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甘く優しい世界で生きるには  作者: 深/深木
本編(完結済み)
150/262

第百五十話

 空高く月が上がり、夜空に星々が煌めく時分。

 地下牢に続く階段を、リェチ先輩と共に下る。

 俺とお爺様の試合で盛り上がった昼間の喧騒が嘘のように、ここは静かだ。カツーン、カツーンと二人の足音がやけに響いて聞こえる。俺達の間に会話がないのも、辺りの静けさに拍車をかけているのだろう。

 とはいえ、行き先はゼノスの居る地下牢、会話など弾むはずがない。

 ちらりと横を見れば、黙々と歩いているリェチ先輩。その緊張した面持ちになんとなく声をかけるのが憚られ、俺は一人こうなった経緯を思い出した。


 運ばれていくお爺様と付き添う母上達を見送った俺達は、しばしの間観客達の歓声に応えてからあの場を後にした。そして部屋に戻りようやく座り込むことができたわけだが、一息ついた俺を待っていたのはレオ先輩達の治療だった。

 レオ先輩の『後で覚えておけ』との言葉どおり有無を言わせず始まった治療は、とても丁寧で。深めの傷や火傷を見つける度にレオ先輩は眉間に皺を寄せ、リェチ先輩達は唇を噛みしめていたようだが、誰もなにも言わなかった。

 彼らは薬学を修め、薬師や治癒師といった人命を救う職を志す人達だ。己の身よりも立場を優先した俺に、言いたいことも沢山あっただろうに。心配も憤りも言葉にすることなく、黙々と治療してくれた先輩達の優しさには感謝している。

 先輩達が治療薬や魔法薬を惜し気もなく使ってくれたお蔭で、体の至るところにあった怪我はすっかり治り、擦り傷一つ残っていなかった。流石である。

 

 グレイ様とクレアは治療を最後まで見届けると、俺を気遣ったのか「また、明日」と言って自室に戻っていった。二人とも、『無茶をするな』とも『危ないことをするな』とも言わなかった。そう忠告されたところで、返す言葉など俺にはないと知っているからだ。

 そんな二人に倣い、レオ先輩達も用意された部屋に戻っていった。

 俺の目指す道に理解を示し、協力してくれる人々の背にそっと感謝の言葉を贈り、俺は体を休めるべく長椅子に身を沈めた。


 それから、数刻後のことである。

 夕食も済ませ、風呂にでも入ろうとした頃、再びリェチ先輩が俺を訪ねてきた。

 なんでも、ゼノスの件で村の者が城にきているという。同村の者がどうやって城に入り込み、一体いつの間にリェチ先輩と接触したのかと驚いたが、どうも話を聞くと直接会ったわけではないそうで。


『男衆は狩猟もやりますから、その時に使う合図があるんです。それを、ドイルお兄様とゼノ様の戦いの後、見ました。簡易な言葉を伝えるものなので詳しくはわかりませんが、エルヴァ様に招かれたみたいです。『今夜、地下で待っているから、アギニス様と来るように』と言ってました。お時間いただけますか?』


 そう告げたリェチ先輩は俺の返事を聞くと、サナ先輩の入浴中に出てきたからと慌てて自室に戻っていった。

 リェチ先輩を見送った俺はとりあえずガルディに連絡をとり、今夜の地下牢の見張りを融通するように命じた。エルヴァ様が何用かはわからないが、何が起こっても口止めできるよう身内でかためておいて損はない。

 その後、リェチ先輩と約束した時間まで仮眠をとり、バラドに不在中の対応を任せて出てきた。そして、サナ先輩が寝入った隙に部屋を抜け出てきたリェチ先輩と合流し、今に至るというわけである。

 本音を言えば、今日ぐらい休ませてくれと言いたいところなのだが、俺達が城にいるのは今夜を含め後六日。後半三日間は式典に追われ何もできないのは明白なので、今晩の呼び出しに文句は言うまい。それよりも気にすべき点は、沢山あるからな。


 村人を招いたのがエルヴァ様というのが、なんとも……。


 昼間のエルヴァ様を思い出し、なんとも言えない感情が渦巻く。

 薬師長たるエルヴァ様が、薬草の栽培や薬作りを生業にしているリェチ先輩達の村と繋がりがあってもそう驚くことではない。先輩達の村は独特な薬作りをしているようだし、ゼノスの薬を解析するために知識を借りようと考えてもおかしくはない。

 問題は、『地下で待っている』と同村の人間が伝えてきたという点である。この城の地下にあるのは、ゼノスが入っている牢だけ。地下で待つというくらいなので、ゼノスの件で話があるのは明白である。

 薬の解析だけならば、村人にゼノスの存在を教える必要はなく、薬の現物を渡せば済む。

 しかし、エルヴァ様は村人にゼノスの存在を明かしている。それはつまり、エルヴァ様はゼノスと村に繋がりを見出しているということだ。そして俺達二人を呼び出したということは、リェチ先輩達とゼノスの関係も承知している。

 

 ……問題は、俺がとった行動のどれが原因で気が付いたのか、だよな。


 知らぬ間にしでかしていた己の失態を思い、内心で舌打ちする。恐らく、エルヴァ様に気が付かせたのは俺だ。でなければ、もっと早くにエルヴァ様は村から人を呼び寄せていたはず。俺の行動をきっかけに村とゼノスの関係に気が付き、呼び寄せたと考えるのが妥当なところだろう。

 俺がとった行動の中で何が決め手となったのか、今後のためにも確認しておかなければなるまい。エルヴァ様以外にも、気が付いている者がいるかもしれないからな。


 少なくとも、リブロ宰相達は知っている。

 共闘する機会が多いお爺様とセルリー様がなんだかんだ仲がいいように、城に居ることの多いお二人は親しいからな。

 エルヴァ様は救護班という名目で主要人物達があの場に居るか見張り、俺とお爺様の戦いに多くの目が集まっている間にリブロ宰相と補佐官殿は暗躍されていたのだろう。

 ジョイエ殿も俺とお爺様が戦っている間に、例の犯人を捕まえるための網を城中に張ってきたと言っていたし、あの試合の裏では色々動いていたようだ。


 そこまで考えたところで、階段の終わりが見える。

 僅かに灯された明りが見張りの騎士達と扉、その前に立つエルヴァ様と一人の男性をぼんやり照らしていた。

 その際、騎士の片割れがガルディであることに、胸を撫で下ろす。かなりギリギリに出した命令だったので少し不安だったが、間に合ったようでなによりだ。

 にこやかな笑みを浮かべ腰を折ったガルディに軽く手を上げて応え、エルヴァ様達へと目を向ける。共にいた男性は若そうで、二十前後といったところに見えた。

 その男性を見て、リェチ先輩は数段残っていた階段を飛び降りる。


「ティムさん!」

「元気だったか、リェチ」

「うん」


 ティムと呼ばれた男は駆け寄ってきたリェチ先輩に体調を問うと、ゆっくり頭を撫でる。

 嬉しそうに撫でられているリェチ先輩との再会を喜ぶティムさんに会釈し、俺はエルヴァ様に声をかけた。


「お待たせして申し訳ございません、エルヴァ様」

「いえ、私達も今来たところですから。早速ですが、こちらはティム・ノクセス。まだまだ先の話になりますが、リェチ君達の故郷であるノクセス村の次期村長です」


 エルヴァ様に紹介され、改めてティム殿を見る。森で暮らしている所為か薬師にしては筋肉質な彼は、短く切りそろえられた焦げ茶の髪と濃い緑色の目が落ち着いた雰囲気と相まって、なんとなく森を連想させる人だった。


「初めまして、アギニス様。ティム・ノクセスと申します。この度は村の者が――」

「初めまして、ティム殿。ドイル・フォン・アギニスと申します」


 ゼノスのことを詫びようとしたティム殿の言葉を遮る。

 陰謀渦巻く王城では、いつどこに何が仕掛けられているかわからない。いかにこの場に居るのがエルヴァ様と俺の知り合いばかりでも、ゼノスとリェチ先輩達の間に明確な繋がりがあると思わせるような発言は困る。


「ティム殿と同村であるリェチ先輩とサナ先輩とは、親しくさせていただいております」


 その続きは言わないでくれといった思いを込めて、畳み掛けるように告げる。

 そんな俺の態度にティム殿は目を瞬かせると、じっと俺を見た。


「……リェチとサナはご迷惑かけていませんか?」

「優秀なので、とても助かっていますよ」

「それはよかった」


 俺の答えにティム殿は、ほっと息を吐く。そして柔らかく笑うと、リェチ先輩の頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。


「いい方じゃないか」

「勿論」


 ティム殿の言葉に、リェチ先輩が元気よく答える。さらにリェチ先輩が言葉を紡ごうとしていたが、今まで静かに見守っていたエルヴァ様が動いた。


「挨拶はその辺にして、行きましょう。リェチ君は早く戻らなければならないでしょうから」


 静かに告げられた言葉に、リェチ先輩とティム殿はハッと口を噤むと表情を引き締める。そんな二人に俺も気を引き締め、エルヴァ様に問う。


「そうですね。ところで、これから一体なにを?」

「それも中で話しましょう。扉を開けてください」

「「はっ」」


 エルヴァ様の言葉に敬礼したガルディ達は、次いで鍵を外すと扉を押し開く。

 途端、ひんやりした空気が扉の隙間から広がった。


ここまでお読みくださり、ありがとうございます。

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