第百六十二話
人語を解する大蜘蛛との邂逅から早数時間。
時刻は、あと一時間ほどで昼になろうかといったところだ。
ラズを無事両親達の元へ送り届け再び深淵の森へと足を踏み入れた俺とジンは、近隣住民の避難所となっていた騎士達の常駐地から数キロほど森の奥へと進んだ場所にいた。
共にいるのは、ペイルが率いる炎蛇傭兵団。
傭兵達は深淵の森を包む形で広がっており、王都を背に右側を炎蛇傭兵団が、左側はアルゴ殿を筆頭にしたマジェスタの傭兵達が受け持っている。
騎士達の避難所から近かったこともあり、俺とジンは右側で魔獣達を狩っていたペイル殿達と合流する形になった。
とはいえ、それも一時だ。俺とジンは遊軍的な扱いなので、傭兵達では手に余る魔獣がでたらその都度連絡が入るようになっている。そのうち、ここを離れることになるだろう。
一匹、また一匹と、森の奥から湧き出てくる魔獣を斬っていく。
浅瀬というには深く、中腹というには物足りないここら一帯は、本来ならば豊富な薬草や木の実がそこかしこに見られ、生息している魔獣もスライムや豊富な植物を目当てにしたホーンモモンガにワーラビットといった下位に部類される種が大半を占める。
ゆえに普段は初心者向けといわれており、エピス学園の合宿でも毎年野営地点として生徒達に人気のエリアである。
しかし、俺の目の前にはまったく違う光景が広がっていた。
――グルルルッ!
眼前に迫るハティを斬り殺しざっと周囲を見渡せば、ハティやゴブリンの集団にサラマンダー、鋭く尖った鼻を武器に戦うヘイゼルスプリンターなどなど、この辺りでは見ないはずの中位に属する魔獣達の姿が目に映る。
彼らは数匹ずつ固まって群れを作っていたり個々で動いたりと行動の仕方は種族ごとに異なっているが、皆マジェスタの王都を目指し進んでいた。
青々と茂っていた薬草は集団で駆け抜けるハティやゴブリンに踏みつぶされ、ヘイゼルスプリンターの突進によって倒された木々が、サラマンダーの吐く炎によって焼かれていく。
……一般人がここに紛れ込んだら、生き残れないだろう。
初心者向けのエリアというには無理がある光景に、そんな感想を抱く。
近隣住民の避難が済んでいて本当によかったと胸を撫で下ろしつつ、俺は地を這うサラマンダーごと辺り一面を凍らせる。森林火災に巻き込まれてはたまらないからな。
放出した俺の魔力が地面や木々を覆うとともに、霜が降り白い世界が広がった。
「さむっ」
「火の海になるよりましでしょうーーサラマンダーから優先して片付けなさい!」
「「「はい! 姐さん!」」」
俺の近くにいたペイル殿や炎蛇傭兵団の者達はそんな会話の後、地に縫い止められたサラマンダーに次々と止めを刺していく。
辺りにいるのは中位の魔獣ばかりだが、そいつらと相対するのは俺やジン、ペイル殿が率いる炎蛇傭兵団といった手練れ達。皆動揺することなく、淡々と魔獣を狩っていた。
「上空に番のサンダーバード!」
「こっちに任せろ!」
叫び声に誰かが応えたかと思えば炎を纏った矢が飛び、瞬く間に二羽のサンダーバードが天から落ちる。
空へと放たれた矢は全部で三本。一本は外れたようだが、残り二本はそれぞれ喉元と心臓に突き刺さっていた。
少ない手数で的確に急所を射抜く腕前は流石のもので、感心と同時に魅入る。すると新人だろう若者を連れた集団が、手際よくサンダーバードの死体を回収していくのが見えた。
その一連の流れは鮮やかで、手慣れているというのがよくわかる。
よくよく観察してみれば、どうやら傭兵達は二人一組または複数人で行動しているらしく、敵の位置情報を告げる者や討伐する者、死体の回収に治療などのサポートとグループごとに分担も決まっているようだ。魔獣討伐から素材の回収までが効率化されたその動きは、傭兵団ならではの戦い方といった感じである。
彼らにとって次から次へと魔獣が湧いてくるこの状況は、稼ぎ時といった感じなのだろう。その上、どの魔獣ももう少し深部に潜らなければ出会うことができない種ばかり。皆いい金になると喜々とした表情を浮かべ、魔獣達へと向かっていっている。
問題なさそうで、なによりだ。
一方のジンはといえば、こちらもまた嬉しそうに魔獣を屠っている。
炎槍を使い焼き殺してしまっているので正確な数はわからないが、そのペースを見るに徒党を組んで戦っている傭兵達に負けず劣らずといった感じだ。
素材を回収しない分、死体の状態を気にする必要がないというのも討伐速度に拍車をかけていると思われる。
相手が一匹だろうが集団だろうが、ジンは炎槍で瞬殺だからな。火魔法の適性が高いというのは、こういった時便利で羨ましい。
サクサク魔獣達を片付けていく様子を見る限り、これといった問題はなさそうである。
しかしよく見ると、普段相手にすることのない中位の魔獣達にジンの目が輝いてきている気がした。
今回の作戦では、騎士や魔術師の準備が整い次第、王都方面に面している深淵の森の境目に結界を張り封鎖。その後、魔獣の殲滅作業に入る予定だ。
近隣住民の収入源にもなっている浅瀬は、なるべく森に被害を与えぬよう騎士や俺達が受け持つ。一方、滅多に人が入ることのない深部では広範囲魔法が使われることになっている。
森の封鎖作業を始めるのは昼過ぎになるとのことだったが、魔獣との戦いに熱中するあまり深部に足を踏み入れては危険だ。
ジンもそれは承知しているだろうが……。
俺や傭兵達よりも若干前に出て魔獣達の相手をしているジンに、念のため釘を刺しておく。
「ジン! 深追いはするなよ」
「――承知いたしました!」
高揚しているのをありありと感じる元気な声に一抹の不安を抱きつつ、俺も周囲へ集まってきた魔獣を片付けるためエスパーダを握り直す。
グルルッ!
ギャギャギャ!
集団で襲ってくるハティやゴブリンなどは風や氷の魔法で一掃し、サラマンダーやヘイゼルスプリンターをエスパーダで斬り捨てる。
凍りついた死体を放置し、森の奥から止めどなく湧いてでてくる魔獣達をひたすら斬っていく。凍った魔獣の死体をちゃっかり回収している傭兵達もいたが、討伐が目的である俺には必要のないものなので咎めたりはしない。
森の封鎖が始まるまでもうしばらく時間がかかるし、その後も魔獣の討伐は続く。彼らにはまだまだ戦ってもらわなければならないので、それ位の目こぼしは必要だろう。
士気を保ってもらうため、高く売れる魔獣は傭兵達の利になるよう綺麗に仕留めていく。勿論、たいした価値のないゴブリンなどは魔法で一掃である。面倒だからな。
そうして向かってくる敵を捌くこと、しばし。
「――左方から新たな魔獣達がきているみたいです」
「こっちはもう片付くから、お前達は向こうの援護に回りな!」
「「はい!」」
己の周囲を片付け終えた俺は、聞こえてきた声に誘われ左方へと目を向ける。新手の集団に苦戦しているようだったので、そちらに移動し再びエスパーダを振るう。
向ってくる敵を倒したら別の場所に移動し、ひたすら魔獣達の数を減らす。そんなことを繰り返し続け、どれほどの時が経ったのかはわからない。
しかしその時ふと、魔獣達の変化に気が付いた。
いつの間にか、ハティやゴブリンの集団が姿を見せなくなっていたのだ。
そしてその代わりとばかりに、武器を用いて戦うウェポンモンキーの群れが木製の剣や槍を片手に襲ってくる。
敵がより手強い種へと入れ替わっていたことに気が付いた頃には、五メートルを超えるサラマンダーが現れ、凶暴性が高く年に数名の死者を出すタイラントベアーが暴れ出していた。
「公爵の坊主! そっちにいったぞ!」
傭兵の叫びを聞きながら左手でオレオルを抜き、エスパーダと共に構える。
土煙を上げ迫るタイラントベアーは速く、あっという間に俺の眼前へと迫っていた。そしてタイラントベアーはその巨体に似つかわしくない素早さで立ち上がると、鋭い爪を携えた大きな手を振り下ろす。
――ガァ!
勇ましい鳴き声と襲いくるタイラントベアーの腕を、氷で強化したエスパーダで受け止める。途端、重い衝撃が右手に走るが足に力を込め耐えた。
腕を受け止めた俺に、タイラントベアーは不満そうに喉を鳴らす。動きが止まったその瞬間を見逃す理由などなく、俺は魔獣の首を斬り飛ばすべくオレオルを振った。
自身に迫る刃にタイラントベアーは身を引こうとしていたが、エスパーダに振り降ろした腕が剥がれず、逃げ場を失いその命を落とす。
エスパーダに纏わせた氷を解くと同時に、支えを失った巨体は崩れ落ちていった。
「これももらっていいか?」
「どうぞ」
いそいそと寄ってきた傭兵にタイラントベアーの死体を譲れば、「流石、公爵様」「太っ腹だぜ」といった声が周囲から上がる。
少し離れたところではジンが巨大サラマンダーを仕留めたらしく、歓声が上がっていた。
武器や仲間内の連携を使う厄介なウェポンモンキーの群れは傭兵達が壊滅させたらしく、まばらに散っているのみとなっている。
一段落、といった感じの光景であるが俺の心は晴れない。
……魔獣の出現に波がある。
ハティやゴブリンが中心だった第一陣から、ウェポンモンキーの群れとタイラントベアーからなっていった今の集団。思い返せば、二度の波があった。
歩兵代わりのハティやゴブリンに一点の突破力に秀でたヘイゼルスプリンター、奇襲係のサンダーバードがいた第一波。
二度目はより高度な動きをするウェポンモンキー達が歩兵の役割を果たし、そこに広範囲の攻撃が可能な巨大サラマンダーと純粋な攻撃力が高いタイラントベアーがいた。
――たまたまそうなった、というのは楽観視し過ぎな気がするな。
思えば第一陣、第二陣ともに全体のバランスがよく、集団戦というものを知っているような構成だ。
魔獣であるが故に個々に集団戦といった意識がないため、効力を発揮するまでに至らなかったが、ハティやウェポンモンキー達が足止めしている間にサンダーバードの奇襲や、サラマンダーやタイラントベアーの火力で不意を突かれたら結構な被害が出ていたのではなかろうか。
統率者がいる。
それも群れをただ率いるだけでなく、種の特性を踏まえ作戦を立てられる者が。
先ほどの二つの集団は、個々の知能が足りていなかった。しかし第一陣と第二陣を比べれば、群れ全体の知能は上がってきている。
恐らく向こうの統率者は、種ごとの特性をある程度理解しているものの、何処までのことができるのかまでは知らないのだろう。
だからそれらしい形の集団を作り、様子見していた可能性が高い。
今のところ、魔獣達は各々の役割を果たせず『群れ』の状態だが、次にくる集団はより手強く、もしかしたら種を越えての連携が可能な『隊』の体をなしているかもしれない。
このままただの魔獣討伐と考えていると、痛い目を見る。そんな予感がひしひしとした。
手練れが揃っているお蔭で大した被害を出さず討伐が進んでいるが、このままでは危ないだろう。
――となると、俺とジンの移動の仕方が気になってくる。
第一陣のサンダーバードの奇襲を受けた時、俺とジンは炎蛇傭兵団と共にいた。だというのに、気が付けばアルゴ殿が率いるマジェスタの傭兵達に囲まれている。
俺やジンは、より強そうな個体の相手を率先して引き受けていた。そういう取り決めだったからだ。
しかしその決め事に、魔獣達の統率者が気付いていたとしたら。
わざと魔獣の布陣に強弱をつけることで、俺とジンを移動させていたとしたら。
俺とジンを誘っているのか、ペイル殿の方から攻めるためにあちらを手薄にしたかったのか――。
どちらにしろ、歓迎できる状況ではない。
しかし、どちらがより困るかといえば後者だ。今あちらに強い個体が現れても、ここからでは間に合わない。
そうなると後ろにいる魔術師や騎士達が戦うことになり、森の閉鎖に支障が出る。その結果、魔獣の群れを取りこぼし王都に向かわせることにでもなったら最悪だ。
早急に対応した方がいい、そう判断した俺はジョイエ殿に連絡すべく、魔道具を取り出す。同時に、素材回収の指示を出していたアルゴ殿へと声をかける。
「アルゴ殿! 至急ペイル殿に連絡を取っていただけますか」
俺のその言葉と共に、辺りへ緊張が走った。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。




