き三枚目にヒビを入れなんとか止まった。しかしその三枚目も、四枚目も五枚目も彼女の得物によって砕かれる。

 大量の氷の破片と氷壁に当たらなかった毛が降り注ぎ、体の至るところに浅い傷をつけていくが、気にせず俺は彼女を見つめた。

 落ちてくるアラクネの手には、おびただしい魔力を纏った三叉槍。

 彼女の魔力の影響か、白かった得物は黒く染まっていた。


「我が一族の糧となれ、人の子よ!」


 美しい顔を夜叉のように歪め落ちてくるアラクネを、二本の刀で受け止める。

 その瞬間、大気が揺れた。

 決死の覚悟で放たれた渾身の一撃は重く、体中の骨が砕けそうな衝撃が俺を襲う。

 噛みあった互いの得物がギチギチと不協和音を奏でる中、俺はグッと歯を食いしばり、アラクネの攻撃に耐えた。

 そして――。


「俺もマジェスタの民も、お前らの餌にはならない!」


 全身に響いた衝撃を耐えきった俺が、そう言ってオレオルを振り抜けば三叉槍の穂先が砕け散る。

 

「っな」


 アラクネが目を見張った刹那、俺は強化したエスパーダを振り抜き彼女を斬った。

 斬りつけられた衝撃で地に落ちたアラクネは、「ぐぅっ」と低い唸り声を上げながらも立ち上がろうとする。

 しかし、彼女が体勢を整えきるよりも、俺が距離を詰める方が早かった。


『――母様!』


 そんな声が聞こえたかと思えば、ジンと戦っていた大蜘蛛が母を守るように俺へと毛を飛ばす。しかし、毛の大半はジンに焼き落とされ、俺の元へ届いたのは極わずかだった。

 この程度の本数ならば、急所さえ外しておけば大したダメージにはならない。

 そう判断した俺は大蜘蛛からの攻撃を避けることなく進み、アラクネの懐へと入る。


「――――!」


 謝罪かなにかを叫んでいるジンの声を背に、踏み込む。

 防御されても貫けるよう魔法耐性の高いオレオルを突き出せば、切っ先に固い感触。見れば、ただの棒と成り果てた黒い三叉槍が切っ先を受け止めていた。


「――森の外に出て人の国を支配するどころか、我が子を全員失った。私が死ねば、次世代も望めぬ。我が一族はこれで、終わりだ」


 ジンに討たれた大蜘蛛を見ていたアラクネはそう呟くと、俺へと視線を落とす。


「……なぜ、我が一族では駄目なのだ? 下等なドライアドの末裔や脆弱な人は森の外でこことは比べものにならぬほど広い土地を支配し、生を謳歌しているというのに、なぜ我が一族にはそれができぬ。私達とお前達、一体なにが違う!」


 それは怒りと悲しみに満ちた咆哮だった。

 先ほどエスパーダで斬った傷は深く、蜘蛛の体の下には流れ出た血が溜まっている。また、彼女の口元には落ちた時受けた衝撃の所為か血の筋もあった。

 放っておいても、やがて息絶えるだろう。そう感じるほど、彼女は重傷だった。

 しかし、そんなアラクネの状態よりもなによりも、彼女の言葉と頬を伝う涙が胸を衝く。


 彼女の言う『ドライアドの末裔』については知らないのでわからないが、少なくともアラクネ達と人の間にそう違いはないのではないかと思う。彼女達は言葉を持ち、怒りや悲しみを感じるほど感情豊かで、大蜘蛛など最後は母を庇った結果ジンに倒されている。

 中途半端だったが砦を作り、対集団戦用の隊列を組むことできるくらい知能も高い。外敵がいない場所に生まれ落ちる、人がこれほど増える前といった条件が揃えばアラクネ達が国を興し、栄華を極めることも可能だっただろう。

 ではなぜ、そうならなかったのか。

 突き詰めればなにか理由があったかも知れないが、そんなこと学者でも神でもない俺が知る由もない。


「――俺もお前達も、たいして変わらないように思う。もしなにかが違うとしたら、それはきっと生まれ落ちた場所とか時代とか運とか、そんなどうしようもない部分だ」

「ふざけるな! そんなあやふやなものの所為で、我が一族は滅びねばならぬというのか? 一体我らがなにをした? ただ、一族の繁栄を望んだだけではないか。脆弱な人間達は許されて、なぜ我らにはそれが許されぬ!」


 彼女の悲痛な叫びは、聞いていて苦しい。

 俺やジンを誘い出そうとしなければ、マジェスタを襲おうとしなければ、赤髪の男に出会わなければ。

 どれか一つでも異なっていたら、もう少し違う結果になっていたかもしれないが、それこそ今さらだろう。

 いくら問われても、俺には「アラクネ達は運が悪かった」としか言えない。

 だって俺は、彼女達のためになど死ねない。

 アラクネ達がいくら森の外に出たいと、外の広い大地で生きる人間と取って代わりたいと願っていても、「では、どうぞ」とは言えない。

 マジェスタには、かけがえのないものが沢山ある。

 だから俺は、彼女を見据え告げる。


「悪いが、俺はその問いの答えを持っていない――――だから、存分に俺を恨んで死んでくれ。自身が生きる国を守るために、お前を殺す俺を」


 オレオルに力を籠めれば、ピシと微かな音を立て三叉槍に小さなヒビが入った。

 時同じくして、動きを止めたアラクネの漆黒の瞳と視線が交わる。

 はらはらと滴を零す瞳から目を逸らすことなくさらに刀に体重を乗せれば、切っ先が食い込む僅かな感覚とビシっと先ほどもよりも大きな亀裂音が聞こえた。

 とその時、アラクネがゆっくりと口を開く。


「…………人の子、お前名はなんという?」


 彼女の口から出たその言葉に、俺はオレオルを押し込む手を止めた。


「ドイル、という」

「ドイル……」

「そう。炎槍の勇者を祖父にもち、雷槍の勇者と称えられた父と聖女の名をいただく母の間に生まれ、現在はマジェスタ国の王太子殿下にお仕えしている」


 あと少しでオレオルがアラクネの持つ三叉槍をへし折り、その胸を貫くといった状況であるにもかかわらず、俺は丁寧に名乗りをあげていく。

 恨めと言うのならば、どこの誰かはっきりさせるのが礼儀だと思ったからだ。


 譲れないものがある。

 なんとしても守りたい人達がいる。


 そのために誰かと競う時もあれば、戦に身を投じることもあるだろう。魔獣だけでなく、人の命を奪う時もいつか来る。

 祖父や父も先人達は皆そうして、マジェスタの歴史を紡いできた。

 だから俺は、向けられる恨みも怒りもすべて背負って生きていく。

 それが、この道を選んだ俺の責務だと思うから。


「アギニス公爵家の継嗣、ドイル・フォン・アギニス。それが俺の名だ」


 アラクネの目を見つめながらそう告げれば、彼女は怒りと悲しみに満ちたその瞳を閉じる。


「――――お前は、優しいな」

 

 穏やかな声だった。

 ぽつりと呟いたその声色は聞き間違いと思うほど優しく、俺は思わず息を呑む。

 しかし次の瞬間、カッと目を開いたアラクネは怒りに染まった瞳で俺を睨み、咆哮した。


「我が一族の悲願を阻んだ罪は重い! たとえこの身が朽ちようとも、受けた仕打ちは決して忘れぬ! この怒りを魂に刻み生生世世恨もうぞ、ドイル・フォン・アギニス!」


 それは、最後の力を振り絞った叫びだったのだろう。

 アラクネがそう言い終えた瞬間、黒かった三叉槍が白へと変わり砕け、折れる。

 刹那、漆黒の刀が彼女の胸を貫いた。






 静けさを取り戻した深淵の森中腹で、不釣り合いな陽光に照らされながら俺はアルゴ殿からあちらの状況を聞いていた。


『――数は多いが、統率もなにもない烏合の衆だ。若い奴らの中にはへばってきてるのもいるが、午前と比べて格段に狩りやすくなってる。これなら古株だけでも十分事足りる。炎蛇のとこも問題ないと言ってるから、ゆっくりしてきて大丈夫だ』

「いえ。こちらは片付いたので戻ります」

『真面目過ぎると疲れちまうぜ? まぁ、いい。公爵様達がいた方が楽なのは確かだからな』

「すぐ戻りますから、引き続き指揮をお願いしますよ? アルゴ殿」

『こっちは任せとけ』


 アルゴ殿の頼りになる言葉を最後に、魔道具は光を失いその役目を終える。

 通信用の魔道具を懐に仕舞い、息を吐く。次いでジンを探せば、奴はどこかから摘んできた花をアラクネと大蜘蛛の墓標に供えているところだった。

 戦いを終えた後、俺達はどちらからともなく砦の在った場所に穴を掘りはじめた。

 なんとなく、彼らの遺体を討伐証明として持ち帰るのも、この場に晒したままにするのも憚られたからだ。

 互いに土魔法を使い掘ったため、アラクネと大蜘蛛を入れるのに十分な大きさはすぐに確保できた。

 穴が開いたら、あとは遺体を入れて埋めるだけである。

 アラクネの髪と折れた三叉槍に大蜘蛛の足、それから二人が放った毛を討伐の証拠として回収し、残りを穴に入れた俺達は土で埋め墓標代わりに氷柱を立てて墓とした。

 陽光に晒された氷柱は数日とかからず溶けてしまうだろうが、参る者のいない墓なので永遠に形を残す必要はない。


 ……ただの自己満足だしな。


 まぁ、やらないよりはいい。

 無心で穴を掘り埋めている間に、もやもやしていた気持ちも収まった。

 有象無象の魔獣を片付けて皆が待つ城に帰る頃には、アラクネ達に抱いたなんともいえない感情達もはっきり思い出せなくなっているだろう。

 そんなことを考えながら、手を合わせていたジンに近づき声をかける。


「戻るぞ、ジン」

「はい!」


 地面に刺さった槍を抜き振り向いたジンを見ながら、俺もエスパーダを握る。

 そして、歩き出す。

 氷柱から溶け出た水が流れゆっくりと大地に染みゆく中、俺とジンは振り返ることなく魔獣討伐の前線へと戻った。



ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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