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甘く優しい世界で生きるには  作者: 深/深木
本編(完結済み)
149/262

第百四十九話 サナーレ・テラペイア

 無理をして体を動かした所為で、再度治療を受ける炎槍の勇者様。エルヴァ様や宮廷薬師様達の手腕は素晴らしく、みるみるうちに新たな包帯が巻かれていく。

 その中でドイル様はなにかを炎槍の勇者様に告げると、深々と頭を下げた。そして顔を上げると、勇者様達を振り返ることなくグレイの兄御の元に戻ってくる。

 焼け焦げ泥で汚れた服はボロボロで、槍によって裂かれた服の隙間からは血の滲む傷が覗く。体力も魔力も限界だろうに、それでもドイルお兄様は平然とした顔で立ち、グレイの兄御と話している。

 グレイの兄御は、そんなドイル様に何も言わない。いつものように笑いかけ、話しかけるだけ。兄御が一言『治療してもらってこい』と言ってくれれば、兄貴もリェチも私も動けるのに、なにも言ってくれないから動けない。それが不満だった。


 それがドイルお兄様のためだと頭ではわかっていても、納得できない感情が胸にある。

 炎槍の勇者様との戦いは、ドイルお兄様の強さを多くの人に知らしめるためだと説明された。物言わぬ魔王の毛皮でなく、実際に戦っている姿を見せることで人々に畏怖を植え付けるのが目的だそうだ。

 兄御の説明は難しくてよくわからなかったけれど、ドイルお兄様に対する畏怖は味方を安堵させ、敵対する者への抑止力になるらしい。それはいままで炎槍の勇者様や雷槍の勇者様が担っていた役割で、その一端をこの戦いでドイル様が引き継ぐのだと言っていた。

 もう一端はいつの日かジンの兄貴が継ぎ、即位したグレイの兄御を支えていく。それがこの国を守る、ひいてはマジェスタに住む私達を守ってくれる。


 ドイルお兄様が戦い始める前に聞いた説明を思い出しながら、私は周囲を見回す。

 騎士や魔術師達は興奮に頬を染め、二人を称える声を上げる。他国からのお客様達も同じように歓声を上げているようだが、中には真剣な表情で部下達に命じている人もいる。

 辺りは、異様な熱気に包まれていた。それは決して嫌な空気ではなく、人々の顔は期待に満ちている。

 ドイルお兄様もグレイの兄御も穏やかな笑みを浮かべている。炎槍の勇者様の顔は見えないけれど、エルヴァ様や聖女様の表情も悪くはない。兄貴やリェチ、バラド様やジンの兄貴の表情も普段と変わりない。


 ――これが、国のために生きるってことかぁ。


 辛いな、と思った。

 大事な人がやせ我慢しているとわかっても休めと言ってあげられない周囲も、肉親を斬らねばならなかったドイルお兄様も全部。

 彼らはどれほどの感情を、あの顔の下に隠しているのだろう。

 エピス学園にいると、よく『将来は国のために生きたい』と言っている人をみかける。それは貴族だったり私達と同じ平民だったり様々だけど、皆これほどの覚悟を持っているものなのだろうか?

 正直いって炎槍の勇者様とドイル様の戦いは、恐ろしかった。二人が武器を振るうごとに地が割れ、石を蒸発させるほど高温の炎が渦巻き、人なんか簡単に潰せそうな氷の塊が飛ぶ。私なんか、あの中に入ったら一秒も持たないだろう。

 でも、二人は驚きも恐れもせず戦っていた。あれが、彼らにとって当然なのだ。

 一体あの戦闘を当然のように感じるまで、どれほどの時を鍛錬と戦いに費やす必要があるのか。私には想像もできない。

 リェチと一緒に四英傑や雷槍の勇者様や聖女様に憧れ、「彼らのようになりたいね」なんて言っていたけど、それは凄く大変で辛いことなのだと私は今、思い知った。

 勇者様や聖女様、四英傑様達だって人間だ。きっと彼らの人生には、人々が手にする英雄譚には決して描かれぬ、血の滲むような努力や深い悲しみがあったに違いない。


 ……私、全然考えてなかった。


 ドイルお兄様と共に生きるということは、国のために生きることだとは言われていた。でも、私はそこまで真剣に考えてなかった。国を背負う覚悟をした人達と一緒に居るということがどういうことなのか、まったくわかってなかった。だから今、こんなに苦しい。

 優しいドイルお兄様といると安心できた。兄貴や薬学科の皆と過ごす日々が楽しくて、リェチも楽しそうだから、ずっとこのまま過ごしたいくらいにしか思ってなかった。

 でもそれはきっと私だけだった。この場に立つ皆はわかっていて、覚悟を決めていた。だから誰もドイルお兄様の怪我について口にしないし、場の雰囲気を崩すまいとしている。炎槍の勇者様の口から語られた過去や、ドイルお兄様との会話に想うことは沢山あっただろうに。

 覚悟を決めてなかったのは、きっと私だけ。

 そのことを、とても恥ずかしく思う。


 ――遠いなぁ。


 運ばれていく炎槍の勇者様を見送る、ドイルお兄様とグレイの兄御の背を見ながら思う。晴れやかな顔で並び立つ二人が、凄く立派に見えた。彼らはこの国の王太子殿下と有数の公爵家継嗣様なんだと、私達なんかでは手の届かない雲の上の人達だったのだと改めて感じる。なんだかいつものドイルお兄様達ではない気がして、怖い。それは兄貴やバラド様、ジンの兄貴にも言えることで不安が胸に広がる。

 自分が凄く場違いな気がして、私は双子の兄の名を呼んだ。


「……リェチ」


 リェチとは生まれた時からずっと一緒だった。嬉しい時も驚いた時も不安な時も、分かち合い支えてきた私の片割れ。普段と変わらぬ調子で答え、笑ってほしかった。リェチさえいつもどおりなら、私も笑える気がしたから。でも、期待した反応は返ってこなくて。

 リェチは真剣な表情を浮かべ、どこかを見ていた。近くに居るドイルお兄様達じゃなくて、観客達の中にいる誰かを見ているようだったけど、わからなかった。

 真面目な顔でなにかを見ているリェチが、私を置いてどこかに行ってしまう気がして思わずその手を握る。


「リェチ!」

「な、なに? 急にどうしたのサナ?」


 グイッと手を引いて呼べば、リェチは目を白黒させながら私を見た。見慣れた顔がようやくこちらを向いたことに、少しほっとする。


「『どうしたの?』って、さっきから呼んでるのにリェチが無視するから」

「え、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」


 しかし安心したのもつかぬ間、リェチの答えは私を愕然とさせた。


 ――なんで、嘘つくの?

 

 ずっと一緒だった。紙で手を切っただとか、薬草の処理がいつもより上手くいったとか、凄く些細なことまで報告し合い共有してきたのに。勿論、嘘をついたこともなければ、つかれたこともなかった。

 なのに、なんで? 疑問が頭の中をぐるぐる回る。


「あ、ドイルお兄様達も帰るみたいだね。僕達も行こうサナ!」


 リェチがいつもの笑みを浮かべ言う。でも、全然安心できなかった。

 返事を待たず、私の手を引いて歩き出す双子の兄の背を見つめる。いつもなら気が付いてくれる私の変化に、リェチはまったく気が付いていないようだった。

 多分、リェチは今動揺している。双子だから、なんとなくそういうのはわかるのだ。だから私の不安を、リェチにも気が付いてほしかった。察して共有して、いつもみたいに一緒にふざけてくれれば安心できた。今までは、ずっとそうしてきたのに。

 でもリェチは気が付かず、私の心境を理解できないほど心乱す何かを見たはずなのに、嘘ついて誤魔化した。


 ……不安だよ、リェチ。


 ドイルお兄様達が凄く遠い人に思えて、怖くなった。

 だから不安を和らげてほしかったのに、いつもと違う態度をとるリェチによけい胸が騒いだ。




 

 ドイルお兄様と炎槍の勇者様の戦いを見たその日の夜。

 私は不気味な夢を見た。


 絶えず降りそそぐ恵みの雨。

 いつもより濃い森の香り。

 どこか遠くに行ってしまう気がして、必死にその背を追いかける。


『まって!』


 私は叫ぶ。

 すると追いかけていた背が止まった。

 足を止めてくれたのが嬉しくて、泥が跳ねるのも気にせず駆け寄る。

 そしたら――。


『煩い! お前なんか、何もわかってない癖に!』


 大きな手が伸びてきて、私の首を絞める。

 苦しい。怖い。なんで?

 生命の危機に感じる純粋な恐怖と、信じられない現実に対する困惑。

 最後に見たのは、真っ黒に塗りつぶされた顔に浮かぶ、血走った目だった。




「――――っはぁ!」


 ガバリと身を起こす。

 腕や足に痛いほど鳥肌が立ち、背はぐっしょりと汗でぬれていた。

 とても怖い夢を見た気がする。

 朧げな記憶しか残っていなかったけれど、悪寒に震える体にそう思った。腕をさすれば、掌にプツプツとした感触。夏だというのに、私の体は驚くほど冷えていた。

 喉もカラカラに乾いていて、漠然とした恐怖が体中に広がっている。


 ……リェチ。


 不安な心が求めるまま、隣のベッドに向かう。しかし、そこに求めた姿はなくて。


 ――どこに行ったの?


 トイレか水でも飲んでいるのかと考え部屋の中を探したけど、どこにもその姿はなくて。

 夢か現か、ぼんやりする頭で私はリェチを探しに部屋をでた。


 城内を一人、彷徨い歩く。

 夜風は思ったよりも涼しくて、少し頭がすっきりした。月明かりが差し込む静かな廊下を歩きながら、私はこれまでのことを思い返す。

 思えば『城に一緒に行ってくれないか』とドイル様にいわれた時から、兄貴やリェチの様子は少しおかしかった。兄貴は考え込むことが増えたし、リェチもノリが悪かった。卒業後ドイルお兄様の元に行くと決めている兄貴は、きっと少しずつ覚悟を決めていたのだ。もしかしたらリェチも、ドイルお兄様の部下として生きていく覚悟を考え始めていたのかもしれない。他国や国内の有力者達が集まるこの時期に、ドイルお兄様の薬師として城に行くというのは、そういうことだったのだろう。


 何も考えず、初めて入る城にただ喜んでいたのはきっと私だけだったのだ。リェチははしゃぐ私に合わせてくれていただけ。

 昼間のリェチの姿を思い出す。嘘をつかれたのは悲しかったけれど、リェチはちゃんと大人になろうとしていた。だから私に内緒で、兄貴かドイルお兄様になにか任されていたのかもしれない。

 あの時嘘をつかれたのは私がいちゃ駄目だから、なにも決めてない人間では役に立てないから。もしそうだったとしたら、私すっごく惨めだ。甘やかされていたことにさえ、気が付いていなかった。

 優しくて強い人達だから、皆『兄』であろうとしてくれたんだ。私が、そう求めたから。

 年下のドイル様や殿下達はあんなにも頑張っているのに、それに甘えるだけ甘えていただけでなにも返せてない。リェチはちゃんと、頑張ろうとしていたのに。


 ……もう、子供じゃいられない。


 そう思った。私も、これからどうするのか決めなくちゃ。ドイル様の部下として生きるなら、『私情』よりも『国のため』であることを優先しなくちゃいけない。その覚悟がないなら、離れる決意をしなくちゃいけない。でないと、いつかドイル様達の迷惑になる。それは、駄目だ。


 リェチとも離れ、別々に過ごす日を視野に入れないといけない時が、ついに来た。

 実際、趣味や思考、見た目も瓜二つだった私とリェチにも、違いが出始めている。リェチの身長は今も伸び続けているし、よく食べる分身体つきが筋肉質になってきた。一方、私の身長はとっくに止まっているし、胸元とか女の子っぽくなってきた。いくら体型のわかり難い服を着ても、これから先男女の差を誤魔化すのは難しいだろう。

 私とリェチはもう、同じじゃいられない。

 同じでよかった子供時代は、もう終わりなのだ。


 ……部屋に戻ろう。


 そう思い、足を止めた。

 もしかしたら、リェチはドイル様と一緒に居るかもしれないと思ったから。日中はほとんど一緒に居るので、リェチが一人でなにかするなら私が寝た後しかない。もしそうならば、こうしてリェチを探して彷徨い歩くのは迷惑でしかないだろう。

 今までもこうして私が寝た後、一人で行動していたのかと思うと胸が痛い。ドイル様達どころか私は、双子の兄とさえ肩を並べられない現実が辛かった。

 いつも一緒だった片割れが側に居なくて心もとないけれど、これ以上惨めな気持ちになりたくないから、リェチの邪魔はしないようにしたい。同様にドイル様達の迷惑にならないように気を付けようと考えたところで、己の現状を思い出しさーと血の気が引いていく。


 見回りの兵士さんに見咎められたら、どうしよう……。


 そういえばここまで誰にも遭わなかったけど、こんな深夜に城内を徘徊している姿を誰かに見られたら、問題になっちゃうのでは? 

 慌てて辺りを見回せば、高級そうな調度品が並んでいる。ドイル様に案内してもらったことのある廊下だ。私達が宿泊している客室からは、遠い。

 考えに耽るあまり、客室棟から随分離れたところまできてしまったみたいだ。この場所で見つかれば、『ちょっと夜風にあたりたくて』なんて言い訳は通じないと思う。

 誰かに見つかる前に、いい訳できる場所まで戻らなくちゃ。考えの至らなかった己を叱咤しつつ、慎重に戻る。と、その時。


「逃げろって、あなたねぇ……」


 苛立ちを押し殺した、女性の声がした。

 近くにあった調度品の影に身を隠し、声の主を探す。女性は、大きな銅像の後ろに隠れる形で一人の男性と対峙していた。


「私がなんのために、細心の注意を払って見つからないようにしていたと思ってるの? この役職に納まるまで結構大変だったのよ?」


 背が高く、すらっとした女性だった。髪色は黒と見間違えそうなほど暗い赤。月明かりに照らされ浮かぶ天使の輪が赤くなければ、黒髪だと思っただろう。目も同色らしく、彼女が僅かに顔を動かす度に、男を見据える目が赤く見える。


 ……あれは人?


 どう見ても人間なのだが、彼女の持つ怪しげな色彩にそんな考えが浮かぶ。

 彼女と対峙している男の顔は背を向けているので見えないが、髪色は同じようだ。瞳の色も同じなのかもしれない。


「もう、時間がない」


 聞こえた声色に、ドクリと心臓が跳ねた。

 悪夢を見た直後のように鳥肌が立ち、恐怖が襲う。

 あれはよくないものだ、と私の本能が叫んだ。

 逃げなきゃと思う一方で見つかったら危ないと感じ、私は声を押し殺し気配を潜める。どうか、見つかりませんように、と祈るような気持ちで物陰に身を隠し待つ。


「あれらはすでに俺の管理から外れてしまったから、今さら変更はできない。三日後には着く。それまでに上手く逃げろ」

「ちょ、待ちなさい!」


 女性の制止虚しく、男はそう告げると消えた。

 魔道具を使うことなく、陣を光らせることなく、煙のように景色に溶けて消えたのだ。恐らく転移系のスキル保持者、それも王城に張られた結界などものともしないほど、高位のスキル。凄く危険な敵だ。


「もう、勝手なんだから」


 女性はそう言ってため息を吐くと、目を閉じる。

 見覚えのない女性のはずだった。しかし次の瞬間、その見た目はみるみるうちに変化し、見たことのあるメイドさんの格好へと変わる。

 黒と見紛う暗い赤だった髪は明るい茶色に、瞳はありきたりな青い色に。女性にしては高い身長は変わらないけれど、すらっとしていた体型は肉付きのよい女性らしい体へと変わっていた。

 それは、どこか見たことのある女性で。


 ……あれは、エーデルシュタインのメイドさん?


 見覚えのあるその姿に、目を見張る。

 女性が変化したその姿は、ドイルお兄様の恋敵だった男だと教えられた青年の後ろに控えていたメイドさんそのものだった。地味な色彩なのに、肉感的な体とよく見ると整った顔が色っぽくて、同じ女として羨ましく思った覚えがある。


 なんのためにエーデルのメイドさんに化けたの? それとも元々? どちらにしてもドイルお兄様に知らせなくちゃ!


 目撃してしまったものに、様々な考えが頭を巡る。

 見つからないように、なんて言っていられない。ドイル様じゃなくてもいい、一刻も早く誰かに知らせないと。あの男は三日後といっていた。だから、あの女性に逃げろと。

 三日後といったら、ドイル様とクレア王女の式典の真っ只中だ。お二人の婚約はとても大事なことで、盛大かつ何の問題もなく終えなければならないとグレイ様が言っていた。なのに、あの人達はそこで何かする気だ。

 

 早く、知らせなくちゃ。

 そう思い踵をしたその瞬間、目の前にメイド服が広がる。

 恐る恐る顔を上げれば、艶やかな笑みを浮かべたメイドさんが私の前に立っていて。驚き振り返れば、そこについ先ほどまであったメイドさんの姿はなく、彼女が今の一瞬で移動してきたのだと理解した。

 彼女は恐怖に固まる私の頬にそっと手を添えると、優しく微笑む。


「見ちゃったの? 困った子ね」


 青い瞳が、紅く光る。

 それが遠のく意識の中、私が最後に見た光景だった。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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