第百五十九話
『――私のお兄ちゃん探してきてくれる?』
そう言って瞳を潤ませた幼子に、必ず連れて帰ると約束したのは一時間ほど前のこと。
傭兵の集団に単身で乗り込むという偉業を成し遂げ、俺に兄を探してほしいと訴えたその少女はリズといい、避難していた場所からそう遠くない村の子供だった。
あの後、ジンが連れてきた両親から村の位置やリズの兄が行きそうな場所を聞いた俺は、リヒター殿に事情を話し彼らの村へと出発した。
俺が戻るまでの間、傭兵達の指揮はアルゴ殿とペイル殿に任せてある。幸いなことに、俺達の役目は一般人が避難を終えるまでの時間稼ぎだけなので、傭兵達に細かい指示を出す必要はない。王都方面へ魔獣を逃がさないよう傭兵達に散ってもらい、ひたすら魔獣狩りだ。
魔獣を見かけたら狩るというシンプルな仕事内容な上に、報酬とは別に魔獣から取れる素材はすべて倒した者に与えると通達したお蔭で傭兵達の士気は悪くなかった。俺が戻るまでの間、アルゴ殿とペイル殿が上手くやってくれるだろう。
そんなわけで、必要最低限の指揮を済ませた俺はアルゴ殿達と別れ、リズ達が暮らしていた村にいる。
共に来たのはジンと、ペイル殿から借り受けた傭兵二人。炎蛇から派遣された二人は普段から偵察や隠密を受け持っている面々で、捜索の手伝いと万が一の時は子供を連れて逃げてもらうための人員である。
俺とジンがいれば戦力は十分。人数が増えるとその分命令が行き渡るのに時間がかかるというデメリットが生まれるため、このような編成とした。
リズの兄を助けるのに、もっとも重要なのは時間だ。子供を捕食するような種の魔獣が、森の深部から村のある浅瀬まで出てくる前に、リズの兄を回収しなければならない。
村へ向かう道中で見つけられればと願っていたが、そう都合よくは行かず。子供の気配を感じることなく村に到着した俺達は、早速リズの兄の捜索に入った。
ちなみに、探している子供の名はラズ。リズと同じ胡桃色の髪に青い瞳をしており、今年七歳になる少年だそうだ。身体つきは平均的で、身長は百二十センチ弱といったところらしい。
俺とジン、傭兵達二人に分かれ村を半分ずつ調べる。
リズ達が暮らす村では森から取れる薬草や魔獣の素材を主な収入源にしているらしく、そこかしこに乾燥中の薬草や綺麗に剥ぎ取られたワーラビットの毛皮が並べられていた。村の端に見えた畑では芋らしき作物が白い花を咲かせており、側らには鍬や水まき用だろう桶が置かれ、木製の家々の軒先では干された洗濯物が揺れている。
村人は皆避難しているため人の気配はないが、長閑な村なのだろうとわかる光景だった。
安穏とした情景に、リズ達を無事この村に返してやりたいと思いつつ、俺はラズの気配がないか村を見て回る。村はそう大きいものでなく、スキルを使いながら探すとすぐに俺とジンの分担分を見終えてしまった。
求める気配を見つけられず焦る胸中を隠しつつ、俺とジンは集合場所とした村の中心部にある広場に向かい、反対側を見て回っている傭兵達の到着を待つ。
そうして待つことしばし。
ペイル殿が勧めた人材だけあり、俺達からそう遅れず傭兵達も広場へと姿を見せる。
「若様!」
「いたか?」
「いえ、それらしい気配は見つかりませんでした」
傭兵の言葉に、思わず舌打つ。
どうやら、ラズという少年は村の中にいないらしい。
道中にも村にもいないとなると残るは、深淵の森の中だ。
両親が言うには村から深淵の森の浅瀬に薬草の採取場があるらしく、採取場までの道は子供達の遊び場にもなっているそうだ。
勿論、何の対策もせず子供達を出入りさせているわけではなく、村人達が薬草を採取している周辺とそこに向かうまでの道中には魔獣避けがしてあるそうだ。
しかし、普段の活動範囲内で村人達が出会うのはホーンモモンガかワーラビットでそれ以上の魔獣、ナーゲルフォックスやアイアンスネーク、ゴブリンといった種に会うのは二、三年に一度あるかないかだと言っていた。
となれば、村人が置いているという魔獣避けの威力もたかが知れているわけで。
現在の深淵の森は、魔獣の群れに追い立てられる形で普段は森の奥で暮らしている種が浅瀬に出てきている。
中位や上位種と呼ばれるような魔獣達に、村人でも購入できる品質の魔獣避けなど効かない。普段は魔獣避けのお蔭で安全な道も、今は危険だ。
ジンや傭兵達も俺と同意見らしく、皆厳しい表情を浮かべ武器を握り直している。
「採取場への道はあったか?」
「ありました」
「こっちだ!」
傭兵達はそう言って踵を返すと、たった今来た道を戻る。偵察や隠密を主としているだけあって走り出した傭兵二人の速度は中々のものだった。
瞬く間に開いていく距離に、俺とジンもその背を追う。
「急ぐぞ」
「はい!」
目指すは、深淵の森の中にある薬草の採取場だ。
深淵の森の浅瀬の中、人の手によって切り開かれた道を俺とジン、それからペイルから借り受けた傭兵二人で駆ける。
勿論リズという少女の兄、ラズを連れ戻すためだ。傭兵達が周囲を探ってくれてはいるが、俺自身も子供の気配を感じとれるよう気配察知を使いながら走る。
ギャ、ギャギャギャ!
シャー。
そんな俺達の行く手を阻むかのように草木の影からゴブリンの集団が飛び出し、木の上からアイアンスネークが威嚇してくるが、俺やジンの敵ではない。瞬時に視線を交わし分担を確認すると、ジンは真っ直ぐゴブリンの集団へ俺は木の枝にぶら下がり鎌首をもたげているアイアンスネークへ向かう。
「邪魔だ」
木の上へ跳んで鋼の鱗を一閃。鋼程度の固さなど、氷を纏ったエスパーダには無意味だ。
アイアンスネークの頭がゴトリと重たい音を立てて地に落ちるのを背で聞きながら、俺はジンへと目を向ける。
そこにゴブリン達の姿はなく、あるのは息一つ乱さないジンと微かに焦げた地面。器用にゴブリンだけを焼き払ったジンは、周囲の草木まで燃やしグレイ様から再三注意を受けていた去年の合宿とは大違いだ。
――ジンも成長している。
骨や装備を残さず燃やしつくす火力を保ちながら、狙った獲物だけを仕留めた技術に自ずと口元が緩む。
着々と強くなっているジンに感じるのは、焦燥と高揚。追いつかれたくないと思う反面、確実に力をつけているジンにわくわくする。切磋琢磨し合える相手が、身近にいる俺は幸運だ。
ジンは俺のそんな視線に気が付くと、口端を小さく上げる。挑発するようなその笑みに気が高ぶるが、俺は高揚感を振り払い表情を引き締める。
今の俺達にはラズを探し出すという使命があるからな。
そんな俺の変化を感じとったジンは、同様に笑みを消すと告げる。
「行きましょう、ドイル様」
「ああ」
ジンの言葉に頷き再び駆け出せば、傭兵二人も付いてくる。
始めは傭兵達の先導に従っていたのだが、たった四人で森を進む人間達を魔獣達が見逃すわけがなく度々襲いかかってきたため、俺達と傭兵の場所はいつの間にか入れ替わっていた。
「二人とも山道なのに偵察と隠密が専門の俺達並みに速いって……」
「マジェスタでも一、二を争う成長株達と比べるなよ。虚しいだけだぞ――っと見つけた!若様右だ。急げ、魔獣に追われている!」
「わかった!」
傭兵の声に、俺もジンもステップを踏んで直角に曲がる。そんな俺達の身のこなしにまたもや傭兵達がぼやいていたようだが、気にせず走った。傭兵達の軽口を聞きながら三十秒ほど走れば、俺の気配察知にも子供の気配が引っかかる。
魔獣にしては足が遅いこの気配は、間違いなく子供のもの。間に合ったことに安堵しつつ、ラズを追っている魔獣がいるとの言葉に速度を上げた。
ラズが俺のスキルの有効範囲に入った数秒後、彼を追っているという魔獣の気配を感じとる。次の瞬間、その魔獣が持つ魔力量に俺は息を詰める。
ラズを追い掛ける気配は三つ。大きさはラズとそう変わらないので、両親から得た情報を基に考えれば魔獣の大きさは百二十センチ前後といったところだ。
魔力の高さだけで考えれば、以前戦ったハティやスコルを凌駕する魔獣に俺は以前習得した【疾風】のスキルを使ってさらに速度を上げる。
「先に行く」
「ドイル様!?」
「まだ上があるのか!」
ついさっき速度を上げたばかりだというのにさらに加速した俺に、傭兵の一人とジンが声を上げる。しかし俺は二人に答えることなく、子供らしき気配に向かって進む。
邪魔な木々は斬り捨て、全力以上の速さで進むこと一分弱。ようやく肉眼で捉えた胡桃色と、それを追い掛ける三つの影に俺は逡巡する。
――飛刀で仕留めるか? いや、駄目だ。流れ弾が子供にあたる可能性がある。いかづちは論外だし、となると氷壁でラズと魔獣を分断が無難か。
ラズと思わしき子供と追いかける魔獣の位置を確認した俺は、そう結論付ける。と同時にラズと魔獣の間にスキルを使って氷壁を生やした。
三匹の魔獣の内、子供の真後ろを走っていた一匹は氷壁にぶつかった衝撃で動きを止める。残り二匹は氷壁目前で踏ん張ると、一匹は近くの木に登り、もう一匹は氷壁を回り込もうと進行方向を変えた。
三者三様な反応を見ながら距離を詰めた俺は、ぶつかった衝撃でふらついている魔獣を氷壁ごと斬る。呻き声一つ上げることなく息絶えた魔獣とガラガラ崩れた氷壁には見向きもせず、進めば驚き固まるラズと目が合う。
リズと似た顔立ちの少年は、青い瞳を零れんばかりに見開いた。と同時に、先ほど木を登っていった一匹が、子供めがけて枝から飛び降りようとしているのが視界に入る。
「【飛刀】!」
木の枝ごと吹き飛ばすつもりで、氷の刃を飛ばす。そして、駆け抜けざまに、未だ固まるラズを左手で抱え回収した。
「っ!」
突然小脇に抱えられたラズは声にならない悲鳴を上げていたが、無事回収できた俺は安堵の息を零す。そこから十数メートル進んだ先で足を止め振り返れば、無数の氷の刃を体から生やし動かぬ魔獣と未だ健在な一匹が目に入る。
仲間の生死を確認している魔獣を警戒しながら、俺は小脇に抱えた子供に視線を落とす。リズと似た顔立ちに胡桃色の髪と青い目、それから一人で森にいたという点を鑑みるにこの子供がラズという少年で間違いだろうが、念のため本人か確認する。
もし間違っていたら、もう一度ラズを探しに行かねばならないからな。
「カーサ村のラズ・スクードだな?」
「お兄さん、僕のこと知ってるの?」
「お前の妹に頼まれて探しに来たんだ」
「リズに?」
少年の口から出た少女の名に、胸を撫で下ろす。この子供がリズの探していたお兄ちゃんで間違いないようだ。子供の手足には多少の擦り傷やら切り傷があるものの、ぱっと見るに大きな怪我はなく一安心である。
あとは、この子を親元に送り届ければ終了なんだが……。
こちらに向かってくるジンと傭兵達の姿を見つけた俺は、次いで魔獣へと目を向ける。
ラズを追っていた三匹の内、唯一生き残った魔獣は全長の百二十センチほどの蜘蛛で、爛々と輝く二列に並んだ8つの赤い目で俺をねめつけていた。
……こいつは、ジンに片付けてもらうか。
俺の左腕にはラズがいる。子供に殺傷の瞬間を見せるのはどうかと思うし、なにより抱えたまま戦って巻きこんでは一大事である。
蜘蛛型の魔獣を斬った感触はそう固くなかったので、ジンの槍でも簡単に倒せる。あと十数秒もあればジン達がこの場に到着するので、彼らに任せよう。
そう結論付けたその時だった。魔獣の上顎がゆっくりと開く。
威嚇か毒か、どんな攻撃がきてもいいよう俺は魔獣への警戒を深める。
しかし魔獣の口から飛び出たのは、どちらでもなく。
『――脆弱な人間風情が、よくも我が兄妹を』
低く濁った声で魔獣はそう告げた。
「喋った?」
『兄妹を手にかけた上に、我を愚弄する気か人間!』
はっきり聞こえた人間の言葉に驚きの言葉を零せば、蜘蛛型の魔獣は馬鹿にされたと思ったのか声を荒げる。
それは、俺が初めて人語を解する魔獣と対面した瞬間だった。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。




